「大河ドラマ」では絶対に出てこないシーン、
でも、昔の地図が一瞬映り「伊賀・大和」は確かに出てました…
4/24、夜放映のNHK大河「鎌倉殿の13人」を食い入るように見ていて、
「義仲追討の加太越えの道」の場面は出てこなかったけど、
きっと義経が「伊賀の山を越えた証の地図」だと勝手に合点
一人ニヤニヤ笑っていたのです…ここまでは昨夜の話。
では、時間を戻しまして、
伊賀の事を知るための研修を受けており、昨日は柘植地区へ。
柘植倉部(クラベ)地区に【風の森社跡】があることを知りました。
柘植の歴史などを知るために訪れたわけです。
「義経が伊賀を通っていた」という「逸話」か「伝説」なりが
伊賀の三カ所に残っているということに驚きました。
では、そのお話の一つ…「柘植の場合」
≪源義経が木曽義仲追討の途中、戦勝祈願したと「源平盛衰記」に記されているそうです。
源平争乱時代の寿永3年(元暦元年) 1184 年、伊勢平氏平定のため伊勢にいた義経は
木曾義仲討伐の勅命をうけほとんど平定を終えていた伊勢から加太峠を越えました。≫
(※参考登山ガイド図:余野公園・油日岳・ゾロゾロ峠・旗山)
その加太越えの道の案内が「奥余野公園」にありますので、
今日(4/25)訪問してきました。
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「余野公園」に🚙を駐車して、健康管理のため徒歩で
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途中、「壬申の乱古戦場」があります。(詳しくは過去ログで)
下の河原辺りかと…
ここはあっさりと進みます。
余野公園を出発して約25分くらい、正面の視界が広がります。
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少し先にトイレがあり、その前に
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『源義経平氏討伐の道 1184年』(東海自然歩道にもなっていますが)と。
少しだけ覗いてみた山道、こんなもんではないはずですが、
ワタシは登れません、あしからず。
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険しい「現・鈴鹿国定公園」の山の中、
加太から「ゾロゾロ峠」を経て柘植へ下りてきたと思われます。
山を下りてきた義経さんを癒したかもしれない風景です
ウワミズザクラ
余野公園に戻って
ツツジ咲き出しています…
そして、倉部川支流の「風の森橋」の辺りにある森で休んだと言われます。
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それが【風の森社跡】(カゼノモリヤシロアト/柘植倉部)
民家の間を入らせていただきます(静かに~~)
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遠い昔は「竹藪」ではなかったようです、
石碑には「風森神社」とありますので「社」があったはず。
この石碑のあるところに、実は立派な巨樹があったそうです。
言い伝えとして
「その昔、ここにあった大木を、お城の材にすると切り出そうとした役人に、
鎮守の森の木を切ると祟りがあると年寄りが言ったそう。
しかし、木は切られお城は建てられた。
ところが、完成間近に台風(暴風雨)で倒壊したというお話がある」、、、とか。
「風の森社跡」を出て、北側に行ってみました。
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「社」の後ろ側です、向こうを見れば高い山々はここからは見えません。
琵琶湖辺りから吹く風が大きな山に邪魔されることなく、
この地域を通るので、冬場は特に「伊賀の北海道」と言われる由縁かと。
「風の森」とは地形からきたのか、素敵な名前だと思いました。
さて、その先義経は、、、「新居の場合」
≪この地から南宮山を拝し新居まで来た時、 里の人に京へ向かう道を聞くと
「首落滝」※から御斎峠を越えるのが一番近いと聞いたが、
これから戦いに行くのに名前が縁起が悪いとして他の 道を聞くと、
長田の射手神社の前から笠置に向かう道があると聞き、
それは縁起が良い名前だ として射手神社に戦勝祈願をして笠置に向かったといわれる。
伊賀平氏はこの時ほとんど源平合戦に参加せず、
平氏一丸となった義仲追討軍十万の大軍の北陸の合戦にも参加せず、
義経が加太越えて通過した時も傍観した。≫
(参考※「首落滝」のお話は過去ログをご参考に)
そして、「長田の場合」、【射手神社】で
≪木曾義仲を討つため、宇治へ向かっていた源義経の一行が、
戦いに勝つようにとお祈りをし、かぶら矢を奉納しています。≫(「観光三重」より)
お勉強会だった4/24は雨でした、よって翌日再訪問してきましたので、
綺麗な明るい空気の中で写真が撮れました、ツツジも綺麗でした。
余野公園はまた改めて~~
ではまた
(間違いなどありましたら即、修正いたします)
2022/4/26追記
【ゆっくり解説】『源平盛衰記』より源義経と伊賀
情報をいただきました、分かり易くまとめられておりました…
でも、昔の地図が一瞬映り「伊賀・大和」は確かに出てました…
4/24、夜放映のNHK大河「鎌倉殿の13人」を食い入るように見ていて、
「義仲追討の加太越えの道」の場面は出てこなかったけど、
きっと義経が「伊賀の山を越えた証の地図」だと勝手に合点
