
父が死んだ。
介護認定を受ける手続きをせねばと思っていた矢先の出来事で、しばし呆然とした。2月に遊びに行ったときは用意したおでんを完食し、一緒に坊主めくりをして遊んだくらい元気だった。しかし、弱っていた心臓が持たなかったと聞いている。もうじき桜を見られるものと決めつけていたので、見通しの甘さを痛感した。
妹夫婦が母に付き添い、葬儀等を仕切ってくれて助かった。私も仕事の区切りをつけ、那須の母の下へと駆け付ける。当然ながら家に父の姿はないが、あとから姉も合流し、三姉妹が顔を合わせた。
「葬儀屋に行くと、お父さんが見られるよ。これからどう?」
勝手知ったる妹が気を利かせ、義弟が隣駅の遺体安置所まで車に載せてくれた。火葬までの間に、ゆっくりと最期の別れができる点はありがたい。父は安らかに眠っていたが、頬から鼻の下にかけて緩いカーブの窪みができていた。これは酸素のチューブを鼻に固定していたからだ。何年も我慢していたことを考えると、「スッキリしてよかったね」と声を掛けたくなる。
髪や顔に触れて、在りし日の父を想う。死に目には会えなかったけれど、生きているうちに話をしたり、一緒に過ごしたりできたから悔いはない。迷わず成仏してほしい。
葬儀を終え、父は骨になった。火葬場で係の方から「これは○○の骨です」といった説明を受ける。プラス、腕を骨折した後に入れた金具や、インプラントなども出てきて、「持ち帰りますか」と尋ねられた。父の一部なので受け取ることにした。
「飛行機雲だ」
火葬場から葬儀会場に戻る途中で、娘が空の写真を撮った。

雲一つない青い空。
父を送る日が晴天でありがたい。
このあと、姉夫婦と妹一家が母の家に集まり、休憩してから帰宅することにした。私は帰らず数日泊まり込み、食事の支度をしながら母と一緒に過ごす。気を張っていたせいか、みんな疲れていた。喪服を脱いでお茶を飲むと、誰も彼もがソファーでウトウトし始めた。休憩時間が長引くと、帰宅時間が遅れるが、急かすわけにもいかない。どうしようかな、と考えて冷蔵庫を見ると、それなりに食材があるではないか。ならば8人分の夕食を作ればいいんだ、と閃いた。
「軽い食事だったら用意できるから、夕飯を食べて行ったら?」
「そう? じゃあごちそうになろうかな」
姉も妹も同意したので、手伝いを頼む。
「姉さんは小松菜の胡麻和えを作って」
「はいよ」
「奈津は、茶碗とお椀、箸のセッティング」
「オーケー」
「他のおかずは、エノキあんかけの豆腐と、キャベツとベーコンの炒め物ぐらいだけど、ご飯と味噌汁がつけばお腹が落ち着くと思う」
三姉妹で役割分担し、まるで合宿だ。
「セッティングできたよぉ」
「胡麻和え完成! 味見して」
「いいんじゃない」
「味噌汁が濃いよ」
「お湯、お湯」
母は笑って私たちを見ている。きっと、父もどこかから見守っているに違いない。
準備が整ったところで、声を合わせて食事を始めた。
「いただきまーす」
葬儀はポカポカ陽気だったが、翌日からは冷え込み、ご丁寧にも雪が降ってきた。

