トップ棋士のスケジュールたるや、大変なものである。
史上最年少でのタイトル獲得から八冠制覇まで、超過密スケジュールで駆け抜けてきた藤井聡太八冠王。
その強さあまねきため、冬に対局数が激減していることが話題になっているが、なかなかにおもしろい現象である。
将棋にかぎらず、スケジュールをどう調整していくかはアスリートの仕事のひとつだが、これはなかなか自分の思い通りにはいかないわけで、むずかしそうではある。
前回は羽生善治九段の「どこでもドアでもないと、やってられんで!」という過密日程を紹介したが、将棋も意外と「体力」のいる仕事なのだ。
かつて五冠王になった中原誠十六世名人が、「全冠制覇」(当時は王座戦がタイトル戦でなく全部で六冠だった)をねらったものの、あまりの過密スケジュールで体調をおかしくし、棋王戦では加藤一二三棋王に敗れて大記録ならず。
プレッシャーや頂点に立ち続ける孤独感にもさいなまれ、数年後にはなんと無冠に転げ落ちてしまうのだから(ただしすぐタイトルに復帰)、激務の中で結果を出し続けるというのはレジェンドクラスでも至難なのだ。
また、この話題ではずせないのが、全盛時代の谷川浩司九段。
特に話題になったのが、1991年の年末。
このころの谷川は鬼のような強さで驀進中で、まだ覚醒前の羽生善治をボコっただけでなく、それまで手を焼いていた高橋道雄、南芳一といった「花の55年組」からタイトルを次々とはぎ取っていったころ。
そのあまりの強さに、
「他の棋士たちと、大駒一枚ちがう」
とまで称された谷川だったが、その対局日程がまたエゲツナイものだった。
1991年 12月
1日 棋王戦 加藤一二三九段〇
2日 NHK杯 木下浩一四段〇
3日
4日 竜王戦第5局 1日目
5日 第5局 2日目 森下卓六段〇
6日
7日 王将リーグ 中原誠名人〇
8日
9日
10日 棋聖戦第1局 南芳一棋聖〇
11日
12日 棋王戦 塚田泰明八段〇
13日 王将リーグ 屋敷伸之六段〇
14日
15日
16日
17日 竜王戦第6局 1日目
18日 第6局 2日目 森下卓六段〇
19日
20日 A級順位戦 高橋道雄九段●
21日
22日
23日
24日 棋聖戦第2局 南芳一棋聖〇
25日
26日 竜王戦第7局 1日目
27日 第7局 2日目 森下卓六段〇
28日
29日 王将戦プレーオフ 米長邦雄九段〇
30日
31日 王将戦プレーオフ 中原誠名人〇
これ以上ないくらいにギュウギュウに詰められている。
タイトル戦2つに王将リーグとかA級順位戦とか、どれもこれも大勝負ばかり。
しかも、ほとんどが中1日程度で、連戦もある。
棋聖戦の中1日でそこから2連戦とか、2日制の竜王戦から中1日で順位戦というのも鬼だが、クリスマスイブからの流れは常軌を逸している。
ふつうは順位戦やタイトル戦を戦った次の日は疲れで使い物にならないというし、ということはその次の日だって全然万全ではないはず。
そこを8日中5日が対局で、中身もタイトル戦と挑戦者決定戦とか濃厚すぎる。
おまけに、この間の成績がほとんどA級にタイトルホルダー相手で、それ以外が森下卓と屋敷伸之。
そんな「全員4番」のラインアップに12勝1敗(!)というのだから、なにもかもが色んな意味でメチャクチャではないか。
マジで「大駒1枚」は誇張でもなんでもなかったのだ。
まさに今では聞かない「馬車馬のごとく」とか「ワーカホリック」という言葉を思い起こさせる勢いである。
このときのことをおぼえているのは、年末の対局が話題になっていたから。
私は年末年始を寝正月の読書三昧で過ごすのを楽しみにしており、こんな時期に働きたくなんかないので、「イヤだなー」とか思っていた記憶があるのだ。
そもそも12月の29日に対局があるのも大変だけど、その次の挑戦者決定戦が大晦日ってのもすごい。
まあ、年内に挑戦者を決めないと七番勝負の準備とかにかかわってきたんだろうけど、それにしても忙しすぎである。
スタッフも冬休みが取れないし、里帰りも出来ないし、ご苦労様でした。
でもこれ、勝ってたからいいようなもののというか、逆に言えば勝ってたからこそ体がもったようなものかもしれない。
このペースで戦ってそこそこ負けてたら、ガックリきてガタガタになってたかもしれないものね。
だって下手するとこれ、棋聖を取れるアテはなくなり、竜王は取られて、順位戦は負かされて、しまいにゃ王将戦の挑戦逃した瞬間に年明けとかになってた可能性だってあるわけで、そんなもんどうやって新年迎えりゃええのよ。