ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

ルネの記念誌④

2022年05月29日 | ルネの活動記録


 月日が流れるのは早いもので、新年度が始まって、既に5月も残すところあと3日となってしまいましたが、ルネ友のみなさまはいかがお過ごしでしょうか。


<当ブログのgoo blog移転について>

 ブログ移転の方は、私の誕生日の5月25日に、goo blogのアカウントを取得しようとしました。しかし、この先ブログ仕舞いも視野に入れた場合、無料版にしたら良いのか、今まで通り広告が入らない有料版(アドバンス)にしたら良いのか迷ってしまいました。

 無料版は画像保存容量が3GBで有料版は1TB。1日にアップロード可能な画像枚数はどちらも100枚。現在teacupでの使用容量が497.97MBですから、画像に関しては無料版でも余裕です。もともとアフィリエイトなんて利用していないし、マルシェルなんて関係ないし・・・でも、「アクセス解析」と「ブログ書籍化」の機能は欲しい! 今までの有料版月額300円から税込み210円なら、やっぱり有料版かな・・・と考えながら、他を読んでみますと、有料版は「開設月の1か月は無料」と有りました。6月10日の「ブログ開設記念日」から投稿を開始する予定でいましたので、6月1日にアカウント取得と開設手続きをした方が何かとお得♪・・・と、本格的な移転作業は6月に入ってからということにいたしました。

 それとは別の理由でも、移転の作業は当初の予定から大幅に遅れています★ ・・・というのも、teacupがブログのみをGMOに残してサービスを終了した際に、微妙に設定(?)が変わったようで、投稿画面が最初に投稿した時と違ってしまい、改行が滅茶苦茶になっている個所や向きが違っている画像がたくさんあります。また、映像が削除されて視聴できなくなっているYouTubeもあり、それを修正してから移転作業と書籍化をしなければならないため、余計な時間がかかっています。

 前出のとおり、6月10日の当ブログの開設記念日に、移転先でもブログ開設の第1回投稿したいので、作業を急いでいるところです。それ以降は、当ブログの記事と移転先の記事は同時進行で、同じ記事を投稿していく予定です。過去の記事の引越しは、投稿日時等がどうなるのか等、開設してからになります。

 ルネについて検索される方が知りたいであろう情報を吟味し、内容によってはまとめ記事にすることでスリム化して、より良いルネ・ブログを目指したいと思っていますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたしますsymbol1


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 今回で「ルネの記念誌」の4回目です。


 彼はアジアから脱出し、その若者は米国で話題になり始めました。さまざまなテレビ番組に招待され、彼は完全に彼に捧げられたスペシャル、スーパーキッドの主役でさえありました。 有名なピアニストのリベラーチェはそれから彼を見て、1976年のアメリカツアーに彼を雇うことにしました。
 一方、モントリオールオリンピックは、ケベックでメディアの注目を独占しました。 ルネ・シマールは、イベントを祝う歌である「Bienvenue a Montrealようこそモントリオールへ」を歌うように依頼されました。
 彼が海外のさまざまなショーからようやく戻ったとき、ルネは新しい挑戦に取り組みました:1979年にバンクーバーからライブでCBCで放映されたショー。 それはベスト・バラエティ番組のACTRA賞を受賞しました。



 ルネ・シマールの才能により、彼は世界で最も美しい都市を訪れることができました。 パリでは、若い歌手がエッフェル塔に驚嘆しました。


 1976年にテレビで放映された特別番組でルネを発見した後、リヴェラーチェは彼を雇って彼と一緒にアメリカの劇場でツアーを行いました。


 モントリオールがオリンピックの準備をしているときに、ルネは大都市でのこの素晴らしいイベントの到来を強調する曲を歌うように頼まれました。



 歌手のかわいらしい顔は彼に多くの女性の崇拝者を獲得しました...世界中から!


