田代池まで2㎞
霊山寺まで1.8㎞(前回撮った道しるべ)
さぁ、どちらから上るかはあなた次第 なんちゃって、
大して距離は変わらなく、景色を楽しみながら岩場を上るか、
杉林の山道の丸太の階段を淡々と上るか、
それぞれにその時の気分で選べる登山道だなぁと思いました。
(初心者のワタシでも少し頑張れば できるやん!ってかんじ)
そうそう、まだ頂上(三角点のあるところ)まで行ってませんでした。
頂上からの展望のご褒美があるから頑張れるところ(笑)。
では行きますか…
九合目辺り、芭蕉さんの句碑
定番スポット
やっと到着十合目。
急角度の石段は約50段ほど、途中で立ち止まると怖いので、ココは一気に
山頂には、『平安時代~江戸時代にかけて面積11,200㎡の一大寺院跡があった』とのこと、
その名残の石塔たちかな?
766mの山頂に「祠」。
石で囲まれたような、洞窟のような中に入ると、
≪霊山頂
(霊山奥の院金仏) 昭和16年9月26日 県史跡指定(標高766米)
この寺は寺伝によると伝教大師(最澄)の創建で その後年を経て
天正9年(1582)伊賀乱の兵火のため焼き払われたと伝えられる。
石室に安置の聖観音立像は延宝3年(1675) 津住、但馬弥四郎藤原秀種の作青銅製の仏像で
御身丈112㎝ で霊山寺中興開山萬桟和尚の発起によるものである。
又その台石(元宝塔の台石)の側面に 永仁三乙未(1295) 5月10日平氏泰清外 数名の名が刻まれている。
経塚の発見によって出土した遺物
柘植歴史民俗資料館には代表的な平安和鏡や 当時の輸入陶器、刀剣、壷等
平安末期から鎌倉時代のものであることが確認されている。
尚登山道の途中には、唐戸岩、金鶏の鳴く谷、
太鼓岩 桜地蔵等ふるさとの秘話を伝えている。≫
この「奥の院」のある辺りは頂上の中でも少し凹んでいます、
その周りが土塁のように盛り上がっている、そこからの風景が自分へのご褒美になります(笑)。
頂上の「定番スポット」
いつも誰かが先にいらっしゃいます、この日は他に数組のペアがおられ、
ここは初心者向けの導入登山道なのかもしれません(ワタシガ ノボレルクライダカラ,,,)
伊賀盆地北東側?
ちょっと残念雲がかかってますが
下界とは違う涼しい風が吹いているのでとても爽やか~~
南東側?の青山高原風車群
リョウブ(令法)の花満開
虫たちがいっぱい集まってました、この写真にはハナアブがいるのですが…
飛んでいる蝶々たち、みんな種類が違うので見てるだけでも楽しい、
動きが早いので(ワタシハ)写真撮れません
昆虫類の種類はかなり多そう、九合目付近では夏休みの親子が虫捕りしてました
霊山頂上にはレーダーのようなものがついた建物があります、
何の目的のものかはワタシには知る由もありませんが、
この建物の管理のための舗装道があります、地図で見るとちゃんと車が通れるようにはなっています。
「とても危険」そうですが、この道も「東海自然道」の一部のようで、
柘植駅や余野公園まで行けそうです。ワタシは「田代池」へ戻りたい。
かど、ちょっと進んでみました(好奇心出没!)
その途中にこの案内
県指定天然記念物 霊山のイヌツゲ及び アセビ群生地
≪イヌツゲはモチノキ科の常緑小高木である。よく枝を分け、葉は互生して楕円形で細かい。
樹高は2.0 ~5.0m 位で、6~7月頃、白い小花をつける。
一方、アセビはツツジ科に属する常緑低木である。
高さは1.5~3.0m位で、花は円錐状、がくも花冠も五片に分かれている。
春、小さく白いつりがね状の花をつける。
古くから詩歌にうたわれ、日本人に愛し続けられている花の一つである。
山頂一帯が樹齢200年くらいのアセビ・イヌツゲでおおわれており全くの自然林そのものである。
昭和48年、三重県指定天然記念物に指定された。 伊賀市教育委員会 ≫
ここは山の中、
「田代池・太平池」に行けるはずという情報があったので進みましたが、
少し焦りました 木々のテープを確認しながら進む。
ここは「大阪市」の土地か? (結局1時間ほど歩き廻る…)
「忍者トレイル」の看板もあるけど、、、ともかく必死で下りる道を探して、
無事「田代池」に戻る(決して真似をしてはいけない!という見本です)。
田代池遊歩道を歩き、「東海自然道・大山田方面」への分岐点あり、
堤体からの景色を撮って、今回の登山は完了
この日、山から戻ったら快晴 思わずいっぱい撮ってしまった
あの森の中、彷徨っていたかも…
綺麗
「霊山寺」から『霊山』登山の思い出編(登山日は2020/5/12)
目に映る季節の植物などが違います、このコースは眺望もいろいろ楽しめます。
但し、岩場が多かった記憶が蘇ります。「杖」(トレッキングポール?)など必携かも。
ではまた
霊山寺まで1.8㎞(前回撮った道しるべ)
さぁ、どちらから上るかはあなた次第 なんちゃって、
大して距離は変わらなく、景色を楽しみながら岩場を上るか、
杉林の山道の丸太の階段を淡々と上るか、
それぞれにその時の気分で選べる登山道だなぁと思いました。
(初心者のワタシでも少し頑張れば できるやん!ってかんじ)
そうそう、まだ頂上(三角点のあるところ)まで行ってませんでした。
頂上からの展望のご褒美があるから頑張れるところ(笑)。
では行きますか…
九合目辺り、芭蕉さんの句碑
定番スポット
やっと到着十合目。
急角度の石段は約50段ほど、途中で立ち止まると怖いので、ココは一気に
山頂には、『平安時代~江戸時代にかけて面積11,200㎡の一大寺院跡があった』とのこと、
その名残の石塔たちかな?
