黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

細川内膳の物語・総集編(子育地蔵と細川内膳の墓)

2019-04-12 16:16:32 | 桐生川紀行
昨日の夕方、ののこねーちゃんのお散歩途中に、突然どこからともなく、白パグが出現しました。
お散歩の後半つきまといます。
家まで付いてました
みんなで騒いで追い払いましたけど、そこらの家でも騒いでいたので、ご近所にも出没したようです。
かなり太めの、大きな男の子でした。
首輪もないし、ここらでは見かけない子です。
ひめちゃんちの門柱に片足あげて、マーキングして去りました。
ちょうど、ウォーキングで通りかかった人の後を付いて、南の方に去ったのです

ひめちゃんは、パパとタバサねーちゃんと南の方にお散歩しましたが、パグくんには逢いませんでした。
おうちに帰れたかな?





細川内膳の物語・総集編、子育地蔵と細川内膳の墓です。

名馬小雀の主君・細川内膳の墓は文昌寺にあります。
菱のハイキングではちょっと境内を通過してしまいましたが、実は何回か訪れています。
昨秋のある日も訪れました。

参道脇に、まだ朱の残る2猿2鶏の庚申塔があります。



左の猿は、見ようによっては目をつむっているかな?
右の猿は、右手を口に当てて言わざるに見えなくもないかな?


ちょうど和尚さんが通りかかりました。
「こんにちは 御朱印いただけますか?」
「書き置きでいいですか。」
「はい。」
和尚さんはお忙しそうです。
でも、ここでお寺の人に会ったのは初めてです
和尚さんについて仁王像の間を抜けて、庫裏前で待ちます。



ありがとうございます。
お忙しいのに親切に対応していただきました。



本末転倒ですが、これから境内を散策させていただきまーす



山門の脇に不思議なものがあります。



縄文石器って?
旧赤城村の赤城歴史資料館の石棒を思い浮かべます。
でも、あれは石器時代のものだったけど。



鐘楼堂の下に、菱カルタがありました。

文昌寺 子育地蔵(こそだてじぞう)と五輪塔

子育地蔵堂は普段は閉まってますが、わざわざ開けていただきました。



かわいいお地蔵様やお子様グッズがいっぱいです。



元々の子育地蔵は左の石のお地蔵様だそうです。

かつての火災に耐えて子供たちを見守っているのですね、合掌



本堂の裏にもう一枚の菱カルタがありました。

累代の 百庚申の 塔ならぶ

「雷電山の方向に少し登ると、岩陰や木陰に自然石に文字を刻んだ庚申塔がたくさん安置されている。」とあります。
でも、先日菱ハイキングで雷電山から下りてきたけれど、まったく見つかりませんでした
道が不安でゆとりがなかったせいかな



本堂裏の山の斜面は墓地になってます。

「一番高いところからの見晴らしがまたいいんだ」と、和尚さんに教わったので登りました。



お釈迦様の脇からはるか遠くを望みます。



くよくよしていても、気持ちが晴れてしまうような景色です



さて、ここから降りて右手に細川内膳の墓があります。



左手の階段の奥です。
五輪塔のようですが、寄せ集めた感じもあります。
右の奥に五輪塔がたくさんあります。
菱カルタの五輪塔は、どっちを言ってるのでしょうか?


ここは明治初年に廃寺になった細川家の菩提寺・西善院の跡なのでしょう。
文昌寺と隣接していたということですから。



菱の領主細川内膳、ひめちゃんたちの住んでいる葛塚城堀之内ではまったく知らない人でした。
菱の領主細川内膳、最近少し存在を感じられるようになりました

『桐生老談記』に「細川内膳の内室は上州膳の城主因幡守の妹なり」とあり、膳因幡守は「天文十三年(1544)七月十五日朝、勢を揃え、諏訪の森に集まり、其れより馬煙りを立て乗り出す」とあります。


膳城の近くに、諏訪というのは諏訪神社のあたりしかありません。
諏訪神社の森に集まって出撃したのです

ひめちゃんたちも、時々諏訪神社のあたりはお散歩しています。
菱の領主細川内膳は、まったく無縁の人ではなかったんだ


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