Joyeuses Pâques a tous!!
Happy Easter!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/80/1f4d3745231d74924783147cfa08e05b.jpg)
今日はイースター。
そして、1983年3月27日は、日本武道館にて第12回東京音楽祭世界大会が行われた日でした。
ルネは妹ナタリー・シマールを日本でデビューさせるために、プレゼンターで出演しました。前夜祭では2人で「ミドリ色の屋根」をデュエットし、ナタリーは日本でのデビュー曲「5月の手紙」も歌いました。
私は、ルネの来日を求める署名が聞き届けられ、ルネの再来日に最もふさわしい、東京音楽祭世界大会に合わせて招待されたのだと思っていましたが、当時一人暮らしでテレビがなかったため、ナタリーが日本デビューのためにTV出演し、ルネはそのために同行していただけのような来日だったと知ったのは、ずっと後のことで、とてもショックでした。
そして、それから数年後の1987年か1988年、ルネはフジテレビの「今夜だけ復活! 栄光のアイドルスター達」に出演するため再び来日しました。それについて報じたカナダの新聞記事があります。しかし、カナダでの報道とは少し違っていました。
▲「今夜だけ復活! 栄光のアイドルスター達」で「ミドリ色の屋根」と「ジャンバラヤ」を歌うルネ
※同番組で紹介された豊川誕の後方にルネが映っている映像
「汚れなき悪戯by豊川誕」https://www.youtube.com/watch?v=as6GYCWN5qM
(豊川誕はアルバムに「ミドリ色の屋根」を収録しています)
ルネは妹ナタリー・シマールとデュエットしている"Tourne la page"を 日本語で歌い、日本での活動を再開する計画でいたようです。村井邦彦氏やALFAレコードの名前が出ており、活動再開のために招かれたように書かれていました。
実際には、出演した番組の中で、ルネがフジテレビ系列で放送されていた音楽番組「ミュージックフェア」で、カーペンターズの「ジャンバラヤ」を歌った時の映像と「ミドリ色の屋根」のレコード・ジャケット画像が流され、ルネ自身が『ミドリ色の屋根』を歌っただけでした。「今夜だけ復活」という番組のタイトルが知らされていたのかどうかも、カナダの新聞記事の内容から考えると疑問です。そのためか、その後ルネがTV番組出演のために来日することは有りませんでした。
10年位前に、ルネとコンタクトを取ろうとしていたTV局の女性がいらっしゃいましたが、その時の番組にはルネの出演はなく、ルネの近況的なものがちょっと取り上げられただけだったそうです。
『明石家多国籍軍』というバラエティー番組でルネについてのリクエストがたくさん来て、番組のリポーターがカナダまで取材に行き、自宅に伺った時は、とても気さくに対応してくれました。しかし、2003年に「エルビス・ストーリー」の日本公演で舞台演出のために来日したものの、歌手としての来日はありません。
ルネが来日するためには、TV局等からの招待がなければならないそうです。でも、前述の通り、「あの人は今」的な番組に、ルネはもう2度と出演しないと思います。もちろん、ルネがケベックのファンを大切に思い、ケベックでの活動を中心に考え、ベテラン歌手として、また、プロデューサーや司会者として大きな仕事を抱えているので、来日している余裕も無いと思います。
私はこの記事のタイトルを初めて見た時、もっと違った内容を想像してワクワクしていました。しかし、その内容を読んだ時、ルネが日本に裏切られたように感じ、ショックでしばらくの間この記事をしまい込んでいました。でも、きちんと最後まで訳して、ルネ友のみなさま方にも知っていていただきたくて、改めて和訳に踏み切りました。私の乏しい仏語の知識では、翻訳が違っているところがあるかもしれませんが、参考にしていただければ幸いです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/d9/35ab5f769eef36d0ac5cdec18faeea8e.jpg)
ルネ・シマール:東京での復帰
日本人は彼を忘れていなかった
日曜日、彼はフジテレビ系の特別番組のスターの1人である
もちろん日本人と、何よりも日本女性はルネ・シマールを忘れてはいなかった。そして、その歌手が再び来日した時、そこで停止していた彼の活動が再び始まった。人々は、もし普通ならば、来日する全てのスターの中から、彼のことが記事に取り上げられたことで、そのことを同じように信じるに至るだろう。
そう、ルネ・シマールは本当に日本航空機で、木曜日に日本へ飛び立った。彼は、大変ポピュラーな日本のアーティスト数人と肩を並べるようなスーパー・スターである。その1時間半番組はフジテレビ系で放送される予定である。ルネは、東京音楽祭でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得した、有名な1974年の大成功を収めた日本を再び訪れることを、大変幸せに思っている。この国において、彼が人気絶頂だった時、彼は容易に街を出歩けない程で、サインを求めるか、ただ単に、より近くで彼を見ようとするファンたちに絶えず悩まされた。
