以前に訪れた中米コスタリカ の写真を引っ張り出して色味をいじりました。色彩というものは面白いです。全く別物の画になる。
彩度を下げることで面白くなる画があることに気づかされました。

下の画はコスタリカ の森林ツアーの様子。

ケニアではとても良く見かけるシマウマ。
サファリカーの移動中ではスルーしてしまうこともしばしば。
ウマなのにロバ。
常に肉食獣に狙われている。
ちょうど良い岩があればお腹を擦ってかく。
喧嘩が好き。
脚力強し。
縞について議論される。
美しい。


今日は楽しい時間をありがとうございました。
もうじき中学生ですね。
ということでお祝いの言葉に変えて。
「想像力は海に潜り空を飛んで、ずーっと向こうへ」
「ヌーはヌーと鳴くからヌー」
(写真は泥まみれのヌー)
またね。

明日は群馬県の富岡西小学校六年生の皆さんのところへ理科の出張授業です。
生物の多様性、地球環境についてで、という内容ですが、なるべく沢山のスライドを見てもらって、動物たちの生きているフィールドに想像力を働かせられるようなことができたらいいなと思っています。
富岡西小学校六年生の皆さんよろしくお願いします。
記録、実務的な写真の他に、切り取った場面を何らかの意図で人に見てもらおうという写真があります。そんな「写真」のほとんどは決して特別なものでも重要なものでもありません。多分どうでもいいもの。
自分の写真も需要があるわけでもありませんし、その「どうでもいいもの」の一つです。それでも写真を撮るのは楽しい。自分が好きなものを写した自分の写真はみんな好きです。これはアマチュアの主張。
利益と自らの感性を両立させているプロの写真家は凄いなと思います。
被写体の向こう側を写したい。



自分はいつも被写体を表現したいと思っています。なので被写体に迫ろうとする写真が好きです。
被写体を写し撮りたいと思ってはいても、「写真」は撮影者本人のバックボーンがどうしても写り込むということをその属性として持ち合わせています。それはやたらと恥ずかしいので、できるだけ自分が出ないように、被写体が浮き出るようにと思っているのですが、この呪縛から逃れることは難しい。
近頃はそんなことを素直に受け入れる気持ちになったのは歳を取ったのでしょうか。
でも、「わざとらしい」写真は撮りたくない。


