黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

石田川物語・若宮の謎(かすかわばし付近)

2021-06-24 21:40:09 | 石田川物語

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て、岩神沼に到着です。

だれかいるかな?

あれ、カモさんがたくさんいるよ。

親子で連れ立って泳いでいます

芦原で、子育てしていたんだね。

みんな泳げるようになってよかったね

 

ひめちゃんたちは、岩神様(高縄の摩崖仏)の裏を通って帰りました。

おうちに帰って、先にハーネスを外してもらうのは、獅子丸です。

ひめちゃんは、良い子で待ってます

 

 

 

19日は雨でしたけど、どうしても親と話がしたくて、実家の墓参となりました。

実家は既になく、親も既にこの世にはいません。

でも、無性に親と語りたい時があります。

この日は、木崎の方から回り込みます。

 

石田川を渡ります。

橋を渡るとすぐに、公園があります。

いつもはけっこう車が入ってます。

この日は、誰もいません。

思い切って寄ってみました

初めての訪問です。

この町の住人をしていた頃は、もちろんこの公園はありません。

若宮ふれあい公園です。

でも、どうして若宮なんだろう?

心あたりがありません

 

歩道橋があります。

「かすかわばしほどうきょう」です。

橋を渡って、北側を歩くことも出来そうです。

 

今回は、とりあえず西の方に行ってみます。

一級河川・石田川、この北側の風景は記憶にあります。

でも、子どもの頃よく遊んだのは、遠くに見える白いガードレールの辺りのようです。

支流だったのかな?

 

建物があります。

粕川会館です。

地域の集会所です。

赤い鳥居があります。

記憶にありません

秋葉神社です。

とりあえず参拝です。

 

遠景です。

結構大きな建物です。

昔のままかな?

昔、東の部分だけ、間借りしている家族がいました。

そんな時代もあったのです。

 

西の方に石造物です。

大きな碑もありますけど、ここの由来ではないようです。

 

東の方に頑丈そうな建物があります。

昔は消防小屋といいました。

ここにも管理スペースが付いていて、間借りの家族がいました。

そんな時代だったのです。

 

でも、よくよく考えたら不思議な空間です

もともとは、大きな神社があったような?

 

公園に戻ります。

 

少し東の方に歩いてみます。

ふれあい公園、やすらぎの公園です。

でも、若宮の説明とか由来はありません。

 

このままもう少し行きたいところですけど、今回はここまでにしましょう。

そのうちに、タバサねーちゃんと歩いて見るのも良さそうです

 

さて、帰りましょう。

あれ、ツツジの杖込みの足下に

こどもたちの手形です。

もううみんな大人になってるよね

 

『尾島町誌・通史編・上巻』に、明治11年の「神社明細帳」記載の神社があります。

それを見ると、「八幡宮 粕川村 無格社」があります。

八幡宮 粕川村 無格社

祭神・誉田別命。 間口三尺一寸、奥行き五尺二寸 屋根柿葺。 上屋間口二軒、奥行二間四尺、屋根萱葺。 拝殿なし。 木鳥居一基、石燈台一基。 村持。 五反三畝二歩税地。 境内末社、阿夫利社・妙義社・秋葉社。 祭日8月15日。 神宝・鏡一面。 神官員数、世良田村八坂神社祠官兼奉阿久津盛為。 氏子戸数なし。 由緒不詳。

 

粕川会館の所は、秋葉神社はあったし、八幡宮だった可能性が考えられます

他にはそういった場所はなさそうです。

 

若宮とは、本宮をほかの地に新しく勧請して祀った新宮、または本宮の祭神の御子神を祀った神社の意味だそうです。

また非業の死を遂げ、人々にたたりやすい御霊を祀り、その怒りを封じ込めようとした社ともいいます。

 

石田川の氾濫に悩まされた事があったのかも知れません。

なんとなく、若宮が公園にかつては存在したような感じです

 

またそのうちに、タバサねーちゃんと来まーす

 

 

さて、実家の墓参です。

静かに手を合わせます。

 

ここは、かつては成就院というお寺があったということです。

境内には、かなり古い石造物もありそうです。

 

今回初めて気づきました。

板碑です

緑泥片岩の板碑です。

さりげなく、無価値のもののように置かれています。

阿弥陀如来のキリークかな?

