ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

シマール家の紹介記事1971年12月24日号③

2024年12月21日 | ルネの家族

 今日は冬至 そして来週はクリスマス ルネ友のみなさまは、ルネへのクリスマス・メッセージの準備は進んでいますか? 

 12月12日(木)に初日を迎え、1月5日(日)まで行われるルネが監督を務めるミュージカル『La famille Addamsアダムス・ファミリー』のクリスマス公演は大好評です

 

 そして今回は、1971年12月24日号として発行された新聞記事のルネ・シマール特集の3回目で完結です。

 

 

RENÉ SIMARD...

SON PÈRE SE VIDE le COEUR

彼の父親は胸の内を明かした

 

 

RENÉ SIMARD: LE PHÉNOMÈNE ARTISTIQUE

DE L’ANNÉE 71!  ルネ・シマール: 71 年の芸術的現象!

 年月は経ちますが、同じではありません! 1971年、ケベックはルネ・シマールという新しいアイドルを自らに与えました。記録的な速さで、この小さな10歳の少年はベル・プロヴァンス全体の賞賛を獲得しました。厳しい「ロッカーズ」たちもシマール現象を懐かしそうに見ていました。

 マーク・ハミルトンMarc Hamilton が彼の歌「Comme j'ai toujours envie d'aimerHow I still want to love!私がいつも愛したいもの)」で世界的に大成功を収め、150万枚以上を売り上げて以来、ケベックは特別なものを生み出していませんでした。

 1971 年の秋、すべてが変わりました。

300,000枚の レコード そしてそれは売れ続けている

 私たちが知っているように、子供たちはみんなを感動させる方法を知っている小さな何かを持っています。やっぱりみんなお伽話が好きなんですね! 私たちが覚えておく必要があるのはホセリートJoselito 、ロベルティーノRobertino 、まだ 8 歳だったミミ・エテュMimi Hétu の成功だけです。

 一方でルネ・シマールの物語は、ミレイユ・マチュー を少し思い出させます。2人とも大家族の出身で、とても質素な環境で暮らしています。2人ともすぐに成功を収め、おそらく80歳の誕生日まで歌い続けることでしょう!

 3か月足らずで、ルネ・シマールの3枚のレコードが 300,000 枚以上売れました。テレビ番組のクレジットに彼の名前が載るだけで視聴率は急上昇しました。名声と富は彼のものであり、そのすべてにおいて、小さなルネ・シマールは変わっていません!

 1972年1月、私たちは彼を芸術劇場のステージで見ることになります。観客の前で本格的にショーを行うのはこれが初めてとなります。12月20日、ジャン・マロ Jean MaloはシェルブルークTVでルネ・シマールの「スペシャル」を放送します。しかし、それはどのようにして始まったのでしょうか?

Il etait une fois… むかしむかし…

 すべての美しい物語が「むかしむかし…」で始まるように、むかしむかし、一日中おしゃべりしていた10歳の小さな男がいました。彼はコンクールで歌い、すべて一等賞を獲得しました。ある日、レコード会社のお偉いさんが、レコードを録音してみないかと申し出てくれました。ルネが「はい」と答えたので、「L’oiseau 鳥」は盲目的に崇拝される歌になりました。

 ルネは今日、すべてのケベック州民の心の中にいますが、それは今後も長く続くと思われます。彼のおとぎ話にはまだ数ページ書く必要があります。でもルネは心配していません。彼のおとぎ話は現実になり、今日はみんなの優しさに感謝します。

 

▲左:1971年12月: ルネ・シマールの「ショー」が72年1月22日と23日に芸術劇場で開催されると発表。

 右:1971年9月:ルネが「Jeunesseジュネス」に初出演。それは勝利です!

