伊賀上野城下町の歴史を辿り、歩いて知る裏話というか、
「へぇ知らなかったなぁ」という話を教えてもらいに勉強会…
今回(9/23)は上野台地(城下町のあるところ)の北東側の台地の縁(ヘリ)に沿うかんじで歩きます。
その出発点は『旧桃青中学校』。
この中学校そのものも上野公園がある台地の延長線上にありますが、
その台地は『伊予之丸』(イヨノマル)と言われ、上野城の『二之丸』でした。
その東と西の台地間には谷筋のような細い道がありました。
(現在は自動車も行き交う歩道付き2車線になり通行量も多い道です)
中学校の敷地の最西端の「ヘリ」まで行くと…そこは竹とササ藪💦
歴史的なことを紐解く前に、このササ藪の向こうには~~
『白鳳橋』という橋が一時期架かっていたようです。
おそらく団塊の世代前後の方には微かな記憶があるらしく、
もっと前の世代の方はこの橋を実際に渡っているのでは?と思います。
そしてその橋は、昭和30年初頭までは存在していたとのことです。
(残念ながらワタシには記憶がないので、あしからず)
この谷に架かっていた?
ではその橋のあった痕跡を確かめに行きましょう~
桃青中の銀杏並木の坂を下りて、
南北から車が来ないことを確かめ、上野公園側に渡り、急坂の階段を上ります。
真ん中辺りで公園側の橋の取り付け部が残っています。
車道横の歩道から南側を見ると銀杏並木も見えますね…
この画面の右から左に橋が渡っていたのかと想像して見てました。
では、実際にどんな橋だったのか、どんな風に架かっていたのか、
資料(当時の絵葉書)が残っているので見てみましょう~~
(玄蕃町に住む知人からデータを提供していただけました。)
伊賀上野全国博覧会 白鳳橋より第二会場を望む
伊賀文化産業城/上野公園/白鳳橋
(※伊賀市/デジタルミュージアム 秘蔵の国 伊賀より)
以下「解説文」転記
≪昭和10年(1935)10月12日から30日間にわたり、
伊賀文化産業城の完成を記念した「伊賀文化産業城落成記念博覧会」が開催された。
博覧会は上野公園を中心会場として、一層を産業館、二層を文化歴史館、
三層を展望楼とした伊賀文化産業城をはじめ、さまざまな展示館が設けられた。
第2会場となったのは上野城の伊予之丸跡で、上野公園の第1会場とは白鳳橋で繋がっていた。
この第2会場には上野館・国産振興館が設けられ、
伊賀焼、伊賀傘、籐細工・竹細工、箪笥、履物類、醤油等の地場産物が出品された。
また、菊人形、海女実演、サーカスなどの興行施設も人気を博した。≫
昭和10年当時の博覧会会場図(同「絵図」写真)
橋の架かっていた下の道は、
・明治38年(1905)に県の資金で東大手門~蛇池~伊賀上野駅ルート案が出るも、
・西町~馬苦労町(現・西大手の台地辺り)~伊賀上野駅ルート案の両案が膠着。
そこで、
・明治41年(1908)に、県が強行突破で「蛇池-伊賀上野駅ルート」への道を造った。
その後、
・昭和8年(1933)12月23日の皇太子誕生(現・上皇)を記念し、
・昭和9年(1934)上野町の公園に桜建木を1戸1木で募ったところ、多く集まり
公園だけでなく桜並木として植樹された。
それが現在もなお「桜並木」として親しまれている、ということです。
かなり、老木が多くなってきましたがこの道の愛称は未だに「桜並木」。
管理も大変かと思いますが、いつまでも桜並木であってほしいです。
そして、この『白鳳橋』は上野から伊賀上野駅方面への道を拡張する際に解体されたようです。
おそらく昭和35年頃のことではないかと思われますが、
「伊予之丸古墳」があったのではないかと発掘調査がされたようです、
そのお話はまた次に・・・
ではまた
2023/10/1追記
moni5187様からコメントにいただいた空中写真のご紹介です。
「国土地理院の空中写真で探すと、(確認画面がでたら同意するを押して、もう一度クリックです)
1946/05/23(昭21) 上野 USA-M143-A-6-159 に白鳳橋全体と橋脚もバッチリ写っていて、
1963/10/12(昭38) 上野 MKK636X-C10-16 は白鳳橋とアクセス道が消えているようです。」
こうして過去の空中写真もしっかり見ることができる、ということに感動しています。
確かに「白鳳橋」は存在していた!ということと、
立派な木造建築の「伊賀文化産業城」(nippon.comより)を川崎克氏が私費を投じて建ててくださったこと、
城下町に住む人間として誇りであるし、感謝してもしきれぬ方であったと…
2023/10/1 23:35 再追記
moni5187様から「吉田初三郎式鳥瞰図1942年(昭和17年当時)『上野市』」です。
これを見せていただくと、「白鳳橋は赤かった」。(家人の記憶も「赤」とのこと)
そして「俳聖殿」が建っています。
川崎克氏、再び私費を投じて建立してくださった聖堂です。
お断り「伊代」=「伊予」の間違いでした、すみません。
「へぇ知らなかったなぁ」という話を教えてもらいに勉強会…
今回(9/23)は上野台地(城下町のあるところ)の北東側の台地の縁(ヘリ)に沿うかんじで歩きます。
その出発点は『旧桃青中学校』。
この中学校そのものも上野公園がある台地の延長線上にありますが、
その台地は『伊予之丸』(イヨノマル)と言われ、上野城の『二之丸』でした。
その東と西の台地間には谷筋のような細い道がありました。
(現在は自動車も行き交う歩道付き2車線になり通行量も多い道です)
中学校の敷地の最西端の「ヘリ」まで行くと…そこは竹とササ藪💦
歴史的なことを紐解く前に、このササ藪の向こうには~~
『白鳳橋』という橋が一時期架かっていたようです。
おそらく団塊の世代前後の方には微かな記憶があるらしく、
もっと前の世代の方はこの橋を実際に渡っているのでは?と思います。
そしてその橋は、昭和30年初頭までは存在していたとのことです。
(残念ながらワタシには記憶がないので、あしからず)
この谷に架かっていた?
