沖縄(久米島)へ帰省し、本島での夜の話、久米島での父との4年ぶりの再会の話までをさせて頂いた後、続編を書いていませんでした。
では、続編を・・・。
前回は、ヤモリ君の話やリゾートホテルの紹介までだったと思います。
久米島には、最も高い山の山頂に「城(グスク)」が建設されていました。いました。との表現となっているのは、現在は、城跡の石垣が残されているのみで、町の博物館へ行けば概要は知ることができます。
島生活の3日目には、母(オバー)と妻、娘の4人で城跡まで出かけました。
写真は、城跡から眺めた久米島の北東部です。

写真の上に白っぽく写っているのが、毎日の様にその姿を変えるという「はての浜」です。
沖合いに潮が引くとくっきりと砂浜が現れます。ここへは、イーフビーチなどから観光船などで渡ることができます。
夏場だと水着を着用してシュノーケルや水中メガネ、足ひれがあれば、熱帯魚などと戯れることが可能ですが、4月上旬とあってかこの時期は、ボンベをつけてのダイビングが中心です。当然、私も久米島の海で泳ぎませんでした。
ちょうど、この日のお昼には、空港から近い街中にある「O2ハッピー(おおハッピー)」というお店に入り昼食をすることにしました。
実は、このお店、お笑いタレントの小島よしお氏の母親(智恵さん)が経営するお店です。
4月は、観光地久米島も観光客が少なくなるようで、お客さんは私達の4人だけでした。
この店自慢のサラダソバなどを頼んで食事を開始。そしてよしおさんのお母さんに「TVのビフォー&アフターでお店改造してましたね」の話しをきっかけに約2時間もの間、よしおさんの子育て奮戦記を聞かせていただきました。
ブログに書くには余りにも長い話となりますので、詳しくは書きませんが、夫が国政選挙に出馬し、一文なしとなり、千葉県で友人や知人の助けで沖縄料理の店を始めて繁盛した話しなど、書き下ろしの小説にでもすれば、売れると思いました。
実に生命力あふれる話しであり、人間どん底からでも、お金が無くても、人と人のつながりの中で生きていけるのだ!と元気をいただきました。
今でも東日本大震災で家族や財産を失い苦しんでいる方々が多くおられます。
中には、避難生活の影響で病気となり死亡する方も最近報道されています。
また、生きる希望をなくして自死する方もおられます。
2ヶ月経過しても改善されない生活、仕事はない、話し合う家族もないような状況では無理の無い話しかも知れません。
私の場合は、阪神淡路大震災の時、家は一部損壊、2階に置いてあった書棚が倒壊した以外は、家族も全員無事で避難生活も経験していません。ですので、避難生活をされている方のお気持ちは推察はできますが、実際の苦しみ、悲しみは分かりませんが、何も残っていないところからも這い上がっていけるのが「人」ではないかと思います。
家族がいなくても、幼馴染が、隣人が、知人がそばにいるだけで、同じ被災した人間同士悲しみを共有できるのではないでしょうか。
現地へ行けていない私が簡単に言えることではないのですが、どうか「光」を見つけてください。
どうか、生きる希望を見つけ出してください。
長くなりましたので、沖縄の話は続編に回します。
(予告:沖縄に帰省最終編:三線を購入?いったい誰のため?)
では、続編を・・・。
前回は、ヤモリ君の話やリゾートホテルの紹介までだったと思います。
久米島には、最も高い山の山頂に「城(グスク)」が建設されていました。いました。との表現となっているのは、現在は、城跡の石垣が残されているのみで、町の博物館へ行けば概要は知ることができます。
島生活の3日目には、母(オバー)と妻、娘の4人で城跡まで出かけました。
写真は、城跡から眺めた久米島の北東部です。

写真の上に白っぽく写っているのが、毎日の様にその姿を変えるという「はての浜」です。
沖合いに潮が引くとくっきりと砂浜が現れます。ここへは、イーフビーチなどから観光船などで渡ることができます。
夏場だと水着を着用してシュノーケルや水中メガネ、足ひれがあれば、熱帯魚などと戯れることが可能ですが、4月上旬とあってかこの時期は、ボンベをつけてのダイビングが中心です。当然、私も久米島の海で泳ぎませんでした。
ちょうど、この日のお昼には、空港から近い街中にある「O2ハッピー(おおハッピー)」というお店に入り昼食をすることにしました。
実は、このお店、お笑いタレントの小島よしお氏の母親(智恵さん)が経営するお店です。
4月は、観光地久米島も観光客が少なくなるようで、お客さんは私達の4人だけでした。
この店自慢のサラダソバなどを頼んで食事を開始。そしてよしおさんのお母さんに「TVのビフォー&アフターでお店改造してましたね」の話しをきっかけに約2時間もの間、よしおさんの子育て奮戦記を聞かせていただきました。
ブログに書くには余りにも長い話となりますので、詳しくは書きませんが、夫が国政選挙に出馬し、一文なしとなり、千葉県で友人や知人の助けで沖縄料理の店を始めて繁盛した話しなど、書き下ろしの小説にでもすれば、売れると思いました。
実に生命力あふれる話しであり、人間どん底からでも、お金が無くても、人と人のつながりの中で生きていけるのだ!と元気をいただきました。
今でも東日本大震災で家族や財産を失い苦しんでいる方々が多くおられます。
中には、避難生活の影響で病気となり死亡する方も最近報道されています。
また、生きる希望をなくして自死する方もおられます。
2ヶ月経過しても改善されない生活、仕事はない、話し合う家族もないような状況では無理の無い話しかも知れません。
私の場合は、阪神淡路大震災の時、家は一部損壊、2階に置いてあった書棚が倒壊した以外は、家族も全員無事で避難生活も経験していません。ですので、避難生活をされている方のお気持ちは推察はできますが、実際の苦しみ、悲しみは分かりませんが、何も残っていないところからも這い上がっていけるのが「人」ではないかと思います。
家族がいなくても、幼馴染が、隣人が、知人がそばにいるだけで、同じ被災した人間同士悲しみを共有できるのではないでしょうか。
現地へ行けていない私が簡単に言えることではないのですが、どうか「光」を見つけてください。
どうか、生きる希望を見つけ出してください。
長くなりましたので、沖縄の話は続編に回します。
(予告:沖縄に帰省最終編:三線を購入?いったい誰のため?)