▲左:1971年12月: ルネは公の場に行くときはどこにでもボディーガードと一緒に行かなければならないことがよくあります。

 右:1971 年11月: 彼の最初のシングルと最初のLPがすべての販売記録を塗り替えました (ルネはここで姉のリンと兄のレジスと一緒にポーズをとっています)。

▲左:1971 年11月: ラジオ・カナダでRichard Martinリャール・マルタンの番組「L’Amour est bleu, blac, rouge, vert, etc…愛は青、白、赤、緑など...」への忘れられない出演。

 右:1971年8月: ルネがモントリオールの RCA Victor スタジオで最初のレコードを録音しました。

 

 この記事で、「ルネとミレイユ・マチューは成功を収め、80歳の誕生日まで歌い続けることでしょう。」と書かれていました。実際、ミレイユ・マチューは『第2のエディット・ピアフ』としてコンクールで優勝し、日本でも有名になり、現在78歳現役です。ルネのスペシャルを放送したジャン・マロは今年の4月28日に98歳で逝去されていますが、10歳でデビューし、『第2のホセリート』の異名をとったルネも今年63歳! 80歳まであと17年です!! ちなみにルネのセミ・ドキュメンタリー映画「Un Enfant Comme Les Autres  普通の子供」のクルティエ氏の結婚式でルネが教会で歌うシーンは、ホセリートの「JOSELITO AVE MARIA」の一場面と重なります。

 最近はプロデューサーや俳優の仕事で忙しいものの、ルネはまだ歌うことを辞めたわけではありません。デビュー53年目の現在、やりたいことが舞台のプロデュースなので、それが一段落したら、またソロで歌いたくなるのではないかしら?! そんな日が来ることを願いつつ、これからもルネ活頑張ります(^^♪

 話は変わりますが、やんばるQさんとルネ友さんからの情報で、福岡市役所の通達と福岡市議会で掲載された画像を紹介させていただきます。

※fukuokasiminnkaikanndekonnsa-towookonattarunesima-rusanngahyoukeihoumonnsaremasu.pdf参照

※「日々精進 69.」参照

 そして今日は冬至です。寒さが一段と厳しくなり、晴れの日が長く続いて乾燥していた関東の平野部にも、19日(木)に初雪が降りました。ルネ友のみなさまも、かぼちゃ料理とゆず湯で温まってくださいね

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シマール家の紹介記事1971年12月24日号②

2024年12月14日 | ルネの家族

 クリスマスまであと10日と迫りました(^^♪ ルネが監督を務めるミュージカル『La famille Addamsアダムス・ファミリー』のクリスマス公演も12月12日(木)に初日を迎え、連日盛り上がっています facebookのルネ・ファン・グループ「Condor,  c'est toi : pour René Simardのメンバーでお友だちのナタリーさんから初日の様子の映像と画像を投稿していただきました 映像についてはファン・グループの方でご覧くださいね(^^♪

 

 また、前回のルネの日本旅行の件で報告が遅れましたが、ルネの妹ナタリー・シマールの娘エーヴが、12月4日午後5時58分に第1子Maélyseマエリーズを出産しました(^^♪ facebookのルネ・ファン・グループ「Condor,  c'est toi : pour René Simard」にもお祝いコメントがたくさん寄せられていましたよ

 

 そして今回は、1971年12月24日号として発行された新聞記事のルネ・シマール特集の2回目です。

 

 

RENÉ SIMARD...

SON PÈRE SE VIDE le COEUR

彼の父親は胸の内を明かした

 

左:お父さんと息子が真剣に話し合いました! 中央:とても美しい家族ですね!

 右:お母さんにキス

シマール家の子供たち ほぼ完全:左から右へ:ジャン=ロジェ7歳、リン16歳、レジス11歳、ルネ10歳、オデット17歳、ナタリー2歳半。不在、マルタン15歳。

 

UNE FAMILLE DE 7 ENFANTS UNIE

PAR L’AMOUR ET LA MUSIQUE

愛と音楽で結ばれた7人の子供たちの家族

 

 学校では、他の生徒は彼に対してどのように振る舞っていますか?

「彼らは彼を少しからかいますが、一般的に彼のクラスメートは彼を誇りに思っています。彼らは独自の方法で彼をスターにし、彼を守ります。彼は学校の「人気者」になりました。

 繰り返しますが、ルネのことについては少し怖いです。だから、この賞賛が彼をあまり変えないで欲しいと思います。彼は危機的な年齢にいます! この年齢であり、今後数年のうちに、彼は身体的、道徳的、知的に訓練を受けることになるでしょう。彼はこうした賞賛によってトラウマを負うべきではないのです。」

  家族全員で歌います

 シマール氏が私に話しかけている間、私はルネを完全に「霧」の中に見失ってしまいました。彼の父親は私を安心させます。「彼は兄弟たちと遊んでいます。数分以内に、私たちはオルレアン島の友人たち、私たちが貧しいときに助けてくれた友人たちを訪ねに行きます。彼らはルネの栄光の頃から変わらない本当の友だちです。彼らは興味本位で私たちと友だちになっている訳ではありません!」

 シマール氏は、息子のマルタンもとても美しい声を持っていると語ります。

「最年少のナタリー(2 歳半)も歌います! 家族みんなで歌います。その美しさを聞いてください!

