秋の陽気が続いている。
誠に心地が良く、心は僅かばかりの憂いを含んでいる。
今日は、早朝から溜まった仕事の片づけ。
体調が悪いので、午前中に医者に行ってこようと思う。
とはいえ何科に行ったらいいのか分からない。
老いてくると、まったくままならなくなるものだ。
世の中への迷惑、この上なし。
ひしこづけでばなに借金申し出で 素閑
秋の陽気が続いている。
誠に心地が良く、心は僅かばかりの憂いを含んでいる。
今日は、早朝から溜まった仕事の片づけ。
体調が悪いので、午前中に医者に行ってこようと思う。
とはいえ何科に行ったらいいのか分からない。
老いてくると、まったくままならなくなるものだ。
世の中への迷惑、この上なし。
ひしこづけでばなに借金申し出で 素閑
今日は、昨日の肌寒さから、仲秋らしい、過ごしやすい陽気。
秋を満喫できそう。
雲の様子も秋らしい。
しかし、来週から11月並みの寒波がくるという。
どうしてしまったんだろう、と思うこと頻りのこの頃。
仲秋や空より降る陽やわらかし 素閑
オカブの大学時代の畏友、陶樵山人は群馬の榛名山麓に風雅な工房を構える陶芸家だが、山深い里に住んでいるため、なかなか野趣あふれる生活を営んでいる。
かつては、広大な敷地(まぁ山林だが)に広がる竹林に生える筍の季節になると、オカブを呼んでくれて、筍を振舞ってくれた。
しかし、その竹林も手を入れる手間暇の問題から、もう今はないという。
寂しい限りだ。
陶樵山人は農業も営んでいるので、農閑期になる三月の頭頃は比較的暇という。
今度、酒でも提げて遊びに行ってこようと思う。
あと一本もう一本とぞ竹伐るや 素閑
今日は、午前中までは実に寒くて、屋内でフリースを着ていたほどだ。
昼過ぎから、少し気温が上がってきたが、それでもうすら寒い。
空も雨が降り出しそうに陰鬱だ。
こういう日は外に気分転換に出かけるに限る。
かーたんと、いつもの三茶、すずらん通りの『きゃんどる』に出かける。
これまたいつものAランチにビール。
今日のAランチはマトウダイのパイとチキンのロール辛味のソース。
大変美味しい。
デザートもとる。
洋梨のタルトに、ココナッツ・シャーベット。これも大変美味しい。
最後にママさんからサービスに生八つ橋を貰った。
これも、大変結構。
寒々とした街を自転車を押して歩き、『太子堂村』で野菜と果物を買って帰宅した。
小走りに襟掻き合わせ秋彼岸 素閑
昨日、少し蒸し暑かったので冷房をかけて寝て、今朝起きたらブルブル寒い。
冷房を消し、窓を開けたら冷え冷えしている。
いつも長引く厳しい残暑に辟易とさせられていたから、仲秋の訪れはありがたい。
しかしパリにいる友人に聞いたら、パリはもう冬だという。
もうダウンジャケットを出してきているそうだ。
今年は、なにかおかしな気候だ。
草牡丹遠きサイレン風運ぶ 素閑
今日、教会の会計の引継ぎをしてきた。
これで晴れて自由の身である。
まあ、しばらく楽をさせてもらおう。
世界情勢風雲急を告げるが、自分としては天下泰平である。
こんな処から、歴史は悲劇的舞台に進んでいくのだろう。
啼く虫のまた一つ消えかな女の忌 素閑
オカブにとって蕎麦は命の次に大事なものだが、さりとて饂飩が嫌いなわけではない。
前から、乾麺の日清フード製『さぬきうどん』は、よく家で食っていたが、決定的に饂飩に対する見方を変えたのは、後楽園遊園地にある『LaQua』という温泉リゾート施設の中に入っている『よ志のや』という店で食べた饂飩によってである。
それを食ったとき、世の中にこんな美味いものがあるのか!と思った。
『よ志のや』は京都辺りにある有名料亭らしく、東京の後楽園まで出稼ぎに来ている。
しかし、やはり一流の味で、さもありなんである。
これ以来、オカブは饂飩と関西のことは馬鹿にしないことにした。
尤も、オカブはもともと阪神ファンなんだけれどね。
秋遍路頭の笠のそろふ列 素閑
オカブが山登りに熱を入れるきっかけになったのは親の薫陶がある。
幼い頃から、母親はオカブをハイキングに連れて行ってくれた。
小学校の2年生頃、丹沢前山の高松山に行った。
前日、学校で友達とけんかして、頭を怪我し、頭に包帯を巻いていった。
秋の光に満ちた素晴らしい小旅行だったのを子供心に覚えている。
今は、山には一切行っていない。
ジジババの山ブームがうざくて堪らないからだ。
とにかく、彼らがいなくなったら、山に行くのだが、と思うこと頻りのこのごろである。
いや、あっ!自分も爺であることを忘れていた一席のお粗末。
数珠玉や滴り落つる沢の水 素閑
どうも歳を取ると懐古趣味に陥りがちだ。
自分が若かりし頃、まだ夢も希望もあった時分を思い出して、今の老残の身と重ね合わせ、あの頃は良かったなぁ、と懐かしむ。
もう、そういう下種な趣味は止めにしたらどうか、と言われても、なかなか止められない。
オカブの青春は登山であった。
大学生の頃は、一年の大半を山で過ごした。山行の金がなくなるとバイトに勤しんだ。大学の授業に出る暇などない。
なんのために学校に籍を置いているのか分からん。
しかし、四年経ったら、不思議と卒業させてくれた。
妙な学校があったものだ。
秋に霞む稲田の向こうの八海山 素閑
オカブが高校生の頃は、山登りに夢中だった。
いつか、ヨーロッパの大岩壁を登攀し、記録を残したいと思っていた。
そのために、大学へ行きたいと考えた。
学生なら、山登りに費やす時間をたっぷり取れるからである。
そのために受験勉強も頑張った(とはいえ、入試の勉強を始めたのは9月も末になってからで、受験勉強期間でも睡眠8時間は確保していた)
今から考えるとおかしな話である。
山登りがしたいなら、そのためだけに精力を集中させればよいわけで、余計な勉強などはする必要がなかった。
おかげで非常に中途半端な人間が出来上がり、非常に中途半端な人生を歩んでいる。
人様にも非常に迷惑なことであろう。
山越えて峠にかかる芒かな 素閑