「愛しているよ、洋子。もう二度と話さない。これから二人はずっと一緒だ」
そう言って優一は洋子の体をきつく抱きしめた。
「嬉しい、優一さん、愛してる…」
洋子の目からひとしずくの涙がこぼれた。
ここで問題です(心理クイズではありません)。
優一は果たして洋子のことを愛しているのでしょうか?
答えは「わからない」です。
優一は名うての結婚詐欺師なのかもしれないし、洋子の両親に深い恨みを抱いていて、彼女を復讐の道具として利用しようとしているのかもしれません。
もちろん心の底から彼女のことを愛している可能性もあります。
それはこの短い文章からは判別がつくことではありません。
間違いなく言えるのは「愛している」と言ったからといって本当に愛しているかどうかはわからないということです。
まぁ当たり前のことですよね。
人間は嘘をつく生き物なのですから、言葉が常に額面通りであるとは限りません。
しかしこの当たり前のことがわからないという人がどうも最近増えているようなのです。
【映画やドラマを観て「わかんなかった」という感想が増えた理由】
このコラムには強く共感するものがありましたが、中でも「口では相手のことを『嫌い』と言っているけど本当は好き、みたいな描写が、今は通じない」というある脚本家の嘆きの言葉には、確かに、と納得するものがありました。
前述通り、私たち人間は嘘をつく生き物です。
今日嘘をついていないという人でも、一週間、さらには一ヶ月の間に一度も嘘をついていない、もしくは心の中で思っていたことと別のことを口にしていないという人はいないでしょう。
私たちは様々な理由、様々なシチュエーションで嘘をつくのです。
にもかかわらず、映画やドラマ、それに小説といったフィクションにおいては登場人物が本当のことしか口にしない、嘘をつかないというのはずいぶんおかしな話と言えます。
この件で個人的に思い出したのが、伊坂幸太郎の『残り全部バケーション』という小説です。
その小説の中で毒島という人物が「食べ歩きブログの管理人をしているのは岡田だ」というようなセリフを口にするシーンがあります。
このシーンから見て取れることは、毒島が「食べ歩きブログの管理人をしているのは岡田だ」と言ったことだけです。
毒島が「食べ歩きブログの管理人をしているのは岡田だ」と言ったからといって、食べ歩きブログの管理人をしているのが岡田であると確定するわけではありません。
なぜなら毒島が嘘をついているのかもしれないし、嘘をついていなくても何かしら勘違い、思い違い、事実誤認をしている可能性があるからです。
それらの可能性をすべて排除しない限り、食べ歩きブログの管理人が岡田であると確定することは出来ないはずです。
しかし、、、多くの人が食べ歩きブログの管理人が岡田だと思ってしまったんですよね。
自分はロジックを駆使してその考えが間違いであることを指摘しました(詳しいことは割愛しますが、論理的に考えると岡田は食べ歩きブログの管理人ではありえなかった)。
けれど、一度こうだと思い込んだ人たちの考えを翻すのは容易ではなかったですね。
猛烈な反発を喰らいました。
論理的に反論してくれるならいいんですけれど、彼らは結局毒島がそう言ったから、という限りなく曖昧で薄弱な根拠しか持ち合わせていないんですよ。
こちらが毒島の発言は事実であるとは限らない、と言っているにもかかわらず、です。
いろんなことを言われましたね。
深く考えたらそちらの考えが正しいのかもしれないけど、浅く考えたらそうではない、とか。
深く考えた時と浅く考えた時の答えが違っていたら、深く考えた時の答えが正しいと思うのだけれど。
常に物事を深く考える必要はないと思いますが(そうしていては疲れます)、物事を深く考える習慣がまったくない人たちは時に手に負えません。
そう言って優一は洋子の体をきつく抱きしめた。
「嬉しい、優一さん、愛してる…」
洋子の目からひとしずくの涙がこぼれた。
ここで問題です(心理クイズではありません)。
優一は果たして洋子のことを愛しているのでしょうか?
答えは「わからない」です。
優一は名うての結婚詐欺師なのかもしれないし、洋子の両親に深い恨みを抱いていて、彼女を復讐の道具として利用しようとしているのかもしれません。
もちろん心の底から彼女のことを愛している可能性もあります。
それはこの短い文章からは判別がつくことではありません。
間違いなく言えるのは「愛している」と言ったからといって本当に愛しているかどうかはわからないということです。
まぁ当たり前のことですよね。
人間は嘘をつく生き物なのですから、言葉が常に額面通りであるとは限りません。
しかしこの当たり前のことがわからないという人がどうも最近増えているようなのです。
【映画やドラマを観て「わかんなかった」という感想が増えた理由】
このコラムには強く共感するものがありましたが、中でも「口では相手のことを『嫌い』と言っているけど本当は好き、みたいな描写が、今は通じない」というある脚本家の嘆きの言葉には、確かに、と納得するものがありました。
前述通り、私たち人間は嘘をつく生き物です。
今日嘘をついていないという人でも、一週間、さらには一ヶ月の間に一度も嘘をついていない、もしくは心の中で思っていたことと別のことを口にしていないという人はいないでしょう。
私たちは様々な理由、様々なシチュエーションで嘘をつくのです。
にもかかわらず、映画やドラマ、それに小説といったフィクションにおいては登場人物が本当のことしか口にしない、嘘をつかないというのはずいぶんおかしな話と言えます。
この件で個人的に思い出したのが、伊坂幸太郎の『残り全部バケーション』という小説です。
その小説の中で毒島という人物が「食べ歩きブログの管理人をしているのは岡田だ」というようなセリフを口にするシーンがあります。
このシーンから見て取れることは、毒島が「食べ歩きブログの管理人をしているのは岡田だ」と言ったことだけです。
毒島が「食べ歩きブログの管理人をしているのは岡田だ」と言ったからといって、食べ歩きブログの管理人をしているのが岡田であると確定するわけではありません。
なぜなら毒島が嘘をついているのかもしれないし、嘘をついていなくても何かしら勘違い、思い違い、事実誤認をしている可能性があるからです。
それらの可能性をすべて排除しない限り、食べ歩きブログの管理人が岡田であると確定することは出来ないはずです。
しかし、、、多くの人が食べ歩きブログの管理人が岡田だと思ってしまったんですよね。
自分はロジックを駆使してその考えが間違いであることを指摘しました(詳しいことは割愛しますが、論理的に考えると岡田は食べ歩きブログの管理人ではありえなかった)。
けれど、一度こうだと思い込んだ人たちの考えを翻すのは容易ではなかったですね。
猛烈な反発を喰らいました。
論理的に反論してくれるならいいんですけれど、彼らは結局毒島がそう言ったから、という限りなく曖昧で薄弱な根拠しか持ち合わせていないんですよ。
こちらが毒島の発言は事実であるとは限らない、と言っているにもかかわらず、です。
いろんなことを言われましたね。
深く考えたらそちらの考えが正しいのかもしれないけど、浅く考えたらそうではない、とか。
深く考えた時と浅く考えた時の答えが違っていたら、深く考えた時の答えが正しいと思うのだけれど。
常に物事を深く考える必要はないと思いますが(そうしていては疲れます)、物事を深く考える習慣がまったくない人たちは時に手に負えません。