新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

~考える~

2019-07-16 12:35:24 | 想い思い考える

以下の記事を読んで、改めて考えてしまった。


~~~引用開始~~~


天寿堂さんの妄想を糺す

タマゴ - 2019年07月15日 (月) 18時03分

>癌とは、組織的なミトコンドリアが働けない状況になって、緊急避難的に遺伝子的先祖がえりをして、糖を分解してエネルギーを得て生きていく、組織的経験を持たない単細胞段階に戻ったものです。

妄想を土台とし、その上に延々と妄想を積み重ねているだけ、まったく無意味な文です。
天寿堂さんが依拠しているであろう南郷派も、こんな意味不明なことは主張していません。
天寿堂さんとは異なり、南郷派の説く生命史観は弁証法の論理を前面に押し出していますが、現代医学や生物学と大きな矛盾点は無いです。

>交感神経の任務は命を守ることです。ですから、癌を発生させてしまったというのは、交感神経の任務の不完全履行の結果として生じたものと云えます。

なにが「ですから」なのかと。
「医師の任務は命を守ることです。ですから、癌を発生させてしまったというのは、医師の任務の不完全履行の結果として生じたものと云えます。」
「神様の任務は命を守ることです。ですから、癌を発生させてしまったというのは、神様の任務の不完全履行の結果として生じたものと云えます。」
「自衛隊の任務は命を守ることです。ですから、癌を発生させてしまったというのは、自衛隊の任務の不完全履行の結果として生じたものと云えます。」
・・・というのと同じ、空虚な言葉遊びに過ぎません。



~~~引用終了~~~






言葉での表現とは何か?
ここでの「任務」とは何か?
交感神経と副交感神経とは?
そして人間にとっての神経とは?



医者や自衛隊の任務なら分かるし…
人間の創った神様(像)の任務も分かり得る。
それらは、人人間の職業であり、人間の創造物だから~

でも…しかし、神経に任務がある。のだろうか?
そもそも~「神経」とは何か?神経の任務とは何か?

人間が考えた「神経の任務」?
それとも、実在する「神経の働き」?


そう~そもそも…
「神経の任務」と言う表現は正しくない。
この表現だと、余りにも擬人化し過ぎてしまっている。


まあ~表現。言葉へのダメ出しはこの辺にして…
もっとも、言葉・表現はとても大切で重要なのモノ。
それは、自分の言葉・表現との相互浸透があるから…


歴史的な神経の形成過程は詳しく知り得ていないので…
現象的な神経の働きを考えてみた。


現代の一般常識として、神経を以下のように分類している。

大きく二つ
自律神経―交感神経・副交感神経、と
体性神経―感覚神経・運動神経…


でも、初めから、これに従うのは弁証法的でない。
なので~
先ず考える事は「神経とは」であり、「神経の働き」であろう。


神経とは、生命体・実体が、地球との一体化の為に働くモノであろう。
それは、その生命体・実体の時々の状況を地球・環境に沿うように制御するモノ。
この「沿う」とは、生命活動の維持の為に地球に合わせる、である。


これが人間なら、
「闘争時」での神経の働き方。
「休息時」での神経の働き方。

闘争・緊張時、または必要な状況での神経の働き方を「交感神経」と命名。
休息・弛緩時、または必要な状況での神経の働く方を「副交感神経」とした、のだろう。


また、
「人間は創り創られて人間となる」から、
人間の身体も神経も然りであろう。


それは、
戦国時代の戦いが日常的だった武将の神経・交感神経的神経の働き
現代の日々のんびり生活の金持ち専業主婦の神経・副交感神経的働き、
を比較したなら、そこには大きな違いがあろう。

想像で書くなら、武将なら交感神経と副交感神経の同時駆使が有り得ている。だろう。
これは、言うなれば、交感神経が副交感神経をを活性化して休息・回復を促進している、といったモノ。

これは、普通の人ならでき得ない、「興奮状態での熟睡」が、可能という事なのだろう。


天寿堂氏にとっての弁証法は、
ヘーゲル弁証法であり、絶対精神の自己発展である。

これは、初めから弁証法の実体・実態があるモノとの弁証法であろう。
だから、彼の言説の全てがヘーゲル弁証法的である。

それは、天寿堂氏の精神が絶対精神であり、
彼の思い・考え・書く・言う事の
全てがヘーゲル弁証法的である、という事であろう。


その弁証法が、正しく駆使されているか?いないか?の判定は~
その結論が、現代科学の結論と一致可能であるか?ないか?だろう。

換言するなら、その弁証法の論理的結論を
周囲の一般常識的に表現できるか・できないかであろう。


なのに…「交感神経の任務とは」…
表現の段階で、逃げてしまっている!

