ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出ました。
今朝は、浅間山も榛名も、はっきりとはその姿を現しませんでした。
諏訪神社の向こうの高台を廻って帰る予定でした
満面の笑みの獅子くんです
満開の菜の花の向こうに、ちょっとだけ赤城山が見えます。
いつもは、この先を右折して帰ります。
今日は、ひめちゃんがなんとしても左に行くと譲りません。
まあ、いいか、急ぎの予定もないし
左折してすると、膳城・膳八幡神社・龍源寺の少し後ろに出ます。
また、左折すると、山上城の前に出ます。
ここに、「山上の多重塔」案内表示があります。
実はこのポールの後ろ・草の中に、道標があるのです。
南膳田面、西月田大胡の文字が読み取れます
山上城を横目に、蕨沢川にかかる元町橋を渡ります。
後ろ姿で失礼します。
ここに「元町橋の供養塔」があります。
先代の橋を供養する橋供養の塔です。
先代の橋は、かつては近郷近在に聞こえた名所・山上愛宕塚古墳の石を使っていたそうです
庚申塚古墳の前を通って帰ります。
ここは、古墳そのものより、双体道祖神の方が注目されているようです
このコースは、ミニミニ史跡巡りのコースです
由良成繁が永禄10年(1567)に書いた「善・山上之事」という文書に、「善氏・山上氏は、佐野大炊助祖先周防守(すおうのかみ)に在所を押抜かれた」とあります。
佐野周防守が山上に攻めよせてきたのです
葛塚の要害は、佐野周防守に占領されたことがあるのです
桐生氏は、実は佐野氏であることが近年わかりましたね。
その佐野周防守子孫・佐野(桐生)大炊助が植えた柳が、「桐生大炊助手植の柳」です。
(2018年9月9日)
「桐生大炊助手植の柳」は、桐生タイムスの脇を道なりに行くと、公園の中にあります。
駐車場が見当たりません
ちょっと失礼して、このあたりに路上駐車です。
さーて、どんな大木でしょう
囲われた中にあるのが、桐生大炊助手植の柳ですよね?
説明板は昭和58年3月に設置されたままのようです。
樹勢が盛んな頃の姿を知りたいなあ。
この状態から、樹齢400年の大木を想像するのは難しい
いろいろ検索すると、「日本伝承大鑑」に「昭和25年4月に強風により根本付近より折れたとの報がある。」とあります。
たしかに、根本から折れている感じです。
浄土黒が死んだのは、「日本伝承大鑑」によると、頽馬(たいば)という馬を即死させる魔性の風だそうです。
遊具の向こうに、何か見えます。
神社です
ちょっと行ってみよう
桐生神社です。
桐生の鎮守という感じではないし・・・・・・
桐生大炊助手植の柳のそばなので、桐生氏と関係あるのかな?
狛犬は、金網で覆われています
狛犬自体は古くないようです。
金網で覆われた狛犬、初めて見ました
ツタの生い茂る壁を見て、後ろに回るのは断念しました
桐生神社についてはいろいろ検索してみましたけど、わかりません
もう一度、公園の桐生大炊助手植の柳に戻ります。
元気なひこばえが出ています
このひこばえが大木になるころ、どんな世の中になっていることでしょう?
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