黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

諏訪神社・村社抹消計画

2021-06-18 19:53:44 | 群馬県・旧勢多郡

昨日は午後雨でしたけど、夕方遅くにちょっと晴れました

ひめちゃんたちは、貧乏カッパを着ないでお散歩になりました

シャンプーやさんに行ってきて、ふさふさの毛皮のひめちゃんです

 

赤城山は、雲の上に顔を出しています。

雲の様子も不思議な感じです。

 

道ばたの南無阿弥陀仏の名号石仏とコラボしてもらいたいけど、なかなかいいポーズしてくれません。

おや、何かを発見

タバサねーちゃんと獅子丸です。

タバサねーちゃんも、シャンプーやさんに行ってきました

すっかり色白美人になりました

獅子くんは、あとでおうちでシャンプーです。

柴犬は、赤ちゃんの時から来ていない子はお断りだそうです。

養子に行く前、一回だけ行ってあるのですけど、7年間のブランクでダメだそうです。

 

 

 

今朝のひめちゃんです。

獅子丸と堀之内を北に出ました。

 

蕨沢川にかかる2番目の橋・巧橋のたもとの石造物とコラボです。

文字塔のようですけど、仏の姿が見えるときがあります。

下部に奉納者の名前かな?

半分埋まっていそうだけど、文字があります。

 

蕨沢川を渡って南に下り、諏訪神社に寄ります。

社殿の東側に、無造作に古い石造物のパーツが転がってます。

 

社殿の西には、改築記念碑がありました

いつもは何の事やらという感じですけど、今日はよく見えます

昭和三十七年十二月十九日

本社社殿焼失し 信州諏訪本社より ご神体を拝受し 昭和三十八年十月 改築竣工す 之を永遠に記念する為 此の碑を建立し 御神徳の宣揚を祈る

昭和四十年一月吉日之建

 

昭和38年に焼けたのですか

そうすると、東に転がっていたパーツは東日本大震災の時に壊れたパーツだけでなく、焼けた時のパーツもあるかも知れませんね。

わざわざ信州の諏訪神社にまで行って分霊をもらってきたんですね

 

拝殿前で、参拝です

 

ひめちゃんと獅子丸は、上手に階段を降ります。

 

鳥居を出て、帰ります。

あれ、なんだか変です

諏訪神社の上の文字が変です

村社の文字が抹消されようとしています

 

村社諏訪神社で別に問題はないと思いますけど、どうして村社を消そうとするのか

もしかして、新里村が桐生市に合併したから?

この村社の村は、山上村でしょう。

諏訪神社は、明治の初めに、山上村の村社になったのでしょう。

以来、諏訪神社が村社であったことは、別に問題ではなかったと思います。

 

どうも最近の仕業のようです

桐生市になったんだから、村社はおかしいと考える人がいたのでしょう

善意でやったのかも知れませんね。

でも、村社であったことは、この神社の大切な記憶です

許される事ではないでしょう。

「村社」を抹消しようとした神社、初めてです

 

神社の境内に、かろうじて咲いた紫陽花です

多くが遅霜の被害に遭ったようです

ひめちゃんちの紫陽花をみると、遅霜に弱いというより、早くに花芽を付けた品種が被害に遭ったようです。

 

 

七海ママのお墓も落ち着いて、マリーゴールドの寄せ植えに植え替えました

先住柴のご夫婦・三四郎&サマンサ墓標のお地蔵様にも、同じくマリーゴールドの寄せ植えです

早く大きくなってね

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西福寺の大カヤと白狐稲荷神社

2021-06-17 20:07:15 | 早川物語 2

ひめちゃんは、久しぶりにペット美容室に行ってきました。

湯上がり美女のひめちゃんの姿を、アップする予定でした。

でもやっぱり予報どおり、雨が降り出してしまいました

 

湯上がり美女のひめちゃんは、明日になります

 

ひめちゃんちに、今朝咲いたヘメロカリスです。

八重の品種は少ないと思います。

さりげなく豪華に、いい感じです。

不思議な色合いです。

小ぶりでも存在感あります

 

 

 