このように感じ取っているのは、
果たして自由びとだけだろうか?















コメント (17)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「正しい」の正しい理解とは? | トップ | 南郷学派批判の天寿堂を批判する »

17 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (タマゴ)
2019-07-21 00:27:21
天寿堂さんの施術についての表現が、
「交感神経を元気にする」
から、
「交感神経を整える」
に変わったことは、注目に値すると思います。
件の研究結果を突き付けられ、無闇に交感神経を刺激して活性化することは身体に良くなさそうだ、とようやく気づいたのでしょう。
でも、ちょっと気づくのが遅すぎだと思います。
返信する
勉強になっています♪♪♪ (自由びと)
2019-07-21 12:17:34

談話サロンでのやり取り、
とても勉強になっています。


長文になりますが…
読んで下さい!
聞いて下さい!


私は、天寿堂氏の表現にいい加減さを感じています。
それは、意志を持たないモノを勝手に擬人化しての表現だったり、
他人の指摘・突っ込みで、自分の言葉・表現を大きく修正したり…です。

「学問的」と公言するなら、
その表現・言葉も学問的であるべきなのに…
学問的表現とは、一であって二を許さないモノ、だそうです。
だから、学問的である為には、
先ずは、初めに厳しく言葉の概念規定を!です。

もっとも…
弁証法的表現としてなら、また別なのですが…

学問的と言いながら、
彼の言説は主観的・観念論的で、
独りよがりのように思えて仕方ありません。

そうなるのは、
彼がヘーゲル弁証法を絶対と信じ切っているからでしょうか…
それは、ヘーゲルは、
絶対精神はどのように表現しても絶対であり、絶対精神だからです。
だから、天寿堂氏は「自分の表現は絶対に正しい!」
と信じ切っているのでしょう。



今の私は、彼の論理的も弁証法的も全く信じられません。
それでも…以前は、かなり信じていました。


信じられなくなった契機は、「流雲時代の私をスパイと決めつけた事」です。

確かに「論理的であれば正しい結論に至る」は間違いないのでしょう。
しかし、論理が正しくても、その正解に至る過程の事実の相違・不足があれば、
その結論は、論理的に正しいモノであっても、事実的には間違いに、なり得ます。

事実的に書くなら、
確かに流雲はスパイだと断定された当時の私は、
⒉チャンネルに夢中で、ゼミの事を書く込む事も可能でした。
事実、当時、私は、その⒉チャンネルに書かれた内容を読んでいます。
その事を、天寿堂氏に伝えていれば…また違っていたのかも?
でも、当時の私は、⒉チャンネルの事を天寿堂氏に伝えなかった、のです。
「知っていたのに伝えなかった」という事実もスパイと断定された要因かも?
そんな事から、天寿堂氏に不信感を抱かせたのかも…

それでも、私・流雲が絶対にスパイでなかった事は事実です。
論理的・推論で、スパイであると結論可能であっても、事実的には間違っています。
それは、私だけの事実、私だけが知っている事実なのです。

天寿堂氏は、タマゴさんに対して
「論理というものが分かっていないようですね」
と書いています。

彼は、「論理」が分かっていたとしても、
論理が正しく使われる論理を分かっていません。
論理の論的使用法が分かっていません。


一つの事実・結論が確認可能な論理と、
一つの事実・結論確認が至難・不可能な論理。
この区別と連関での使用法・論理が…です。



それは、
最終的論理の正しさの証明は事実である場合もある。
別言するなら、
事実確認が可能は論理は、
必ず事実確認をする事が、論理の正しい論理的使用法というモノです。

