伊賀鉄道・市部駅の東側に「垂園森」(たれそのもり)。
駅の駐輪場横の看板、西行法師さんの和歌
「平安貴族らが和歌で詠った垂園森」という表現もされており、(関西プチ遺産より)
知る人ぞ知る隠れた名所だと思います、
現在、いにしえの景色とはかけ離れたかもしれませんが、
この「森」に入ると、異空間のような気がしないでもない…
市部(いちべ)地区の田園風景の中の「森」と秋桜。
四季折々周りの風景が変わる、そのたびに訪れてみたくなる場所です。
遠くに風車、秋桜と風は仲良し
撮る方は「風よ止まれ!」ですけど(笑)…
次も定番地、比自岐の里へ
空も広く、民家の黒い塀のおかげで鮮やかな秋桜
少し進めば「字・夕部柿」というところがあります
「夕部柿」とススキ
「弘法大師」が訪れた場所らしく、
「柿の木の杖を逆さまにさして祈り続けたら…」という民話が残っています、
以下、「上野市政施行50周年」を記念して発刊された【民話集~ごじょろうぎつね~】より
『夕部柿(ゆうべがき)
今からおよそ千五百年以上もむかし、八一五年(弘仁六年) 三月のことでした。
弘法大師さまが、各地を修業のとちゅう、比自岐の村をお通りになられた時は、
もうすでに星のかがやく夕方になっていました。
そこで近くのお寺でその夜の宿をとろうとして、お寺の方へ向かったのですが、
お寺のそばにあった茶園に空からしきりに星が降りそそぐのが目にとまりました。
弘法大師さまは、ふしぎなこともあるものだと思い、
その茶園に入り、正座して、もっていた柿の木のつえをさかさまに地面にさし、
「この地は、仏さまと神さまにかかわりの深いところだそうですが、
その証をわたしに 見せてください。」と、一晩中、お経をとなえ、いのり続けました。
すると、ふしぎなことに、さかさまにさした柿の木のつえから、
一晩のうちに芽が出てきました。
弘法大師さまは、これも仏さまのおみちびきと思い、その柿の木のそばに庵を建て、
十七日のあいだそこにとどまって、比自岐村を後にされました。
その後この柿の木は、ぐんぐん大きくなり、幹のまわりはおよそ三・七メートル、
高さ四メートルもの大木に育ち、村人から「夕部柿」とよばれるようになりました。
「夕部柿」の名は、弘法大師さまが夕方お通りになられたので、その名がついたとも、
あるいは、一晩のうちに柿の木の芽が出たので、その名がついたとも言い伝えられています。
ふしぎなことに、この柿の木の枝は、すべて下向きになり、柿の実を割ってみると、
種は、ふつうの柿とは反対になっていたということです。
また、この柿の木は、全国名木三百本の一つにかぞえられたそうです。
今ある夕部柿は、言い伝えの柿の木が台風で倒れた後、岡波の光福寺から
若木を移したものだと言われています。
夕部柿のある場所は、「字夕部柿」の地名で残っています。』
弘法大師様のお祈りのおかげの民話は、
全国至る所にたくさん残っているのですね…
では、また明日
駅の駐輪場横の看板、西行法師さんの和歌
「平安貴族らが和歌で詠った垂園森」という表現もされており、(関西プチ遺産より)
知る人ぞ知る隠れた名所だと思います、
現在、いにしえの景色とはかけ離れたかもしれませんが、
この「森」に入ると、異空間のような気がしないでもない…
市部(いちべ)地区の田園風景の中の「森」と秋桜。
四季折々周りの風景が変わる、そのたびに訪れてみたくなる場所です。
遠くに風車、秋桜と風は仲良し
撮る方は「風よ止まれ!」ですけど(笑)…
次も定番地、比自岐の里へ
空も広く、民家の黒い塀のおかげで鮮やかな秋桜
少し進めば「字・夕部柿」というところがあります
「夕部柿」とススキ
「弘法大師」が訪れた場所らしく、
「柿の木の杖を逆さまにさして祈り続けたら…」という民話が残っています、
以下、「上野市政施行50周年」を記念して発刊された【民話集~ごじょろうぎつね~】より
『夕部柿(ゆうべがき)
今からおよそ千五百年以上もむかし、八一五年(弘仁六年) 三月のことでした。
弘法大師さまが、各地を修業のとちゅう、比自岐の村をお通りになられた時は、
もうすでに星のかがやく夕方になっていました。
そこで近くのお寺でその夜の宿をとろうとして、お寺の方へ向かったのですが、
お寺のそばにあった茶園に空からしきりに星が降りそそぐのが目にとまりました。
弘法大師さまは、ふしぎなこともあるものだと思い、
その茶園に入り、正座して、もっていた柿の木のつえをさかさまに地面にさし、
「この地は、仏さまと神さまにかかわりの深いところだそうですが、
その証をわたしに 見せてください。」と、一晩中、お経をとなえ、いのり続けました。
すると、ふしぎなことに、さかさまにさした柿の木のつえから、
一晩のうちに芽が出てきました。
弘法大師さまは、これも仏さまのおみちびきと思い、その柿の木のそばに庵を建て、
十七日のあいだそこにとどまって、比自岐村を後にされました。
その後この柿の木は、ぐんぐん大きくなり、幹のまわりはおよそ三・七メートル、
高さ四メートルもの大木に育ち、村人から「夕部柿」とよばれるようになりました。
「夕部柿」の名は、弘法大師さまが夕方お通りになられたので、その名がついたとも、
あるいは、一晩のうちに柿の木の芽が出たので、その名がついたとも言い伝えられています。
ふしぎなことに、この柿の木の枝は、すべて下向きになり、柿の実を割ってみると、
種は、ふつうの柿とは反対になっていたということです。
また、この柿の木は、全国名木三百本の一つにかぞえられたそうです。
今ある夕部柿は、言い伝えの柿の木が台風で倒れた後、岡波の光福寺から
若木を移したものだと言われています。
夕部柿のある場所は、「字夕部柿」の地名で残っています。』
弘法大師様のお祈りのおかげの民話は、
全国至る所にたくさん残っているのですね…
では、また明日
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