ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

シマール家のハロウィーン Fantô-fête

2022年10月29日 | ルネの家族

 10月31日はハロウィーン。

 そして今日10月29日は、私がファンの志穂美悦子さん(長渕悦子さん東映アクション女優 現在はフローリスト)のお誕生日

▲ハロウィーンの巨大南瓜に乗るオリヴィエとロザリー(ルネのデビュー25周年記念誌より)

 古代ケルト人の宗教行事が始まりだったハロウィーンも、日本ではその起源など一切関係なく、アメリカ式を真似た仮装を楽しむイベントとして定着しているようです。今年は早くも某アミューズメントパークでの行き過ぎたコスプレが物議をかもしていましたが、みんなが気持ちよく楽しむためにも、ハロウィーンのパレードなどには、マナーを守って参加して欲しいですね!

 ハロウィーンは、正確には10月31日~11月2日とされ、この期間中、キリスト教では現世に戻ってくる死者の魂を慰める行事を行います。11月1日の「All Hallows」の前夜である10月31日は、「All Hallow’s Even(Eve)」。これが短くなり、訛って「Halloween」といわれるようになったということです。

 ハロウィンの発祥は、2000年以上も前。ヨーロッパの古代ケルト人が行っていた祭礼「サウィン(Samhain)」が起源ですが、日本では1970年代に玩具・雑貨店「キデイランド原宿店」が季節のイベントとして、ハロウィーン・グッズの販売に注力し始め、昭和58(1983)年に販売促進の目的でハロウィーン・パレードを開催し、約100人が参加。これが、日本で最初に行われたハロウィーン・パレードだといわれています。

ハロウィンとは?発祥の起源や意味、世界各地の過ごし方を紹介 | SKYWARD+ スカイワードプラス (jal.co.jp)参照

ハロウィン - Wikipedia参照

▲シマール家のFantô-fête <la Fondation Sourdine(聴覚障碍者を支援する団体)への寄付を集める活動も兼ねて開催>

 シマール家では、毎年ハロウィーンには家族全員が家を飾り、人々を迎えました。 ルネとマリー=ジョゼはこのイベントをFantô-fêteと呼んでいました。 ハロウィーンの夜、彼らは自分たちの土地に設置したテントの下で人々を迎え、子供たちがその機会のために着飾って、la Fondation Sourdineスールディーヌ財団への寄付を受け取りました。

▲la Fondation Sourdineスールディーヌ財団で

 ルネは「ミュージカルLa famille Addams アダムス・ファミリー」の準備で忙しくなり、妻マリー=ジョゼと娘ロザリーも AMI-télé で 「Des familles comme les autres(他の家族と同じように)」の司会(火曜日の午後 8 時のテレビと Web で放映)をしていますので、今年のハロウィーンはどうするのでしょう? 息子オリヴィエ一家は新居に移ったのでしょうか? 初孫のクロエちゃんたちと一緒に楽しむ時間が有ると良いです♪

※「Des familles comme les autres」Facebook

 

 シマ姉家はハロウィーンとはほぼ無縁です! 息子が小学生の時は、児童クラブでハロウィーンのイベントが有りましたが・・・。今年は義父が、サマージャンボ宝くじでちょっとだけプラスになったのに気を良くして、ハロウィンジャンボ宝くじにもチャレンジしていました~!  当選番号は28日に出ましたが、大敗でした★ 柳の下に2匹目のドジョウはいなかったようです(笑)。

 話は変わりますが、息子の新車の初乗りは納車当日、実家に行く時に母に見せに行くのも兼ね、私が助手席に乗って行いました。さすがアラウンドビュー搭載車! 初心者にはハードルが高いシマ姉家の門口の出入りも初乗りで一発でした! まだ一人で運転するには不安があるようですが、親としても安心して運転させられます。あとは田舎道で練習を重ねて経験を積むことですね! 