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一人ニヤニヤ笑っていたのです…ここまでは昨夜の話。
では、時間を戻しまして、
伊賀の事を知るための研修を受けており、昨日は柘植地区へ。
柘植倉部(クラベ)地区に【風の森社跡】があることを知りました。
柘植の歴史などを知るために訪れたわけです。
「義経が伊賀を通っていた」という「逸話」か「伝説」なりが
伊賀の三カ所に残っているということに驚きました。
では、そのお話の一つ…「柘植の場合」
≪源義経が木曽義仲追討の途中、戦勝祈願したと「源平盛衰記」に記されているそうです。
源平争乱時代の寿永3年(元暦元年) 1184 年、伊勢平氏平定のため伊勢にいた義経は
木曾義仲討伐の勅命をうけほとんど平定を終えていた伊勢から加太峠を越えました。≫
(※参考登山ガイド図:余野公園・油日岳・ゾロゾロ峠・旗山)
その加太越えの道の案内が「奥余野公園」にありますので、
今日(4/25)訪問してきました。
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「余野公園」に🚙を駐車して、健康管理のため徒歩で
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途中、「壬申の乱古戦場」があります。(詳しくは過去ログで)
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ここはあっさりと進みます。
余野公園を出発して約25分くらい、正面の視界が広がります。
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少し先にトイレがあり、その前に
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『源義経平氏討伐の道 1184年』(東海自然歩道にもなっていますが)と。
少しだけ覗いてみた山道、こんなもんではないはずですが、
ワタシは登れません、あしからず。
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険しい「現・鈴鹿国定公園」の山の中、
加太から「ゾロゾロ峠」を経て柘植へ下りてきたと思われます。
山を下りてきた義経さんを癒したかもしれない風景です
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余野公園に戻って
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そして、倉部川支流の「風の森橋」の辺りにある森で休んだと言われます。
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それが【風の森社跡】(カゼノモリヤシロアト/柘植倉部)
民家の間を入らせていただきます(静かに~~)
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遠い昔は「竹藪」ではなかったようです、
石碑には「風森神社」とありますので「社」があったはず。
この石碑のあるところに、実は立派な巨樹があったそうです。
言い伝えとして
「その昔、ここにあった大木を、お城の材にすると切り出そうとした役人に、
鎮守の森の木を切ると祟りがあると年寄りが言ったそう。
しかし、木は切られお城は建てられた。
ところが、完成間近に台風(暴風雨)で倒壊したというお話がある」、、、とか。
「風の森社跡」を出て、北側に行ってみました。
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「社」の後ろ側です、向こうを見れば高い山々はここからは見えません。
琵琶湖辺りから吹く風が大きな山に邪魔されることなく、
この地域を通るので、冬場は特に「伊賀の北海道」と言われる由縁かと。
「風の森」とは地形からきたのか、素敵な名前だと思いました。
さて、その先義経は、、、「新居の場合」
≪この地から南宮山を拝し新居まで来た時、 里の人に京へ向かう道を聞くと
「首落滝」※から御斎峠を越えるのが一番近いと聞いたが、
これから戦いに行くのに名前が縁起が悪いとして他の 道を聞くと、
長田の射手神社の前から笠置に向かう道があると聞き、
それは縁起が良い名前だ として射手神社に戦勝祈願をして笠置に向かったといわれる。
伊賀平氏はこの時ほとんど源平合戦に参加せず、
平氏一丸となった義仲追討軍十万の大軍の北陸の合戦にも参加せず、
義経が加太越えて通過した時も傍観した。≫
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(参考※「首落滝」のお話は過去ログをご参考に)
そして、「長田の場合」、【射手神社】で
≪木曾義仲を討つため、宇治へ向かっていた源義経の一行が、
戦いに勝つようにとお祈りをし、かぶら矢を奉納しています。≫(「観光三重」より)
お勉強会だった4/24は雨でした、よって翌日再訪問してきましたので、
綺麗な明るい空気の中で写真が撮れました、ツツジも綺麗でした。
余野公園はまた改めて~~
ではまた
(間違いなどありましたら即、修正いたします)
2022/4/26追記
【ゆっくり解説】『源平盛衰記』より源義経と伊賀
情報をいただきました、分かり易くまとめられておりました…
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