久々に「伊賀盆地絶景展望台」&「高旗山頂上」へ 前編

2024-01-02 23:47:39 | 花や風景など
何を思い立ったか、快晴で周りの山々が綺麗に見渡せたので
こういうチャンスは少ないぞと、思ったのが午後も大分過ぎてから💦
それでもあの山の上から伊賀盆地を見たくなった、ただそれだけの理由。

ほんとは年末年始パソコンに向かうことが多く(私的な仕事で)、いささか疲れもあったのは事実。
姿勢が悪くなってきたな、肩も凝ってきた、目も疲れた…
行くなら今だ! 家を出たのは15時過ぎ、ドライブするには遅すぎなんやけど

 
久しぶりなんですが、ここに至る階段は「神君甲賀伊賀越え」PRのおかげか
よく手入れされており、大変上りやすかったです。
クマザサは大変元気です。
 
何かしら違和感を覚えつつも、下草など綺麗に刈られており
見通しよく、というか良すぎないか?と。
動画を撮って、じっくり振り返ると・・・

ランドマークのあの「松」の木が


以前(2021/5/3)の写真を引っ張り出すと
   

もしも、枯れたのなら仕方ないなと思いつつ、
なくなったものに未練を持つのも大人げないので、
転げ落ちないように気をつけつつ、伊賀盆地を見渡す。
  

久しぶりのこの光景、松があろうがなかろうが
風車は見えるし、上野のお城も遠くに見えたし、笠置山地辺りはちょっともやもや、
もう少し早く来れば良かったなと思いつつも大満足でした。

このまま帰るのも惜しい、暗くなるまでにはもう少し時間があるので
タラオカントリーの奥までいくことに…

つづく

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7 コメント

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高旗山スケートリンク (moni5187)
2024-01-03 19:21:30
正月早々から高旗山へ登山とは、この寒ぷい中ハードな事をと思ったのですが、
タラオCCのテニスコート側から、近距離の登山道が整備されていたとは、つゆ知らずでした。
当方が初日の出を撮りに行った頃は、CCは出来ておらずで三重県側から登山道があると聞いていた
だけでした。おそらく、あのコンクリ階段から上る尾根伝いの縦走コースだと思います。

https://ja3hon.nengu.jp/
スケートリンク資料室 様で「高旗山スケートリンク」に関して、上下に長い記事のほぼ中央に
興味深い記述がありました。後に五輪に出場するトップスケーターが初滑りでアイスショーを披露し、
8mmフィルム映像が残っていて、どこかの「まちかど博物館」で展示されているそうです。
https://ja3hon.nengu.jp/skate/tv/index.html

場所は山頂ではなく、こちら様ブログの過去記事のように、タラオCC界隈にあった推定しています。
高旗山スケート場と記された、滋賀県の古地図を見たような気がするのですが、再発見できず。
終戦直後の空中写真に、レストハウスらしき建物が写っていて、今の航空写真と重ね合わせると
「信楽温泉多羅尾乃湯」の建物の西あたりになるのですが、何とも言い難いところです。
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貴重な情報 (kuro&hana)
2024-01-03 21:19:13
ありがとうございます。

その前に高旗山頂上の様子は今から仕上げます💦
決して登山とは言えません、でも頂上まで行くとああ登ったな!という達成感を感じるのは「眼下に伊賀盆地」が見えるからでしょうね、きっと。

さて、ご紹介いただいた高旗山スケートリンクの件、
心当たりがありますので聞きに行ってきますね、「まちかど博物館」といえば、多分あのヨウカンヅケ屋さんではないかと…

moni5187様、貴重な資料を教えていただき感謝いたします。
返信する
お約束通り (kuro&hana)
2024-01-04 16:49:45
某「まちかど博物館」館長を尋ねてまいりました。
先のコメントでいただいた写真を印刷してお見せし、お話をお聞きしたところ、
「どこからそんなの見つけたの? これはねぇ、『真珠の小箱』という番組スタッフが訪ねてきてね・・・」と、まさかのお話を聞いてきました。

お爺様が昭和一桁台の年代に8ミリ撮影機を持っていたが、当時は三重県で2台しかなかったそう。
「保存」にはあまりこだわらない方だったそうで、ただいろんなシーンを撮りたがっていたとか。