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Facebookのルネ・ファン・グループからの情報より

2022年10月22日 | ルネ・シマール

 秋も深まってまいりましたね。

 FacebookのケベックTVで、「オルレアン島の紅葉『秋の陣』」が投稿されました。10月15日に撮影されたオルレアン島は、今が紅葉の最高潮です。菜の花と紅葉の織り成す美しさや、撮影者がお気に入りのワイナリーから眺めたローレンシャン山地の美しさを堪能してください。

 

 そして今日は、息子の新車「日産DAYS」が納車されます。コロナの影響も有り、7月10日に発注した時、納車は9月とのことでしたが、予定が伸びてディーラーさんに届いたのが10月13日(木)! 15日(土)に自動車保険の手続きをし、納車の候補日は「大安」を希望。翌16日(日)は大安でしたが、納車が立て込んでいるというので、大安の本日22日(土)に納車していただくことになりました。

 息子の車は「ProPILOT」、「インテリジェント アラウンドビューモニター」、「インテリジェント エマージェンシーブレーキ」、「SOS CALL」などが搭載されているので、親としては安心して運転させられるかな・・・と、燃費が良く重量税もお安い軽自動車DAYSを勧めた馬鹿親シマ姉です。これらの様々な装備は、東日本大震災で被災して買い替えた、私の4代目赤マーチにはどれも付いてませんからね~(もう10年以上乗ってるし 笑)。

 昔はスーパーカー・ブームが有ったりして、日本が高度経済成長の頃は、若者にとって車を購入する事は、一種の「憧れ」であり「目標」でした。しかし現在は、若者の車への興味が薄れてしまい、「若者の車離れ」が進んでいるそうです。若者の車に対する価値観は、以前の抽象的な「憧れ」や「目標」ではなく、具体的な「移動手段」へと変化したとのこと。わが県は成人1人当たり車1台、「都道府県別『世帯当たり自動車普及率』ランキング」で常にトップ10入りの県ですから、車の所有は必須であり、昔から「移動手段」なのですが・・・。

 私は一生涯マーチで通すつもりだったのに、マーチが製造中止(泣)になってしまったので、次に購入する時は「DAYS」か「電気自動車 SAKURA」か、ほぼマーチと同じデザインの車が出るかもという情報も有るのでそれにするか・・・。現在在庫が有る内は新車でマーチを購入することも出来ますが、これから年齢とともに反応や判断力が鈍くなってきた時のことを考えると、踏み間違えなどに対応してくれる車が適! 出来れば車の購入は次で打ち止めにしたいので、しばらくは、愛車「赤いナタリー」でガンガン走るつもりです(爆★)

 

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 私がfacebookを始めたのは、Passion SimardのGisele Sophieさんから招待されたことがきっかけで、ルネ・シマール・ファンの方たちとの交流と、カナダのルネ情報を得ることが目的の全てです。でも、猫のグループ等も楽しんでいます♪

 当ブログのgoo blog移転後に、ルネ・ファン・グループCondor, c'est toi : pour René Simard」を作成いたしました。現在メンバーは600人を超え、管理者として目標としている「毎日1投稿」も続けています。ジョゼフ君のルネ画像や新メンバーさんのウェルカム・メッセージが有り、それに対するコメントも投稿されるので、毎日充実しています。

 グループへの投稿は、私とジョゼフ君によるルネ画像の投稿が多いですが、コメントでもたくさん情報が投稿されます。また、ブログのように記事として文章を書かなくても、画像だけ1投稿につき複数枚を投稿できるので楽です。しかし、投稿した画像が増えたため、重複しないように確認するのに一苦労★ ジョゼフ君の投稿画像とかぶることも有りますが、そこは目をつぶっていただくことにしています。

 以前過去ログでもお伝えしたとおり、今回はルネ・ファン・グループに投稿された画像やメンバーさんからの情報を紹介したいと思います。

 

<Passion Simard版ルネのバイオグラフィー>※原文を日本語訳で紹介

 ルネの略歴を読むには、パッション ルネ ナタリーとレジス シマールのリンクをクリックし、ルネのバイオグラフィー・アルバムに移動し、この写真から始めて各写真をクリックします。 ご存知かもしれませんが、私たちは 2009 年にルネの伝記 (彼のキャリアの始まりから完全なもの) に取り組み始めました。まだ終わっていませんが、ちょっとしたヒントになるかもしれません。最初の写真 (※このメッセージの下) をクリックすると、最初から開始できます。次に、写真の横にある矢印をクリックします。このように順番に読むことができます。 Nathalie's はすでに Eklablog で行われていますが、後でここに転送されます。 (このページと VIP グループのホスト、ジゼル)