 可愛いルネのポスターやピンナップはもっとありますよね。でも、移転作業の都合でこれだけにします。

 そして記事の最後になりましたが、私の誕生日に際し、お祝いのメッセージをくださったルネ友のみなさま、ありがとうございましたsymbol1symbol1symbol1 

 余談ですが、23日(月)に義父の冷蔵庫が天寿を全うしました。シマ姉家には、私より先に嫁いで(?)頑張っていた冷蔵庫でした。24日(火)に新しい冷蔵庫が我が家にやって来ました♪ 代金は義父と主人が折半でし支払い、使うのは私! 中の冷蔵品と冷凍食品の移動等は大変でしたが、1日早い誕生日プレゼントと思っております(笑)
 気持ちだけはいつまでも「永遠の14歳」で頑張りますので、今後とも、当ブログ同様どうぞよろしくお願いいたします!!

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ルネの記念誌③

2022年05月22日 | ルネの活動記録

 去る5月15日(日)は沖縄返還50周年でした。

 その日、私がうっかり予約投稿日の変更を忘れていていたため、「ルネ友のみなさまへ」の記事が0時00分に投稿されてしまいました★ 6時過ぎに気付いた時には、アクセス数が「3」、「拍手1」になっておりました~★ アクセス数の1人は私ですから、2人の方が記事をお読みになり、内1人の方が「拍手」をクリックしてくださったことに・・・!! 
 どうしようもないので、近況としてお詫びを兼ねて書いています(爆)。でも、お1人はmixiのお友だちと判明! 私のことを心配して、その日の内にメッセージをmixiの方に投稿してくださいましたsymbol1 ご心配をおかけして申し訳ありませんでした!! 拍手もありがとうございました♪ もちろんメッセージでのやり取りで誤解は解けておりますが、残るもうお1人の方が、この近況を読んでくださること願っています。
 シマ姉は元気でブログ移転の準備を進めていますよ~っ! しかし、この投稿事故(?)で一番慌てたのは、私自身なのでした(笑)。

 そして同日、ルネが出演する舞台劇「LE DÎNER DE CONS 奇人たちの晩餐会の出演者が、モナルク・プロダクションの記者会見において、仲間のプロデューサー、放送局、ジャーナリストと並び、満員のホールでの再会と笑いを求めて、何千人もの観客を再び集めるための広報活動を行った映像がfacebookで公開されました。


 前回の記事で紹介したこの画像はその時のものです。その時の映像もYouTubeで観られるようになりました。はしゃいでいるお茶目なルネもご覧くださいね♪



※Entrevues avec les comédiens des 4 pièces d’été de Monarque
https://www.cjso.ca/entrevues-comediens-4-pieces-dete-de-monarque/?fbclid=IwAR2HoZkOyJlCpv3kzrPYK-c4xdSw3Rhb7ERmzLsyr5OiKRSJ4j5JqJFHrLo


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 今回で「ルネの記念誌」の3回目です。


 ルネが目を見張るような成功を収めた日本から帰国するやいなや、1974年の終わりにフランスに向けて飛行機に乗りました。 パリは彼を待っていました! 彼はオリンピアで歌い、ミッシェル・ドリュカールを含む最も人気のあるテレビに出演しました。 1975年、彼のディスク「Maman, laisse-moi sortir ce soirママ、今夜遊びに行ってもいい?」は、ゴールドディスクを受け取りました。

