浮世の面倒臭さに気が滅入っている。
これも親譲りの要領の悪さと、器量の無さのなせる業なのだが・・・・
まぁ、教会こそ人間の集団の組織なのだから、こういう軋轢やボタンの掛け違いがあるのは当たり前。
そもそも去年、カルトの大問題が起こったのも、原因を辿れば、勘違いの牧師と役員がいたからに他ならない。
彼らがいなければ、あるいは勘違いの判断をしなければ、カルトが乗り込んで来ようとなんら問題にはならなかった。
今、牧師は交代したが、問題は尾を引いている。
しかし、ここで愚痴っても仕方がない。
要は、この世の中に「楽園」などないということ。主はこの世を愛されたが、この世の「のり」に縛られることを固く戒めた。
とどのつまりは、まぁ気楽にやっていればよいということである。
曼殊沙華ひそやかにまたひそやかに燃ゆ 素閑