久しぶりに、家族で義母と寿司を食べた。
「わあ、いっぱいあるね。どれから食べようかしら」
義母は、ズラリと並んだにぎりに目を輝かせ、少女のようにはしゃいだ。
ひとりあたり13貫だから、結構な量になる。こういうときは、端から順番に取っていけばいいのだ。まずは、カニからいこう。
箸を伸ばして、ひょいとカニをつまむと、それを見ていた義母も手を動かした。つられるように、隣のカニを挟み上げる。
「美味しい」
義母は2年前に駐車場で転倒し、頭をしたたかに打ちつけて以来、認知症となってしまった。料理が作れなくなり、今では義弟が面倒をみている。洗い物はできるし、一人で風呂にも入れるが、物忘れがひどく日常生活に支障がある。家の戸締りは、もっぱら夫の役割だ。
「恵三はどこに行ったの?」
「今日は仕事だって」
「そう」
彼女が名前を言えるのはこの義弟だけで、私のことはおろか、孫であるミキのことも、息子である夫のことも忘れてしまったらしい。以前だったら、「砂希さん」「ミキちゃん」「龍一」などと呼んでくれたのに、今では名前が出てこない。特に、ミキは一緒にトランプやかるたで遊んだおばあちゃんが、自分のことをおぼえていなくて、かなりショックを受けている。
さて、カニのあとはウニ。軍艦巻きをつまみ上げると、義母がまた目で追い、同じように箸で取ろうとする。誰かの真似をするのだろうか。
「おばあちゃん、それ、ウニだよ。食べられるの?」
夫が見かねて声をかける。彼女はウニが苦手なはずなのに、気づいていなかった。
「えっ、これウニ? あれいやだ。触っちゃったよ」
「いいよ。それは俺が食うから、そこに置いておいて」
「はい」
代わりに義母が取ったのはカニ。今、食べたことをおぼえていないらしい。
「おばあちゃん、もうカニは食べちゃダメだよ。他の人の分がなくなるからね」
「はい」
お次はイクラ。これは義母も好物だから安心だ。
アナゴは口の中でとろける食感が素晴らしい。いつもはスルーする娘まで、絶賛しながら食べていた。義母もあとに続き、「美味しいね」を連発した。会話が途切れると、義母が心配そうな顔で尋ねた。
「恵三は?」
「仕事」
「そう」
同じネタに偏らないよう、「マグロはまだですよ」とか「ホタテはどうですか」などと、誘導しながら食べていく。だんだん私まで、何を食べて何がまだなのか、わからなくなってきた。高齢者がいるときは、ひとつ盛りは危険である。
「恵三は?」
「仕事」
「そう」
同じ会話を繰り返しても、特に指摘はしない。94歳になっても、義母一人の力で食べられることを感謝すべきであろう。
結局、彼女は10貫食べられたようだ。
「お腹いっぱい。もう食べられない」
そう言って箸を置いた。だが、まもなく、素早く箸を取り上げて、エビをつまみ上げる。11貫目。旺盛な食欲に、「よく食べたね」と夫が声をかけると、うれしそうに歯を見せた。
「食後のお茶をいれよう」
夫がお茶の準備をしていると、義母が「よっこいしょ」と立ち上がった。
「トイレ、トイレ」
あらためて彼女を見ると、だいぶ髪が伸びていた。ケガする前は、月に一度、美容院でカットしていたのに、すっかり無頓着になったらしい。化粧を欠かさなかった顔はノーメイクで、ちぐはぐな柄の服を組み合わせている。体を揺すりながらトイレに向かって歩く途中で、お尻のあたりから「プップッ」と小さな音が漏れてきた。
「…………」
「…………」
私と娘は、口を半開きにしたまま、無言で目を合わせた。お嬢様育ちで上品な義母が、こうも変わってしまうとは。言葉が出てこなくて、しばらく静寂に支配された。
やがて、義母が戻ってきた。彼女は、こたつの上から何かを取り上げて、娘に手渡した。
「はい、これ、ちょっとだけどお年玉」
「えっ、あ、ありがとう!」
「うふふふ」
認知症になっても、孫にお年玉をあげることは忘れていなかった。
愛情の深さが、物忘れに打ち勝ったのかもしれない。
この先も、ありのままの義母を受け入れていかなくては。
↑
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※ 他にもこんなブログやってます。よろしければご覧になってください!