だから、科学では実験が重要視されているのでしょう。

でも、人間の医療・医学では、動物と異なって人間の身体は非常に個性的です。
それは、神経に関しては特になのでしょう。

なので、一つの事実・結論の確認が至難でしょう。
そのようなモノには、論理的正しさが求められます。

「論理」の表現は言葉です。
その言葉の使用法が「論理」に適したモノと思えません。

それは、事実で表現されたモノコトの中に論理はあるのに、モノに意志を与えた表現は、

論理を事実的に書くのではなく、
論理を論理的に書いている事になります。



論理の表現には、
どのような事実を
どのような言葉、
どのような言い回しを用いて、、
どのように書くかが非常に重要です。

なのに…
天寿堂氏の言葉・表現は、そうなり得ていません。


以下は私の記憶と推測ですが…
天寿堂氏は、南郷学派の生命史観を
玄和会在籍当時に学んでいるのでしょう。

彼の癌についての言説は、
そこから拝借・聞き齧りのように、
私には思えてなりません。

その理由は、
学問的表現としては「×?」ですが…
弁証法的には「!?」だからです。


彼の在籍当時の生命史観は、
またまだ弁証法的なモノで、
学問的表現が可能なレベルに至っていなかったのでしょう。

今の彼は、弁証法もヘーゲル、論理もヘーゲル…
他人からの借り物で満足している。ようです。
そうそう~健康は「アロエ」でしたね。


タマゴさんの言説は、非常に論理的だと私は思えています。
この論理的とは、相手の言説に即して的確な指摘である事。
それは、相手の流れに合わせてた言葉表現を使用して自分の見解を書いている事。

私には、そのような多くの言葉を知り得ていません。
それも、若かりし頃、読書より読漫画だった結果なのでしょう。

それでも…
弁証法的には、最近少々し実感があります。

それは、現在勤務している小学校での
通常級・特別支援学級での児童対応が、
数十年前の教員時代自分に比して数段と
スムーズ・違和感なくできている事から、です。









返信する
Unknown (游士)
2019-07-22 10:00:02
>言葉による表現とは何か
↑この自由びと氏の直感は珍しく「鋭い!」と思いました、私。
そもそもが言語表現というものは相手に伝えるべき頭の中の思いや感情・考えなどを言葉にしたものですから、天寿堂さんが言わんとしていることは天寿堂さんの立場に立って(二重化?)考えるべきものなのでしょう。
ですが、もちろん対話というのは二人以上の人間の間でなされるものですからスンナリ天寿堂さんの立場に乗るわけにはいかない、こちら側の考え・感情というものもあるわけでしょうね。
そうして対峙した双方が自分の意を通すために相手の言わんとするところを察していながらも敢えて等閑視して持論ばかりを語るというのも一概に良い悪いを判定できない難しいところがあるように思われます。
今回、自由びと氏が引用した天寿堂さんの発言は自由びと氏が指摘したように擬人化というか、正に体内の細胞・組織の話ではなく体外の人間が複数集まって構成している会社組織だとかの類いを意識的に語ってるのだと思われます。
ですので言語表現はあくまでも比喩ですから直接言葉にあらわされた表現から少し離れて推察する必要があるのでしょう。
天寿堂さんの語る「組織的経験の無い単細胞に戻る」ということが具体的には何を指しているのか?何でも天寿堂さんがネットワーク・ビジネスを始めたことで去っていった弟子筋の方々がいたらしいですが、そうした方々に健康腺療法の何代目だかを認めよといった話があったみたいなんですね。
単に辞めただけならば縁がなくなっただけで「独立」したわけでしょうから「組織のために働け」などという話にはならんのだと思う次第です。ですが、去った後も「健康腺療法」の看板を使うというなら組織の細胞なのだから組織の役に立つ働きをせよ、との義務を求めているように感じられますね。
「癌」というのも個体の内部で増殖しやがては個体の死へ繋がっていくからこそ世間で頻繁に「会社の癌」だとか「組織の癌」だとか言われるわけですから、個体の外へ切り出されたなら、要は「クビ」にされたなら何をしようが当該組織の癌にはなりません。
ですので、天寿堂さんの言っている「組織の癌」というのは嘗て天寿堂さんが主催している会合に所属していながら義務を果たさず却って組織を攻撃して死へ誘っているような反動分子、もしかして自由びと氏か別の誰かか?
いえね、10年前の天寿堂さんの談論サロンを見ると南郷氏の夢講義を絶賛してるんですね。それで掲示板のコメンテーターの中には「滝村先生に弁証法講座の顧問になってもらいましょうよ」なんて言ってる人物もいて、何でも滝村先生がお亡くなりになったとき天寿堂さんと一緒に若い男が焼香をあげにきたそうなんですよ。
もしかしたならそうした若人が天寿堂さんの組織に攻撃を加えてくる癌細胞の如くに変容しているのかも知れませんね。
返信する
的確な二重化~ (自由びと)
2019-07-23 10:59:45