この人気はまだ終わっていない。成長した英雄のように彼を見つめる若い女性たちは、彼を忘れていなかった。モントリオールでルネが日本大使館を通った時、日本人たちはすぐに彼だと分かってサインを求めた。
<偶然に>
これはまず、ギー・クルティエがカンヌ・グランドホテルのエントランスホールで、東京音楽祭の主催者、村井邦彦氏とALFAレコードの主宰者と偶然出会ったことから始まった。これは、ギー・クルティエが、1974年にルネを日本で売り出した時に取り引きした人物とである。直ちに村井邦彦氏は、彼の国で再登場させるためにこの歌手を招いた。
それと同時に、相談無しで、別の日本のショー・ビジネスの重要人物であるKato Hudjiが、ギー・クルティエのオフィスに電話をかけ、彼のチームはこの申し出に合意した。それは確かに、日出ずる国にルネが復帰する時の合図であった。
<日本語版“Tourne La Page”>
ルネ・シマールは指を組んだ。彼が1974年における成功と同じように成功するというのは、おそらく彼が、日本語で“Tourne La Page”を録音するであろうからだ。それはナタリーにとっても同様に大きな出発点となる時であろう。確かにこの日本の取り引きを無視するべきではない。人々は、彼が、1974年に歌った“Non Ne Pleure Pas”の日本語版「ミドリ色の屋根」で、百万枚以上のレコードを売り上げた歌手であることをすぐに思い出すだろう。ルネとナタリーのビデオ・クリップを、日本での重大な取り引きの場で示す時なのだ。
より大きな発展を目指し、ルネは日曜日の番組出演に向けて集中した。彼は1974年の成功について、他の理由から話す予定である。その特別番組を観るテレビ視聴者は30万人になることだろう。
ルネは、日本に8日間滞在する予定である。彼の傍らで彼自身の経歴と共に、成功を知っているマリー=ジョゼは、その間、彼に同行しない。それは、夫婦は別個という最初の約束だからである。彼女は、彼のためにとても幸福であり、彼の帰りを待ちかねている。
1987年8月8日に結婚したばかりの新妻マリー=ジョゼは、2人の結婚の最初の約束で、同行しなかったとのこと。また、この番組のプロデューサーかディレクターと思われるKato Hudjuとは誰なのか? 日本のショー・ビジネスの重要人物とありますが、少なくともフジテレビの社長ではないようです。「フジテレビ系番組製作会社の加藤氏」といったところでしょうか?
この記事は、「ミドリ色の屋根」を作曲した村井邦彦氏の招きにより、ルネが日本での活動を再開させると信じている書き方でした。しかし、この来日で、私が知る限りでは、ルネのカナダの歌が紹介されることは無かったし、これ以外の番組に出演することも無かったと思います。もちろん、ルネとナタリーの“Tourne La Page”が日本語に訳されたり、日本でリリースされたりした事実はありません。また、クルティエ氏が村井邦彦氏と偶然会ったというカンヌ・グランドホテルが、国際音楽見本市の会場だったと推測すれば納得出来ます。1975年の3回目の来日の帰りに、ルネはこの見本市に行っていました。
https://www.facebook.com/Lovelycatslife/photos/a.207608105984905.54139.120885801323803/975375219208186/?type=3
Rene et Nathalie Simard - Tourne la Page ( Clip Stereo + Original )
この記事から推察すると、ルネは、日本でナタリーと一緒に活動を再開し、ALFAレコードから日本語で“Tourne La Page”をリリースする計画でビデオ・クリップを持参して、その取り引きをするために来日したのだと思います。前出の番組はそのデモンストレーションとして出演したのでしょう。しかしながら、日本側とカナダのギー・クルティエ・プロダクションとの間には考えの行き違いが有ったのだと思います。また、1987年当時、もちろん今現在でも、日本では男女のデュエットはあまり見かけません。「夢をもう一度」企画だったナタリーの日本デビューが空振りだったこともあり、ルネとナタリーのデュエットは、日本でヒットが見込めないと判断され、実現には至らなかったのではないかと思います。これは私の憶測でしかありませんが…。ちなみに、この番組は夜7時からの2時間番組でした。
ルネ友のみなさまは、この新聞記事を読んでどう思われましたか? 私は、ルネとナタリーが日本語で歌う“Tourne La Page”を是非聴いてみたかったです。
<追記>
ルネからのイースターのメッセージ(原文と画像)
Joyeuses Pâques à vous chers amis!
Je vous souhaite une belle journée pleine d'amour... et quelques gâteries spéciales pour les gourmands comme moi!
親愛なる友人たち、幸せなイースターをお過ごしください!
