受賞した日だから『ルネ記念日』
今から38年前の1974年6月30日(日)、東京の帝国劇場で第3回東京音楽祭世界大会最終決勝大会が開催されました。
今回は新しく入手した音楽情報誌の記事と、みなさんがよくご存じでありながらも、ちょっと珍しい画像も紹介したいと思います。
第3回東京音楽祭世界大会
わずか13歳のカナダの少年
ルネ・シマールが大賞獲得!
こちらの記事が掲載された雑誌は、音楽情報誌といっても、レコード店や音楽関係者向けに出版された専門誌。
東京音楽祭は、全世界に向け、日本で開催された音楽祭でした。それにも増して、その豪華な審査員やゲスト、出場者の顔ぶれに、当時の音楽業界では注目の的だったようです。
特に第3回世界大会最終決勝大会は、特別審査員としてフランク・シナトラ、ゲストにシャーリー・パッシーが出席して大変華やかな祭典となりました。
この大会では、ザ・スリーディグリーズがグランプリの大本命であったこと、そして、無名のカナダの少年歌手だったルネ・シマールが、その予想を覆し、フランク・シナトラの一言でグランプリとフランク・シナトラ賞を受賞したこと、一夜にして世界のスターになり、日本におけるルネ・ブームを巻き起こしたことは、ルネ・ファンなら誰もが知っている有名な話です。それについては、ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」の会報やたくさんの雑誌で大きく取り上げられました。また、以前紹介いたしました宮住俊介氏のエッセイには、当時のALFAレコードでのことが詳しく書かれていますので、氏のサイトでお読みください。
※宮住俊介
音楽プロデューサー・Shun Miyazumi のエッセイ!
/ (株)シュン・コーポレーション
「ルネ・シマール」http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi/archives/52230454.html
「ルネ・シマール その2」http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi/archives/52233078.html
「ルネ・シマール その3」http://blog.livedoor.jp/woodymiyazumi/archives/52234335.html
そして、2010年に出版されたなかにし礼氏の小説「世界は俺が回してる」(角川書店発刊 1,890円)でも、その時の裏話が書かれています。
「ギョロナベ」と呼ばれたテレビ業界の重鎮、亡き渡辺正文氏がどのようにして東京音楽祭を作り上げていったかも描かれており、ルネ・ファンにとって大変興味深い一冊です。
第3回東京音楽祭世界大会については、、特別審査員に招かれたフランク・シナトラ氏のエピソードや、当時アルファ・アンド・アソシエイツのプロデューサーで、ルネの歌に惚れ込んで日本デビューを手掛けた川添象郎氏とのやり取りなどが書かれていました。その一部を紹介いたします。
昭和49年(1974年)6月30日、東京音楽祭世界大会が帝国劇場で開催された。特別審査員にフランク・シナトラを、スペシャル・ゲストにシャーリー・パッシーを迎え、会場は異様な熱気につつまれていた。
下手の舞台袖を歩いていると、川添象郎とばったり会った。
「ナベさん、ルネ・シマールに大賞おくれよ」
「そんなの無理に決まっているだろう。なんてったってスリー・ディグリーズの『天使のささやき』は圧巻だぜ。やつらがグランプリとらなくて誰がとるんだい」
「でもさ、スリー・ディグリーズがグランプリとったって別に誰も驚きやしないけどさ、一夜にしてスターが誕生したら大ニュースじゃないか」
川添象郎がカナダの少年スターに目をつけ、モントリオールまで直談判に行き、その承諾を取り、日本でカラオケを作り、それを持ってモントリオールへ行ってレコーディングし、それをソニーレコードから発売するに至ったことは知っていた。プロデューサーである象郎の熱意は分かるけれど、13歳の少年が大賞に輝く場面はどうしても想像できなかった。
「象太郎、そんな夢は見ないほうがいいと思うよ」
「そうかなあ。奇跡は起きるものじゃなくて、起こすものだと思うけどなあ」
