ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。
アチャ、黄色い帽子の集団だ
急遽、脇道に避難です。
天神田(字天神の田んぼ)を歩きます。
浅間山がきれいです
振り返って、赤城山です。
中央の地蔵岳、真っ白です。
堀之内に戻ろうと回り込むと、まだ遅れて通学の子どもです
ひめちゃん、ちょっと緊張気味です。
庚申塚古墳を通って帰ります。
双体道祖神、目立ちます
先日、成満院の円空仏は、拝ませてもらいました
でも、成満院には楠木正成の守り本尊の毘沙門天があると言います。
是非、拝ませてもらいましょう
1月10日、ちょっとお邪魔します
こんにちは
おとうさん・おかあさんいるかな?
運良く、ご夫妻ご在宅でした
さっそくご対面です。
「甲斐庄大和守保管」の文字が見えます。
楠公殿守本尊・毘沙門天です
合掌
『大間々町誌基礎資料Ⅵ 大間々の社寺』に 「明治43年11月30日、成満院毘沙門天・観世音両像下渡願 甲斐庄楠香殿へ差し出す」という文書があります。
文書には、「而シテ該毘沙門天ハ御遠祖楠公ノ御守護セラレタルモノニテ、江戸表ハ常々火災ノ虞アルヲ以テ当院ヘ御預ケニ相成リタルモノト古老ノ口碑ニ伝ハリ居リ候」とあります。
でもどうして、成満院に預けたんでしょう?
甲斐庄氏は小平の領主だったのかな?
甲斐庄楠香殿って、だれだ?
色々検索すると、ウィキペディアに、
甲斐庄 楠音(かいのしょう ただおと 1894〈明治27年〉12月13日 - 1978年〈昭和53年〉6月16日)は、大正時代の日本画家、昭和20年代 - 30年代の風俗考証家である。本姓は「甲斐荘」。兄に高砂香料工業創業者である甲斐庄楠香(かいのしょうただか)がいる。
甲斐庄氏は楠木正成の末裔を自称した一族で、江戸時代に徳川光圀の推挙で9500石の大身旗本となった裕福な武士であった。
そうだったんですか
『大間々町誌通史編上巻』p310
その後二十年を経た天和二年(1682)、窮迫化する旗本の救済と将軍の権力基盤を固めるため、幕府役職者の手当である役料をを家禄に繰り入れて地方知行高に加算する方針を打ち出した。これが五代将軍綱吉による「役料地方直し」であった。この時、大間々町域知行地を与えられた旗本は次に掲げる七人であった。
そしてその中に、いました
甲斐庄飛騨守正親、知行地は小平村・高津戸村です
小平には楠木正成の愛馬を祀った岩穴観音もあります。
小平に、楠木正成伝説があるのも、なんとなく納得です
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