>の立場に立って(二重化?)考えるべきものなのでしょう。

上記の部分には同感です。

書く・話す・表現する側は、
その相手の状態・能力・実力…を推測して、
それに合わせて言葉・表現を選ぶ。
また、
聞く・読む・受ける側は、その言葉を通して、
発した者の状態・能力・実力…推測して、
表現・言葉の内容。中身を正しく理解しようと努める。

これが、具体的な二重化だと、私は考えています。

今回の記事での、天寿堂氏の相手はタマゴ氏です。
タマゴ氏と天寿堂氏は、同じ医療人のようであり、、
彼らは、過去から現在まで幾度となく専門的なやり取りを繰り返しています。

そんなタマゴ氏に医療関係の事を、
あのような例えで表現するのは、どうなのでしょうか?




>…もちろん対話というのは二人以上の人間の間でなされるものですからスンナリ天寿堂さんの立場に乗るわけにはいかない、こちら側の考え・感情というものもあるわけでしょうね。

同じ分野の専門家同士の対話で
「…相手の立場に乗るわけにいかない…」とか、
「…考え・感情というものもある…」とか、

この発想は、「口喧嘩」レベルですね。
同じ専門の同士なら、必ず「専門的事実」を優先しての対話で然るべき…
しかも、人の命を預かる医療人同士ですよ。


>…自分の意を通すために相手の言わんとするところを察していながらも敢えて等閑視して…

学者の議論・討論ならいざ知らず…
実践家・医療人同士なら、大切なのは自分の意・言葉ではなく、その治療過程・結果なのです。
その点、「心に青雲氏の癌」という事実を重要視しているタマゴ氏には私は共感です。



それなのに…天寿堂氏は、その事の反省が以下のようモノです。

> 次に、都築さんの件ですが、私の交感神経論で、論理的に矛盾なく説明できます。それも、最近分かった乳がんと交感神経の事実の論理も含めてスジの通った説明ができるのです。これによって、ますます、私の交感神経論が正しかったことが立証できるというもののです。

 その前に、都築さんんのご冥福をお祈りするとともに、治療者として、舌の白板賞を軽視していたことを、改めて反省いたします。

 さて、都築さんの癌と交感神経の問題ですが、なにゆえ、交感神経を整える治療をしていたのにもかかわらず、癌を防げなかったのか?という問題から応えていきましょう。

 まず、私が続きさんを治療するにあたって、大きな問題を抱えておりました、それは、都築さんが私に対して、交感神経を歪めてしまうようなある感情を抱いていたということです。私はこれに気づいて、何とかしようとしましたが、それはうまくいきませんでした。ですから、透析をするほど腎臓が悪かったのに加えて、この心の問題があったために、交感神経を整える治療も限定的にならざるを得ませんでした。加えて、透析からの奪曲を主目標にして治療しておりましたので、舌の白板症を軽視してしまったというミスを犯してしまったのです。

 結果として、白板症が癌化してそれが頚部リンパ節転移にまで発展してしまうことになりました。ここの、さいきんわかったように、あるいは交感神経がそれを促進してしまったということがあるかもしれません。そのことが発覚してから、遅まきながらそれにたいする治療をはじめたわけです。




>…都築さんが私に対して、交感神経を歪めてしまうようなある感情を抱いていたということです。

「…抱いていた」という受け止め方は、医療者としては…どうなの?
責任を感じているから、「抱かせてしまった」と受け止めるモノでしょう。

その都築氏の感情は、当然天寿堂氏の言動・態度の無関係ではない筈です。
それを「抱いていた」とは…天寿堂氏の認識・二重化能力が大きな要因でしょう。

そのような認識・二重化能力だから、天寿堂氏の言語・表現に私は不賛成・不満なのです。


>…もしかして自由びと氏か別の誰かか?

