『広辞苑』の新刊が成ったというが、実際のところ実用的な価値はほとんどない。
日本語、漢語の意味はネットでいくらでも調べられるし、提供される情報には事欠かない。
岩波が時流に乗った語句を『広辞苑』に載せても、そんな註解に誰が興味を持ち、価値を感じるのだろうか?
確実に、情報のデジタル化、ペーパーレス化は進んでいる。
ふた昔もさらにその前に、マイクロソフトの古川享社長(当時)が、今後はコンピュータ・システムではなく、情報データに価値を見出す世の中になって行くだろうという予想的談話を聞いたことがある。
しかし、一方では、古川氏の予言通りになったが、一方では予言は大きく外れた。
既存の付加価値を生み出さないデータの価値はどんどん低下していく。
そんな時代になった。
昼に蕎麦を食った。
昼から、銚子をつけた。
まぁ、これも瘋癲の暮らしの余禄である。
竹箒新しく替え受難節 素閑
新しき根株土掘る受難節 素閑
ひそやかに人集まれり受難節 素閑
旋盤の火花飛び散る受難節 素閑
波返す人なき入江受難節 素閑
魚の眼や世をみつくしめ受難節 素閑
茶の小瓶浜に投げ入れ受難節 素閑
温き酒吞んでにがしか受難節 素閑
草の根を食みし我が家の受難節 素閑