ではその橋のあった痕跡を確かめに行きましょう~
桃青中の銀杏並木の坂を下りて、
南北から車が来ないことを確かめ、上野公園側に渡り、急坂の階段を上ります。
真ん中辺りで公園側の橋の取り付け部が残っています。
車道横の歩道から南側を見ると銀杏並木も見えますね…
この画面の右から左に橋が渡っていたのかと想像して見てました。
では、実際にどんな橋だったのか、どんな風に架かっていたのか、
資料(当時の絵葉書)が残っているので見てみましょう~~
(玄蕃町に住む知人からデータを提供していただけました。)
伊賀上野全国博覧会 白鳳橋より第二会場を望む
伊賀文化産業城/上野公園/白鳳橋
(※伊賀市/デジタルミュージアム 秘蔵の国 伊賀より)
以下「解説文」転記
≪昭和10年(1935)10月12日から30日間にわたり、
伊賀文化産業城の完成を記念した「伊賀文化産業城落成記念博覧会」が開催された。
博覧会は上野公園を中心会場として、一層を産業館、二層を文化歴史館、
三層を展望楼とした伊賀文化産業城をはじめ、さまざまな展示館が設けられた。
第2会場となったのは上野城の伊予之丸跡で、上野公園の第1会場とは白鳳橋で繋がっていた。
この第2会場には上野館・国産振興館が設けられ、
伊賀焼、伊賀傘、籐細工・竹細工、箪笥、履物類、醤油等の地場産物が出品された。
また、菊人形、海女実演、サーカスなどの興行施設も人気を博した。≫
昭和10年当時の博覧会会場図(同「絵図」写真)
橋の架かっていた下の道は、
・明治38年(1905)に県の資金で東大手門~蛇池~伊賀上野駅ルート案が出るも、
・西町~馬苦労町(現・西大手の台地辺り)~伊賀上野駅ルート案の両案が膠着。
そこで、
・明治41年(1908)に、県が強行突破で「蛇池-伊賀上野駅ルート」への道を造った。
その後、
・昭和8年(1933)12月23日の皇太子誕生(現・上皇)を記念し、
・昭和9年(1934)上野町の公園に桜建木を1戸1木で募ったところ、多く集まり
公園だけでなく桜並木として植樹された。
それが現在もなお「桜並木」として親しまれている、ということです。
かなり、老木が多くなってきましたがこの道の愛称は未だに「桜並木」。
管理も大変かと思いますが、いつまでも桜並木であってほしいです。
そして、この『白鳳橋』は上野から伊賀上野駅方面への道を拡張する際に解体されたようです。
おそらく昭和35年頃のことではないかと思われますが、
「伊予之丸古墳」があったのではないかと発掘調査がされたようです、
そのお話はまた次に・・・
ではまた
2023/10/1追記
moni5187様からコメントにいただいた空中写真のご紹介です。
「国土地理院の空中写真で探すと、(確認画面がでたら同意するを押して、もう一度クリックです)
1946/05/23(昭21) 上野 USA-M143-A-6-159 に白鳳橋全体と橋脚もバッチリ写っていて、
1963/10/12(昭38) 上野 MKK636X-C10-16 は白鳳橋とアクセス道が消えているようです。」
こうして過去の空中写真もしっかり見ることができる、ということに感動しています。
確かに「白鳳橋」は存在していた!ということと、
立派な木造建築の「伊賀文化産業城」(nippon.comより)を川崎克氏が私費を投じて建ててくださったこと、
城下町に住む人間として誇りであるし、感謝してもしきれぬ方であったと…
2023/10/1 23:35 再追記
moni5187様から「吉田初三郎式鳥瞰図1942年(昭和17年当時)『上野市』」です。
これを見せていただくと、「白鳳橋は赤かった」。(家人の記憶も「赤」とのこと)
そして「俳聖殿」が建っています。
川崎克氏、再び私費を投じて建立してくださった聖堂です。
お断り「伊代」=「伊予」の間違いでした、すみません。