こぬか雨の中、ひめちゃんと獅子丸は、堀之内の北の方を歩いてきました
堀之内の西、東柴の田んぼ道を帰ります。
後ろ姿で失礼します
ここにも、もう刈り取り適期の連絡票です。
9月29日ごろですって。
その頃は晴れるといいね
ビッショリにならないうちに帰りましょう。
昨日は、ここら辺に、シラサギさんがいました
赤い彼岸花と、品良くコラボしていました
雨の今朝は、何処にもその姿はありません。
『南勢多郡の廃寺』(内田憲治 群馬県勢多中部仏教会 平成23)に、前橋市飯土井町の飯土井寮(いどいりょう)があります。
飯土井寮
飯土井町805番地に存在する。裄を支える舟肘木には唐草模様の彫刻が施され寺院建築の造作が見られる。飯土井村は西大室村観昌寺の檀家であり飯土井寮はその境外施設であった。~(中略)~寮の敷地には鼻毛石村赤城寺7世の石仏があり、赤堀の石山観音や玉村の観音寺とも関係があったようで、また二之宮村の慈照院48世見詔も安政5年(1858)隠居している。飯土井寮は僧侶が隠居し籠もる隠寮として存在していたようである。幕末の嘉永から安政にかけ貞専という尼僧が寮におり指定の教育を行っていた。明治初年には寺院の施設ではなくなったようで、隠寮は現在の飯土井町公民館として提供されている。
お使いついでに、ちょっと足を延ばしてみます。
迷うことなく到着できました
史跡のポールがあります。
設置者は、荒砥史談会です。
旧荒砥村になるのでしょうか?
ポールの側には、不思議な形の石造物があります。
開山さんかな?
合掌
不動明王に護られているのです。
もっといろいろあったような雰囲気です
ここは、(前橋市)飯土井町公民館です。
「南勢多郡の廃寺」が調査された頃とは異なり、新築された公民館になってます。
飯土井寮の石仏群は、公民館の建物の西側に、ひっそりとありました。
むむ、お首が変だぞ
ちょっと違うお首が付いてるみたい
和尚さんたちの墓石は無事のようです。
目立つ石造物です
裏を見ると、これが小次郎パパのふるさと・鼻毛石村の赤城寺(せきじょうじ)7世の墓石でした
石仏のみなさんけっこうお首がありません
六地蔵幢(ろくじぞうどう)の六地蔵さんは無事ですけど、どんな形の石造物だったのかな?
奥の方に、端正なお顔のお地蔵様です
でも、よくよく見ると、違う石仏のお顔かも
ここは、明治初年、すさまじい廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐が吹き荒れたようです
北面の馬頭観音は、ご無事です
頭上のお馬さんのお顔も、はっきり見えます
ほっとなごむ光景です
石仏のみなさんに、合掌
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