絶対にあり得ません。
もっとも…ここでの自由びとコメントの数々が
天寿堂氏の組織を円滑な運営を損なっているから話は別ですが…

私に言わせれば、「癌」は天寿堂氏の言動であり、その言葉使用法です。

そもそも…
現代医学の交感神経論を否定している天寿堂氏が、
「交感神経」という言葉を使って、持論を展開しても、
読み手にとって、天寿堂氏の「交感神経・論」を、
氏の認識の通りに正確に理解する事は至難です。


言葉の社会性・弁証法性を無視しての持論展開が大きな問題なのです。


>何でも滝村先生がお亡くなりになったとき天寿堂さんと一緒に若い男が焼香をあげにきたそうなんですよ。
もしかしたならそうした若人が天寿堂さんの組織に攻撃を加えてくる癌細胞の如くに変容しているのかも知れませんね。




嘘か誠か不明ですね。
これって以下の続きのようですね。

>要は「クビ」にされたなら何をしようが当該組織の癌にはなりません。
ですので、天寿堂さんの言っている「組織の癌」というのは嘗て天寿堂さんが主催している会合に所属していながら義務を果たさず却って組織を攻撃して死へ誘っているような反動分子、もしかして自由びと氏か別の誰かか?




ここでは、「…自由びと氏」と書かれていますが…

⒉チャンネルで、
当時、弁証法ゼミの情報を書き撒くっていたのは、
流雲(自由びと)ではありません。

何度も何度も言って・書いています。
天寿堂氏は、私に直に問い質す事無く、流雲をスパイと決めつけ、
私を「体験入塾期間終了」という建前で追い出しました。
更に、天寿堂掲示板での流雲の書き込みの全てを抹消しました。

この思い込みの激しさも大きな問題です。
自己の思い込みは、言うなれば「内界」です。
そして、「スパイ=流雲」は、言うなれば「外界」です。

学問・学問的を公言するなら、
「内界と外界の一致」の認識・確認が当然です。

その確認は、当然に「流雲・自由びと・私」を問い質す事です。
もっとも…私も人間ですから、必ず真実を言う・書くとは限りません。
当然に嘘も吐くし誤魔化しもします。
それでも、いい歳した大人なら、対手と対面して話せば、
その様子・態度から嘘は何となく分かり得ます。