 1ヶ月後にはもっと大きな家に引っ越して、もしかしたらピアノを買うかもしれません。子どもたちに音楽のスキルを伸ばしてもらいたいと思っています。」

 美しいクリスマス

 数日後はクリスマスです。シマール家では、今年のクリスマスはいつもと違うものになるでしょうか。

「私たちにとって、クリスマスは家族と一緒に過ごすものです。もちろん、繰り返しになりますが、私たちはルネに真夜中のミサで歌ってもらいたいと思っています。人々はどこでも彼を求めていますが、私は彼が歌うとは思いません。彼にとってクリスマスは私の誕生日と同じように、買い物に行ったり、プレゼントを買ったり、あまり贅沢なことはしないことを望みます。たとえルネが成功したとしても、私たちは億万長者ではありません。大富豪といえば、ルネとその家族のことを言います。私がルネのお金を利用してキャデラックを運転しているというのは真実ではありません。私が人生で一度も車を運転したことがないことをご存知ですか?

 話は戻りますが、クリスマスになると、どこへ行っても息子の「声」が聞こえてきます。ルネが歌うクリスマスソングを聞くと本当に面白くなります。

 私たちは他の人と同じように家族と一緒にクリスマスを過ごすつもりです。私は伝統をとても大切にしています。いつもより少し盛大なクリスマスになるかもしれませんが、いつも通りのクリスマスになるでしょう。私の財産は妻と子供たちです!」

 最後に、シマール家はとてもフレンドリーな人たちだということを付け加えなければなりません。典型的なケベック州の家族。ルネの成功は誰の頭にも入っていません。私たちはどこでも、ルネ・シマールとその家族について書かなければならない人々は、彼らがどのように生きているかを完全に理解するためにその中に受け入れられ、多くのことを言い、書くことでしょう。この美しい家族にとって、成功、栄光、幸運は、これ以上のものはありません。彼らは、神様は物事をうまく行うと言います。ルネ・シマールと彼の家族のことを考えると、私たちはそれを信じずにはいられません。そして、大家族、本物のケベックの家族の美しい画像を読者に提示することは、 Joyeux noël メリー・クリスマスを送る素晴らしい方法なのです。

 

※「Joyeux Noël 2020 」参照

 

▲新聞の取材より後、オルレアン島「船長の家」での取材も一緒に行われた時の写真

左:ピアノを弾くルネ 右:ドラムスをたたく兄マルタンと妹ナタリー 

※「船長の家」の裏にある小さな家は音楽室になっており、みんなで歌ったり楽器を演奏したりしていました。ナタリーは右の写真のように、マルタンが演奏するドラムスの太鼓の中に入って寝るのがお気に入りだったそうです(ジョゼフ君情報)

 

 昨日は13日り金曜日でしたが大安で、日本人にとっては「正月事始め」。明日15日(日)からは年賀状の受付開始です。そして街はクリスマス・ムード一色で、イルミネーションが華やか(^^♪ インフルエンザが流行していますので、今回紹介したシマール一家のクリスマス・アルバムを聴きながら、暖かくしてお過ごしくださいね 

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シマール家の紹介記事1971年12月24日号①

2024年12月07日 | ルネの家族

朗報! ルネが50年ぶりの日本の情報をFacebookの公式ページに投稿しました(^^♪

 以前お伝えしていたとおり、ルネはインタビューで、『妻マリー=ジョゼと秋に日本旅行を計画中』と語り、ルネの来日当時に通訳を務められた道上雄峰氏から、『ルネの日本旅行は11月らしい』という情報を得ていました。しかし、それ以降情報が無く、ADISQ galaでのノミネートも有り、円安によるオーバーツーリズムを考慮して延期されたのかと推察していましたが、去る12月3日(火)と5日(木)に、ルネのFacebookの公式ページに日本旅行の画像とスライドショーが投稿されました! すぐにその投稿にコメントを投稿し、ルネにメッセージも送ったところ既読になりましたので、日本旅行についての投稿の準備をしていたのかもしれません。

