黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

桐生川紀行総集編・桐生大炊助手植えの柳

2020-04-26 21:27:11 | 桐生川紀行

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出ました。

今朝は、浅間山も榛名も、はっきりとはその姿を現しませんでした。

諏訪神社の向こうの高台を廻って帰る予定でした

満面の笑みの獅子くんです

満開の菜の花の向こうに、ちょっとだけ赤城山が見えます。

 

いつもは、この先を右折して帰ります。

今日は、ひめちゃんがなんとしても左に行くと譲りません。

まあ、いいか、急ぎの予定もないし

左折してすると、膳城・膳八幡神社・龍源寺の少し後ろに出ます。

また、左折すると、山上城の前に出ます。

 

ここに、「山上の多重塔」案内表示があります。

実はこのポールの後ろ・草の中に、道標があるのです。

南膳田面、西月田大胡の文字が読み取れます

 

山上城を横目に、蕨沢川にかかる元町橋を渡ります。

後ろ姿で失礼します。

ここに「元町橋の供養塔」があります。

先代の橋を供養する橋供養の塔です。

先代の橋は、かつては近郷近在に聞こえた名所・山上愛宕塚古墳の石を使っていたそうです

 

庚申塚古墳の前を通って帰ります。

ここは、古墳そのものより、双体道祖神の方が注目されているようです

このコースは、ミニミニ史跡巡りのコースです

 

 

 

由良成繁が永禄10年(1567)に書いた「善・山上之事」という文書に、「善氏・山上氏は、佐野大炊助祖先周防守(すおうのかみ)に在所を押抜かれた」とあります。

佐野周防守が山上に攻めよせてきたのです

葛塚の要害は、佐野周防守に占領されたことがあるのです

桐生氏は、実は佐野氏であることが近年わかりましたね。

その佐野周防守子孫・佐野(桐生)大炊助が植えた柳が、「桐生大炊助手植の柳」です。

 

(2018年9月9日)

「桐生大炊助手植の柳」は、桐生タイムスの脇を道なりに行くと、公園の中にあります。

駐車場が見当たりません

ちょっと失礼して、このあたりに路上駐車です。

 

さーて、どんな大木でしょう

囲われた中にあるのが、桐生大炊助手植の柳ですよね?

説明板は昭和58年3月に設置されたままのようです。

樹勢が盛んな頃の姿を知りたいなあ。

この状態から、樹齢400年の大木を想像するのは難しい

 

いろいろ検索すると、「日本伝承大鑑」に「昭和25年4月に強風により根本付近より折れたとの報がある。」とあります。

たしかに、根本から折れている感じです。

 

浄土黒が死んだのは、「日本伝承大鑑」によると、頽馬(たいば)という馬を即死させる魔性の風だそうです。

 

遊具の向こうに、何か見えます。

神社です

 

ちょっと行ってみよう

桐生神社です。

桐生の鎮守という感じではないし・・・・・・

桐生大炊助手植の柳のそばなので、桐生氏と関係あるのかな?

 

狛犬は、金網で覆われています

狛犬自体は古くないようです。

金網で覆われた狛犬、初めて見ました

ツタの生い茂る壁を見て、後ろに回るのは断念しました

桐生神社についてはいろいろ検索してみましたけど、わかりません

 

もう一度、公園の桐生大炊助手植の柳に戻ります。

元気なひこばえが出ています

このひこばえが大木になるころ、どんな世の中になっていることでしょう?

 

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