新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

楽しい自由なお宅とのお宅の墓穴堀♪♪♪

2024-04-28 11:49:57 | 自由論
楽しい自由なお宅の墓穴堀♪♪♪


以下は、最新のコメント欄への弥勒コメント~

>・コメントを書いた人
>弥勒
>・コメント



>言葉を交わし合う価値もないほど相変わらず空虚な文字の羅列ですね。


もう何度目でしょうか…
お宅の>「空虚」な「言葉」の「羅列」という~

この「空虚な言葉の羅列」という記述の内容の事実を、
このコメント欄で、目の当たりにしたのは…

例えば、「田畑一」という漢字を見て「空虚」な「漢字」の「羅列」と言った者がいます。
しかし、この「田畑一」とは、「タハタ・ハジメ」と読み、人名であり、
その者を知っている者には、決して空虚な言葉の羅列ではない…
という事です。


言い換えるなら、
私の記事・記述・文面を見て・読み…認識・映像化可能な者達には、
私の言説は決して「空虚」でも「言葉の羅列」でのない!」という事。

逆から言い換えるなら~
お宅が自由びとの記述を認識・映像化不能だから~
お宅にとっての自由びと言説の多くは「空虚な言葉の羅列」的であり、
また、その「空虚な言葉の羅列」認識はお宅の自由の問題である…という事。


お宅には、自由びとコメントの問題点を上記のように自由びとが指摘したように、
お宅は、自由びと言説に即して、その問題点を指摘する能力がない!ようですね…

「問題がある」なら、それは(空虚な)言葉ではなく、
その言葉を使った者の、自由びとの言葉の意味・概念の把握・認識にある筈。


それなのに…お宅は、
相も変わらず「空虚な」・「言葉の羅列」という決まり文句しか書けていません。
こってれ…「全く進歩・発展が、ない!」という事実の証ですね。



>間違いなく私のお宅への信頼感はゼロですよ。薄っぺらい言葉の羅列、それが自由びとお宅の本質、真実なのですよ。


これまた「信頼感はゼロ」という、もう散々に見飽きた台詞…
「薄っぺい言葉」~これは、記憶にありません!「新鮮な台詞」ですね。


私自身が過去の私の「薄っぺらい認識・感情」に気付けたから…
そう…確かに最近自分の感情(悲しみ・怒り・喜び…)が以前に比べて厚く激しい感覚がありますね…

これを言っても…お宅には理解不能でしょうが…
真に感情が厚く・厚い言葉を発する者達なら…
「他人の薄ぺらぃ言葉」にさえ、「厚い部分を見て取れるモノ」なのですよ!

ここで…一旦、自由びとが「薄いが厚いか」は置いておいて…
その自由びとを「薄っぺらい」と言い切ているお宅も「薄ぺらい」という事なのですよ!





>「文は人なり」とは正に金言で、言葉が不自由で本当は立派な自由びとお宅を表現できていない、と自由びとお宅は思っているようですが、実際は書かれた中身のない空虚な言葉そのものが自由びとお宅という人間なのだということです。


確かに「文は人なり」ですが…お宅のような「薄っぺら認識」?!の者には、
その「文」の中に、的確にその「人」を読み取る事は、至難でしょうね…

もっとも…厚い認識の保持者でも…相手をバカして、
相手の力量・能力を見誤った結果「薄っぺらい」…もあり得ますが…

それは、大人が…「どうせ…幼稚園児・一年生だから」と…
真のその児童の姿が理解不能ような事です。





>「幻滅」とは良かったですね、お宅の頭の中に渦巻いている考えは文字通り「幻想」だからです。お宅の書いている「全てが幻想で妄想でデタラメの嘘つき」だという事実から信頼関係を作れないという本質を等閑視して「ここは自由びとのブログ」だという「ブログ開設したのは自由びとお宅」だということが「全ての権限は自由びとにあり投稿された文章も相手の許可なく手を入れて書き換える」という倒錯したことを行える人間がお宅だということですよ。


ほ!ほ~!
「私の頭の中…幻想」なら…
私の「元々、私に比べて知識も学識も豊富な筈の弥勒お宅なのに…」は幻想という事であり…
元々…現実のお宅には「知識も学識も豊富」てはなく、
ただの糞・ウンチ・小便・オシッコ…お宅というのが、現実だったのですね…
了解しました!
それなら、それで、今ここ瞬間から、私の幻滅は完全消滅ですね。

言葉は社会的なモノ…
お宅は、他人が使った事もない、お宅の個性的な新・造語の使用はなく、
一般的に誰もが使用・駆使している言葉です。
それを再利用して、何か不満なの?