▲12月3日(火)投稿の画像とコメント

▲12月5日(木)のスライドショーの画像より編集(※ルネの公式ページでご覧ください)

 今回の旅行で、道上さんは日本でのファンとの集いをお勧めしてくださったそうなのですが、ルネは気を遣って、「今回は自分たちだけの観光をしたい」との事だったそうです。道上さんとはコロナ前にファンの集いの計画で盛り上がっていたことも有り、道上さんから「ごめんなさい」とお詫びの言葉をいただいてしまい、こちらの方が恐縮してしまいました。

 道上さんはルネとマリー=ジョゼについて「短い時間でしたが、50年前に比べ友情愛情気遣い心遣いともに凄い成長でした。びっくりしました。素晴しい人です。奥様も素晴しい!」とルネの人となりと印象を高く評価し、「2人のお子様から多くを学んだと言って居ました。」と、メッセージでお二人にお会いした時のことを教えてくださいました ちなみに右上の写真で一緒に写っているのが道上さんです。

 そして、道上さんやルネ友さんたちと電話やメッセンジャーで散々やり取りをしたことも有り、6日(金)の明け方に、ルネとファンの集いをするリアルな夢を見ました(^^♪ 日本旅行のビデオ上映会があり、チャコールグレーのスーツ姿のルネの隣に座ってお話ししたり握手したりしていて、たとえ夢でも手の大きさと温かさまで感じて幸せいっぱいなシマ姉でした 

 ルネの日本旅行の様子は、さらに投稿されるかもしれませんので、楽しみに待ちましょう 「アダムス・ファミリー」のクリスマス公演の前後に、ルネへのインタビューで日本旅行についての話が出ることを願っています(^^♪

 

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 

 今日は大雪 それを物語るように、昨日までの暖かさから一変、平年の気温に戻り寒い日が続きます。

 そして12月12日(木)から1月5日(日)まで、ルネが監督を務めるミュージカル『La famille Addamsアダムス・ファミリー』のクリスマス公演が行われます(※カレンダー参照)

 

 上の画像では、アルベール・ルソー公会堂のクリスマス公演は、12月31日までとなっていますが、来年のトロワ・リヴィエールでの再演は9月18日から20日までと明記されています。トロワリヴィエールのチケット販売はまだのようですので、La famille Addams - Site officielで確認してください。 

 

 そして今回から、1971年12月24日号として発行された新聞記事のルネ・シマール特集を3回に分けて紹介いたします。

 

 

RENÉ SIMARD...

SON PÈRE SE VIDE le COEUR

彼の父親は胸の内を明かした

 

PARCE QU’ À 10 ANS IL VIT UN BÉRITABLE CONTE DE FÉE

10歳の彼は本物のおとぎ話を生きていたから

LE PÈRE DE RENÉ SIMARD

FAIT D’ÉTONNANTES

DÉCLARATIONS CONCERNANT

L’AVENIR DE SON FILS

ルネ・シマールの父親が息子の将来に関して驚くべき発言をする

LEUR NOEL RESSEMBLERA

À TOUS LES AUTRES

...SANS FALBALA

彼らのクリスマスは他のクリスマスと同じように見えるだろう

…華美な装い無しで

 

 むかしむかし、美しい黄金の声を持った10歳の小さな男の子がいました。この文章から、本当のおとぎ話を組み立てることができます。理由はわかりませんが、小さなルネ・シマールの物語はおとぎ話を思い出させます!