スパイが私ではない以上、
私を追い出して安心している
天寿堂氏のバカさ加減に呆れてしまいます。



アロエの一件で、そのスパイが離れてしまっていたなら良いのて゜すが…
それでも、そのようなスパイなら、残ってあいも変わらず蔭でスパイしている事でしょう。


もしかして、お宅がスパイなのでは?
だから、癌は自由びと!なんて書いて他人やお宅の良心(?)を誤魔化して…





返信する
Unknown (游士)
2019-07-23 12:40:18
自由びと氏のお考えは要するに「医療人は例え話を使わない」ということですか?あるいはも少し広く「専門家は例え話を使わない」とか?
私にはそんな縛りなどどこにも無いとしか思えませんね。自由びと氏の思考の仕方は常に同じようなパターンなのですが、ある事柄Aを話すときにそれを包含した広いカテゴリーBを持ち出して「BなのだからAは◯◯でなければならない」なんて縛りをくれていくわけなんですがコテハンと相反して全く自由じゃないんですね。「カテゴリーの奴隷」ですよ、まったくもって(嘆息)。
それって自由びと氏の師匠スジの南郷氏から譲り受けた「空手は武道なのだから云々カンヌん」と縛りをくれていく思考法なんですかね?イワユル「論理的矯正」だとかいう…。
天寿堂さんたちが担っているカテゴリーって膨大な数あるでしょうから自由びと氏のように「双方ともに医療人」だとか縛りをくれることも可能でしょうけど「双方ともに鍼灸師」だとか「双方ともに代替補完医療の施術者」ということだって出来るでしょう。あるいは「双方ともに?治療院の経営者?」ということも可能かも知れません。もっとも天寿堂さんは間違いなく経営者でしょうけれど他方がそうかは分かりませんけどね。
それで自由びと氏はご存知か?治療院に治療を受けに行くときに「同業者です」と告げると通常の3倍の金額を取ったりするところもあるわけですよ。
それは良い悪いではなく売り手と買い手との自由契約なのでしょうから自分が授けた治療方法が相手の治療院で新たな収入源となるならば直ぐに元は取れて安いものだという判断からそうするのか、一見さんお断りのスパイを許さじの思いから吹っ掛けるのか知りませんけどね。
要するに双方が担ってるカテゴリーによって自動的・機械的に「こうなるはず」なんてことはなく対話の双方の正に自由遺志によって合意に基づいて対話のルールは定められていくと私は考えるわけですよ。
それで「医療人」なんて括りで自由びと氏がガンジガラメにしようとする意図とは裏腹に世間で「鍼灸師」だとか「代替補完医療の施術者」と呼ばれている術者に求められている、ないしは許されている許容範囲は医師やナースとは随分と違うみたいなんですね。実際、「虚証裏寒」だとかの判断で患者さんに施術するなんてのは西洋医だとかナースだとかだと許されないかも知れないのですが、鍼灸師は社会的に許可されていて資格を取るための試験内容もそうなってるわけです。
それで、通常ならば互いの営業妨害にもなりかねない批判合戦・非難合戦はやりませんから、天寿堂さんたちは互いに批判し合うことを認め合って、そこの部分は合意の上で対話がなされていると私は見てはいるわけです。
天寿堂さんの発言を体内の生理学的な現象ではないのではないか?と私が思ったのは私自身が知っている生理学的な知見とも食い違うからですが、それでも「間違いを見つけて論破してやろう」と関わるか「誤謬の中の一分の真理」を見出だそうと関わるかは絶対的な必然性などないわけですよ。
天寿堂さんの発言の「先祖返り」という全く医学的でも科学的でもない言葉は免疫学者の安保徹さんや理論物理学者のピーター・デービーズも使っていたというだけの共通項はあるみたいですが、その中身を検討してみると中々に面白いものがあるとは感じます。
安保さんの言ってるような「ミトコンドリアの働きが抑制されてミトコンドリアの寄生する前の段階の細胞のようになった」という癌は色々と種類のある癌の中の一種の希少な癌らしいんですよ。だから癌細胞の中のミトコンドリアを殺すことで死滅するタイプの癌もあるらしいんですね。
返信する
言葉・表現はムズイ! (自由びと)
2019-07-23 14:29:19
>要するに「医療人は例え話を使わない」ということですか?あるいはも少し広く「専門家は例え話を使わない」とか?

少々違います。
本当に言葉・表現は難しいですね。

そもそも例えとは、どのような場合に使いますか?
それは、普通・事実を話したら相手が分かり難い場合でしょう。
だって、普通に話して分かり合えるなら、例え話である必要はない、でしょうに…

専門分野が同じ者同士なら、例え話である必要はない!と書いたつもりですが…
お宅に分かって頂けないのは、私の能力不足?それともお宅の満々十分?


初めが、こんななら後の長文は、
読んでもしょうもないモノでしょうから…
以上で今回は・お・わ・り・にします!


返信する
ヤッパリムズイ! (自由びと)
2019-07-23 14:38:02


「それともお宅の満々十分?」この表現って変だ!

「それともお宅の自信満々?」~
「それともお宅の自信過剰?」~

う~ん!

