「義経」が伊賀の道を通って「義仲追討」(1184年のこと)、
次の年には、いろいろ事情があったらしく「頼朝が義経を追討」、その時「義経は吉野から京へ」。
どんな道を逃げていたんだろうと、そんなこんなを検索していたら、
伊賀に「白拍子滝」があると知り、それは花垣地区予野川を渡った辺りにあるとか。
再び「伊賀絡み?」、これはもう行くしかないなぁ…
家人に聞くと、
「昔キャンプ場があった、今はもうないけど…
そのキャンプ場へは『吊り橋』を渡って行く。
その近くに『白拍子滝』があった、今は枯れて流れていない」と教えてくれました。
そんな身近なところに「吊り橋」とか「滝」って
おまけに「摩崖仏もあるで、古代遺跡もあるんやで…」
(なんで、今まで教えてくれなかったのか、とは言いません)
すでに「明日行こう!」と計画し、google mapで下調べしていましたので(笑)。
明けて、本日、詳しいことは「花垣地区市民センター」で聞いて、
できることなら「自治協編集の地図」をもらおう。
🚙の駐車できるところ、その先歩けば行けるのか?
いろいろ聞くことあるなぁ、とルンルンお出かけです(笑)。
花垣地区住民自治協作成史跡地図。
親切に🚙を止められる場所、二つ「吊り橋」があること(やっぱり)、
名張川と予野川が合流する辺りに「摩崖仏」、対岸からしか見えない。
二つ目の「吊り橋」を渡ると奈良県、そこは山添らしい…
そこにキャンプ場、そこから「摩崖仏は見える」とのこと。
ワクワクしてきました、では先ず教えられた小さな「橋」を渡ります、🚙はOK。
川沿いの細い道を心細く走ること3分くらいかな、
見えました!
橋の辺り、若干広いのでここに🚙は駐車。
白拍子を謳った句碑
一つ目の黄色い「吊り橋/白拍子橋(シラビョウシバシ)」
左は名張川へ注ぐ、右側は予野川上流へ(細いけど一級河川らしい)。
渡り切ったら案内がありました、
(もうひとつ「案内板」あったのですが、それは次回へ)
「白拍子滝」
≪鎌倉時代の初期、源義経が弁慶と共に頼朝の追討を逃れる為
吉野より京都へ密かに旅する身である夫 義経恋しさに
静御前(白拍子)は三人の供を連れて 夫義経の跡を訪ね探し求めて
この清流の滝で身を清め、 水籠して義経の無事と「今一度遭わせ給へ」と
祈願 したと伝えられる滝である。時は文治二年(1185) と伝えられている。
静御前にとっては心こめての力強い頼りの滝であったであろう。
花垣住民自治協議会 平成二十一年 花垣歴史研究会≫
周りの道を少し歩きましたが見つけられなかったのは残念。
気を取り直して、次の吊り橋、歩くこと数分、
赤い吊り橋見えました…
振り返ると大きく湾曲した名張川、あの辺りで予野川と合流かな、
この先、月ケ瀬から高山ダムへ流れ、木津川に合流する川です。
目を凝らしてみると何やら大きな岩が見えますが…
さぁ、二つ目「吊り橋/名張川 大川橋」(オオコバシ)
今日はここまで、
また明日~
次の年には、いろいろ事情があったらしく「頼朝が義経を追討」、その時「義経は吉野から京へ」。
どんな道を逃げていたんだろうと、そんなこんなを検索していたら、
伊賀に「白拍子滝」があると知り、それは花垣地区予野川を渡った辺りにあるとか。
再び「伊賀絡み?」、これはもう行くしかないなぁ…
家人に聞くと、
「昔キャンプ場があった、今はもうないけど…
そのキャンプ場へは『吊り橋』を渡って行く。
その近くに『白拍子滝』があった、今は枯れて流れていない」と教えてくれました。
そんな身近なところに「吊り橋」とか「滝」って
おまけに「摩崖仏もあるで、古代遺跡もあるんやで…」
(なんで、今まで教えてくれなかったのか、とは言いません)
すでに「明日行こう!」と計画し、google mapで下調べしていましたので(笑)。
明けて、本日、詳しいことは「花垣地区市民センター」で聞いて、
できることなら「自治協編集の地図」をもらおう。
🚙の駐車できるところ、その先歩けば行けるのか?
いろいろ聞くことあるなぁ、とルンルンお出かけです(笑)。
花垣地区住民自治協作成史跡地図。
親切に🚙を止められる場所、二つ「吊り橋」があること(やっぱり)、
名張川と予野川が合流する辺りに「摩崖仏」、対岸からしか見えない。
二つ目の「吊り橋」を渡ると奈良県、そこは山添らしい…
そこにキャンプ場、そこから「摩崖仏は見える」とのこと。
ワクワクしてきました、では先ず教えられた小さな「橋」を渡ります、🚙はOK。
川沿いの細い道を心細く走ること3分くらいかな、
見えました!
橋の辺り、若干広いのでここに🚙は駐車。
白拍子を謳った句碑
一つ目の黄色い「吊り橋/白拍子橋(シラビョウシバシ)」
左は名張川へ注ぐ、右側は予野川上流へ(細いけど一級河川らしい)。
渡り切ったら案内がありました、
(もうひとつ「案内板」あったのですが、それは次回へ)
「白拍子滝」
≪鎌倉時代の初期、源義経が弁慶と共に頼朝の追討を逃れる為
吉野より京都へ密かに旅する身である夫 義経恋しさに
静御前(白拍子)は三人の供を連れて 夫義経の跡を訪ね探し求めて
この清流の滝で身を清め、 水籠して義経の無事と「今一度遭わせ給へ」と
祈願 したと伝えられる滝である。時は文治二年(1185) と伝えられている。
静御前にとっては心こめての力強い頼りの滝であったであろう。
花垣住民自治協議会 平成二十一年 花垣歴史研究会≫
周りの道を少し歩きましたが見つけられなかったのは残念。
気を取り直して、次の吊り橋、歩くこと数分、
赤い吊り橋見えました…
振り返ると大きく湾曲した名張川、あの辺りで予野川と合流かな、
この先、月ケ瀬から高山ダムへ流れ、木津川に合流する川です。
目を凝らしてみると何やら大きな岩が見えますが…
さぁ、二つ目「吊り橋/名張川 大川橋」(オオコバシ)
今日はここまで、
また明日~
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