▲パリで セルジュ・ラマとダニエル・ギシャールと


  彼の多くの飛行機旅行の間に、ルネは時々ファンに会いました…その何人かは乗組員の中にいました! 彼は親切にも彼らにいくつかの歌を歌うことに同意しました。


 彼がどこへ行っても、神童は彼の明確な声で人々に触れ、誘惑しました。賞が降り止まぬ間、若い芸術家は多くの人の羨望の的でした。


 クロディーヌとダニエル・バシャンは、ルネの良い妖精の様に行動し、キャリアの最初から、世界中のどこにいても彼の面倒を見てくれました。


 才能は才能を引き付けます! ルネ・シマールは、有名なボクサーのモハメド・アリK.-Oをここに入れようとしました。


 アメリカ人は、セリーヌディオンを発見する前に、1976年5月にマーヴグリフィンを含むテレビスタジオのツアーで、ルネシマールを知っていました。


 次回は見開きの右ページ、パリとアメリカでの活動と、モントリオール・オリンピックの内容です。


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     forkシマ姉のスローライフitem9 

 久々の「スローライフ」です♪ ブログ移転が近いのに~!(爆)

 今年もシマ姉家は、春の恵みを美味しくいただいております。
 「フキノトウの油味噌」、「フキの土佐煮」に「フキの佃煮」は毎年作っているし、画像も上げてきています。今年は不作年だけどもう少しで収穫できる山椒は塩漬けに♪ しかし! 今年は予想外のことにビックリしたので、ブログに書かずにはいられませんでした(笑)
 


 フキはまっすぐ伸びるもの。ですから、左上の写真の様に長さをそろえて切るのはとっても簡単・・・のはずでした★ ところが、細い山フキの皮むき・筋取りで疲れてしまい、変色止めの水を張った大鍋に入れたまま一晩放置したら、上中央の写真のとおり、水中のイトミミズの塊のようになっていました★ 剥くのにも2時間程かかったのに(TVドラマ観ながら 笑)、丸まってぐるぐるに絡まり合ったフキは、水を吸ってパキバキ折れるし、長さをそろえて切るのに、結局また1時間以上かかって、煮たら煮たで縮むし(右上写真)★ でも、美味しくできて、家族が喜んで食べているので、まあいいか・・・なシマ姉でした。


 それから、道の駅で買って来た筍を「土佐煮」にしたら、義父が気に入ってしまい、孟宗竹を取って来る、取って来る(笑)。もう何回煮たでしょう。「土佐煮」、「お煮しめ」、「筍ご飯」は塩味と醤油味、「筍のちらし寿司」、「筍とわかめのお吸い物」。「土佐煮」は鍋いっぱい作っても、、実家に差し入れた残りは1日で無くなります(笑)。そして、ついには「筍の肉巻き(塩コショウ、照り焼き風の2種)」に「自家製メンマ(上写真中央)」・・・でも食べ飽きず★ ちらし寿司の具は冷凍(上写真右)にし、残った筍の水煮は保存袋に入れて一時冷蔵保存(上写真中央)。

 ちなみに、「筍の肉巻き」に使った筍は、細長く伸びたものを半分にして豚のバラ肉を巻きました。見た目と触感はアスパラの肉巻き♪ 「自家製メンマ」は、固めの部分を拍子切りにして、麺つゆとラー油で漬け込んだだけの簡単調理♪ でも、これがなかなかシンプルで美味❤ もともとメンマはあまり食べなかったのに、家族でハマっています(笑)。

 昨年からシマ姉家で続いているブームは、「ピリ辛胡瓜」と「胡瓜の佃煮」! 食べた胡瓜は何百本?! これから「梅シロップ」の仕込みの季節♪ 「青じその油味噌」も作りたいし・・・。その前に真竹が先かなぁ・・・(爆)。 

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ルネの記念誌②

2022年05月14日 | ルネの活動記録

 5月11日(水)、ルネと妻マリー=ジョゼが、la Fondation Sourdineスールディーヌ財団の第22回Les Saveurs du théâtreのイベントに参加しました。 


 la Sourdine Foundationスールディーヌ財団は非営利団体であり、難聴や聴覚障碍のある子供たちのための学校、l'École oraliste de Québecエコール・オラリスト・ドゥ・ケベックを支援するための資金を集めることを使命としています。
 リオネル・カルマン大臣、タヨン副大臣、サンドラ・ファーガソン総支配人、アンドレ・ラベ(RBCロイヤル・バンク名誉会長兼地域副総裁)、マルタン・クシノー(スールディーン財団会長、ローブ・クリニック・ネットワーク社長兼最高経営責任者)など、著名な方々が多数参加される中、エコール・オラリストの若者たちが、息を呑むような演劇を披露してくれました! このイベントによって、$120,000を集めることが出来たそうです。

