昨日、1月29日は息子の中学校の立志式でした。
先週の大雪から約2週間。前日までの暖かさから一転、冷たい小雨が降る中の立志式。シマ姉の職場のある地域は『立志集会』とか、『立志の集い』という名称に変わり、生徒が中心になって行う行事になっているのですが、息子の学校は式典。黒の式服は冷え冷えでした★ 職場から昼食もしっかり取れぬまま駆けつけたのですが、保護者が入っての記念写真撮影もあったので、ばっちりメイクアップしておいて良かった~…。
式典後の記念行事は、『一文字宣言』(『誓いの言葉』という学校も多い)と二年生全員による合唱でした。息子は1組の13番。保護者席の最前列でしっかりビデオ撮影(笑)。元々シャイな上に、変声後、家では低い声でボソボソ話すようになっていた息子の、発表する声にドッキリ! 一瞬誰の声か分からなかったくらい、好みの声だったため、帰宅後、思わずほめてしまった親馬鹿シマ姉なのでした(爆★)。ちなみに、息子の選んだ一文字は『翔』 「翔という文字のように、自分の目標に向かって飛び立ちたい。」でした。
さて、馬鹿親の戯言はこの辺にして、前回の記事で予告していたルネの記事を紹介いたしましょう。
実は、12月に留守にしていた時、その日のために購入していたiPadをフル活用して、eBayでルネ・グッズを爆買いしてしまいました★ その中には、来日当時のルネのプロフィールに書かれていた愛読書tintin(タンタン)がありました。帰宅後しばらくして自宅に届いたその本は、ずっとカナダの雑誌だと思っていたのに、フランスの雑誌でした。
▲愛読書tintinの表紙を百面相で飾ったルネ とってもお茶目
▲ルネとロドニーの記事の表紙
タンタンのプティ・ニュース
1人だけじゃないよ
それは北アメリカのカナダとアメリカ合衆国。2人の少年の夢が現実のものとなります。
13歳のルネ・シマールは、確かなスター歌手です。彼は数週間パリに滞在し、オランピアでミシェル・フュガンの舞台の第1部に出演します。(ロドニーの部分は省略)
《小さなルネ・シマール》 彼の名前は、アメリカのスターとして、オランピア劇場で歌ったパリにおいて歓迎される以前から、話題になっていました。彼は10万枚のレコードを売り上げ、絶頂期のビートルズ同様、彼の名前がニューヨークの新聞で取り上げられました。天童…人々は彼のことを、歌においての《シャーリー・テンプル》と呼んでいます。しかし、同様に、彼は純真さと、少年のあどけなさを保つことを知っています。昨年、彼は東京音楽祭で大賞を受賞し、日本の17の大都市を回りました。彼が歌うためにパリに来なければならないその理由は、ここが、全てのスターにとって登竜門だからです。
1961年2月28日、カナダのシクーティミに生まれ、彼は9歳から聴衆の前で歌ってきました。彼のファン・クラブには、すでに会員が28万人を突破しています。彼は最大の成功を収めた内の1曲“Ne coupez pas les roses”を収録し、2枚のLPレコードを録音しました。彼は2枚のLPレコードと2枚のシングルレコードを引っさげてフランスにやって来ました。LPレコードの1枚はクリスマス・アルバムです。
しかし、ルネ・シマールは、ただのスター歌手ではありません。彼は間も無く、映画においてもスターになることでしょう。来年の3月に、彼はアメリカのスーパー・プロダクションであるU.R.S.Sで、ジョージ・キューカーが監督する映画に出演します。彼はそれ故に、リメイク版の「The Blue Birdー青い鳥」で、エリザベス・テイラーとジェーン・フォンダと肩を並べるスターになるでしょう。その間、フランク・シナトラとはまた別の、歌の紹介者が彼を待っており、1月と2月に数回、スターとしてリサイタルに出演する予定です。映画の撮影の間、時間に余裕が出来た時、彼はオルレアン島、両親の家があるケベック近郊の小さな村に帰ります。ルネはホッケーに夢中で、彼のチームのキャプテンです。
▲▼記事の1部拡大
この雑誌の記事は、内容から推測すると、12月にパリに行った時のもののようです。映画「青い鳥」は1976年公開の米ソ合作によるミュージカル映画で、ルネが演じるはずだったチルチル役は、トッド・ルッキンランドに変更。エリザベス・テイラーは母親と光の精の1人2役、ジェーン・フォンダは夜の女王役で、1940年版では、シャーリー・テンプルがミチル役でした。