私はみなさまに愛に満ちた美しい1日と…私のような美食家(食いしん坊)のための特別なお菓子を望みます。(直訳)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/89/429d754d462e9bb81d16ddf2da70ce81.jpg)
※facebookの公式ページ"Rene Simard"
https://www.facebook.com/renesimard2016/?fref=ts
Happy Easter!
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今日はイースター。
そして、1983年3月27日は、日本武道館にて第12回東京音楽祭世界大会が行われた日でした。
ルネは妹ナタリー・シマールを日本でデビューさせるために、プレゼンターで出演しました。前夜祭では2人で「ミドリ色の屋根」をデュエットし、ナタリーは日本でのデビュー曲「5月の手紙」も歌いました。
私は、ルネの来日を求める署名が聞き届けられ、ルネの再来日に最もふさわしい、東京音楽祭世界大会に合わせて招待されたのだと思っていましたが、当時一人暮らしでテレビがなかったため、ナタリーが日本デビューのためにTV出演し、ルネはそのために同行していただけのような来日だったと知ったのは、ずっと後のことで、とてもショックでした。
そして、それから数年後の1987年か1988年、ルネはフジテレビの「今夜だけ復活! 栄光のアイドルスター達」に出演するため再び来日しました。それについて報じたカナダの新聞記事があります。しかし、カナダでの報道とは少し違っていました。
▲「今夜だけ復活! 栄光のアイドルスター達」で「ミドリ色の屋根」と「ジャンバラヤ」を歌うルネ
※同番組で紹介された豊川誕の後方にルネが映っている映像
「汚れなき悪戯by豊川誕」https://www.youtube.com/watch?v=as6GYCWN5qM
(豊川誕はアルバムに「ミドリ色の屋根」を収録しています)
ルネは妹ナタリー・シマールとデュエットしている"Tourne la page"を 日本語で歌い、日本での活動を再開する計画でいたようです。村井邦彦氏やALFAレコードの名前が出ており、活動再開のために招かれたように書かれていました。
実際には、出演した番組の中で、ルネがフジテレビ系列で放送されていた音楽番組「ミュージックフェア」で、カーペンターズの「ジャンバラヤ」を歌った時の映像と「ミドリ色の屋根」のレコード・ジャケット画像が流され、ルネ自身が『ミドリ色の屋根』を歌っただけでした。「今夜だけ復活」という番組のタイトルが知らされていたのかどうかも、カナダの新聞記事の内容から考えると疑問です。そのためか、その後ルネがTV番組出演のために来日することは有りませんでした。
10年位前に、ルネとコンタクトを取ろうとしていたTV局の女性がいらっしゃいましたが、その時の番組にはルネの出演はなく、ルネの近況的なものがちょっと取り上げられただけだったそうです。
『明石家多国籍軍』というバラエティー番組でルネについてのリクエストがたくさん来て、番組のリポーターがカナダまで取材に行き、自宅に伺った時は、とても気さくに対応してくれました。しかし、2003年に「エルビス・ストーリー」の日本公演で舞台演出のために来日したものの、歌手としての来日はありません。
ルネが来日するためには、TV局等からの招待がなければならないそうです。でも、前述の通り、「あの人は今」的な番組に、ルネはもう2度と出演しないと思います。もちろん、ルネがケベックのファンを大切に思い、ケベックでの活動を中心に考え、ベテラン歌手として、また、プロデューサーや司会者として大きな仕事を抱えているので、来日している余裕も無いと思います。
私はこの記事のタイトルを初めて見た時、もっと違った内容を想像してワクワクしていました。しかし、その内容を読んだ時、ルネが日本に裏切られたように感じ、ショックでしばらくの間この記事をしまい込んでいました。でも、きちんと最後まで訳して、ルネ友のみなさま方にも知っていていただきたくて、改めて和訳に踏み切りました。私の乏しい仏語の知識では、翻訳が違っているところがあるかもしれませんが、参考にしていただければ幸いです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/d9/35ab5f769eef36d0ac5cdec18faeea8e.jpg)
ルネ・シマール:東京での復帰
日本人は彼を忘れていなかった
日曜日、彼はフジテレビ系の特別番組のスターの1人である
もちろん日本人と、何よりも日本女性はルネ・シマールを忘れてはいなかった。そして、その歌手が再び来日した時、そこで停止していた彼の活動が再び始まった。人々は、もし普通ならば、来日する全てのスターの中から、彼のことが記事に取り上げられたことで、そのことを同じように信じるに至るだろう。
そう、ルネ・シマールは本当に日本航空機で、木曜日に日本へ飛び立った。彼は、大変ポピュラーな日本のアーティスト数人と肩を並べるようなスーパー・スターである。その1時間半番組はフジテレビ系で放送される予定である。ルネは、東京音楽祭でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得した、有名な1974年の大成功を収めた日本を再び訪れることを、大変幸せに思っている。この国において、彼が人気絶頂だった時、彼は容易に街を出歩けない程で、サインを求めるか、ただ単に、より近くで彼を見ようとするファンたちに絶えず悩まされた。