 先週の日曜日の午後、気がつくと私はケベック州リモワルー地区にあるシマール一家が住んでいる小さなアパートにいました。家の中には静寂がなく、大勢の子供たちの泣き声と笑い声が聞こえます。私はこれらすべての小さな金髪の頭の中から、3か月の間に州全体の新しいアイドルになった人を見つけるために集中しなければなりませんでした。

 彼のお母さんとお父さんが私を迎えてくれるリビングルームにはクリスマスツリーが飾られていて、プレゼントを受け取る準備ができていました。私たちの周りには、3人、4人、5人の子供たちがいます。とても長い間!私はこれほど小さな家、実際には大きなアパートでこれほど多くの生活と混乱を見たことがありませんでした。

L’amour remplance l’argent 愛はお金の代わりになる

 ジャン・ロック・シマール氏は40代の男性。彼はサグネ地方で生まれました。彼が私たちに話すと、それを感じることができます。彼は息子を誇らしく思っているようで、あまり興奮せずに客観的に私たちに語りかけます。

「息子に起こっているすべてのことを見てとても幸せです!それに、ここにいる家族全員が彼のために幸せです!しかし、神様、これは私たちの生活になんと大きな激変をもたらしたのでしょうか…」

あなたの存在、生き方、ルネの成功はすべてをどう変えましたか?

「ほぼ一夜にして、ルネは自分が有名人になったことに気づきました!彼はどこに行っても、王としてあらゆる敬意をもって扱われます。私たちはどこでもそれを要求します。しかし、一つ忘れてはいけないのは、彼はまだ子供であり、まだ10歳であるということです。

 私の家族の中で最も重要なものが 1 つあります。それは愛です。私たちは今まで生きてきて、それほどお金持ちではありませんでした。しかし、お金が不足している場合は、愛が代わりに使われました。それがさらに重要だと思います。親愛なる閣下、誰もがお互いを愛しています。必見です!

 ルネ、彼は私の他の子供たちと同じように扱われています!たとえ彼が数か月の間にスターになったとしても、あなたが言うように、彼は変わっていません。彼はいつも母親に、余裕があれば 5 セントを要求します。兄弟や姉妹と遊ぶときは、彼はただの普通の小さな男の子です。この物語全体の中で私が最も怖いのは、彼には他の人たちのような若さがないということです。

 幸いなことに、ルネは年齢の割にとても賢いです。彼はすぐに理解してくれる。これは、Guy Cloutier (そのマネージャー) に感銘を与えたものです。

 私は彼と話し合いました。私は彼に警告し始めました。 4、5年もすれば声も変わるでしょう。もしかしたらその頃には不幸な出来事が起こるかも知れません。子役スターはみんなそうです。ルネにはつかの間の栄光を経験して苦しんでほしくありません。

 彼は授業を続けますし、私は彼のキャリアが彼の学業の邪魔になるようなことはさせません。」

 

 ルネのセミ・ドキュメンタリー映画「Un Enfant Comme Les Autres 普通の子供(日本公開時「ルネ・オン・メロディ」) 」では、シマール一家がオルレアン島に移住した時、最初に住んだ「白い家」と「船長の家」の外観しか出てきません。パパの喘息のために生活保護を受け、ケベック・シティのアパートの地下室に移り住み、ルネの兄姉が児童施設に預けられたり、ルネと母ガブリエルが伝染性肝炎で入院したりしたことは描かれていませんでしたが、アパートの地下室の外階段(?)からルネが出てくるシーンはありました。そして映画では、親しい人たちに見送られ、白い家から船長の家に引っ越したように構成されていました

 映画には、ルネが家族とサント=ペトロニーユ教会のミサからの帰り道に「白い家」を見つけたくだりがあります。白い家→船長の家→教会→ルネたちが通った学校は一本道で行くことが出来ます。ルネとレジスがケベック・シティのパブに行って、レジスのギターでルネが歌い、お小遣いを稼いだことは良く知られています。その時は既に、この記事の冒頭で書かれているケベック州リモワルー地区のアパートに住んでいたのでしょう。それについては、月刊明星1974年10月号に掲載された「ルネまんが履歴書 少年は愛の香りにつつまれて歌う(まんがと構成/水野英子)」の方が正確なのかもしれません。

 

 

 

 また、以前翻訳した記事で、白い家には4部屋しか無く、1部屋は両親とナタリー、1部屋は2姉妹、もう1部屋は兄弟の部屋だったと記憶しています。この新聞記事の取材はケベック州リモワルー地区のアパートでのものですので、7人兄弟が賑やかに泣いたり笑ったり、記者にまとわりついたりしている中での取材ですから、なかなか大変だったことでしょう。

 そしてこの新聞記事はタイトルのとおり、今は亡き父ジャン=ロック・シマール氏の、当時の心の内を知ることが出来る貴重な記事でした

 