Facebook

▲ルネ・シマール生後9か月

 Joseph, René-Claude Simardジョセフ、ルネ=クロード・シマールは、1961年2月 28日午前3時33分にChicoutimi シクーティミの’Hôtel Dieuオテル ・デューで生まれ、1961年 3月11日にSt-Jean Hudes de Jonquièreサン= ジャン・ユードゥ・ ドゥ・ ジョンキエール教区にあるHôtel Dieu St-Vallierオテル・ デュー ・サン= ヴァリエで洗礼を受けました。 (Passion René Nathalie et Régis Simardより)

 

<ルネのいとこは100人!!>

 亡きジャン=ロック・シマール氏は15人兄弟の12番目で、いとこは総勢100人になるそうです! お名前は公表しませんが、お父様がシマール一家の長男さんだという私のお友だちからの情報ですので確かです。人数が多いので、いとことは言え全員が揃うことも、ルネと直接会うことも難しいそうです。2013年8月2日に全員が集まる会を催したところ、ルネたちはその日、母ガブリエルの病床に付き添っていて来られませんでした。そして、その翌日3日21時にルネの母ガブリエル・ラベは亡くなられたそうです。

 私のお友だちがルネに会ったのは、彼女が出産のために入院していた産院でだったそうです。それは1974年にルネが第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を受賞して凱旋帰国した後で、ルネは彼女に、「日本ではたくさんのファンが僕を待ってくれている。」と語ったとのこと。私は、日本には今でも私のようなルネの大ファンがいると伝えたところ、彼女は「ルネは幸せですね。」と言ってくださいました。

▲父ジャンロック・シマール氏に抱かれ、おばあちゃん(grand-maman L'Abbé)と一緒のナタリー(おばあちゃんの右後方に母ガブリエル・ラベ)

 ルネの「いとこ100人」には驚きましたが、それは父方シマール家のいとこで、母方 L'Abbéラベ家は数えられていないことに気付きました! 私が教わったフランス語の教授は日本に帰化し、日本名を名乗っていましたが、カナダでの名前はジュリウス・ダウで、ルネの「従兄」だと言っていました。バシャン姉妹の本のナタリーと一緒に移っている祖母は母方のおばあ様でしたから、母方のいとこも数えたら、いとこは総勢何人になるのでしょうね? ちなみに過去ログでお話したとおり、教授からはルネのアルバム3枚とポスターをいただきました

 

<ジョゼフ君の投稿写真集>

 ジョゼフ君がたくさんのコレクションを投稿してくださっています 以前にも何枚か紹介いたしましたが、多過ぎてなかなか紹介できずにいます。私のルネ・コレクションと重複するものは有っても、日本のファンが見たことの無いものもたくさんあります。すべてをご覧いただきたいのはやまやまなのですが、コンサートの連続写真はあまりに多すぎて、私が選んだ数枚のみに止めなければならないことが残念です。今後、ジョゼフ君のコレクション・コーナーを設けようか思案中ですよ~♪

上:凱旋帰国の空港で報道陣に囲まれて 下:パリでシルヴィー・バルタンとリムジンで

 また、ジョゼフ君は実はナタリーの大ファン! ナタリーが「銀河のロマンス」と「花の首飾り」と「Ma mère chantait toujours」を日本語で歌ったという情報提供への感謝の気持ちは、彼の膨大なコレクションの投稿につながっているようです(^^♪ こちらこそ感謝してもし切れないほど投稿していただいていて恐縮しています! Merci beaucoup, Josef!!

 

<カールさん、ジョアンヌさん、ナタリーさんの画像と映像>

 カールさん、ジョアンヌさん、ナタリー・ヴァリエールさんからはルネの記事、出演したTV番組の録画やステージを撮影した映像を提供していただいています

 ジュアンヌさんは、ルネのデビュー50周年を祝う特別番組の膨大なスクリーン・ショットや、ルネの映像、掲載誌の記事をメッセンジャーで提供していただきました カールさんからはメッセンジャーでたくさんの映像や画像をいただいています。ナタリーさんからは前回紹介いたしましたバラエティー番組「PLAN RAPPROCHE」の映像と画像を投稿していただきました。その他にもコメントで情報や画像をメンバーさんから投稿いただいています。

 

 ファン・グループ作成以前に提供していただいたものは、当ブログの記事で紹介させていただきましたが、折を見てファン・グループでも紹介させていただこうと考えています。また、ファン・グループでは、当ブログではまだ扱っていないルネ記事も、翻訳無しで記事画像のみ投稿していたりしますので、facebookの方に覗きに来てくださいね