初めから、分かったつもりの先入観十分で読むから、分からない、のでしよう。


それって天寿堂氏の間違いと似ているね!
やっぱりお宅は、天寿堂氏の傍にいる!
やっぱりお宅が、あのスパイ野郎だね!
返信する
Unknown (游士)
2019-07-23 17:21:14
医療人だとか専門家だとか述べるのならば天寿さんの交感神経の働きを亢進させる施術によって青雲さんが癌になったと「断定」してしまうのは危険性があるように思われますね。
交感神経の働きが亢進することで癌細胞を活性化して進行を早めてしまうことが実験室の中で確認されたとしても、それが天寿堂さんの施術によってだと果たして断定できるでしょうか?
そもそもが青雲さんのやっていた空手の稽古というのが交感神経を亢進させるとも思われますから何が原因となったかを特定するのは難しいのではないかと思われるんです。
ですので治療の専門家として交感神経の働きを亢進させようとする施術はリスクがありますよと注意を促すのは理解できても「あなたの施術で青雲さんは癌で亡くなった」と断定するのは場合によっては名誉毀損とも営業妨害だとも判断できますから相手によっては訴訟を起こされかねない発言ではないかと思われます。
まあ、天寿堂さんのお人柄からは訴訟をおこすこともないでしょうが、患者によっては天寿堂さんの施術が死因となったと訴訟を起こすでしょうし、治療家によっては名誉毀損で訴訟を起こすでしょう。
それだけ訴えたり訴えられたりというのは現実に頻繁に起きている現実ですから、リスク管理がなされていないのではないかと思われます。
返信する
lリスクは避けるべきモノ (自由びと)
2019-07-24 11:25:30


人の命を預かる現場の仕事をしている者なら、
第一の問題は、論理的・学問的…ないのでしょう。

「交感神経の働きを亢進させる」事が
癌の進行を速めてしまう事実が確認されたなら…


交感神経とは?癌とは?
論理が、どうのこうの…なんて言ってないで…

その事実的危険性を回避しての治療がベストでしょう。
言葉で、「活性化」を「整える」に変えた所で、
それは、交感神経への「刺激」に変わりありません。

健康体の交感神経への刺激と
病気体の交感神経への刺激とでは、

健康体での「整える」レベル刺激は、
病気体では「活性化」レベルでしょう。


もっとも…末期がんで、余命僅かな患者なら、
逆転の発想で、交感神経の刺激もありでしょうが…


人工透析中の青雲氏なら、事実的・癌進行の危険性があるなら、
交感神経への刺激は避けるべきなのは、医療人としては当然でしょう。

失敗したら、死もありえる治療では、先ずは結果優先でしょう。
論理的に正しいと信じ切っていても、
事実的に正しくない・失敗結果があるなら、
その方法は避けるのが、治療者とても良心なのでは?

だって、
天寿堂氏の交感神経への刺激・治療を数年間続けても、
青雲氏は人工透析からの脱却は果たせなかった。

もっとも、交感神経への刺激ですから、
青雲氏の日々は、健康ではなくても、元気は出てた事でしょう。

そう~
病気で体調が良くない者の交感神経への刺激は、
その者の病的な身体への荷重な刺激となり得る。
元気な故に、何かと動きすぎてしまう。

結果的に、身体への負担を与え…
それが、癌化への道~なのかも?





返信する
Unknown (游士)
2019-07-24 13:23:41
私には交感神経の「機能亢進」と交感神経を「整える」ことと交感神経を「活性化」することとが有意な区別だとは思えませんね。
もちろん対話というのは人と人との関わりですから一人の論者が表現を「活性化」から「整える」に変えたことで対手が何らかの譲歩を感じて満足するといった事態は当然にあるでしょうし、それらの対話者との間の人間関係にも前進的な進展があったと理解することも可能でしょう。
ですが通常、「活性化」という言葉に「過剰亢進」だとかいった否定的な意味合いがあるとは思えませんし、自由びと氏の表現に専門家だとか医療人だとかいった判断が活きているのか私には皆目わかりませんね。
私も俄には判断できかねますが南郷氏の門下には癌で命を落としてる人が多いと聞きますよ。海保さんとか青雲さんとかね。それって南郷氏の著書の読者にストレスを感じさせて交感神経を亢進させる機能と相関関係が皆無だとは思われないんですね。
上手く機能するならば努力することに結びつくストレスを加えて縛りをかけることも「一か八か」の博打のようにやるから体がストレスに耐えかねて亡くなっていくのではないかと旧社会主義国の隠された陰部のような感じで他山の石としてるんですがね。
まあ、鍼灸師で天寿堂さんのような考えに基づいて治療をしている人はそう居ないでしょうから、「前人未到の世紀の大発見」よりも自分に降りかかってくる危険性を回避することを大事にしたほうが良いのでは?と先輩治療家に対して出過ぎた発言ですが進言したく思いますね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

想い思い考える」カテゴリの最新記事