お宅の使用している言葉を、私の認識に合わせて作り変えて何が不満なの?
そんなに「不満」なら、その言葉に特許・実用新案…登録でもしたら如何?



>作りごとの規範を強要するよりも相手と信頼関係を作れない自分の能力を悲しみなさいな。


え!不思議?「作りごとの規範」って何を、
どうように認識したら、そうなるの?

では~
「規範」とは、天か降ってくるの?
「規範」とは、神様の恵み?
「規範」とは、宇宙人からの贈り物?


そもそも…「規範」は、人類・人々・人間が、「考え作ったモノ」でしようが…
それを書くなら~「お宅の妄想での作りごとの規範」…が適切ですかね。

このように「お宅の言語表現」には、現実・事実性の欠如が見受けられます。
だから…私は私の事実に基づいて「お宅の言葉」を「自由びと言語」的に改良して駆使しています。

私は、信頼関係を作るから、当然に「相手を選びます」ね…
誰が、ネット上で、「空虚な言葉の羅列」という言語の意味・概念とその事実を分からずに…
平気で何回も何遍も相手が見飽き程に使い続けていられるお宅!
そんなお宅との「信頼関係を結ぶ」なんてありえませんね。

また、ネット上の宅のような者を信頼する人がいたなら、その人との信頼関係の構築も怪しいかも…
もっとも…本音の自己主張が普通の欧米に比べて
アジアの美徳とは、礼儀であり、建て前、互いに仲良く…ですから~
そのレベルの信頼関係なら、比較的容易にでき得ますが…

お宅の自由は自己中心・超の付く個性的なモノですね…
ここで「私がお宅と信頼関係を作れない」という事実があっても…
そこから、私が「(不特定多数の)相手と信頼関係を作れない…」と言い切れ所が凄い!

それなら、私から言わせて頂くなら、
そのような~「ここでの私の個別的な事実」を、
それを「私の人生全般・一般的な事実に適用する」のは間違っている!

例えば、ある人が「一言バカな事を言ったorしたら」~
「その人はバカ者」ですか?」⇒  違うでしょう!

その意味は、「普段なら、そんなバカ事はしないのに…今日はバカだね!」でしょう…

相手が、真のバカ者なら、その相手に「バカと言っても理解不能です」。
だから、「真のバカにバカ者!」とう人は、バカ者がバカだと分からない「バカ者」なのですよ。

同様な論理から~
自由びとが、「真の空虚な言葉の羅列」者な…
そんな自由人にその言葉をぶつけるお宅は、「真のバカ者にバカ!」と言い切れるバカ者レベル。

何故なら自由びとが「空虚な言葉の羅列」者なら、その、お宅の言葉の意味も分からない「空虚な言葉の羅列」レベルの理解だから…

己が「空虚な言葉の羅列」レベルなら、他人の言葉の意味・理解も、その「空虚…言葉…羅列」だから…



そもそも…ここでのお宅のイチャモン・反論・異論・暴論・コメント・自由な記述…の内容・方法が、自分勝手な自由過ぎる…
言葉は、個人的なモノではなく、社会的な道具の筈…
でも…その使い方が、お宅は我がまま勝手過ぎ…

そんな我がままお宅の言語でも、私の理解は社会的・自分的・自由ですから…
我がままお宅の思い通りの受け取り・理解の仕方は…私には至難ですね…

お宅のコメント文面は、お宅自身の墓穴を掘っている…ように私には思えていますよ!

どうか~どうか~もっと・もっと大きく広い墓穴を掘り続けて下さい!
そのお宅の墓穴堀のお手伝いは、思いっきり楽しく自由にやり続けますよ!