766mの山頂に「祠」。
石で囲まれたような、洞窟のような中に入ると、
≪霊山頂
(霊山奥の院金仏) 昭和16年9月26日 県史跡指定(標高766米)
この寺は寺伝によると伝教大師(最澄)の創建で その後年を経て
天正9年(1582)伊賀乱の兵火のため焼き払われたと伝えられる。
石室に安置の聖観音立像は延宝3年(1675) 津住、但馬弥四郎藤原秀種の作青銅製の仏像で
御身丈112㎝ で霊山寺中興開山萬桟和尚の発起によるものである。
又その台石(元宝塔の台石)の側面に 永仁三乙未(1295) 5月10日平氏泰清外 数名の名が刻まれている。
経塚の発見によって出土した遺物
柘植歴史民俗資料館には代表的な平安和鏡や 当時の輸入陶器、刀剣、壷等
平安末期から鎌倉時代のものであることが確認されている。
尚登山道の途中には、唐戸岩、金鶏の鳴く谷、
太鼓岩 桜地蔵等ふるさとの秘話を伝えている。≫
この「奥の院」のある辺りは頂上の中でも少し凹んでいます、
その周りが土塁のように盛り上がっている、そこからの風景が自分へのご褒美になります(笑)。
頂上の「定番スポット」
いつも誰かが先にいらっしゃいます、この日は他に数組のペアがおられ、
ここは初心者向けの導入登山道なのかもしれません(ワタシガ ノボレルクライダカラ,,,)
伊賀盆地北東側?
ちょっと残念雲がかかってますが
下界とは違う涼しい風が吹いているのでとても爽やか~~
南東側?の青山高原風車群
リョウブ(令法)の花満開
虫たちがいっぱい集まってました、この写真にはハナアブがいるのですが…
飛んでいる蝶々たち、みんな種類が違うので見てるだけでも楽しい、
動きが早いので(ワタシハ)写真撮れません
昆虫類の種類はかなり多そう、九合目付近では夏休みの親子が虫捕りしてました
霊山頂上にはレーダーのようなものがついた建物があります、
何の目的のものかはワタシには知る由もありませんが、
この建物の管理のための舗装道があります、地図で見るとちゃんと車が通れるようにはなっています。
「とても危険」そうですが、この道も「東海自然道」の一部のようで、
柘植駅や余野公園まで行けそうです。ワタシは「田代池」へ戻りたい。
かど、ちょっと進んでみました(好奇心出没!)
その途中にこの案内
県指定天然記念物 霊山のイヌツゲ及び アセビ群生地
≪イヌツゲはモチノキ科の常緑小高木である。よく枝を分け、葉は互生して楕円形で細かい。
樹高は2.0 ~5.0m 位で、6~7月頃、白い小花をつける。
一方、アセビはツツジ科に属する常緑低木である。
高さは1.5~3.0m位で、花は円錐状、がくも花冠も五片に分かれている。
春、小さく白いつりがね状の花をつける。
古くから詩歌にうたわれ、日本人に愛し続けられている花の一つである。
山頂一帯が樹齢200年くらいのアセビ・イヌツゲでおおわれており全くの自然林そのものである。
昭和48年、三重県指定天然記念物に指定された。 伊賀市教育委員会 ≫
ここは山の中、
「田代池・太平池」に行けるはずという情報があったので進みましたが、
少し焦りました 木々のテープを確認しながら進む。
ここは「大阪市」の土地か? (結局1時間ほど歩き廻る…)
「忍者トレイル」の看板もあるけど、、、ともかく必死で下りる道を探して、
無事「田代池」に戻る(決して真似をしてはいけない!という見本です)。
田代池遊歩道を歩き、「東海自然道・大山田方面」への分岐点あり、
堤体からの景色を撮って、今回の登山は完了
この日、山から戻ったら快晴 思わずいっぱい撮ってしまった
あの森の中、彷徨っていたかも…
綺麗
「霊山寺」から『霊山』登山の思い出編(登山日は2020/5/12)
目に映る季節の植物などが違います、このコースは眺望もいろいろ楽しめます。
但し、岩場が多かった記憶が蘇ります。「杖」(トレッキングポール?)など必携かも。
ではまた
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