高旗山から下山後、向かう先は…
通り過ぎる人の方が多いと思いますが。
「徳川家康伊賀越の道」の道標と「仕置場」の説明板(ちょっとブレました、やっぱり )。
ここは、淡々と進むことにいたします。
二基の石供養塔が建てられており、
右側には「南無阿弥陀仏」、
左側には「南無妙法蓮華経」と刻まれています。
「多羅尾代官所仕置場(処刑場)」(滋賀県甲賀市)
≪徳川家康が天下を統一し、征夷大将軍となり(1603年)、江戸に幕府を置き、
その直轄地に代官を置いた折、家康の旗本であった多羅尾光太の子光好が、
信楽代官所の初代代官に命ぜられて以来、明治維新まで、世襲代官として
代々多羅尾氏が代官を務めてきました。その代官所の処刑場がこの地です。
処刑された日は、12月20日で、牢屋から出された罪人は、裸馬に乗せられ
この地で処刑されました。≫ とのこと。
やっぱり、一人では来られない雰囲気、あるあるでした。
「伊賀盆地絶景展望台」(滋賀県甲賀市)
この日二つ目の「絶景展望」です、ここの階段が伊賀の上野の銀座通り!みたいな
幾度となく訪れている場所ですが初めての体験です。
急階段、多分数拾段ほど、夏は「スズメバチに注意」の貼り紙あり!
2021/11/29のパノラマ
最後の訪問地、
昭和48年にこの林道が開通するまではこの道を使って、山や田畑に通っていたらしい「高旗山道」。
その道中を見守る摩崖仏。「阿弥陀如来」が彫られているかもしれないと…
御斎峠から伊賀方面へ、県道138号を300mほど下ったカーブで車を停めます。
丁度この辺りです。
案内人さんがいてくれてこその『高旗山道』。
ガードレールの切れ目から「まさかの坂」の下り道を下ります。
遠い昔、家康も芭蕉さんもココを通ったんと違う?という道ですがほぼ「獣道」。
標識もないけれど地域の人たちは時折管理をしてくださっていると見受けられます。
「湧き水」が出ていたあとらしい
急坂を下ること数分。(杖を持っていて良かった…)
大きな岩に彫られている「(高旗山道)阿弥陀摩崖仏」さま。
聞くところによると「室町時代前期の作」とのこと。
丁度夕方だったので神々しく見えましたが、写真に撮るには難しい
再度挑戦するには苦しい道中、
ここでお会いできたことは幸運としか言いようがない。
有難かったです、ここも絶対に一人では来れないと思いました。
案内の方、仲間のみなさん、感謝と共に合掌。
では
通り過ぎる人の方が多いと思いますが。
「徳川家康伊賀越の道」の道標と「仕置場」の説明板(ちょっとブレました、やっぱり )。
ここは、淡々と進むことにいたします。
二基の石供養塔が建てられており、
右側には「南無阿弥陀仏」、
左側には「南無妙法蓮華経」と刻まれています。
「多羅尾代官所仕置場(処刑場)」(滋賀県甲賀市)
≪徳川家康が天下を統一し、征夷大将軍となり(1603年)、江戸に幕府を置き、
その直轄地に代官を置いた折、家康の旗本であった多羅尾光太の子光好が、
信楽代官所の初代代官に命ぜられて以来、明治維新まで、世襲代官として
代々多羅尾氏が代官を務めてきました。その代官所の処刑場がこの地です。
処刑された日は、12月20日で、牢屋から出された罪人は、裸馬に乗せられ
この地で処刑されました。≫ とのこと。
やっぱり、一人では来られない雰囲気、あるあるでした。
「伊賀盆地絶景展望台」(滋賀県甲賀市)
この日二つ目の「絶景展望」です、ここの階段が伊賀の上野の銀座通り!みたいな
幾度となく訪れている場所ですが初めての体験です。
急階段、多分数拾段ほど、夏は「スズメバチに注意」の貼り紙あり!
2021/11/29のパノラマ
最後の訪問地、
昭和48年にこの林道が開通するまではこの道を使って、山や田畑に通っていたらしい「高旗山道」。
その道中を見守る摩崖仏。「阿弥陀如来」が彫られているかもしれないと…
御斎峠から伊賀方面へ、県道138号を300mほど下ったカーブで車を停めます。
丁度この辺りです。
案内人さんがいてくれてこその『高旗山道』。
ガードレールの切れ目から「まさかの坂」の下り道を下ります。
遠い昔、家康も芭蕉さんもココを通ったんと違う?という道ですがほぼ「獣道」。
標識もないけれど地域の人たちは時折管理をしてくださっていると見受けられます。
「湧き水」が出ていたあとらしい
急坂を下ること数分。(杖を持っていて良かった…)
大きな岩に彫られている「(高旗山道)阿弥陀摩崖仏」さま。
聞くところによると「室町時代前期の作」とのこと。
丁度夕方だったので神々しく見えましたが、写真に撮るには難しい
再度挑戦するには苦しい道中、
ここでお会いできたことは幸運としか言いようがない。
有難かったです、ここも絶対に一人では来れないと思いました。
案内の方、仲間のみなさん、感謝と共に合掌。
では