内田魯庵はトルストイ『復活』をどう評価したか 鴻巣友季子『明治大正翻訳ワンダーランド』 その4

2017年03月08日 | 

 4番連夜の鴻巣友季子明治大正翻訳ワンダーランド』サーガ。

 前回(→こちら)まで「超・訳者」である黒岩涙香先生の、フリーダムすぎる翻訳人生について語ったが、今回お伝えしたいのは、内田魯庵先生。

 魯庵先生は明治時代に活躍した翻訳者だが、先生が訳した作品の中に、トルストイの『復活』がある。

 大正期、ツルゲーネフが初めて日本語に訳されてから、ちょっとしたロシア文学ブームがあった。

 魯庵先生もその多分にもれず、ドストエフスキーに耽溺。

 『罪と罰』を三日三晩、不眠不休で一気読みして、ぶっ倒れたというのだから、すさまじい。

 勢いにのって『罪と罰』を日本語訳し出版。

 商業的にはふるわなかったものの、「名訳」として今なお評価が高いそうな。

 そんな魯庵先生、ひょんなことからトルストイの『復活』を訳して、新聞に連載するという仕事を受けることになった。


 「彼のような作家は前後1000年はあらわれない」


 とまで言い切るドストエフスキー好き好き大好きの魯庵先生だが、残念ながらトルストイとは、どうもそりが合わなかったよう。

 そうはいっても、引き受けた以上、紹介はせねばならない。

 そんな魯庵先生の心情が、連載第一回目の前書きにあらわれており、以下その文。


 「『復活』の翻訳を連載するに先立ちこの小説について一言言っておきたい」。


 ここから続けてが、すごい。


 「この小説は、おもしろくない小説である」。


 いきなり、それはないだろ!

 連載初日の開口一番に、おもしろくない。

 言い切ってますよ、魯庵先生。

 新聞小説史上前代未聞、空前にして絶後の前書きであろう。

 そこからも、


 「小説の体をなしていない」

 「ストーリーが単純すぎる」

 「説教くさい」

 「ここまで退屈な話もめずらしい」



 ハードパンチを連発。あまつさえ

 

 「新聞小説に向いていない」

 

 自らのレゾンデートルすら完全否定

 ここまでいってもいい足りないのか、魯庵先生はさらに連載第二回目には

 

 「読む前の心得」

 

 として「この小説はおもしろくない」とさらに強調した上で、


 「この作品は長編であり、後半はそこそこ読めるから最初の15、6回は辛抱して読んでいただきたい」。


 こうまで「つまらない」と書かれると、かえって読んでみたくなりそうなくらいである。

 辛抱するのが「15、6回」というのも、すごいぞ。こういうのは、まだしも「せめて2、3回くらいは」とか書きそうなものだが。

 15回もガマンして読まないよ、普通は。

 そしてとどめには、


 「小説としてではなく、ロシアの風俗習慣を学ぶ本として読んでいただきたい」


 「文学性」を完全否定。

 ダメ出しここに極まれりである。そりゃ、あんまりだ。

 そんな完全にじゃみっ子あつかいの『復活』だったが、皮肉なことに連載中は大好評で、トルストイの代表作として、大いに評価されることとなった。

 まさかの展開に、魯庵先生も、さぞや砂を噛む思いであったことだろう。

 


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