今、三線を習っていることは、先日ブログに書きました。
エイサーの曲を中心に練習しています。
三線の弾き方(地方:沖縄の方言で「じかた」)は、5名。エイサーを踊る途中で地方を紹介していただくときに「ハイサイおじさん」を弾くことにしました。
「ハイサイおじさん」は、乗りの良い曲で、夏の甲子園では、良く演奏される定番曲でもあります。
7月9日(土)の朝日新聞{be}にハイサイおじさん誕生の話が掲載されていました。
実話の中から嘉納昌吉氏が作詞作曲したとの記事が出ていました。
当時、嘉納昌吉が13歳の頃、1062年に起った事件(近所に住む親子の母親が娘(7歳)を殺人)がきっかけであり、その家族の父親は、昌吉少年の家に酒をねだりに良く来ていたが、親戚筋からは、「酒びたりであまり子どもたちをかえりみない」と評判が悪かった。
酒と女に明け暮れ、村八分にされ、子ども達からも石を投げられるまでになったおじさん。でも、いつも明るく昌吉少年の家に酒をせびりに来た。
このときの情景が「ハイサイおじさん」の歌・曲となったと言うことである。
このおじさんが、もう少し子ども達を相手にしていたら、残虐な母親による事件は起らなかったのかも知れないが、戦後の米軍統制下の精神的不安や巷には浮浪者が溢れていた時代、おじさんの酒癖も何処となしに納得させられてしまいます。
ハイサイおじさんを皆さんで一緒に弾くことも近いと思われます。
皆さんで、ハイサイおじさんの曲にまつわる誕生秘話を共有したいと思います。
エイサーの曲を中心に練習しています。
三線の弾き方(地方:沖縄の方言で「じかた」)は、5名。エイサーを踊る途中で地方を紹介していただくときに「ハイサイおじさん」を弾くことにしました。
「ハイサイおじさん」は、乗りの良い曲で、夏の甲子園では、良く演奏される定番曲でもあります。
7月9日(土)の朝日新聞{be}にハイサイおじさん誕生の話が掲載されていました。
実話の中から嘉納昌吉氏が作詞作曲したとの記事が出ていました。
当時、嘉納昌吉が13歳の頃、1062年に起った事件(近所に住む親子の母親が娘(7歳)を殺人)がきっかけであり、その家族の父親は、昌吉少年の家に酒をねだりに良く来ていたが、親戚筋からは、「酒びたりであまり子どもたちをかえりみない」と評判が悪かった。
酒と女に明け暮れ、村八分にされ、子ども達からも石を投げられるまでになったおじさん。でも、いつも明るく昌吉少年の家に酒をせびりに来た。
このときの情景が「ハイサイおじさん」の歌・曲となったと言うことである。
このおじさんが、もう少し子ども達を相手にしていたら、残虐な母親による事件は起らなかったのかも知れないが、戦後の米軍統制下の精神的不安や巷には浮浪者が溢れていた時代、おじさんの酒癖も何処となしに納得させられてしまいます。
ハイサイおじさんを皆さんで一緒に弾くことも近いと思われます。
皆さんで、ハイサイおじさんの曲にまつわる誕生秘話を共有したいと思います。