 

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カナダからやってきた13歳の天使 ルネ

2022年10月16日 | ルネ・シマール物語

 10月も既に半ば。残暑から一変12月のような寒い日も有り、秋の虫が鳴いて木の葉も色づき始め、やっと秋らしくなってきました。

 まだまだ先のことかもしれませんが、来年の今日はルネが監督するミュージカルLa famille Addams アダムス・ファミリー」の公開前夜です。ルネはこれからオーディションをして配役の発表などを控え、ますます忙しくなることでしょう。

 そしてルネは去る10月12日にでジャルダン・ドラモンドヴィユ芸術センターにおいて、Bernard Fortinベルナール・フォルタンが司会を務め、プリビレッジ会員限定で一般公開されたバラエティー番組「PLAN RAPPROCHE」に出演しました 「Tourne la page」を歌い、ユーモアたっぷりなルネをご覧くださいね(ルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi : pour René Simard」のメンバーNathalie Valliéresさん提供) Facebook

 

 

 そして今回は、ヤフオクでゲットした高一時代」1974年(昭和49年)9月号(8月上旬発売)掲載の記事紹介いたします。

 ルネ記事が掲載された「中一時代」、「中二時代」、「中三時代」はヤフオクで揃えましたが、「高一時代」でも取り上げられていたのですね。

 

カナダからやってきた13歳の天使 ルネ

▲右上:「ミドリ色の屋根」を熱唱するルネ 下:フランク・シナトラよりカップを受けるルネ

 第3回東京音楽祭で、世界各国から集まったなみいる強豪たちをおしのけて、グランプリに輝いた、カナダからやって来た”13歳の天使”ルネ・シマールくん。美しいボーイソプラノで、素直に歌う歌唱法、まさに天使の歌声といってもほめすぎではないだろう。音楽祭の受賞曲でもあり、日本でのデビュー曲でもある『ミドリ色の屋根』は、ヒットチャートの上位を独走中だ。東京での滞在20日ばかりで、すでに日本の新御三家と肩を並べるほどの人気を獲得してしまったねも少年。

 ルネ・シマール、1961年2月28日、カナダのケベック市に生まれたフランス系カナダ人である。

 お父さんが、木材労働場のコックをしているかたわら、教会のリーダーをつとめているという、音楽一家に生まれたルネは、7歳のとき、その聖歌隊員になった。

 そして、彼が8歳になったとき、お父さんが病気で倒れ働けなくなり、ルネの一家は貧しさゆえに、せまい安アパートに引っ越さねばならなくなった。そんな家庭の事情を幼いながらルネは理解することができた。ルネはその時からお母さんのために故郷の街に自分の家を建ててやろうと誓った。そこで、ルネ少年は、さっそく行動に移った。兄のルジと二人で、学校が終えたあと、近所のレストランや、バーにもぐり込んで、歌をうたっては、テーブルをまわって、帽子にお金を入れてもらった。そのときルネの歌は、お酒に酔いしれているおとなたちの耳にもすばらしい感動を与えた。しかし、もちろん、それぐらいでは、鳥かごぐらいの家賃さえもかせげなかったが、自分の芸をみがくことができた。

 そのルネが、プロとしてデビューできたのは、ケベックでの素人コンテストに優勝し、その上、テレビのタレント・スカウト番組に14回出場し再び優勝したのがきっかけだった。

 10歳のとき『鳥』をうたってデビューし、そのデビュー曲が大ヒットとなり、以後、カナダ、フランスで大活躍。3年間で、たくさんのシングル・ヒットと7枚のLPを発売させた。そして、レコードのほかに、映画やテレビでもその才能を発揮し、日本での”郷ひろみ”的存在として幅広い多くのファンをつかんだ。いつも『笑いつづけなさい、歌いつづけなさい』という言葉を胸にくり返しくり返し思い出しながら歌い続けた。

 そして、ついに念願だった、お母さんたちのために新しい家を故郷に買うことができた。

 13歳、とってもいたずらっ子で、甘えっ子で、ワンパク坊主でもある。人の食べている食べ物の中に、チョットよそみをしているうちに食塩をドバッといれちゃったり、おもちゃの昆虫で女の子を驚かせたりと、彼のまわりはいつも笑いとざわめきでいっぱい。