ここに出てくるニューヨークの新聞は、ウォール街新聞とタイムズ紙で、ルネのデビュー25周年記念CD集の小冊子に書かれていました。また、この当時、ルネはフランスにゴールド・ディスクを2枚持っており、それは、”Ave Maria”と”Maman,laisse-moi sortir ce soir”です。それについては、過去ログでお読みください。
※過去ログ「On ne vit jamais pour rien...2」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/97.html
※過去ログ「ミュージカル映画”青い鳥”」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/185.html
※過去ログ「ルネの家と青い鳥とモントリオール讃歌」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/187.html
※wikipedia「青い鳥」参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E3%81%84%E9%B3%A5
そして、以前紹介していたルネ一家がモロッコを旅行した旅番組 "Partir autrement"がfacebookで公開されました。ラクダに乗って砂漠を散歩したり、タジン鍋のモロッコ料理を堪能したり…。ルネが家族旅行を楽しんでいる様子を観ているだけで、ルネがどんなに家族を大切に思っているかがよく分かります。本当に素敵な家族ですよ
URLを貼り付けておきますが、ご覧いただけるかどうか心配。取りあえずチャレンジしてみてください。
https://www.facebook.com/Passion-René-Nathalie-et-Régis-Simard-125109204875/?pnref=story
昨夕から雨が雪に変わり、やっと溶けたのに、雪がまた積もっています。今日は1日仕事★ ルネ友の皆さまも、車の運転や雪の積もった道の通行には十分に気をつけてくださいね!
先週の大雪から約2週間。前日までの暖かさから一転、冷たい小雨が降る中の立志式。シマ姉の職場のある地域は『立志集会』とか、『立志の集い』という名称に変わり、生徒が中心になって行う行事になっているのですが、息子の学校は式典。黒の式服は冷え冷えでした★ 職場から昼食もしっかり取れぬまま駆けつけたのですが、保護者が入っての記念写真撮影もあったので、ばっちりメイクアップしておいて良かった~…。
式典後の記念行事は、『一文字宣言』(『誓いの言葉』という学校も多い)と二年生全員による合唱でした。息子は1組の13番。保護者席の最前列でしっかりビデオ撮影(笑)。元々シャイな上に、変声後、家では低い声でボソボソ話すようになっていた息子の、発表する声にドッキリ! 一瞬誰の声か分からなかったくらい、好みの声だったため、帰宅後、思わずほめてしまった親馬鹿シマ姉なのでした(爆★)。ちなみに、息子の選んだ一文字は『翔』 「翔という文字のように、自分の目標に向かって飛び立ちたい。」でした。
さて、馬鹿親の戯言はこの辺にして、前回の記事で予告していたルネの記事を紹介いたしましょう。
実は、12月に留守にしていた時、その日のために購入していたiPadをフル活用して、eBayでルネ・グッズを爆買いしてしまいました★ その中には、来日当時のルネのプロフィールに書かれていた愛読書tintin(タンタン)がありました。帰宅後しばらくして自宅に届いたその本は、ずっとカナダの雑誌だと思っていたのに、フランスの雑誌でした。
▲愛読書tintinの表紙を百面相で飾ったルネ とってもお茶目
▲ルネとロドニーの記事の表紙
タンタンのプティ・ニュース
1人だけじゃないよ
それは北アメリカのカナダとアメリカ合衆国。2人の少年の夢が現実のものとなります。
13歳のルネ・シマールは、確かなスター歌手です。彼は数週間パリに滞在し、オランピアでミシェル・フュガンの舞台の第1部に出演します。(ロドニーの部分は省略)