 この記事が掲載された新聞は、ルネの記事を含め当時のままのものです。たまたま他の新聞と一緒にまとめて出品されていたものを購入することが出来ました。Musée Simardのシャンタルさんが所有していないため、翻訳と画像の保存が済んだので、貴重な資料としてシャンタルさんに管理を託し、カナダに還すことにしました。シャンタルさんが所有していない日本のルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」の会報(ヤフオクで入手)や「不治の病」の記事、当ブログでまだ画像を投稿していなかったトンボ学生服の特大ポスター等も、クリスマス・プレゼントとして寄贈しました(現在カナダの郵便局はストライキ中なので、クリスマスまでに届くかが心配★) この先もずっとルネの記録としてずっと後世に残して欲しいです!

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マリー=ジョゼとルネ④

2024年11月23日 | ルネの家族

 今日は勤労感謝の日です。土曜日のため振り替え休日にはならないのがちょっと残念?!(笑)

 今週に入ってから朝晩の冷え込みがさらに厳しくなりました。11月20日(火)は12月中旬から下旬の気温に・・・。さらに昨日は小雪 長く続いた残暑で遅れていた葉の色付きが一気に進み、12月を目前に紅葉が見ごろになった地域では、紅葉狩りを楽しむ観光客があふれています。インフルエンザが流行する季節にもなりますので、ルネ友のみなさまも、お風邪など召されませぬよう、お体ご自愛なさってくださいね。

 そして今回は、「ルネとマリー=ジョゼ」の第4回完結です

 

▲右ページ左:バンクス氏としての役割において、ルネは非常に成功しています。

 右ページ右:彼らのカンファレンスで、マリー=ジョゼとロザリーは、州中の何千もの家族の心を動かしました。

 

MARIE-JOSÉE ET RENÉ:

COMMENT ILS PARTAGENT

LEUR EXPÉRIENCE

マリー・ジョゼとルネ: それぞれの経験をどのように共有するか

 

 

<ロザリーは大いに私を助けてくれます。>

 今回のツアーは、彼にとってロザリーとステージを共有できる喜びを表していると言わざるを得ません。 YouTubeでの Fondation Groupe Forget とのインタビューで、父親は娘がとても助けになっていると述べています。「彼女は舞台裏で私を大いに助けてくれます。彼女は本当に魅力的だと思います。彼女は舞台の基本をますます理解しています。」 父と娘をショーに結び付けるというアイデアを思いついたのは、ルネの代理人であるClaudine Bachand クロディーヌ・バシャンでした。「オール・スター・ゲームでマリージョゼとロザリーを見た後、彼女はそれが良いアイデアだと私に言いました。ロザリーに質問すると、彼女は快く「はい」と答えました。

 しかし、ショーの一部であるのはロザリーだけではなく、マリー=ジョゼも舞台監督として非常に特殊な役割を果たしています。

まさに家族で楽しめる冒険です。オリヴィエも休暇中はショーを見に来てくれて、私はそれをステージで披露します。一緒に働けるのは嬉しいです。マリー=ジョゼはもう37年間私を追いかけています。」とルネはショー『Les echangistes』で宣言しました。ツアーは2017年、5月26日にナタリー・シマールが参加するケベックのアルベール・ルソー公会堂で終了します。

 その後、歌手はバンクス氏を具現化した『メリー・ポピンズ』の公演のために夏の一部をケベックで過ごすことになります。彼にとって、娘と離れて夏を過ごすのは特別なことでしょう。「彼女に頻繁に会わないのは確かに奇妙でしょう。しかし、私はそのアイデアを理解することから始めなければなりません。彼女はボーイフレンドとアパートに住むか家を買うかについて話し始めました…25歳ならそれが普通です。」と、彼はジュールナル・ド・モントリオールに語った。一つ確かなことは、ルネとマリー=ジョゼはロザリーとオリヴィエに会うためにケベックと実家の間を何度も往復することになるということです。

 

