これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

上杉神社と上杉博物館

2014年05月15日 21時34分18秒 | エッセイ
 米沢では、添乗員と化した義兄が、3世代11人を上杉神社に連れて行ってくれた。



 左には「毘」、右には「龍」の幟がはためいている。
 参道を行くと、上杉謙信公に会うことができる。さすがに貫禄たっぷりだ。



「上杉謙信はな、上越で亡くなったんだよ」
 新潟出身の父が、突如として誇らしげに語り出した。
 そして、上杉鷹山公も控えめにお出迎えしてくれる。



 謙信公は、誰もが知っている。だが、恥ずかしながら、私は上杉鷹山なる人物を知らなかった。

 何をした人なんだろう。上杉謙信のお父さんかな?

 日本史は取っていないし、山形に来るのも初めてだから、見た目で判断する。
 もし、このつぶやきを声に出していたら、米沢市民から石をぶつけられたかもしれない。
 先に進み、本殿でお参りをした。



 毘沙門天の転生といわれた、謙信公の強さにあやかりたいものである。
「せっかくだから、上杉博物館も見ていくでしょ」
 義兄が、併設されたモダンな建物を指さした。



 博物館の手前には、こんもりと土が盛られており、山の写真が撮れる。



 私は海派ではなく、山派のようだ。青い空を遮るようにそびえる雄姿を見ると、なぜか落ち着く。
 博物館に入ると、度肝を抜かれるような人形が舞っていた。



 フェイスブックのプロフィール画像にしようかしら……。

 ちょうど、「上杉家伝来絵図」という特別展が開催されており、珍しい展示を見ることができた。
「12時から鷹山シアターで上映があるから見ようよ」
 姉に誘われ、シートに腰を下ろす。
 上映された映像は、借金大国となった米沢藩を立て直すため、上杉鷹山がどのように改革の手を打ったかという内容だった。ドラマ仕立てとなっており、若くして藩主の座に着いた鷹山が、改革を阻む家臣に悩まされたときは、謙信公に祈る場面があった。

 なんだ、謙信公のほうが、先に亡くなっていたんだ……。

 暗いシアターの中で、己の無知ぶりに赤面する。
 その後、迷いを断ち切った鷹山は、まっしぐらに改革を推し進めていく。飢饉とも戦い、見事に米沢藩を再生させたのだから、あっぱれとしかいいようがない。
「のどが渇いた」
「座りたい」
 シアターを出たら、娘と夫がカフェに入りたがる。私はもっと見たかったのだが、ひとまずお茶することにした。
 
 カフェで調べてみたら、上杉謙信は1530年生まれ、鷹山は1751年生まれとあった。
 だが、亡くなった年齢が違う。謙信は49歳だが、鷹山は70歳なのだ。そこで、肖像画に年齢差がついたようである。


 謙信公。(Wikipediaより)


 鷹山公。(Wikipediaより)

 もうちょっと、若いころの顔にすればよかったのに。
 私のように、上杉謙信より年上だと勘違いする者が、他にもいるかもしれない。
「飲み終わった? じゃあ、もう一回入ろうか」
「うん」
 私は2人を連れて、展示室に戻った。半券があれば、再入場できるのだ。ジオラマは精密で立派だったし、見ごたえのある収蔵物が多かった。
 米沢には、食べるほかにも楽しみがある。


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コメント (2)
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