これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

ついでの幸運「ダリ展」

2016年12月04日 21時52分24秒 | エッセイ
 秋から冬にかけて、観たい展示が目白押しだ。
 デトロイト美術館展、ラスコー展、モードとインテリアの20世紀展などなど、せっせと美術館・博物館通いをしている。それなのに、職場の同僚と情報交換をしたものだから、ますます増えてしまった。
「シマダ先生、何かおススメの展覧会はありますか」
 シマダさんは、59歳の紳士で英語科教員である。若冲展のよさを教えてくれたのは彼だったので、感性が似ているのかもしれない。
「ダリ。ダリ展がよかったです」
「へ、ダリですか? あれって、シュルレアリスムでしたよね。マグリットがダメだったので、好きになれないかも」
「いやいや、マグリットよりもずっと上手いですよ。わけわかんないのもありましたが、そうじゃないのも多いですから、時間があれば行ってみてください」
「はーい」
 ダリ展は国立新美術館で12日まで公開している。行くなら早い方がいいだろう。
 2日の金曜日は、大きな会議が終了して肩の荷が下りたので、どこかに出かけたくなった。
「よしっ、ダリ展に行ってこようっと」
 そんな勢いで、乃木坂までひとっ飛び。行け行け~!
 ダリは1904年にスペインに生まれ、1989年に亡くなっている。つい27年前まで生きていたのだから、若い画家である。てっきり、19世紀に活躍したのかと勘違いしていた。構図や色彩に、モダンな印象を受けるのは当たり前だ。
 ピカソに影響を受け、キュビスム風の自画像などを残していることは知らなかった。1929年にはシュルレアリスムの仲間入りをするが、ヒトラーへの共感を公言したことから、1938年には除名されている。空気の読めないヤツだったのだろう。
 でも、ダリの人気は相当高いものだったらしい。除名後も、国際シュールレアリスム展などには必ず招待されていたというから恐れ入る。
 1929年には妻となるガラに出会い、互いに強く惹かれて、1934年には結婚している。ガラをモデルに描いた作品も多く、運命の人に出会えたダリを羨ましく思う。
 第二次大戦中は、戦禍を避けてアメリカに亡命するが、ヒッチコックの「白い恐怖」の舞台装置を手掛けるなど、活動範囲が広がっていく。1949年には宝飾品のデザインも始め、いくつかの作品が展示されていた。私は「トリスタンとイゾルテ」というタイトルの作品に心惹かれた。
 作品全般から、ダリの魅力は、安定感のある構図と卓越した色彩感覚なのではという印象を受けた。デッサン自体は、どの画家も上手い。しかし、色の塗り方が雑だったり、「ここにこの色?」と疑問を持ったりすることがある。でも、ダリにはそれがまったくない。完璧なグラデーションから生み出される立体感も、質感も、写真以上に表現されている。この画家は、自分で名乗ったように「天才」なのである。
 気に入った作品のポストカードを購入した。
「謎めいた要素のある風景」
 小さく描かれている画家は、ダリが敬愛したフェルメールだそうだ。



 この空の大きさがうれしい。生きている限り、人間関係の悩みは尽きないが、この絵の広大さに比べたら、人の一生なんぞ米粒のようなもの。「あんたが思い悩んでいることなんて、耳垢程度のもんさぁ」と軽くいなされた気分になれる。お守り代わりに飾っておこう。
「ウラニウムと原子による憂鬱な牧歌」
 これは、1945年の広島、長崎への原爆投下を受けて描いた絵だという。「あの爆発の知らせが私に与えた大きな恐怖」と説明されていた。



 混乱、破壊、喪失、虚無……。
 そういった単語が次々に浮かんできた。ピカソの「ゲルニカ」に通じるものを感じたのは、私だけではないだろう。日本人として、この絵は手元に置いておきたい。
「素早く動いている静物」
 一番気に入ったのがこの作品だ。



 意味はまったくわからないけれど、テーブルクロスやボトルの質感が素晴らしい。



 こぼれる水が、上に流れていくところも好きだ。ツバメも飛んできて、何やらワクワクしてしまう。
 シマダさんに教えてもらわなかったら、こんなに素晴らしい絵を見逃すところだった。
 危ない、危ない。
 明日、出勤したら、真っ先にお礼を言わなくちゃ。


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コメント (6)
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