米沢では、添乗員と化した義兄が、3世代11人を上杉神社に連れて行ってくれた。

左には「毘」、右には「龍」の幟がはためいている。
参道を行くと、上杉謙信公に会うことができる。さすがに貫禄たっぷりだ。

「上杉謙信はな、上越で亡くなったんだよ」
新潟出身の父が、突如として誇らしげに語り出した。
そして、上杉鷹山公も控えめにお出迎えしてくれる。

謙信公は、誰もが知っている。だが、恥ずかしながら、私は上杉鷹山なる人物を知らなかった。
何をした人なんだろう。上杉謙信のお父さんかな?
日本史は取っていないし、山形に来るのも初めてだから、見た目で判断する。
もし、このつぶやきを声に出していたら、米沢市民から石をぶつけられたかもしれない。
先に進み、本殿でお参りをした。

毘沙門天の転生といわれた、謙信公の強さにあやかりたいものである。
「せっかくだから、上杉博物館も見ていくでしょ」
義兄が、併設されたモダンな建物を指さした。

博物館の手前には、こんもりと土が盛られており、山の写真が撮れる。

私は海派ではなく、山派のようだ。青い空を遮るようにそびえる雄姿を見ると、なぜか落ち着く。
博物館に入ると、度肝を抜かれるような人形が舞っていた。

フェイスブックのプロフィール画像にしようかしら……。
ちょうど、「上杉家伝来絵図」という特別展が開催されており、珍しい展示を見ることができた。
「12時から鷹山シアターで上映があるから見ようよ」
姉に誘われ、シートに腰を下ろす。
上映された映像は、借金大国となった米沢藩を立て直すため、上杉鷹山がどのように改革の手を打ったかという内容だった。ドラマ仕立てとなっており、若くして藩主の座に着いた鷹山が、改革を阻む家臣に悩まされたときは、謙信公に祈る場面があった。
なんだ、謙信公のほうが、先に亡くなっていたんだ……。
暗いシアターの中で、己の無知ぶりに赤面する。
その後、迷いを断ち切った鷹山は、まっしぐらに改革を推し進めていく。飢饉とも戦い、見事に米沢藩を再生させたのだから、あっぱれとしかいいようがない。
「のどが渇いた」
「座りたい」
シアターを出たら、娘と夫がカフェに入りたがる。私はもっと見たかったのだが、ひとまずお茶することにした。
カフェで調べてみたら、上杉謙信は1530年生まれ、鷹山は1751年生まれとあった。
だが、亡くなった年齢が違う。謙信は49歳だが、鷹山は70歳なのだ。そこで、肖像画に年齢差がついたようである。

謙信公。(Wikipediaより)

鷹山公。(Wikipediaより)
もうちょっと、若いころの顔にすればよかったのに。
私のように、上杉謙信より年上だと勘違いする者が、他にもいるかもしれない。
「飲み終わった? じゃあ、もう一回入ろうか」
「うん」
私は2人を連れて、展示室に戻った。半券があれば、再入場できるのだ。ジオラマは精密で立派だったし、見ごたえのある収蔵物が多かった。
米沢には、食べるほかにも楽しみがある。

↑
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※ 他にもこんなブログやってます。よろしければご覧になってください!
「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)

左には「毘」、右には「龍」の幟がはためいている。
参道を行くと、上杉謙信公に会うことができる。さすがに貫禄たっぷりだ。

「上杉謙信はな、上越で亡くなったんだよ」
新潟出身の父が、突如として誇らしげに語り出した。
そして、上杉鷹山公も控えめにお出迎えしてくれる。

謙信公は、誰もが知っている。だが、恥ずかしながら、私は上杉鷹山なる人物を知らなかった。
何をした人なんだろう。上杉謙信のお父さんかな?
日本史は取っていないし、山形に来るのも初めてだから、見た目で判断する。
もし、このつぶやきを声に出していたら、米沢市民から石をぶつけられたかもしれない。
先に進み、本殿でお参りをした。

毘沙門天の転生といわれた、謙信公の強さにあやかりたいものである。
「せっかくだから、上杉博物館も見ていくでしょ」
義兄が、併設されたモダンな建物を指さした。

博物館の手前には、こんもりと土が盛られており、山の写真が撮れる。

私は海派ではなく、山派のようだ。青い空を遮るようにそびえる雄姿を見ると、なぜか落ち着く。
博物館に入ると、度肝を抜かれるような人形が舞っていた。

フェイスブックのプロフィール画像にしようかしら……。
ちょうど、「上杉家伝来絵図」という特別展が開催されており、珍しい展示を見ることができた。
「12時から鷹山シアターで上映があるから見ようよ」
姉に誘われ、シートに腰を下ろす。
上映された映像は、借金大国となった米沢藩を立て直すため、上杉鷹山がどのように改革の手を打ったかという内容だった。ドラマ仕立てとなっており、若くして藩主の座に着いた鷹山が、改革を阻む家臣に悩まされたときは、謙信公に祈る場面があった。
なんだ、謙信公のほうが、先に亡くなっていたんだ……。
暗いシアターの中で、己の無知ぶりに赤面する。
その後、迷いを断ち切った鷹山は、まっしぐらに改革を推し進めていく。飢饉とも戦い、見事に米沢藩を再生させたのだから、あっぱれとしかいいようがない。
「のどが渇いた」
「座りたい」
シアターを出たら、娘と夫がカフェに入りたがる。私はもっと見たかったのだが、ひとまずお茶することにした。
カフェで調べてみたら、上杉謙信は1530年生まれ、鷹山は1751年生まれとあった。
だが、亡くなった年齢が違う。謙信は49歳だが、鷹山は70歳なのだ。そこで、肖像画に年齢差がついたようである。

謙信公。(Wikipediaより)

鷹山公。(Wikipediaより)
もうちょっと、若いころの顔にすればよかったのに。
私のように、上杉謙信より年上だと勘違いする者が、他にもいるかもしれない。
「飲み終わった? じゃあ、もう一回入ろうか」
「うん」
私は2人を連れて、展示室に戻った。半券があれば、再入場できるのだ。ジオラマは精密で立派だったし、見ごたえのある収蔵物が多かった。
米沢には、食べるほかにも楽しみがある。

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