中世の貴重な記憶かも知れません

 

このあと、世良田八坂神社に向かいました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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雨の日の御朱印(夏祓の世良田八坂神社)

2021-06-23 21:41:50 | 群馬県・東毛

今朝早く、小次郎パパはそこらまでのちい散歩に出ました。

ちょうど、ポメラニアンのミーナちゃんがやって来ました。

パパは元気はつらつ、濃厚な逢瀬を楽しみました。

あれ、シッポが立ってる

高齢のパパのシッポは、最近はほとんど下がっていたのです。

タバサねーちゃんと2度目の朝散歩です。

 

ひめちゃんは獅子丸とお散歩です。

あれ、パパのシッポ上がってるよ

パパが元気なのは、いいことだよ

 

元気にひめちゃんたちを追い越して行きます。

 

夕方は、ひめちゃんと南の方にお散歩です。

軽快な足取りで歩きます

気のせいか毛並みもよくなったみたい

パパはまだ煩悩の塊のようです。

 

ひめちゃんちの紫陽花、次々と咲いてます。

日陰でも、きれいに咲いてくれました

 

 

 

大久保赤城神社(太田市大久保町)を先日参拝しました。

ここは世良田の八坂神社が兼務ということです。

19日の土曜日は雨でしたけど、実家の墓参ついでに八坂神社にも参拝です。

 

あれ、手水社がいい雰囲気です

白花の紫陽花に、アクセントのピンクと赤の花、この季節ならではの風景です。

古い手水社も、生き生きしてきます

 

御朱印をお願いして、鳥居から入り直しです。

あれ、夏祓えの仕様です

茅(ちがや)の輪、くぐります

説明にしたがってしっかりくぐります

この半年、いろいろなことがありました。

半年の汚れを祓い、後半の半年を無事に過ごせるように祈ります

拝殿で、2拝2拍1拝です

 

さて、雨なので控えめにウロウロです。

神楽殿です。

ここにも、額がいくつも奉納されています。

これが一番大きいかな?

はて、なんだろう?

 

雨の日の境内は静かです。

御朱印を待つ人も、わずかです。

 

本殿周囲の下部に、気になるものがあります。

出資者の名前です。

本殿改修の時(?)、喜捨した人々というかお店です。

世良田付近には、たくさんのお店があったんですね

 

 

そろそろ、御朱印できたかな?

 

まず、雨の日限定の御朱印です。

雨の日でないといただけませんものね

鳥居前には黒柴の後ろ姿です

 

戌の日の御朱印もいただきました。

 

もちろん、大久保赤城神社の御朱印もいただきました

後日、大久保赤城神社の記事でご紹介です。

 

雨は降っていたけど、雨の日限定の御朱印をゲットでき、夏祓えの茅の輪をくぐれて、大満足の参拝です

 

 

駐車場に戻ると、駐車場が混んできました

群馬ナンバーだけでなく、茨城やつくばナンバーの車も来ています

 

さて、この次はどの御朱印をいただこうかな

 

 

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蕨沢川物語第一章は、サギ族の営巣地

2021-06-21 16:33:20 | 蕨沢川物語

ひめちゃんちには、遅咲きのヘメロカリスが華やかに競演を始めました。

こだわりなく集めた花々です。

それなりに、みんないい花咲かせてくれます。

何種類かは、株分けして増やして、郷右衛門忌のプレゼントにと出番を待ってます

 

 

 

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

お天気で気持ちいね

獅子くん、最近小次郎パパに似てきたみたい。

ひめちゃんは、用を済ませると、ご褒美の催促です

獅子丸は、自分にも廻ってくるので、静かに待ちます。

 

岩神沼に到着です。

沼は静かでした。

よくよく見ると、向こうの淵に、カップルの黒いカモさんがいます。

 

さて、上の沼はどうなったかな?

