先日の棋王戦第3局は衝撃の結末だった。
先手番で28連勝(!)と無敵状態の藤井聡太五冠に対して、渡辺明棋王・名人が後手番ながらリードを奪うと、そのまま勝勢を築き上げる。
だが、明快な決め手をひとつ逃しただけで、おかしくなるのが将棋の終盤戦のおそろしいところで、まだ渡辺がリードを保つも混戦に突入。
その後も、後手勝率が95%を超える時間も長かったが、勝ちを逃した精神状態に藤井の巧妙なねばりに勝負手もあって、いつしか泥仕合に。
いくら客観的には「勝ってます」と言われても、そんなもん当人たちは知る由もないし(それにしても△37桂とか森内俊之九段は手が見えていたね)、1分将棋にくわえて、局面もゴチャゴチャした状態が延々と続いて、わけがわからない。
評価値を参照しながら観ている初心者の方や、あまり実戦経験のない人からすれば、
「おかしいなあ。なんで、こんな簡単な手が指せないの?」
「悪手だらけで、二人とも超よえーじゃんw」
みたいに見えるかもしれないけど、こんなんもん、やってる方は「そんなん言われても」という話なのだ。
いわゆる「評価値がアテにならない」という、将棋のおもしろさのエッセンスが一番詰まった戦いだが、最後に抜け出したのは、やはり藤井だった。
必敗の局面を根性と腕力でひっくり返し、ついに勝ちをその手にたぐり寄せた。
正直、この局面を前にして私はあきれ返っていた。
これを勝つんかい! あの渡辺明がこの将棋を勝てないのなら、もうこれからは100戦やって100連勝やん。
マジか、えげつないな。見ている方は「六冠王おめでとう」ですむけど、こんなん他の棋士からしたら絶望しかないよなー。朝日杯もすごかったしなー。
なんて「ぼんち揚げ」をボリボリ食べながら考えていたら、なんとここで藤井が指したのが▲26飛。
世に「噴飯」という言葉があり、要するに「お茶吹いた」ってことなんだけど、私の場合はぼんち揚げの粉が、桜島の噴火のごとく部屋に舞い散った。
ちょ、ちょっと待てーい!
尾崎放哉のしょうもな……自由律俳句のごとく、ひとりで咳に苦しむ私を尻目に、一瞬にして評価値は99-1から1-99へ。
ここでは▲25歩と打てば、藤井が詰め将棋の名手であることを持ち出すまでもないほどの、それほど難解でもない詰みのはずだった。
まさかこの流れで再逆転があると思えず、また詰まないのも打ち歩詰がからんでピッタリ逃れていたりとか、まさに「勝ち将棋鬼のごとし」。
なんだか渡辺がかつて、羽生善治九段の「永世七冠」を阻止したときのようなドラマではないか。
そうえいば、あのときは3連敗から4連勝で逆転したっけ。
こちらがお茶を飲んで落ち着くにつれ、すでに先手に勝ちがない状態がハッキリとしてきた。
その後は投げきれない藤井が、めずらしく落胆をモロに表していたりしながら、勝ち目のない局面を指し続けたけど、気持ちはわかる。
勝ってれば「史上最年少六冠王」だし、これで名人戦プレーオフに王将防衛戦とはずみがつくのに。
また、ここでシリーズが終われば、タイトなスケジュールも多少マシになるとか、別にそんな邪念が入ったわけでもないだろうけど、まさに茫然。
こんなこともあるんだねえ。まあ疲れもあるんだろうなあ。大勝負に出ずっぱりだものなあ。
以前、藤井猛九段が、
「どんな大差の将棋でも不思議なことに、かならず一回はチャンスが来るんですよ」
と言ったあと、
「でも、苦しい局面を延々と考えて疲れちゃうし、時間も使わされてるから、いざという時に逆転の手を指せないんだよね」
なんてことをおっしゃってましたが、まさにその通りの幕切れ。
将棋はこういうこともあるから「貴重な経験」と思うしかないし、むしろそうできるかが試されるところ。
そうえいば、羽生善治九段が昔、竜王戦の挑戦者決定戦で丸勝ちの局面で「一手トン死」を食らった有名な将棋があるけど、そのときの羽生は、おそらく「全力で勝ちにいって」その後2連勝し、大ポカを無理くり「なかったこと」にしてしまった。
藤井もまた、番勝負だったことが幸運だったわけで、ここで踏ん張ってこれを「なかったこと」にできるのかどうか。
いや、藤井は棋王戦だけではなく、広瀬章人八段とのプレーオフに、世紀の決戦となった王将戦もある。
移動日や取材もふくめれば、気持ちを切り替えるインターバルは絶望的に少ないが、果たしてどうなるのか。
無敵の王者にブレは生じるのか。
「どうせ藤井が勝つ」という予定調和に穴が空き、他の棋士たちの逆襲のキッカケになるのか。
いやいやもう3月の将棋界は、超おもしろくなってきたんですけど!
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