 ルネと妻マリー=ジョゼは、2人の子供たち、息子オリヴィエと娘ロザリーが先天性難聴で有ることが分かり、人工内耳の手術や療育をしていく中で、スールディーヌ財団のための募金活動を始め、現在もスポークスマンとして活動を続けています。


https://www.facebook.com/MonarqueProductions/videos/1460755811048347

 さらにルネは、ケベック州のLa Fabuleuse histoire d’un Royaume(王国の素晴らしい物語)の第35回のスポークスマンに選ばれました。また、7月8日(金)から8月27日(土)まで、舞台劇「LE DÎNER DE CONS 奇人たちの晩餐会」に出演symbol1 これからますます忙しくなります。今年の夏もルネの活動から目が離せませんね!!



 話は変わりますが、猫の恋の季節は終わったと思うのに、相変わらず地域猫シロくんが愛しの(笑)ミイ姐御に会いに来ています。さすがに明け方の午前2時に来ることは少なくなりましたが、懲りずに毎日何度も通って来ています。ミイもシロくんが来れば鼻チューあいさつをするのだけれど、ソーシャルディスタンスは50㎝(?) 仲良く日向ぼっこしていても、それ以上近づくと屋内に戻ってしまうミイ。最初は「クルルルン、クルルルン♪」と鳴いているシロくんも、「ンニャアアアーーーン! ンニャアアアー――ン!!」と悲痛な叫び★ 可哀そうだけどミイは避妊手術済みなのでその気になりません。しかし、臭い付けして帰るのだけはやめて欲しいシマ姉です(泣)。

 そして、先週3回目のコロナワクチン接種(モデルナ 1回目と2回目はファイザー)はほぼ副反応なしで乗り切ったけれど、ブログ移転と書籍化のための準備が思うように進まず、ちょっと焦り気味のシマ姉ですが、facebookのルネの公式ページで、一度はゼロになった「トップ・ファン・バッジ」が再開し、現在トップ・ファンは239名! 私も復活しております(どういう基準で選ばれているのかは未だ不明)。これを励みに、teacupブログサービスの終了までに作業を完了できるように頑張ります!!


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 今回で「ルネの記念誌」の2回目です。 今回は日本デビューの成功第3回東京音楽祭世界大会の内容が中心になります。


 1974年は、ルネが日出ずる国のフェスティバルにカナダ代表で出場することにより、何百万人もの日本人の心をつかんだ時、ルネの国際的な人気が始まりました。 彼は東京音楽祭世界大会で大賞を受賞しました。


 1974年6月、ギィ・クルティエと彼の父ジャン=ロックに囲まれて、ルネは東京音楽祭世界大会への参加の一環として、日本のメディアと出会いました。


※記事で紹介された「ルネ 記者会見 レセプション」は2回目の来日の時のものです。上の写真は初来日の羽田空港での様子です。


 彼が東京に滞在していた東京プリンスホテルの庭で、ルネにふさわしいちょっとした休憩を。


 ルネ・シマールは、ミドリ色の屋根を歌って、フランク・シナトラから音楽祭の大賞を受賞しました。 彼はこの曲を100万枚販売し、この賞を受賞することができました。

▼ルネとスリー・ディグリーズのサイン


 東京音楽祭で2位になったグループThree Degreesスリー・ディグリーズの女性たちは、若いルネに魅了されました。


 シマール一家全員が写真のために再会しました。 後方、 ジャン=ロジェ、リン、オデット、マルタン。 前列:ルネ、彼の母ギャビー、ナタリー、彼の父ジャン=ロック、レジス。

