最近、ひめちゃんは獅子丸と、朝のお散歩に出ることが多いです。
今日は、堀之内を西に出ます。
あれ、向こうに浅間山がみえます
後ろから、小次郎パパ&タバサねーちゃんののこねーちゃんが、おとうさんを連れてやってきました。
みんなで、諏訪神社の向こうの高台を目指します。
榛名山&浅間山が久しぶりに見えます
赤城山もすっきりと姿を見せています
左折し、山上城跡公園の南を通って帰りました
米沢薬師からの帰りに、駒ころばし峠を確認してきました
桐生川からはちょっと離れますけど、桐生佐野氏関連の史跡(?)なので、カテゴリーは桐生川紀行でいきます
県道227号線を市内に戻ります。
途中で、桐陽台団地の表示で、左折します。
たしか、団地の一番南に「駒ころばし峠」の菱カルタがあったような記憶があります。
ひたすら南を目指します。
坂道の途中です
佐野からの援軍がここまで到着したとき、柄杓山城(桐生城)落城の知らせが届いた。13人の大将は引き返すこともできずに、馬を谷底に落として自刃したという。
谷底は見えませんでした
でも、馬なら這い上がってきそうな雰囲気です。
ここは峠で交通の要衝だったのです
西側です。
東側です。
この道を、佐野から援軍がやって来たというでしょうか?
ところで、落城の日に、佐野からの援軍がここで自決した話はどこに原本があるのでしょう?
『桐生老談記』には、
去る程に、新田勢うんかの如く押し来たり、藤生紀伊守を大将にて、~(中略)~、境野原に押し寄せ、先陣と三百六十騎、駒ころばし坂を超えて、
とあります。
桐生城落城のあの日、新田勢もここを通ったのです
渡良瀬川の南は新田(由良領)で、ここに来る途中に敵対勢力はありません。
佐野から来るには、由良氏から養子が入っている長尾氏がいます。
「どうぞお通りください。」なんていうはずはありません。
北の方を望みます。
あのかすんでいる山の辺りで、戦いが行われたのでしょうか?
この団地の北にある、宇都宮神社を通って帰ります
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