昨日の夕方、ひめちゃんは一人散歩になりました。
いざ、ケンくんちに
ケンくん、いるかな?
いました
やっと逢えました
少しの間だけど、濃密な逢瀬です
まちがいが起きないうちに、バイバイ
また来るね
ひめちゃん、恋の季節だね
あたちは、満足よ
ケンくんちの脇の細道を帰ります。
畑中に石造物です。
石殿の中に、どなたか居ます
何様だろう?
どうしてこんな畑中に、居るんだろう?
ここはパワースポットだったのかな?
(前橋市)荒砥中学校北側の道沿いに、石造物が何体かあって、史跡のポールもある所があります。
でも道が細すぎて、車は入れません
先日、少し手前から回り込みました
確か、何年か前に訪問した様な気がします。
でも、訪問したという記憶しかありません。
新たな気持ちで、訪問です。
赤い屋根のこのお堂の脇に駐車です。
まず、こちらから参拝です。
大黒堂とあります。
大黒様です。
神様ですね。
2礼2拍1礼です
さて、石造物の方に行きます。
こんにちは
観音寺の石仏群とあります。
ここは、南勢多郡の廃寺・観音寺だったのです
りっぱな石仏群です。
合掌
おや、振り向くと道の反対側に、首のないお地蔵様と六地蔵です
お地蔵様には、それぞれお名前が付いています。
合掌
さて、メインのお堂に参拝です。
「荒子学校発祥之地」ですって
とにかく、参拝です。
合掌
お堂右の青い屋根の建物は、確かに校舎の雰囲気です
下駄箱も残ってます。
その奥は、墓地になってます。
さて、帰ろうとしたら、大黒天堂の向こうにも白いポールが見えます
あるかなきかの道をたどります。
観音寺の六地蔵幢です。
輪廻幢にかかる塔婆に、旧観音寺の文字が見えます
僧形の墓標もあります。
倒れっぱなしもあって、ちょっぴり哀愁
満開の梅の中、みなさんに逢えて良かった。
合掌
「南勢多郡の廃寺」(群馬県勢多郡中部仏教会)によれば、
観音寺(笹費山大悲院ー真言宗豊山派大胡山玉蔵院末)
荒口町中原610番地外に存在した。本堂は裄行5間3尺、梁行3尺で、庫裏は裄行4間3尺、梁行9間、境内は338坪であった。明治中期に無住になり明治42年(1909)二宮村の無量寿寺へ合併になった。観音寺文書によれば、寛永2年(1625)讃岐国より観音坊という高僧が来て茅庵を結び居住したと伝えられている。しかし境内には応安3年(1371)の六地蔵幢や延徳3年(1491)の輪廻幢などが存在することから当初は南北朝期に寺が存在していた可能性も考えられる。なお、観音寺の本堂は、明治43年(1910)堀越町字関皆戸の金胎寺(現金蔵院観音寺)の本堂として移設された。
そういえば、「無量寿寺墓地分譲中」という看板もありました。
そのうちに無量寿寺も訪問してみましょう
金蔵院(こんぞういん)は、行ったことがあります
でも、本堂は新しい耐火建築でした。
応安3年(1371)の六地蔵幢や延徳3年(1491)の輪廻幢、今回初めて気がつきました
南北朝時代や室町時代の石造物があるのですね。
新たな発見、いっぱい有りました
再訪できてよかった
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