那須の冬は寒い。母を一人残すことに不安はあるが、本人が「ここで暮らす」と決めたので、応援しなくては。三姉妹で代わるがわるメールをしたり、電話を掛けたりして、孤独にさせないつもりだ。
私はときどき食材持参で泊まりに来て、母の好きな料理を振る舞いたい。
三姉妹、それぞれの特技を生かして、母を支えます。
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※ 他にもこんなブログやってます。よろしければご覧になってください!
「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
介護認定を受ける手続きをせねばと思っていた矢先の出来事で、しばし呆然とした。2月に遊びに行ったときは用意したおでんを完食し、一緒に坊主めくりをして遊んだくらい元気だった。しかし、弱っていた心臓が持たなかったと聞いている。もうじき桜を見られるものと決めつけていたので、見通しの甘さを痛感した。
妹夫婦が母に付き添い、葬儀等を仕切ってくれて助かった。私も仕事の区切りをつけ、那須の母の下へと駆け付ける。当然ながら家に父の姿はないが、あとから姉も合流し、三姉妹が顔を合わせた。
「葬儀屋に行くと、お父さんが見られるよ。これからどう?」
勝手知ったる妹が気を利かせ、義弟が隣駅の遺体安置所まで車に載せてくれた。火葬までの間に、ゆっくりと最期の別れができる点はありがたい。父は安らかに眠っていたが、頬から鼻の下にかけて緩いカーブの窪みができていた。これは酸素のチューブを鼻に固定していたからだ。何年も我慢していたことを考えると、「スッキリしてよかったね」と声を掛けたくなる。
髪や顔に触れて、在りし日の父を想う。死に目には会えなかったけれど、生きているうちに話をしたり、一緒に過ごしたりできたから悔いはない。迷わず成仏してほしい。
葬儀を終え、父は骨になった。火葬場で係の方から「これは○○の骨です」といった説明を受ける。プラス、腕を骨折した後に入れた金具や、インプラントなども出てきて、「持ち帰りますか」と尋ねられた。父の一部なので受け取ることにした。
「飛行機雲だ」
火葬場から葬儀会場に戻る途中で、娘が空の写真を撮った。

雲一つない青い空。
父を送る日が晴天でありがたい。
このあと、姉夫婦と妹一家が母の家に集まり、休憩してから帰宅することにした。私は帰らず数日泊まり込み、食事の支度をしながら母と一緒に過ごす。気を張っていたせいか、みんな疲れていた。喪服を脱いでお茶を飲むと、誰も彼もがソファーでウトウトし始めた。休憩時間が長引くと、帰宅時間が遅れるが、急かすわけにもいかない。どうしようかな、と考えて冷蔵庫を見ると、それなりに食材があるではないか。ならば8人分の夕食を作ればいいんだ、と閃いた。
「軽い食事だったら用意できるから、夕飯を食べて行ったら?」
「そう? じゃあごちそうになろうかな」
姉も妹も同意したので、手伝いを頼む。
「姉さんは小松菜の胡麻和えを作って」
「はいよ」
「奈津は、茶碗とお椀、箸のセッティング」
「オーケー」
「他のおかずは、エノキあんかけの豆腐と、キャベツとベーコンの炒め物ぐらいだけど、ご飯と味噌汁がつけばお腹が落ち着くと思う」
三姉妹で役割分担し、まるで合宿だ。
「セッティングできたよぉ」
「胡麻和え完成! 味見して」
「いいんじゃない」
「味噌汁が濃いよ」
「お湯、お湯」
母は笑って私たちを見ている。きっと、父もどこかから見守っているに違いない。
準備が整ったところで、声を合わせて食事を始めた。
「いただきまーす」
葬儀はポカポカ陽気だったが、翌日からは冷え込み、ご丁寧にも雪が降ってきた。

那須の冬は寒い。母を一人残すことに不安はあるが、本人が「ここで暮らす」と決めたので、応援しなくては。三姉妹で代わるがわるメールをしたり、電話を掛けたりして、孤独にさせないつもりだ。
私はときどき食材持参で泊まりに来て、母の好きな料理を振る舞いたい。
三姉妹、それぞれの特技を生かして、母を支えます。

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「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
※在り来たりのお決まりの言葉は省略いたします
さぁこれからは小生と同じような境遇になるからお互いに参考にして...なんて考えていた矢先のことなので、言葉を失いましたよ
でも3姉妹の共同作業の様子を読んでいると、お父上が微笑んでみていらっしゃると小生も思いました
まだ何かとお忙しい日々が続くと思いますが、どうぞご自愛ください
そしてこれからもお母様をお大事に~
※何気にお母様が登場するブログの話が好きです