※注:この家族の集合写真は長姉オデットの結婚式の時のものです。


 ブログ移転と書籍化の準備と並行して記事制作をしておりますので、ルネのデビュー50周年記念誌よりも軽めの記事になりますが、違う内容も紹介されていますので、気長にお付き合いくださいませねsymbol1

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ルネの記念誌①

2022年05月08日 | ルネの活動記録

 今日は母の日item2

 それなのに、うっかり3回目のコロナワクチン接種の予約を入れてしまいました★ 1回目と2回目はファイザーでしたが、今回はモデルナで、予約時間は9時です★ 送迎は主人にお願いしています。 

 実家の母にはプレゼントを準備していますので、昨日義父が採って来た筍で作った筍尽くしの差し入れと一緒に届けます。私へのプレゼントには、「食事を作らなくていい1日」を希望(笑)。朝は母への差し入れを作るので、昼食と夕食に期待♪ 副反応で寝込んだら、明日は食事を作れない1日?!(爆) 

 ルネ友のみなさまも素敵な1日をお過ごしくださいsymbol1


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 ルネのデビュー50周年記念誌の紹介が終わりました。

 今回から、ルネの53枚目のアルバム「Condorとセットで発売されたデビュー50周年記念誌を取り上げていく予定でしたが、teacupブログサービスの終了に伴う、goo blogへの移転作業のため、予定を変更して、デビュー25周年記念誌以降に発刊された写真集(?)「ALBUM EV PHTOS」を紹介いたします。この本の写真は、過去ログで部分的に紹介していましたが、改めて全ページ紹介いたします。

 そして、今回のシリーズに入る前に、カナダ・ケベック時間の昨年12月5日(日)午後7時30分から放映された、ルネのデビュー50周年記念ドキュメンタリー番組René Simard, 50 ans d’amourルネ・シマール、50年の愛」がYouTubeにアップされていましたので紹介いたします。
 日本はTVAがネット配信した映像を観ることのできるエリアではなかったため、当ブログでその映像をアップできませんでしたが、お友だちのジョアンヌさんから送られた、番組のスクリーンショット画像(私のものも含む)をお借りして、その番組の概要は過去ログで紹介していました。

※過去ログ「ルネのデビュー50周年記念誌⑭」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/1188.html

 全編1時間11分25秒の映像ですsymbol1 90分の特別番組で放映された映像のコマーシャルは抜かれていますので、じっくり楽しんでいただけたら幸いです♪(ただし、YouTube映像はいつ削除されるか分かりません。特に今回は番組がそっくりアップされていますので、私が記事で紹介したことによって通報され、削除に至ることも考えられますので、ご覧になる方はお早めに!!



 また、現在ルネは精力的に活動しています!!

 1つ目。5月4日(水)午後9時に(ケベック時間)、ジュスト・ルブランの番組「Bonsoir Bonsoir! ボンソワール ボンソワール!」に7月8日からMaison des arts Desjardins Drummondvilleで開演される「Le Diner De Cons奇人たちの晩餐会のPRのために出演しました。
https://www.facebook.com/watch/?v=2132956886871937


 2つ目。翌5月5日(木)の朝(ケベック時間)、Pénélopeの「Ma vie en 5 chansons 5曲の私の人生」のセグメントに参加しました。ルネは5曲の選択に苦労し、彼を有名にした重要な曲である「L'oiseau 鳥」に加え、日本への強い愛着とシャルル・アズナヴールの表紙を想起させるタイトルを特に選びました。
https://ici.radio-canada.ca/ohdio/premiere/emissions/penelope/segments/entrevue/400459/rene-simard-chanteur-carriere-vie?fbclid=IwAR1au6c4_1VAoY73y6hYNcM91PrhBk1jtXY2X3Yh40Uk3Xudt2CHruN4iM4