「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
「わあ、いっぱいあるね。どれから食べようかしら」
義母は、ズラリと並んだにぎりに目を輝かせ、少女のようにはしゃいだ。
ひとりあたり13貫だから、結構な量になる。こういうときは、端から順番に取っていけばいいのだ。まずは、カニからいこう。
箸を伸ばして、ひょいとカニをつまむと、それを見ていた義母も手を動かした。つられるように、隣のカニを挟み上げる。
「美味しい」
義母は2年前に駐車場で転倒し、頭をしたたかに打ちつけて以来、認知症となってしまった。料理が作れなくなり、今では義弟が面倒をみている。洗い物はできるし、一人で風呂にも入れるが、物忘れがひどく日常生活に支障がある。家の戸締りは、もっぱら夫の役割だ。
「恵三はどこに行ったの?」
「今日は仕事だって」
「そう」
彼女が名前を言えるのはこの義弟だけで、私のことはおろか、孫であるミキのことも、息子である夫のことも忘れてしまったらしい。以前だったら、「砂希さん」「ミキちゃん」「龍一」などと呼んでくれたのに、今では名前が出てこない。特に、ミキは一緒にトランプやかるたで遊んだおばあちゃんが、自分のことをおぼえていなくて、かなりショックを受けている。
さて、カニのあとはウニ。軍艦巻きをつまみ上げると、義母がまた目で追い、同じように箸で取ろうとする。誰かの真似をするのだろうか。
「おばあちゃん、それ、ウニだよ。食べられるの?」
夫が見かねて声をかける。彼女はウニが苦手なはずなのに、気づいていなかった。
「えっ、これウニ? あれいやだ。触っちゃったよ」
「いいよ。それは俺が食うから、そこに置いておいて」
「はい」
代わりに義母が取ったのはカニ。今、食べたことをおぼえていないらしい。
「おばあちゃん、もうカニは食べちゃダメだよ。他の人の分がなくなるからね」
「はい」
お次はイクラ。これは義母も好物だから安心だ。
アナゴは口の中でとろける食感が素晴らしい。いつもはスルーする娘まで、絶賛しながら食べていた。義母もあとに続き、「美味しいね」を連発した。会話が途切れると、義母が心配そうな顔で尋ねた。
「恵三は?」
「仕事」
「そう」
同じネタに偏らないよう、「マグロはまだですよ」とか「ホタテはどうですか」などと、誘導しながら食べていく。だんだん私まで、何を食べて何がまだなのか、わからなくなってきた。高齢者がいるときは、ひとつ盛りは危険である。
「恵三は?」
「仕事」
「そう」
同じ会話を繰り返しても、特に指摘はしない。94歳になっても、義母一人の力で食べられることを感謝すべきであろう。
結局、彼女は10貫食べられたようだ。
「お腹いっぱい。もう食べられない」
そう言って箸を置いた。だが、まもなく、素早く箸を取り上げて、エビをつまみ上げる。11貫目。旺盛な食欲に、「よく食べたね」と夫が声をかけると、うれしそうに歯を見せた。
「食後のお茶をいれよう」
夫がお茶の準備をしていると、義母が「よっこいしょ」と立ち上がった。
「トイレ、トイレ」
あらためて彼女を見ると、だいぶ髪が伸びていた。ケガする前は、月に一度、美容院でカットしていたのに、すっかり無頓着になったらしい。化粧を欠かさなかった顔はノーメイクで、ちぐはぐな柄の服を組み合わせている。体を揺すりながらトイレに向かって歩く途中で、お尻のあたりから「プップッ」と小さな音が漏れてきた。
「…………」
「…………」
私と娘は、口を半開きにしたまま、無言で目を合わせた。お嬢様育ちで上品な義母が、こうも変わってしまうとは。言葉が出てこなくて、しばらく静寂に支配された。
やがて、義母が戻ってきた。彼女は、こたつの上から何かを取り上げて、娘に手渡した。
「はい、これ、ちょっとだけどお年玉」
「えっ、あ、ありがとう!」
「うふふふ」