この間は、東の新沼(しんぬま)も西の童沢貯水池(どうざわちょすいち)も、緑の藻に覆われた「みどり沼」でした

 

新沼に到着です。

あれ、きれいになってる

東の新沼は、鳥さんはいませんけど、いつもの沼に戻ってました

さて、西の童沢貯水池はどうかな?

 

向こうから、杖をつきながらお散歩の老人です。

「おはようございます。」

「おはようございます。」

明るく挨拶を交わします

 

あれ、油断してました。

白い物体が舞い立ちます

シラサギです

やっと、その後ろ姿を捕らえました

 

むむ、木の上にまだいるぞ

ここは、蕨沢川の起点です。

 

ここから一級河川・蕨沢川は流れ出しているのです

 

シラサギの向こうには、アオサギです

アオサギは3羽以上いる?

黒いのは、カモさんかな?

 

どうも棲み分けているみたいです

シラサギはシラサギと、アオサギはアオサギと、木の上で生活しているようです

一級河川・蕨沢川の第一章は、サギ族の営巣地だったのです

初めて気づきました

 

ひめちゃんたちの協力がなかったので、なかなか焦点が合わず、小さめサギさんの画像だけになってしまいました

でも、ひめちゃんたちがいるから、ここまで歩いてきたんだね。

ありがとう

 

さあ早く帰って、朝ご飯にしましょう

 

沼の下には、大きな庚申塔があります。

題字は、(新里町)小林にある相応寺住職の筆であることは確認できます。

後ろにも、台石にも、文字がありそうです。

ちょっと判読不能かな

 

おや、獅子丸、ハンターに変身です

気にしない、気にしない、早く帰ってご飯だよ

 

 

 

 

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赤城山・旧一の鳥居(小暮神社)

2021-06-20 21:18:53 | 群馬県・旧勢多郡

晴れました

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出て、天神田(字天神の田んぼ)を歩いてきました。

赤城山は、雲の間から、その姿を見せています。

帰り道、行きには見えなかった榛名山が姿を現しました。

 

 

 

5月31日、以前から気になっていた「赤城の大鳥居」の旧鳥居を訪ねました。

まず、大鳥居下のコンビニに寄って、アイスコーヒーで一休みです。

元気になったところで、大鳥居目指して歩きます。

右折する予定なので、道の東側に渡ります。

特徴のある「赤城山」の額が見えます。

 

信号を渡って、「旧一の鳥居入り口」の→で右折します。

 

少し行くと、小高い所に赤い鳥居が見えます。

旧一の鳥居です。

あの特徴のある「赤城山」の文字があります。

説明板です。

この鳥居は江戸時代後期の宝暦11年(1761)に小暮村(玄前橋市富士見村小暮)の人たちにより赤城山信仰のシンボルとして小暮村内に建てられたが、天明4年(1784)に小暮の十字路に移され、大洞赤城神社の「一の鳥居」として親しまれてきた。昭和40年(1965)に有料道路建設に伴って解体され、赤城山頂大洞の旧赤城神社に移築された。しかし山頂の風雪による傷みが激しくなったことから、平成6年に現在の小暮神社に再度移転された。~(中略)~鳥居上の扁額は、江戸後期の僧侶で書道家の「角田夢幻」の書である。

 

旧一の鳥居の由来もあります。

 

角田夢幻書の「赤城山」、いいですね

そのうちに、角田夢幻の記憶も訪ねてみたいなあ

 

鳥居をくぐって、シンプルなすっきりした拝殿です。

2礼2拍1礼で参拝です。

 

シンプルな拝殿の割には、しっかりした本殿です

 

社伝の西には、石造物です。

大きな念仏供養塔があります

 

「法印」とあります。

和尚さんの墓標のようです。

境内にかつてはお寺があったかな?