※この番組を聴くためには登録手続きが必要です。指示通り「メールアドレス→パスワード→氏名」と入力したのですが、日本は聞けないエリアようです。残念! ルネが選んだ5曲は「L'oiseau鳥」, 「Midori Iro No Yaneミドリ色の屋根」, 「Un enfant comme les autres普通の子供」, 「Hier encore帰り来ぬ青春(シャルル・アズナブール)」, 「Condorコンドル」だそうですsymbol1

 3つ目。5月6日(金)21時(ケベック時間)よりTélé-Québecで「Deux hommes en or 2人の黄金の男」に出演しました。再放送は8日(日)21時、9日(月)13時と22時。


 パトリック・ラガセ、ピエール・イヴ・ロール、ロザリー・ボナンファンがルネ・シマールの50年のキャリア、行進曲「私たちの子供たちのためのパンと森」、ケベックでの中絶反対運動「この悪夢が終わったら私を起こしてください」、「1度に1つの笑顔、人道的な道化師の物語」と新聞の新しいコラムニストについて語りました。
https://youtu.be/dtXls2BcHGk (限定公開)



 ルネがいろいろな番組に出演しながら、covid-19のために2回延期になったLe Diner De Cons奇人たちの晩餐会にどれだけ心力を注いでいるか分かりますね!

 ルネがバリバリ頑張っているのだから、私もブログ移転と書籍化頑張らないとっっ!!! しかし! ルネの活動が増えると、記事の加筆に追われて、移転作業が思うように進まないというジレンマに陥りながらも、嬉しい悲鳴を上げているシマ姉です(爆★)。



     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 
 前置きが長くなりましたが、本題に入ります。

 今回からのシリーズは全11回。そこに「ブログ開設記念日」と「ルネ記念日」を加えると、teacupブログサービス終了までの期間で完了します。

 第1回は、ルネがデビューしてケベックのアイドルになるまでのお話です。


 彼は幼い頃に全盛期を迎え、すぐにケベックの人々の大切な子供になりました。 ルネ・シマールは、わずか9歳のときにケベック州を魅了し、彼の優れた才能は彼を日本まで連れて行きました。若い歌手が最高峰に到達したのは、努力や犠牲なしではあり得ませんでした。 彼の家族と彼の忠実な恋人、マリー=ジョゼ・テユフェに囲まれ、ルネ・シマールは文化ニュースの重要な人物であり、確かに長い間そうあり続けることでしょう。



 Le gamin haut comme trois pommes(リンゴ3個の背の高さの少年)は、後にダンスのステップを巧みに実行する魅力的な若者になり、地球の残りの部分に立ち向かう前に、ケベック全体を魅了しました。
 1961年2月28日、シクーティミで生まれた<小さなシマール(シマール家の子ども)>は、オルレアン島で育ちました。 彼は1970年にLes Découvertes de Jen Roger(ジャン・ロジェの発見)のコンテストで優勝した後、Guy Cloutierの管理の下で発見され、その後成功を収めました。ルネ・シマールがわずか9歳のとき、L’oiseau(鳥)で15万部以上の売り上げを記録し、同じ月にla Place des Arts芸術劇場の舞台で3回連続で出演しました。
 彼はローラ・スコールのプリンの広告のスターで、ドキュメンタリー映画Un enfant comme les autres(普通の子供)の主役であり、1973年に映画J'ai mon voyageでドミニク・ミシェルと一緒に出演しました。
 1974年は、ルネが日出ずる国のフェスティバルにカナダ代表で出場することにより、何百万人もの日本人の心をつかんだ時、ルネの国際的な人気が始まりました。 彼は東京音楽祭世界大会で大賞を受賞しました。


 すでにホッケー・ファンであった小さなシマールは、偉大なギイ・ラフルール、別名le Demon blond(金髪の悪魔)に会う前に、カナディアンズの練習に招待されるという特権を持っていました。