昨日、行仙上人弟子の記憶・田部井の薬師如来堂が、深くかかわってきたという西福寺(伊勢崎市田部井町)を訪ねました

でも、駐車場がありません

境内には駐車禁止のバリケード

 

あたりを見回して、山門脇の神社隣に少しだけスペースがあります

まあ、路上駐車のうちですから、急いで参拝です。

 

真っ赤な鳥居をくぐって、まず神社に参拝です。

正一位白狐稲荷神社です。

2礼2拍1礼です

 

神社のすぐ北は、お寺の墓地になってます。

和尚さん達の墓石も、たくさんあります。

 

大きな榧(かや)の木が見えます

説明板があります。

樹齢400年以上の大榧です。

雄木かな、雌木かな?

たしかに比類なき名木です

 

本堂で参拝です。

山号は白狐山ですね。

合掌

 

山門を出て振り返ると、大きな大きな榧の木です

 

山門の先には、歴史を刻んだ石造物です

 

ここは浄土宗のお寺です。

宗旨がわかりやすく書かれています。

阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、「南無阿弥陀仏」とみ名を称えて、人格を高め、社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、お浄土に生まれることを願う信仰です。

 

こちら側の言葉も意味が深そうです。

いい雰囲気の古刹なのですから、御朱印も欲しいところです

 

ちょっとだけですけど、「行仙上人弟子の記憶」延長線上を、散策できました

 

稲荷神社に戻る時、さっき目に付かなかった「社殿新築碑」があります。

社伝ニ依レバ明治五年日本国太政官府ヨリ正一位ヲ贈ラレタコノ白狐稲荷神社ハ平安末期 岩松四郎経氏コノ田部井郷ヲ領有スルニ至ツテカラノ発祥ト考ヘラレテイルガ詳カデハナイ 岩松四郎経氏ノ子泰経孫泰寛共ニ崇敬篤ク重邦 泰兼ト継ガレ元屋敷地内観音山デ殿賑ヲ極メタ 又同所ニ西福寺 観音堂 白狐稲荷神社ト並び祭ラレシタメ部民ノ崇敬素祖ノ念一層タカメラレ鎌倉時代吉野時代ト送リ~(後略)~

 

岩松氏の創建によるらしいのですね。

新田の岩松氏、こちらの方にも進出していたのですね

 

早川を遡ってくれば、道に迷うことなく新田からやってこれます

早川物語です

 

 

県道291号線から脇に入り、「あずま橋」より少し下の橋で、早川を渡ります。

早川を渡って、赤城山の麓・山上に帰ります

早川物語、まだまだ続きます

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田部井村鎮守・鹿島神社

2021-06-15 20:42:40 | 早川物語 2

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て岩神沼に到着です。

岩神沼は静かで、逆さ赤城もきれいに映っていました

さて、もう少し上まで行きましょう。

あちゃあ、小学生の黄色い帽子の集団がやっています

 

急遽、摩崖仏の参道に避難です。

早く行ちゃってくれればいいのに

お天気がいいので、阿弥陀三尊のお姿がよく見えます

合掌

 

 

 

薬師如来堂で、行仙上人の弟子の記憶を確認できました

車を置かせていただいた鹿島神社にも、ご挨拶です

鳥居から入ります。

 

左の狛犬です。

ちょっとよそでは見かけない風貌です

 

右の狛犬です。

顔の一部が欠け落ちたかな?

 

振り返って鳥居です。

この先、どうなってるのかな?

本来は参道のはずだけど

 

しっかりした社殿です。

鎮守・鹿島大明神とあります。

2礼2拍1礼です

 

社殿の西側には石造物です。

ここにも出羽三山です

真ん中の3名様は、もしかしたら阿弥陀三尊?

石造物のみなさん、ごみステーションと仲良く同居しています。

長生きの秘訣ですね

 

あれ、本殿の板壁に絵がある

花がありそうだけど

 

北側の壁面です。

富士山を背景に、天女が三保の松原で舞っているようです。

 

東の壁面です。

戦いの場面のようです。

龍と虎の戦い?

