ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出てお散歩してきました
暑くなりそうだね。
早く帰りましょう
獅子くんは、また道草を食い始めます。
おや、きれいな花が一輪だけ咲いています
ふたりに踏まれもせず、きれいに咲いています
赤城山は、少し梅雨時の顔かな?
5月23日、実家の墓参を済ませて、上江田(かみえだ・太田市新田上江田町)の龍得寺(りゅうとくじ)にも寄ります。
ここは親の実家の菩提寺でもあります。
何代か前の当主・半兵衛さんが、伊勢参りに行ってきた記念に、この赤い門を喜捨したいう話が伝わっています。
金山城主・横瀬泰繁公菩提寺とあります。
親の実家は、殿様について上江田にやって来た医者だと言います。
そして秘伝の薬が、つい最近まで伝わっていたそうです。
男子のみの一子相伝で、男子が絶えた今は詳細は分かりません。
でも、子どもの頃、福島から来たお客さんを案内して褒美をもらったという親戚もいます。
どうも蚕の糞を使っていたらしいとも言います。
まあ、体には害のない漢方薬系の何かだったのでしょう。
もしかしたら、横瀬(埼玉県深谷市横瀬)から来たかもしれませんね。
いとこ達は、こどものころこの門に登って遊んだそうです。
本堂で合掌
火事で焼けた後、再建された本堂です。
お寺に預けておいた親の実家の書類等も灰になってしまったとか
古い墓石が上手に積み上げられています
ちょっとむなしいかな?
さて、かの有名な五輪塔にご挨拶です
説明板は、劣化の一途ですね
横瀬泰繁の墓と言うけれど、もっと古い中世のものです。
合掌
足下の双体の石造物気になります。
あったっけ?
親の実家のお墓にも合掌
東山道公園を目指します。
江田館跡(江田城)を素通りし、石田川を渡ります。
橋の名は、兵庫塚橋(ひょうごづかはし)です。
兵庫さんのお墓があったのかな?
左上の森が江田館跡、右上の辺りが龍得寺です。
石田川は、平地から流れ出しているのです。
やっと到着です
人の姿はあるけれど、ごった返していません。
東山道公園駐車場前の溜池です。
赤城山が見えます
推定東山道駅路の説明板です。
かなりの劣化です
武蔵に行く道がここから分岐していたというのです
たぶんこの広い道の名残が、東山道だったと思います
向こうまで行きたいけど、遠慮しておきます。
先日はもっとたくさんの人出でした。
活用中なのです
古代の人々がこの道を通って、或人は西に、或人は東に、移動していたんですね
日本最大の郡庁・新田郡家跡は、ここから少し東になります
向こうに見えるのは、新田暁高校です。
その昔は、綿打(わたうち)の女学校といったそうです。
少し東には、矢太神水源(やだいじんすいげん)があります。
そこから、一級河川・石田川(いしだがわ)が流れ出しています。
実家の少し裏も流れていて、川と言えば石田川、一番なじみの川でした。
そのうちに石田川物語もいいですね
さあ、赤城山の麓に帰りましょう
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