※カナディアンズの伝説的なホッケー選手であったギイ・ラフルールは、去る4月22日(金)に肺がんによる長い闘病生活の末、70歳で亡くなりました。ケベックでは彼の死を悼んで深い悲しみに包まれ、ルネも追悼のメッセージを公式ページに投稿しました。氏のご冥福をお祈りいたします。

 そして、4月23日、facebookにルネとラフルール氏の記事をアルバムで投稿。4月24日早朝、ルネの公式ページのコメントとメッセンジャーにも、このルネとラフルール氏の記事を投稿したところ、私のコレクション(下の左の記事)を使ってルネの公式ぺージに次のような投稿がありましたsymbol4 


C’était pour moi, un moment mémorable.
Mes condoléances à toute la famille, nous sommes avec vous de tout cœur.

それは私にとって忘れられない瞬間でした。
ご家族の皆様、心よりお見舞い申し上げます。


※Guy Lafleur s’éteint à 70 ans
https://www.tvanouvelles.ca/2022/04/22/guy-lafleur-seteint-a-70-ans?fbclid=IwAR23VSt1AD4iwv-pFS-UYM8--n7NGVAA6UDk6V0yHITq-WCxlv_KfswkNos


 ルネ・シマールは、Les Découvertes de Jen Rogerプログラムで最優秀賞を受賞したのはわずか9歳でした。 翌年、ギィ・クルティエは彼の中にスターの才能を見ました。


 1972年、私たちはすでに、少年の人生についてのドキュメンタリー、その中で彼が歌い、家族と交流しているのが見られる「Un enfant comme les autres普通の子供」を撮影していました。

 ルネと彼の兄レジスは、1973年に、ドミニク・ミシェルとジャン・ルフェーブルと並んで、デニス・エルーによる映画「J’ai mon voyage」で、映画の最初の一歩を踏み出しました。


▲ローラ・スコールのプリンのテレビ・コマーシャル

« HAUT COMME TROIS POMMES »
 「3つのリンゴのように背が高い」という表現は、非常に背が低い人、多くの場合子供を指すために使用されます。この表現は20世紀後半に文献で広く普及したようであり、現在では、世紀の初めのように低身長の成人を指定するのではなく、特に平均年齢よりも小さい子供に一般的に使用されています。



<ルネとギィ・ラフルール氏の画像のこと>
 ルネはメッセンジャーで送った私のコレクション画像に初の返信symbol1 その間何と4分!! その後に送ったメッセージにもすぐに既読が付きました! その1時間後にはルネが記事画像を使って前出のメッセージを公式ページに投稿! もちろん私もコメントを書き込みました♪ ルネと一瞬でもリアルタイムで繋がっていられたことは時差を考えても奇跡に近く、この最高の瞬間に、しばらく舞い上がっていたシマ姉でした(笑) また、この記事が投稿された段階で、この画像のシェア数は425件! 「超いいね」や「大切だね」の総数は5350、コメント数は322♪ さらに増えています。私の願いは、私がいなくなる前に、少しでも多くのファンの方たちに、私のルネのコレクションを共有していただくことです。ルネが公開したことによって、より多くのファンの方にシェアしていただけたというのは、ラッキーなことでした。これからさらに拡散されることでしょう♪(ハート模様の猫画像の例もありますので 笑)


 ケベックのママのアイドルだった頃のルネ、ちっちゃくて可愛かったですねsymbol1 来日当時でさえ、私より小さかったのですから、「リンゴ3個の背の高さの少年」と表現されても仕方ありません。現在の身長は約5フィート9インチ(175.26cm位)ですが、「こんな可愛い子なら息子にしたい」と思う気持ちが分かるようになったのは、やはり年のせいですね~(爆)。

 そして、またまた3部構成になってしまいました~~★ さっくりとした記事で乗り切ろうと思っているのに~っ! でも、ルネの情報がたくさん有るのはファンとして嬉しいですねっ!!
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