そういえば、鹿島神社の本宮は、軍神を祀った鹿島神宮でした。

 

ウィキペディアによれば、

鹿島神社(かしまじんじゃ、旧字体:鹿嶋神社)は、「鹿島」を社名に持ち武甕槌神(たけみかずち)を祭神とする神社。

東北地方・関東地方を中心として全国に約600社あり、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮を総本社とする。多くは鹿島神宮から勧請して創建され、神宮と同じ武甕槌神を祀っている。

武甕槌神は、香取神宮(千葉県香取市)の経津主神とともに中臣氏・藤原氏の氏神とされたことから朝廷・中央貴族の信仰を受け、武神であることから武家の崇敬も受けた(鹿島信仰)。

 

あずま道が近くを通っていたようですから、東北征服の軍勢と関係あるかもしれませんね。

 

あずま道の早川に架かる「あずま橋」を渡って帰ります

このあずま道は、東山道の脇往還という感じでしょうか?

本来の東山道は、もう少し南の旧新田町を通っていたようですから。

 

霞んでいるけれど、赤城山が見えます。

あの山の麓に帰ります

 

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行仙上人弟子の記憶(田部井村の薬師如来堂)

2021-06-14 21:05:14 | 早川物語 2

梅雨空が復活しそうな朝でした。

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出てお散歩してきました。

獅子くんは、換毛真っ盛りです。

もう少ししたら、シャンプしましょう。

水が苦手な獅子くんです。

昨夜は雨が降ったようで、けっこう体をぬらしての帰宅となりました。

 

真っ赤なヘメロカリス、元気に開花真っ盛りです。

 

 

 

鎌倉時代、上野国山上(こうずけのくにやまがみ)に行仙上人(ぎょうせんしょうにん)という念仏行者が住んでいました。

行仙上人については、『沙石集』の巻十末・十三臨終目出度き人々に描かれています

鎌倉時代の仏教通史『元亨釈書』にも、上野国山上にいたことが記されています

昔、『高校生のための群馬の文学』という副読本で、中世のトップを飾っていました

不思議な事に、記憶の片隅にあった行仙上人と同じ山上の住人となっています

 

そして、また不思議な事がありました。

ストリートビューで何気なく、旧佐波郡東村を見ていました。

あれ、道ばたの薬師堂の碑に行仙の文字を発見です

薬師堂の何枚かの写真の中に、この薬師堂について碑があったのです。

これは、行ってみるしかない

 

一昨日行ってきました。

山上から、ほぼ南です。

行仙上人がいたかもしれない雷電神社の脇を通って、県道291号線を下ります。

山上から約10kmです。

 

駐車場はないので、近くの鹿島神社に駐車して歩きます。

 

県道291号線沿いの薬師如来堂です。

 

石造物の一番奥に「薬師堂復元碑」です。

  虎薬師瑠璃光如来堂縁起    

本尊ハ大匡王佛トノ言イ、十二ノ誓願ヲ発シテ衆生ノ殉患ヲ救ヒ来世ノ安緒ト明日ノ安生ヲ満足セシムル灼ナ如来デアル。此ノ堂宇発祥ノ由来ハ新里村窪井ニ日本に三聖ト言ハレタ念佛僧行仙ガ隠棲シ、其ノ門下二百聖ノ輩出ヲ見タ。此ノ村ニ其ノ一人妙禪ガ嵯峨ノ療ニ居タ田部井氏ガ滅亡シ、其ノ持仏堂デアッタ此ノ堂宇ガ庶民信ノノ道場トナリ、其ノ後平岩氏ノ治領トナリ、寛文九年村ガ早川ノ東西ニ分レル。~(後略)~

 

確かに行仙上人の文字があります

窪井の文字もあります

妙禪、初めて行仙上人の弟子の名前に逢えました

意味不明の所もありますけど、行仙上人の弟子・妙禪が、ここ田部井村で営んだお堂が、この薬師堂の起源であるという事です

 

田部井村は、寛文九年(1669)に早川によって東西に別れたのですね。

早川物語です

さっき早川を渡ってきました

 

さて、薬師様に参拝です

お逢いしないうちから、不思議な出会いありがとうございました

もちろんお賽銭いれて、合掌

いつかお祭りの日にうかがいたいものです。

 

不思議な出会いありがとうございます

通りからは、絶対に石造物の一番奥にある碑文の文字を見ることは不可能です。

不思議な力が働いたのでしょう

 

右の通り・県道291号線を北上すると、まもなく早川・あずまはしです

さようなら、また逢いましょう

駐車した鹿島神社も、参拝していきます

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続・お久しぶりの世良田八坂神社(花輪彫刻師集団の記憶)

2021-06-13 16:54:56 | 群馬県・東毛

ひめちゃんと獅子丸は、東の牧場に行きました

ヤギさん、いるかな?