「そんなもの、起きねえよ」
ところがである。全歌手のパフォーマンスが終わって、審査員室へ行ってみると、審査員たちの意見がスリー・ディグリーズを推す組とルネ・シマールを推す組とに大きく二分していた。
正文はスリー・ディグリーズ派であり、フランク・シナトラも当然そうであると思い、
「この際、特別審査員のシナトラさんに決めていただきたいと思いますが、いかがでしょうか」
みな賛成であった。
が、シナトラは意外なことを言った。
「私はまずフランク・シナトラ賞をルネ・シマールにさし上げようと思います。したがって、グランプリはルネ・シマールがふさわしいと思います」
審査員たちはどっと拍手した。
司会の三木鮎郎がこれを発表した時、会場は大喝采であり、『ミドリ色の屋根』(さいとう大三作詞、村井邦彦作曲)を泣きながら歌うルネ少年の肩をシナトラがそっと抱きしめた時など、正文までが泣きそうになった。
「ナベさん、少年の魔法が奇跡を起こしたんですよ」
象郎はにこにこしている。
正文は、象太郎にしてやられたと思った。が、東京音楽祭は大成功であった。
全編を通して読んでみたいと思った方は、是非お買い求めください。この小説で紹介されている歌をまとめた同名のCDも発売されています(当ブログのトップ・ページ、『最新情報』参照)。もちろんルネの「ミドリ色の屋根」も収録されていますよ♪
▲第3回東京音楽祭世界大会のちらし
記載された内容については、過去ログ「第3回東京音楽祭世界大会のちらし」でお読みください。
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/359.html
そしてこちらは、ルネが獲得した第3回東京音楽祭世界大会のグランプリ・トロフィー♪ そして、ルネとザ・スリー・ディグリーズのサインと写真。
今日は地元の八雲神社の「茅の輪くぐり」の日。犯した罪や穢れを除き去るための祓えの行事で、6月の大祓を夏越の祓(なごしのはらえ)といい、夏越神事「六月祓」とも呼ばれているそうです。
先々週の土曜日から伝染性単核球症にかかって熱が続いていた息子の体調も落ち着き、取りあえず血球貪食症候群の危機は免れたようです。まだ油断できませんが、食欲も出て暇を持て余している息子を連れて、厄落としにドライブがてら、ちょっと行って来たいと考えていますが…。
38年前のこの日、このお祭りに行っていて東京音楽祭を見逃した私は、ルネ・ファンとしてのスタートを大幅に遅らせることになるのでした。しかし、日頃からあまり歌謡番組を観ない家庭でしたから、たとえ祭に行かなかったとしても、この番組を観ていたかどうか…。ニュースか、父が好きなプロ野球のナイター中継を観ていたかもしれません。
そして、スタートで出遅れた上に、コンサートに行くことを両親から許してもらえた時にルネの来日は無く、ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」も閉鎖。そのためファン熱は不完全燃焼のままくすぶり続け、想いは色褪せることなく、「何とかの一念」で38年貫き通すことになるのですから、人生どう転ぶか分からないものです。
余談ですが、当ブログで使っている「ルネ友」は私による造語です。同じような使い方をする(?)、「たまごっち」の『たまとも』を知ったのはずっと後のことでした。
第3回東京音楽祭世界大会が開催された6月30日も、私にとっては特別な日ですが、カナダでは、明日7月1日のカナダ建国記念日で盛り上がっています。
そして、いよいよ7月3日はルネのコメディー・ミュージカル「雨に唄えば」の初日です。カナダのファンの方たちはそれぞれに観に行くようです。そして、それを受けてGiseleさんとSohieさんは、Passion Rene Nathalie et Regis Simardに今年の秋から冬にかけて映像をアップするので忙しくなるということでした。facebookでルネや「雨に唄えば」の映像や画像がたくさん公開されることでしょう。ルネの第3回東京音楽祭世界大会の様子を記録した”Rene Simard au Japon”も追ってアップすることを約束してくださっていますので、まだのみなさまも、是非facebookでお友だちになりましょう