自分独りで自分の墓穴を掘るのは全然楽しくありませんが…
お宅のお手伝いで、二人で一緒に、お宅の墓穴堀なら、喜んで楽しく掘れそうです♪♪♪


相手への反論・異論・暴論・イチャモン・自由論…を~
どうせ書くなら、上記のように書いて頂けたら…
もっと・もっと…楽しく・広く・深く・墓穴が掘れるでしょうね…

仮に、その墓穴が自由びとの墓になり得たら、
それはそれで手間が省けて凄く嬉しい事なのかも…

その時は、更なる新しい墓穴を目指して掘り続けるだけなのですが…







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2 コメント

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Unknown (弥勒)
2024-04-28 17:58:45
墓穴を掘りましたか?それは気がつきませんでした。

私はお宅の迷惑になる投稿はしていないはずですが、少なくともお宅が書いた「このブログでの目的意識は分からないことを考える」というのは嘘らしいのは理解しました。
返信する
私は私!お宅はお宅! (自由びと)
2024-04-29 15:25:25
・>コメントを書いた人
>弥勒

>・コメント
>墓穴を掘りましたか?それは気がつきませんでした。

↑~
気付かなくて当然でしょう!
誰が、好き好んで、気付いていながら、自分の墓穴を掘り続けますか?!
気付いて墓穴を掘っているなら、その墓穴は相手と一緒に入る為のモノ…
「神風特攻隊」ですかね…自分と相手の共同墓穴!なんてね♪♪♪


>私はお宅の迷惑になる投稿はしていないはずですが、少なくともお宅が書いた「このブログでの目的意識は分からないことを考える」というのは嘘らしいのは理解しました。


私が「迷惑になる」と書きましたか?
表題を読みましたか?!
表題は「楽しい自由なお宅とのお宅の墓穴堀♪♪♪」ですよ!
私にとってのお宅の墓穴堀は、体力(思考・認識力)の強化・鍛錬になり得ています。
何で、こんなに「楽しく鍛えられる」事が「迷惑になる」筈ありませんよ!

もっとも…
受験勉強での「過度の体力・思考力の強化の楽しさ」は、「点取り目的」には時間無駄・邪魔ですが…





ほ~ほ…
お宅は「このブログ目的意識は分からない事を考える」と理解したのですか…
う~ん、100点満点中の50点ですかね…


上記の「お宅言説」を私的に、より正確に書くなら~以下です。

「自分の分からない事を、他者・ネット・情報・辞書…知見・知識…他人力を借り駆使して自分の納得可能な答えを考え出す」
他人が納得していても、私が納得できない時は、徹底的に思考し続ける。

まあ!50点レベルの「私の目的」認識では、
実際の私の記述の目的意識と比べたら「嘘らしい…理解」は当然でしょう…

ここでも、お宅の誤解である分かったつもりの「お宅的な自由びと目的意識」で、
現実の自由びと記述を比較して、「嘘らしい」と理解するのは当然ですね…

それは、
「鹿と馬」を間違って記憶しているのに…関わらず、
他人が「馬」と言ったら、お宅は「それは鹿」という状態です。
この場合の「馬・鹿」とは、社会的概念ですが…
私の目的意識は私の個人的な意志であり、社会でもお宅のでもない「純・私的なモノ」…
それを誤解しているのは、お宅の、ここでの「自由びと言説」への二重化・認識・理解力の不足でかかね…



先生・大人の発した言葉の真理を理解不能な未熟な児童には、「先生は嘘吐き!」ですから…
でも…「嘘の中の誠」なのに…

お宅には、自由びとの自由な言説の中の目的意識・真理が分からない・読み取れない…
本当は、誤解の連続なお宅認識なのに…それでも、分かっているつもりお宅ですね


私の目的意識を更に、純私的書くなら~
「書く事は考える事の実践・自分的な証明・実感…」
または、「自由な思考過程の実感・体感…」ですかね…


殆どの思考結果の正解・正しさは、調べれば知識・知見…で知り得ます…
でも…本来は、そのスタートから結論までには、「十人十色的な過程的な思考」がある筈…
なのに…そんな「過程的な思考」には…なかなか出会えません。
というか…その過程は自分で、自分的に納得可能なレベルで、思考し続けるしか…ないのですね…
他人の思考過程は、その他人モノであり他由、だから自分の「自由な思考過程」は創る・発見…
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