UN CHOIX DIFFICILE 難しい選択

 昨年3月、マリー=ジョゼとロザリーは、ラソンプション L’Assomption とムーラン Moulins の MRC部門であるケベック州デヴヌス・スール・アン・アンペアラント協会(ADSMQ)から招待を受け、カンファレンスで講演を行いました。マリー=ジョゼはムーランの L’Hebdo Rive Nord エブド・リヴ・ノルドに対し、このカンファレンスは彼らのストーリーを共有する機会でしたと語りました。「私たちの話を人々に伝える機会を得たのはこれが初めてですが、多くの要望が寄せられているので、これが最後ではありません。」 このディスカッション ワークショップで、ロザリーは聴覚の問題について証言しました。「はい、私たちは一生懸命働きましたが、この旅全体は個人を尊重し、そして何よりも両親からのたくさんの愛を持って実行されました。学校を変えるのは毎日簡単ではありませんでしたが、なんとか自分の居場所を見つけることができました。これまでに達成したことに本当に満足しています。

 マリー=ジョゼとルネは、オリヴィエとロザリーの聴覚障害を知ったとき、すぐに決断を下しました。人工内耳を選択する決断は簡単ではありませんでした: 「ルネと私にとって、それは簡単な選択ではありませんでした。悲痛な出来事だったとさえ言えますが、私たちは前に進むことを決めましたし、まったく後悔していません。」 ジュールナル・ド・モントリオール紙 Journal de Montreal とのインタビューで、マリー=ジョゼは、人々の証言が夫婦にとって大きな助けになったとさえ断言しました。「それがあなたに起こったら、それは難しいです。最初は、良いスターを失ったように感じました。幸いなことに、ルネと私は公の仕事をしており、大量の手紙や証言を受け取りました。人々が私たちを励ましに来てくれました。彼らは私たちに支援を示しに来ました。それは私たちに希望を与えてくれました。そのおかげで私たちは前を向くことができました。今こそ私たちが他の人を助けるチャンスです。それが私に大きな幸せをもたらしてくれるのです。

 

▲「Nouveau rêve 新しい夢」のステージで、ルネとロザリーの競演による「Smile スマイル」。

左:コンサートの楽屋で 中央:テレビ番組に2人で出演 右:コンサートに向けてダンスのレッスン中 

▲▼ミュージカル「メリー・ポピンズ」でバンクス氏役を熱演するルネ

 

▲▼先天性聴覚障碍というハンディキャップを乗り越え、様々な分野で活動するロザリー

初の個展会場で 中央:学校で講義中 右:TV番組「MISSION ACCESSIBLE」より

▲恋人ガブリエルと娘アデリーと一緒に(現在2人目の妊活中 2人目が生まれてから入籍予定)

 

 11月も後半に入り、街はクリスマスの装飾に彩られています。ミュージカル「 La famille Addams  アダムス・ファミリーは、12月12日(木)から始まるアルベール・ルソー公会堂 Salle Albert-Rousseau でのクリスマス公演に向けて、着々と準備が進んでいるようです

 

 Espace St-Denis サンドゥニ劇場のハロウィーン公演では、50,000枚のチケットが販売されたゴールドチケットを受け取り、Gala de l'Adisq 2024 にノミネートされた大人気の舞台だけに、アルベール・ルソー公会堂 Salle Albert-Rousseauでも、クリスマス公演への期待が高まっているようですね!!

 

 今後のルネ情報にも期待しましょう カナダに観には行けないけれど、来週30日(土)にプチ・オフ会(^^♪ 年明けには遅い初詣も兼ねて、新年オフ会を計画中です 

 

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マリー=ジョゼとルネ③

2024年11月16日 | ルネの家族

 昨日11月15日(金)は七五三でした。

 9月のオフ会で行った神社では、その頃すでに七五三の先取りで参拝している親子連れを複数見かけました。ルネの息子オリヴィエの長女クロエちゃんは今年3歳ですから、日本でなら3つのお祝いですね

 ルネの日本旅行については、特に情報は入っていません。プライベート旅行なので、ご夫婦水入らずで楽しんでいて欲しいです(^^♪ 

 今回紹介する記事では、1990年と1991年の年末番組「Bye Byeバイバイ」出演のために、予定していた秋休みが取れなくなったことが書かれていました。「Nouveau rêve 新しい夢」ツアーの時も、好評により最初の計画よりも日程が増えていました。ミュージカル「 La famille Addams  アダムス・ファミリーは、受賞こそ逃したもののADISQでノミネートされ、クリスマス公演は、2027年1月3日(金)、4日(土)、5日(日)の4公演が追加されていました。もしも、インタビューで日本旅行について語った時から予定が変わったのだとしたら、その方が良いのではとルネ友さんたちと話していました。もともと紅葉シーズンのため、有名な観光地は混雑する上に、円安の影響で外国人観光客が押し寄せ、オーバーツーリズムで混乱を極めていますからね★ 出来ればゆっくり日本旅行を満喫して、良い想い出を作って欲しいです!

