ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

ファンの集い①

2007年08月31日 | ルネ・ファン・クラブ
 ルネが4度目の来日中の1975年3月22日に、ファン・クラブ「メープル・メイツ」のファンの集いが行われました。ファンの集いはこれで2回目。ルネもファン・クラブ会員も大変楽しみにしていたイベントでした。
 私も参加したかったのですが、スプリング・コンサートも含め、親に認めてもらえず泣く泣く断念。『次回こそは絶対に行ってやるっ!!』と意気込んでいたのに、ルネの5度目の来日はそれから8年後の1983年3月、東京音楽祭世界大会の特別ゲストとして招待されたためでした。

 なお、今回の記事はメープル・メイツの会誌№3から、1回目の集いについては、会誌№2から次回紹介いたします。


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          ファンの集い

メイプルメイツの第二回の集いは、三月二十二日(土)場所は東京の六本木のレストラン「チャルダ」という店で、午後二回にわかれて計百五十名のメイツの前で開催されました。当日はルネのこの集いを待ちわびたように、素晴らしい天気に恵まれ、開催数時間前から、店の前に列が出来て並んでまっているメイツの人達で、店の係員やメイプルのスタッフを驚かせました。
ルネもこのメイツの集いは大変期待していたスケジュールのひとつであったようで、来日した時から、この集いの内容を質問したり、色々と注文を出して、この集いを成功させたいようでした。
みんなとお茶をのんだり、ケーキを食べたりしそして、みんなの前で四曲ほど歌い、みんなからの質問、またみんなと一緒に歌ったり、メイツののど自慢大会、さらにはスタッフも出演させられたりするハプニングもあり、大変楽しい集いでした。
リンやギーさんも大変楽しそうで、みんなに歌わさせられたりしてにぎやかな数時間でした。
遠くは大阪から、わざわざこの集いに参加するために上京したメイツや、二回連続して参加したメイツで会場はムンムンした熱気に終始つつまれ、大変充実した一日でした。
ルネもみんなも次回のメイツの集いを約束して、みんなで歌いながらサヨナラをして、この集いを終わりました。メイツの人達も満足そうに帰っていきました。ルネも思い出になったと言ってこの集いの成功を喜んでいました。









※画像上2つは、ファン・クラブ会誌№3より
※画像下2つは、福岡の私設ファン・クラブの通信販売で購入したものの中からアップいたしました。

※カナダのファン・サイトの管理人さんやPassionReneSimardAuJaponのしゃむねこさんからの強い勧めも有り、今回の画像から当ブログ名のウォーター・マークが入っています。

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ルネ・シマール・ファン・クラブ”Maple Mates(メープル・メイツ)”

2006年06月13日 | ルネ・ファン・クラブ
 ルネにも日本の公認ファン・クラブがありました。ルネがケベック出身の仏系カナダ人だったため、その名も「メープル・メイツ」。「ミドリ色の屋根」の歌詞の下に紹介が載っていて、私も会員の一人でした。ルネ・ブームに乗って会員数は結構多かったと思いますが、ルネの来日が無くなり、変声期を迎えると活動も停止されてしまいました。ルネが忘れられてしまった原因の一つは、日本での活動期間が短かったのと、変声して「天使の歌声」と称された美声を失ったためと考えられます。それ以外にも、外国人が日本語を話す時の独特の発音のせいで、段々と飽きられてしまったという人もいます。どちらにしても、現在ルネのことを覚えている人は少なくなってしまいました。以前に「さんまの明石家多国籍軍」という番組でルネが取り上げられた時、ゲストの和田アキ子さんも全く知らないようでした。でも、同コーナーで一番リクエストが多かったのは、ルネだったと聞いています。

 メープル・メイツは当時入会金1,000円、会費月額200円。お小遣い月1,000円の中学生の私は、次々に発売されるLPレコード(当時2,200円)やシングル・レコード(当時500円)もファン・クラブ情報をもとに、お年玉等をコツコツと貯めて購入していました。会報誌は№1~№3と「RENE総集編」、「Rene Simard」(写真集?)まで出ましたが、入会が遅れた私は№1を持っていません。それは現在でも私の幻の1品の1つです。(どなたかお持ちではないですか?)また、来日中の活動予定や出演番組等の情報もあり、現在ルネ・ファンとしての活動はライフ・ワークとなっている私にとって、田舎娘の私とルネをつなぐ唯一のものでした。当時の会報やレコードは、いまだに私の宝物として嫁ぎ先でも大切に保管されています。カナダのレコードやCDも含め、これらのコレクションを、私が死んだら誰に託すべきか・・・・なんて、真剣に悩んだりしているルネ病の私です。 
コメント (4)
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