黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

菜の花を川面に映して

2022-03-24 16:27:23 | 石田川物語

今朝、ひめちゃん大脱走です

でも、行く先はだいたいミニドッグランです

 

十分遊んだかな、お散歩に出るよ

もっと遊びたいけど、しゃあないお散歩に行きます

 

ひめちゃんはタバサねーちゃんと、堀之内を西に出て蕨沢川を渡ります。

桜がきれいに咲いています

橋のたもとの馬頭観音&百番供養塔、一年で一番華やかな時節です

 

諏訪神社の向こうの高台を歩いて帰ります。

タバサねーちゃん、クンクン情報収集中です。

あれ、赤城山の一番東の峯、煙が上がってるよ

でも、きっと雲だね

 

 

 

本日、実家のお墓参りに行ってきました。

実家も既になく、実家のお墓も整理整頓されて、かつての広い墓地の面影はありません。

ちょっと寂しいお墓参りです

 

今日は、国道17号線(上武道路)から回り込みます。

まず「道の駅おおた」で、ちょっとお買い物です。

ここは確かに太田市ですけど、近年まで尾島町でした。

もと尾島町民は、以前はちょっと違和感がありましたけど、最近は慣れてしまいました。

そこそこの人出です

 

 

さて、道の駅からまもなく実家の墓地です。

入口の石仏さんたちにも、お線香と団子が上がっています

子どもの頃は見なれた光景でした。

久しぶりの光景です

 

 

実家の墓地はかつてはかなり広くかったのですけど、今は整理されてかなり縮小されています。

広いばかりがいいことではないけれど、ちょっと寂しさを覚えます。

 

ご先祖様の墓石も、ずーっとここに居て欲しいと願った場所から動かされています。

時の流れで仕方がないのかも知れませんけど、ちょっと悲しい。

心を込めて、合掌

 

 

ここは、成就院跡です。

かつては、成就院無量寺という、世良田普門寺末のお寺だったと言います。

寺の由緒は不明であるが、境内には明徳元年同三年の宝篋印塔基礎が現存する。大正二年普門寺に合併し廃寺となる。

 

明徳(1390~1394)は、南北朝が統一された時期の年号です。

ずいぶん古からパワースポットだったのです

 

子どもの頃、御堂の中でのお葬式の記憶があります。

さて、またそのうちに伺います

何となくお墓参りがしたい時もありますので

 

 

来る道すがら、国道17号線に沿って流れる石田川が菜の花でいっぱいなのが見えていました

帰り道、実家近くの若宮公園に寄ってみましょう

 

菜の花に逢えるかな?

 

若宮公園駐車場近くの、菜の花の石田川です。

 

道を渡って、西の方(上流)に行ってみます。

ここらへんは、子どもの頃よく遊びました。

赤城山が見えます。

まさかあの山の麓の住人になるなんて、思いも寄らないことでした

 

正面には、榛名山も見えます。

あれ、川面に菜の花が映ります

 

少し行くと、左手には粕川会館です。

桜も、もうじき咲きそうです。

 

さて、ひめちゃんたちが待ってるから、この辺で帰りましょう。

Uターンして、若宮公園駐車場に戻ります。

わが故郷の川・石田川、菜の花を川面に映して流れていました

 

 

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