黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

ひめちゃんの山上城散歩

2019-05-14 22:30:31 | 群馬県・旧勢多郡
ひめちゃんは、朝6時頃ケンくんちに寄りました。
獅子丸が一緒だと挨拶ができないので、獅子丸家に行く前に寄ったのです。
残念、ケンくんはいませんでした
ケンくんの朝散歩は早いんだ


ひめちゃんは気を取り直して、獅子丸と山上城の南の方に行きました。
山上城の縄張り図です。




蕨沢川を渡ると、元町橋の供養塔があります。
縄張り図のA地点です。
地図では天神川とありますが、地元では蕨沢川と言ってます。



人々が洪水に飲まれてしまう川には見えません。
「石橋」の文字が見えます。
橋供養(はしくよう)です

桐生市のHPで確認すると、

蕨沢川は、赤城南麓の標高500メートル付近に源をもち、傾斜角度がきついことから、一雨降ると濁流となって山麓を一気に流れます。そのため、昔から大雨の旅に水害が繰り返され、周辺の人々は難儀をしてきたのです。そこで、当時の永久橋ともいえる石橋をかけることに成功しました。その竣工を記念して建てられたのが、元町橋の供養塔なのです。
碑文には、「無事に橋がかかり、いつでも通れるようになった。これは世のため人のため大いに貢献することになり、それによって末永く世もさかえるであろう」と記されています。それは、元禄14年(1701)日月25日のことでした。
石碑は、安山岩製で、高さは1.7メートル、最大幅は98センチメートルで上部はとがっています。なお橋に使用した石材は、ここから東南に500メートル地点にある愛宕塚古墳の石室に求めた、と伝えられています。


そうすると、道の反対側にある道祖神や馬頭観音の石碑ももしかしたら愛宕塚古墳の石材かも?



愛宕塚古墳はすでに消滅してしまった古墳です。
そのあたりには、かつて時宗の道場があったとかいいます。
それで堂場というとか。
南北朝時代においては、時宗の道場はアジール(聖域)で、政治権力の介入しない避難場所だったといいます。
ひめちゃんが生まれるずーとずーと前、三四郎&サマンサと、このあたりまでよく足をのばしました。

三四郎&サマンサ、天国で仲良くしているかな


元町橋を渡って、道なりに西に向かいます。
少し上り坂です。
元町集会所入り口とあります。




今朝はこのまま通り過ぎましたけど、先月は寄ってみました。
ここは、山上城の南郭と言われているところです。


以下は先月の写真です。
高台なのに、さらに小山があって、頂上には「蚕影山神」が祀られています。
縄張り図のB地点です。






入り口を逆にみると、三の丸、いわゆる山上城が見えます。



今朝の様子に戻ります。
間の道はもともとあったのかな?
カーブミラーのところを左折します。

まもなく交差点です。



左上が、山上城南郭です。
縄張り図のC地点です。

今は草に埋もれてしまってますけど、ここには道標があります。
ここは昔は幹線道路だったのです


ここから山上城跡公園に戻ります。
といっても、ワンコ様ご入場禁止なので、公園の南の通路を通ります。



山上城跡公園の正面入り口に出ました。


さて、帰りましょう
また蕨沢川を渡ります。

下流の流れです。
濁流が一気に下っても大丈夫な様に深い作りになってます



この先に助衛門橋(すけえもんはし)があります。
近所に住む知人は、「私がお嫁に来た頃は、丸太二本渡してあるだけで、怖くって渡れなかったのよ」と言います。


獅子丸家に向かいます。
今朝は赤城山が見えません。




獅子丸を送って、ケンくんちに回ります。



ケンくん帰ってました
ちょっとご挨拶して、ひめちゃんも家路を急ぎます





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