ヤギパパ、フンスの外につながれてます。

モコモコ、ヤギさんも換毛中かな?

ンスの中には、ボクです。

りっぱな角です

何時の間にか、しっかり大人の雄ヤギになったね

パパとの関係が微妙なのでしょう。

また来るよ、バイバイ

 

ひめちゃんと獅子丸は、高台のタケイ沼を目指します。

あちゃあ、みどりの沼になってる

もちろん誰もいません。

 

沼の北の田んぼに、何かが降り立ちました。

2羽のカモさんです

カップルかな?

 

ひめちゃんたちは、サマンサ坂を通って帰ります

今日も暑くなりそうだね。

早く帰ってご飯にしましょう

 

 

 

(5月28日)世良田八坂神社境内の散策を続けます

 

本殿の後ろにたくさんの境内社があります。

 

白蛇弁天社です。

近くに水があったのかな?

御利益のありそうな御朱印もありました

 

出羽三山社です。

五穀豊穣・無病息災の御利益です。

 

八海山・御嶽山・三笠山?

ここは説明板無しだったと思います。

どんな御利益かな?

 

小さな境内社がいっぱい並んでいます。

「上野十二社と上毛三山めぐり」ですって。

 

永寿大明神です。

薬学の神様ですか。

文字からすると、長寿の御利益がありそうですね。

 

琴平社です。

金比羅様(こんぴらさま)ですね。

 

たくさんの神様にお参りしました

御利益あるかな?

 

御神輿が並んでます

この建物を奉納したのは、武州榛沢郡中瀬邑・石川富之助さんです

利根川の向こうの武州からも、篤い信仰があったのです。

利根川があるから渡らずになんて考えずに、けっこう交流があったのでしょう。

田中藤左衛門(たなかとうざえもん)が竜骨を持って利根川を渡り、上野国山上常広寺にやって来たのも、特別な事ではないのです

 

あれ、御神木かな?

高さが25mもあった杉の巨木が台風で倒れたのです

 

 

社殿左前方に、大きな覆屋があります

ちょっと寄ってみます。

入り口に説明板です。

額殿に飾られている献額は、気楽流柔術の継承者高山辰次郎以下一門によって、毛呂桒陰の書、彫刻は高橋貴一の作で明治三十三年に奉納されたものである。高橋貴一は明治8年尾島町亀岡に生まれ、明治の左甚五郎と謳われた、尾島宿の高沢甲斐之助(旧姓石原甲斐之助・勢多郡花輪村出身)に師事し大隅流の彫刻を学び同門の逸材といわれた。惣欅の額縁に彫られた、上り龍、下り龍や狛犬などに見られる豪壮にしてしかも緻密な彫込みに、師匠譲りの技法がよく表現されており、北関東有数の大額(縦3m横3.7m)にふさわしい力作であるとともに、江戸彫刻文化の伝統を伝えるものとして貴重である。

 

花輪出身の高沢甲斐之助(石原甲斐之助)門下の逸材・高橋貴一の彫刻なのですね。

勢多郡花輪村は、日光と江戸のちょうど中間に位置し、足尾銅山街道も通っていました。

日光東照宮の造営が終わった後、彫刻師達は、花輪村に移住したと言います。

それから花輪彫刻師集団の活躍が始まるのです。

まさか、尾島にもその花輪彫刻師集団の流れを受け継いだ人がいたなんて、ビックリです

 

じっくりと鑑賞です。

大きい

竜の目は、鋭い光を放ってます

みんな欅の木から掘り出されたものなんですね

後世のために大切に保存して下さい

 

またそのうちにうかがいます。

今度はどの御朱印お願いしようかな?

 

 

 

 

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