新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

~「二人三脚」の話~

2023-03-25 20:27:09 | …弁証法…
「二人三脚」の話~


A君とB君が二人でペアになって、運動会二人三脚走に参加する事になりました。
二人は、言い合いをしています。
AはBに「俺の走りに合わせろ!」と言い。
BはAに「お前こそ俺に合わせろ!」と言い合っていた。
それを聞いたCは「じゃ~二人の全力走勝負で決めたら…」と言った。

そこで、校庭でAとBは、全力走対決・勝負をした。
結果、AはBより数段と早く走り勝った。

その時、
Aは思った「遅いBが、速い俺に合わるのは不可能…」と。
Bも感じた「速いAが遅い俺に合わせたら、運動会で勝てない…」と。

そこで、
AはBに言った「俺がお前に合わせる!」と…
BもAに言った「俺がお前に合わせる努力をする!」と…

そこで、互い相手に合わせる事にした。
それは~
AはBの全力より少し速め、Bがついてこられるだろう速さで走る事。
BはAのその速さに必死に合わせる・努力をする事。

このようなに互いに相手に合わせる努力をする、取り決め・約束をした。

さて上記の過程を以下のように捉えて・考えみよう。

初めの二人の認識は「俺に合わせろ!」―観念的対立。
一旦、観念界を否定して現実界へ
その対立の解決策として「全力走勝負」―現実・身体的勝負での解決。

結果、相手の走力の実感による互いの認識・観念の変化⇒二人とも「お前に合わせる」
結果、「互いに相手に合わせる」事になった。

初めの認識を否定して現実へ、
その現実の結果から、
初めの認識の否定が発生。

認識界の否定⇒現実界へ、その結果が「俺に合わせる」認識・観念を否定⇒「お前に合わせる」認識・観念に変化。

これは、弁証法の「否定の否定」と捉える事が可能である。
では、相互浸透は?
「早く走れる自分と遅い相手」…自分が相手より遅いと…相手に合わせられない。
「遅い自分と速い相手」…速い相手が遅い自分に合わせると勝てない。

それぞれが、現実の全力走勝負の過程で、
実際に、相手が自分に合わせた・合わせようした時の勝負の現実…が相互浸透した。

その結果・量質転化が、
「俺に合わせる!」から「お前に合わせる」…へ変化。
その統一が「互いに相手に合わせる」事。


弁証法の三法則は、言うなれば弁証法的思考・公式であり、
それを、公式をそのままに現実に駆使するのは、
不可能ではないが…至難である。

しかし…現実の変化・運動を、初め⇒過程⇒と全過程を、
客観的・法則的にみようと努力し続ければ、
それは、それで、難しいが、至難ではない。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「我思う故に我あり」とは? | トップ | 雲海お宅へ告ぐ »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

…弁証法…」カテゴリの最新記事