 

 そして今回は、「ルネとマリー=ジョゼ」の第3回です

 

 

▲右:マリージョゼとロザリーに囲まれて。

MARIE-JOSÉE ET RENÉ:

COMMENT ILS PARTAGENT

LEUR EXPÉRIENCE

マリー・ジョゼとルネ: それぞれの経験をどのように共有するか

 

 

<私は秋休みを取りたかった>

 1990年と1991年に、ルネ シマールは伝説的な年末番組「Bye Byeバイバイ」に出演しました。

 リドー・ヴェール劇場でも12年間、回顧展が舞台で上演されており、その年はルネ・シマールが監督を務めました。 56歳の男は、劇場のディレクターである Denise Filiatrault デゥニーズ・フィリアトローが定期的に連絡を取り、見直しと修正に参加していると断言していました。「彼女は数年間、私にこのショーを考慮に入れてほしいと願っていました。今年は秋休みを取りたかったのですが、彼女がこの提案を持って帰ってきました。私はその番組に参加してみたいと思いました。私は俳優たちに恋をしました。それに参加できることをとても誇りに思いました。

 時事評論の制作には目まぐるしい側面があるので、ルネは基礎を築くのを待ちたくありませんでした。「私はすでにショーの技術面に関する会議を開始しています。驚きを与えたくないからです。その後、8月からフルタイムで演奏活動を開始しました。

Bye Byeバイバイ』でのパフォーマーの模倣については素晴らしい思い出があるとしても、後者は『Revue et corrigeeレビューとコレクション』で演じたいという欲求を感じなかったと認めています。「必ずしもそうではありません。私は自分自身を監督としてもっと見ています。」 ショー「Les echangistes」の中で、ルネは、主題を扱うにはコミカルな角度を見つけなければならないと言いました。息子のオリヴィエがボンバルディア社で働いているときに、ボンバルディア社のスキャンダルをパロディ化することに不快感を感じたかという質問に、彼はただこう答えました。「角度を見つける必要があると思います。」もし 彼がすでにこの作品に取り組み始めているとしたら、それは彼が監督として細心の注意を払っているからです。: 「私の考えでは、ショーには平らな球体は存在しません。衣装、照明、ウィッグ、内容、すべてが重要です。私はもう仕事を始めています。

 

<何も当たり前のことは考えません>

 この歌手が10年以上のブランクを経て51枚目のアルバムを発表し、レコード界に大復活を果たしたのは2015年のことでした。数か月後、彼は新しいツアーを開始し、それは2016年12月に終了する予定でした。しかし、プロデューサーだけでなく一般の人々も絶えずそれ以上のことを求めていました:「私のツアーは2018年も続きます。Evenkoエヴァンコは来年の2月と3月そして4月にショーを提示したいと考えています。

 ケベックでの『メリー・ポピンズ』への帰還、『Revue et corrigeeレビューとコレクション』の上演、そして12月に発表される別のプロジェクトにも関わらず、ルネはためらうことなくツアーを再開しました。「平穏な一年になると思っていました。でも1月はお休みさせていただきます。

 この一連のショーに対する大衆の反応は、アーティストを完全に驚かせました。「私はシルバーチケットを手に入れましたが、30,000 人近くの人がショーを観ました。それは私にとってとても感動することですが、私は何も当たり前のことは考えません。」 彼は新しいアルバムを作るためにスタジオに戻る準備さえできていました: 「私はおそらくいつか 52枚目のアルバムをリリースするでしょう。

 

 

 

 カナダは既にクリスマスに向けて準備が始まっています。「 La famille Addams  アダムス・ファミリー」のクリスマス公演の追加公演と来年9月の再演決定で、出演者もスタッフもより一層準備に熱がこもっていることでしょう! 来年の再演に行けたらいいなぁ

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