《小さなルネ・シマール》 彼の名前は、アメリカのスターとして、オランピア劇場で歌ったパリにおいて歓迎される以前から、話題になっていました。彼は10万枚のレコードを売り上げ、絶頂期のビートルズ同様、彼の名前がニューヨークの新聞で取り上げられました。天童…人々は彼のことを、歌においての《シャーリー・テンプル》と呼んでいます。しかし、同様に、彼は純真さと、少年のあどけなさを保つことを知っています。昨年、彼は東京音楽祭で大賞を受賞し、日本の17の大都市を回りました。彼が歌うためにパリに来なければならないその理由は、ここが、全てのスターにとって登竜門だからです。
1961年2月28日、カナダのシクーティミに生まれ、彼は9歳から聴衆の前で歌ってきました。彼のファン・クラブには、すでに会員が28万人を突破しています。彼は最大の成功を収めた内の1曲“Ne coupez pas les roses”を収録し、2枚のLPレコードを録音しました。彼は2枚のLPレコードと2枚のシングルレコードを引っさげてフランスにやって来ました。LPレコードの1枚はクリスマス・アルバムです。
しかし、ルネ・シマールは、ただのスター歌手ではありません。彼は間も無く、映画においてもスターになることでしょう。来年の3月に、彼はアメリカのスーパー・プロダクションであるU.R.S.Sで、ジョージ・キューカーが監督する映画に出演します。彼はそれ故に、リメイク版の「The Blue Birdー青い鳥」で、エリザベス・テイラーとジェーン・フォンダと肩を並べるスターになるでしょう。その間、フランク・シナトラとはまた別の、歌の紹介者が彼を待っており、1月と2月に数回、スターとしてリサイタルに出演する予定です。映画の撮影の間、時間に余裕が出来た時、彼はオルレアン島、両親の家があるケベック近郊の小さな村に帰ります。ルネはホッケーに夢中で、彼のチームのキャプテンです。
▲▼記事の1部拡大
この雑誌の記事は、内容から推測すると、12月にパリに行った時のもののようです。映画「青い鳥」は1976年公開の米ソ合作によるミュージカル映画で、ルネが演じるはずだったチルチル役は、トッド・ルッキンランドに変更。エリザベス・テイラーは母親と光の精の1人2役、ジェーン・フォンダは夜の女王役で、1940年版では、シャーリー・テンプルがミチル役でした。
ここに出てくるニューヨークの新聞は、ウォール街新聞とタイムズ紙で、ルネのデビュー25周年記念CD集の小冊子に書かれていました。また、この当時、ルネはフランスにゴールド・ディスクを2枚持っており、それは、”Ave Maria”と”Maman,laisse-moi sortir ce soir”です。それについては、過去ログでお読みください。
※過去ログ「On ne vit jamais pour rien...2」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/97.html
※過去ログ「ミュージカル映画”青い鳥”」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/185.html
※過去ログ「ルネの家と青い鳥とモントリオール讃歌」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/187.html
※wikipedia「青い鳥」参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E3%81%84%E9%B3%A5
そして、以前紹介していたルネ一家がモロッコを旅行した旅番組 "Partir autrement"がfacebookで公開されました。ラクダに乗って砂漠を散歩したり、タジン鍋のモロッコ料理を堪能したり…。ルネが家族旅行を楽しんでいる様子を観ているだけで、ルネがどんなに家族を大切に思っているかがよく分かります。本当に素敵な家族ですよ
URLを貼り付けておきますが、ご覧いただけるかどうか心配。取りあえずチャレンジしてみてください。
https://www.facebook.com/Passion-René-Nathalie-et-Régis-Simard-125109204875/?pnref=story
昨夕から雨が雪に変わり、やっと溶けたのに、雪がまた積もっています。今日は1日仕事★ ルネ友の皆さまも、車の運転や雪の積もった道の通行には十分に気をつけてくださいね!