新しいもの大好きな方がおられた時代の貴重なフィルムですね。そのフィルムのことを「真珠の小箱」の担当者の耳に入ったのかどうか。
(「宝物を探し出す」番組だったのかどうかも定かには覚えていませんが、テレビで見た記憶は確かにあります。でもご存じの方は多いはず…)
孫の慶一さんが蔵から見つけ出した頃(かれこれ20数年前か)には劣化が厳しく「今、このフィルムを残す術を講じないと、二度と映像は見られない」と言われたそうです。
そして、復元作業に取り組んだ、それが平成10年台の頃だったか。
先ずビデオテープに、その磁気テープも永年保存はできないとかで最終的にDVDに移した(という表現が正しいかどうかはわかりませんが)そうです。
「間一髪、太平等戦争に突入する前の昭和一桁の頃の映像が残せた」と、今にして思えば「あの時に誰かの『残しておけよ』という声がなければ没になっていた」とも。
そして、当時のフィルムに音楽が流れているわけではなく、DVDに移行する時に当時のお気に入りだった曲をバックミュージックとして入れたそうです。
だから「昭和初期の音楽ではないので後入れだとすぐわかる」とも(笑)。

そのあと、2004年(平成14)に三重県内で「芭蕉翁生誕360年」の記念事業として『まちかど博物館』の正式認定があった折「代々秘蔵のコレクションン」としてこの映像を公開するっことになった、ということが判明しました。

ワタシが発見した情報ではないとの前置きの元に、古い記憶を呼び戻してもらいましたが、「こんな貴重なお話とこの映像は再々復活していただきたい」とお願いしておきました。
「きっと見てもらうチャンスを作る」とのお約束もいただいたので、良い報告ができるといいなぁと思っています。

今年は「芭蕉翁生誕380年」です、何か芸術文化的な表現の場があればいいのにな、と勝手に思っています。

以上、ご報告まで
moni5187様へ
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訂正 (kuro&hana)
2024-01-04 16:57:39
2004年は平成16年、でした。
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子どもの頃 (kuro&hana)
2024-01-04 17:09:30
「天然のスケートリンク」は伊賀のまわりでも多かったとか、記憶では美杉にもあったような。
子ども会に入っていた頃は「スケートは大阪まで」行ったこともあるような、そんなあやふやな記憶ばかり。
スポーツ好きではなかったのでみんな遠くに忘れ去ったことばかりです(笑)。

慶一さんの話では奈良には天然も人口もあったんだよ、と。
もう天然ではリンクができるほどには凍らないよね、温暖化はどんどん進んでいるわけですよ、という結末に至りましたが。
返信する
稲田悦子さん (moni5187)
2024-01-04 21:16:28
の高旗山スケートリンクでの貴重な8ミリフィルム映像、の発掘にまつわる詳細なレポートならびに、
ヒュッテの古地図をありがとうございます。

近年に例えると、浅田真央さんや羽生結弦さんがサンピアの屋内スケートリンクに滑りに来るから
スマホやデジカメ片手にクルマに乗って見に行こう、に相当する大きな出来事だったのではと思います。

1936(昭和11)年夏のベルリン・オリンピックの「ガンバレ前畑」は、あまりにも有名すぎますが、
その半年前、ドイツのガルミッシュ・パルテンキルヘンで冬季五輪が開催され、稲田さんが12才で出場されたとのこと。
昭和10年末に高旗山スケートリンクで滑って、昭和11年2月初にドイツへは、現在でも35日は掛かるらしい船旅では、
間に合わないはず。夏の五輪選手らは約2週間で行けるシベリア鉄道経由で移動したそうですから、
冬の選手らもそうだった、のではと思います。

稲田さんについては、以下ブログ様も見ていました。日の丸を付けてイナバウアーぎみの動画もあります。
ならの”スポーツの喜怒哀楽を語ろう!” > 元祖銀盤のアイドル、12歳の妖精
https://ameblo.jp/northbyeast/entry-12609621662.html
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知れば知るほど (kuro&hana)
2024-01-05 00:03:18
凄い方だったんですね、ご紹介のblogにも書かれている通り。
昔のスケーターの映像も思わず魅入ってしまいました。
稲田さんという先駆者がいて今の日本のスケーターがあるということ、その方が我が「高旗山スケートリンク」に来られていたという事実。
現在90歳代の方々で伊賀にお住まいの方ならご存じの方は多いのでしょうけれど…
残念ながら我が母は1930年に亀山で生まれているので、多分知らない話だなぁと。でも聞いてみるだけ聞いて見ようかな(笑)。

moni5187様、いつも珍しいもの発掘していただき興味津々です、ありがとうございます。
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