 

隣は富士見児童館ということです。

小暮幼稚園跡地だったのですね。

 

鳥居を出て帰ります。

鳥居をためつすがめつ、見ながら帰ります

目立たないけれどしっかり「願主 小暮邑中」としっかりあります。

宝暦十一辛巳歳十一月吉日とあります。

小暮村の人々の思いが詰まった鳥居です

 

帰りは大鳥居の西側を辿ります。

富士見カルタがあります。

鳥居の先は有料道路だったのです。

 

信号の南には、赤城山登山口の道標です。

ここからは有料道路を上らなければ、赤城山には登れなかったのです。

それで、有料道路を避けて、三夜沢から上ったという話もあります。

そんな時代もありました

 

 

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大同元年宥海上人創建・さつきの永徳寺

2021-06-19 20:25:57 | 早川物語 2

雨の降りしきる朝でした

ひめちゃんは、貧乏カッパで、小次郎パパと南の方にお散歩です。

雨にも負けず、きれいに咲いてくれた大輪のヘメロカリスです

 

夕方、雨止みに、ひめちゃんは小次郎パパとお散歩です。

最近、ひめちゃんは恋の季節に突入したようです。

パパは、ひめちゃんのマーキングの跡に丁寧にマーキングです。

まだまだ煩悩を抱えたパパです。

また雨が降らないうちに帰ろうね

 

 

 

5月28日、世良田八坂神社の後、さつきの寺・永徳寺を訪ねました。

もしかしたらまだ、さつきが咲いているかな?

 

満徳寺歴史資料館の駐車場に駐車です。

 

 

道の反対側が永徳寺です。

境内に入ると左手に説明板があります。

寺伝によると、天台宗の開祖伝教大師最澄の弟子・宥海上人によって、大同元年(806)に創建され、関東最初の天台三道場の一つだったという。

ええ、どこかで聞いた話です

 

新川(にっかわ、桐生市新里町)の善昌寺の話と同じだ

宥海上人は天台宗の東国伝道教団の先達として、鬼石の緑埜寺(みどのじ)にやって来たと言います。

そして、善昌寺縁起によれば、東北に紫雲が見えた所に善昌寺を建てたんですって

 

新田の永徳寺もその時に建てたんですか

先達のお仕事大丈夫だったのかな?

 

その後は訂正されて、一行消えています

 

徳川郷に居館を得ると、薬師如来を深く信仰し、当寺を祈願所とした。

 

誰のことかな?

少し北に、伝・新田義重の墓があります。

祈願所にしたのは、新田義重かな?

 

むむ、善昌寺縁起にも、似たようなことが書いてあったぞ

 

 

さつきは盛りを過ぎていますけど、まだ咲いています

さつきの花の中に古い石仏、いいですね

 

 

山号は医王山、院号は和光院ですね。

大きなお地蔵様です。

延命地蔵尊とあります。

合掌

ひめちゃんたちが天寿を全うするまで、生きられますように

 

 

もしかして比翼塔?

さっきの説明板に、

また境内には利根川に身を投じた相思相愛の心中者を共に葬った「比翼塔」が二基あるのが注目されているが、いずれも男女の寄り添う姿が浮き彫りになっている。

 

 

如意輪観音ですね。

 

観音様のようだけど?

 

りっぱな庚申塔です。

徳川の正田家の菩提寺なのでしょう。

 

御利益のありそうな青面金剛です。

横に奉納者の名前があります。

 

そばに、よく似ている青面金剛です。

 

 

不動堂です。

さっき案内板には、

明治41年徳川河岸にあって船頭たちの守本尊とされてきた不動様のお堂を移築した。

とありました。

合掌

 

 

本堂脇に、ありました

まだ、水害避難用の小舟がありました。

さっきの説明板に、

江戸時代、元禄、宝永など度々利根川の洪水にあって、寺地も何度か移転したが、文化十四年(1817)には火災によって堂宇ことごとく焼失したため、長楽寺は円雄を住職として派遣し、永徳寺の再建にあたらせた。

 

洪水に悩まされてきたのですね。

向こうに見えるのが不動堂です。

船頭さん達の守本尊から見えそうです。

 

 

本堂で参拝です。

医王山の山号が架かります。

合掌

 

 

さつきの花を見ながら、東の山門に向かいます。

 

 

徳川河岸跡です。

不動堂は、ここらへんにあったのかな?

 

 

山門から出ます。

 

山門を出て、すぐ隣を流れる早川を確認です。

 

上流の流れです。

この川を遡っていくと、上野国山上(こうずけのくにやまがみ)に到達できるのです

 

 

 

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