この人気はまだ終わっていない。成長した英雄のように彼を見つめる若い女性たちは、彼を忘れていなかった。モントリオールでルネが日本大使館を通った時、日本人たちはすぐに彼だと分かってサインを求めた。
<偶然に>
これはまず、ギー・クルティエがカンヌ・グランドホテルのエントランスホールで、東京音楽祭の主催者、村井邦彦氏とALFAレコードの主宰者と偶然出会ったことから始まった。これは、ギー・クルティエが、1974年にルネを日本で売り出した時に取り引きした人物とである。直ちに村井邦彦氏は、彼の国で再登場させるためにこの歌手を招いた。
それと同時に、相談無しで、別の日本のショー・ビジネスの重要人物であるKato Hudjiが、ギー・クルティエのオフィスに電話をかけ、彼のチームはこの申し出に合意した。それは確かに、日出ずる国にルネが復帰する時の合図であった。
<日本語版“Tourne La Page”>
ルネ・シマールは指を組んだ。彼が1974年における成功と同じように成功するというのは、おそらく彼が、日本語で“Tourne La Page”を録音するであろうからだ。それはナタリーにとっても同様に大きな出発点となる時であろう。確かにこの日本の取り引きを無視するべきではない。人々は、彼が、1974年に歌った“Non Ne Pleure Pas”の日本語版「ミドリ色の屋根」で、百万枚以上のレコードを売り上げた歌手であることをすぐに思い出すだろう。ルネとナタリーのビデオ・クリップを、日本での重大な取り引きの場で示す時なのだ。
より大きな発展を目指し、ルネは日曜日の番組出演に向けて集中した。彼は1974年の成功について、他の理由から話す予定である。その特別番組を観るテレビ視聴者は30万人になることだろう。
ルネは、日本に8日間滞在する予定である。彼の傍らで彼自身の経歴と共に、成功を知っているマリー=ジョゼは、その間、彼に同行しない。それは、夫婦は別個という最初の約束だからである。彼女は、彼のためにとても幸福であり、彼の帰りを待ちかねている。
1987年8月8日に結婚したばかりの新妻マリー=ジョゼは、2人の結婚の最初の約束で、同行しなかったとのこと。また、この番組のプロデューサーかディレクターと思われるKato Hudjuとは誰なのか? 日本のショー・ビジネスの重要人物とありますが、少なくともフジテレビの社長ではないようです。「フジテレビ系番組製作会社の加藤氏」といったところでしょうか?
この記事は、「ミドリ色の屋根」を作曲した村井邦彦氏の招きにより、ルネが日本での活動を再開させると信じている書き方でした。しかし、この来日で、私が知る限りでは、ルネのカナダの歌が紹介されることは無かったし、これ以外の番組に出演することも無かったと思います。もちろん、ルネとナタリーの“Tourne La Page”が日本語に訳されたり、日本でリリースされたりした事実はありません。また、クルティエ氏が村井邦彦氏と偶然会ったというカンヌ・グランドホテルが、国際音楽見本市の会場だったと推測すれば納得出来ます。1975年の3回目の来日の帰りに、ルネはこの見本市に行っていました。
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Rene et Nathalie Simard - Tourne la Page ( Clip Stereo + Original )
この記事から推察すると、ルネは、日本でナタリーと一緒に活動を再開し、ALFAレコードから日本語で“Tourne La Page”をリリースする計画でビデオ・クリップを持参して、その取り引きをするために来日したのだと思います。前出の番組はそのデモンストレーションとして出演したのでしょう。しかしながら、日本側とカナダのギー・クルティエ・プロダクションとの間には考えの行き違いが有ったのだと思います。また、1987年当時、もちろん今現在でも、日本では男女のデュエットはあまり見かけません。「夢をもう一度」企画だったナタリーの日本デビューが空振りだったこともあり、ルネとナタリーのデュエットは、日本でヒットが見込めないと判断され、実現には至らなかったのではないかと思います。これは私の憶測でしかありませんが…。ちなみに、この番組は夜7時からの2時間番組でした。
ルネ友のみなさまは、この新聞記事を読んでどう思われましたか? 私は、ルネとナタリーが日本語で歌う“Tourne La Page”を是非聴いてみたかったです。
<追記>
ルネからのイースターのメッセージ(原文と画像)
Joyeuses Pâques à vous chers amis!
Je vous souhaite une belle journée pleine d'amour... et quelques gâteries spéciales pour les gourmands comme moi!
親愛なる友人たち、幸せなイースターをお過ごしください!
私はみなさまに愛に満ちた美しい1日と…私のような美食家(食いしん坊)のための特別なお菓子を望みます。(直訳)
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