認知症になっても、孫にお年玉をあげることは忘れていなかった。
愛情の深さが、物忘れに打ち勝ったのかもしれない。
この先も、ありのままの義母を受け入れていかなくては。
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「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
年末年始だったかに妻の看病に疲れて手にかけてしまったみたいな事件もあったと思います。実家の周りも、住人が居なくなったために建て替え直した家が増えてきました。幸い、僕はまだ面倒をみなくてもいい状態ですが、父も祖父が亡くなった年齢になり、この件に真面目に向き合わなければいけない時期も目の前だということも認識しています。
当たり前がいきなり当たり前じゃなくなる。
出来ればそんな日が来て欲しくないけど、年始に実家に行くと考えざるをえないですね。
義母とはほとんど関わりをもっておらず、私は楽をさせてもらっています。
その分、義弟に掛かる負担が大きいです。
夫は料理が得意じゃないから、あまり役に立っていないかも。
でも、実の親だとこうはいきません。
姉や妹と分担を決めて、面倒みなくちゃ。
当たり前が当たり前じゃなくなる日なんて来なければいいのに。
健康寿命は大事ですね。
視野が狭くなるのか認知しできなくなるのか、目の前のお皿しか食べない感じ。
時々、ローテーションしてますがw
給食のランチ皿の導入を、真剣に考え中。
女性は、身の回りのこととか、少しでもしようと思うだろうけど、男性は ほぼ妻任せ。
少しでも自分のことをすることが、進行を予防するんでしょうが。
口にできない立場は、辛いです。
義母さんは94歳になられるのですね、認知症も仕方ないかも…
父がぼけたときに私もぼけたふりをしておりました。
どんなことがあっても受け入れないと…
それも、我慢できるところまでですけどね(*^^*)ポッ
目の前のお皿しか食べない現象、よくわかります。
義母がカニを2つ食べた理由は、おそらく一番手前にあったから。
全体が見渡せないんでしょうね。
うちの父も、相当ボケているのに、身の回りのことを母にやってもらっています。
母もそれを苦にしていないところが困りもの。
実の親なら言えるけど、義理の親だと遠慮しますよね。
ぜひ、給食風に盛り付けては(笑)
省略して書きましたが、実は義弟は2人います。
食事を作っているのは次男。
恵三は三男。
義母は三男を溺愛しているようで、メインで世話をしてくれる次男が気の毒でなりません。
下僕のように仕えているのに、報われないと嘆いています。
一番何もしていないのが長男の夫かも……。
自分だってボケ始めているのに、「困ったバアちゃんだ」と呆れているのが不思議(笑)
かつて『小さな小さな王様』を読んだ時に、なぜ子どもに帰って行ってしまうのだろうと考え込みました。
今では、周りの人に「無条件に愛すること」を実践するチャンスを与えるために神様が仕組んだのではないかなと思うようになりました。
これはなかなか難しいことですが。
今からすでに物忘れが激しい私。
認知症になったら自分がイクラ大嫌いなこともカニアレルギーなことも忘れられるかしら。
そして思わず手を伸ばし、苦手を克服するのかもしれません。
何もできなくなるのは怖いです。
義母はときどき正気に戻るようで、「アタシ、こんなになっちゃって……」と悲しそうに言います。
『小さな小さな王様』は読んだことがありませんが、最後まで大人のままでいたいですね。
私も物忘れがひどいです。
卒業式が近づき、「去年は……」と過去のことを引き合いに出されるのですが、全然おぼえていない(笑)
好きにやってくださいな。
それにしても、あのアナゴは美味しかった。
認知症のふりをして、2個も3個も食べちゃったりして!