 現在、彼はカナダに帰っている。そして8月の20日すぎに、再び、日本のファンの前にやって来てくれる。すでに、その頃のテレビ・スケジュールはギッシリ。また、東京と大阪でのコンサートも予定されている。カナダ、フランスでもアイドルだけに、また一か月程しか日本にいないというけど、きっと美しいボーイ・ソプラノで、十分、わたしたちをたんのうさせてくれるだろう。

 ルネ・シマールのファン・クラブは、

 〒108 東京都港区芝浦3の20の4 株式会社TCJ内 メープル・メイツ

 

 Facebookのルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi : pour René Simardはお陰様でメンバーが600人を超えました(^^♪ 「毎日1記事投稿」の目標も達成継続中! 日本のファンが知らなかったカナダのルネ情報、ルネの画像や映像も寄せられ嬉しい限りです 次回はその中からいくつか紹介したいと思いますのでお楽しみに 

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ルネがミュージカル「アダムス・ファミリー」の監督に!

2022年10月08日 | ルネの活動記録

 朗報です!! 

 ルネが来年2023年10月に公演される、ミュージカルLa famille Addams アダムス・ファミリー」の監督をすることになりました! この壮大なショーは、ブロードウェイとフランスで既に大成功を収めています。

 これらの情報提供はジョアンヌ・ガニョンさんからで、10月5日(水)に放送された「Salut Bonjour」で発表されました♪

 私はアメリカ映画「Addams Familyアダムス・ファミリー」のシリーズは何度も観ました。10月はハロウィーンの月でもあるため、今年は金曜ロードショーでも放映され、昨日「アダムス・ファミリー2」を観たばかりです♪ 子どもの頃、アメリカのTVアニメの日本語吹き替え版「幽霊城のドボチョン一家」を観ていたので、この主題歌は歌えちゃったりします(笑)。ミュージカルは映画の第1作と同じ内容のようですね♪

 ルネが監督するミュージカルの台詞はフランス語ですが、振り付けはTeam White チーム ホワイト (レボリューションの第 1 シーズンの勝者) が、音楽監督はギヨーム・ サンローラン (ミュージカル メリー ポピンズ」、「フェイム」、「マンマ ミア」、「グリース」など)が担当します。

Merci pour vos précieuses informations, Johanne ❤

 

ミュージカル:RenéSimardが「La famille Addams アダムス・ファミリー」を上演します

La famille Addams アダムス・ファミリー」が来年、サン・ドゥニ劇場で公開されます。 ルネ・シマールが、2023年10月に発表されるミュージカルのケベック版を監督することを、Le Journalが発表しました。

 ルネ・シマールと彼のユーモアは、その伝染性と同じくらい伝説的なユーモアと、アダムス・ファミリーの世界とのコントラストで、一部の人たちを驚かせることでしょう。 しかしルネ・シマール監督は、この新しい任務で、彼自身が「完全にミュージカルの要素の中に」いることを保証しています。

「私はいつもハロウィーンでは、ティム・バートンの世界、ブラック・ユーモア、そして暗いすべてのもので覆されてきました。」とルネ・シマールは語りました。

 しかし、たとえショーが2023年10月に上演されたとしても、この監督は「ハロウィーンのショーではない」というニュアンスを示しました。今回は、その伝統的な毎年恒例の家族のお祝いの中で、有名な「アダムス・ファミリー」を見つけることができるでしょう。

 ミュージカルの公式説明は次のとおりです。

 アダムス一家は、この家族が住んでいる巨大で暗い大邸宅に私たちを導きます。 家族の長女メルクルディは、今では若い女の子に成長し、同年代のほとんどのティーンエイジャーと同様に、初めて恋に落ちていました。しかし、彼女の家族の目には、彼女のボーイフレンドはすべてにおいて欠点がありました。魅力的なモーティシアという母親の反応に恐れをなしたメルクルディは、愛の秘密を打ち明けることを決め、父親ゴメス・アダムスに、父親がこれまでの人生で一度もしたことのない、愛するモーティシアにこの秘密を隠しておくことを強要します。メルクルディのボーイフレンドを公式発表会するのために、アダムスの邸宅で夕食会が開催されるその日まで!

※メルクルディ・・・英語版では「ウェンズデー」

「私たちは違いに近づきます。これはおそらく1つは正常ですが、もう一方は異常であり、逆もまた然りです。そして、それは私たちの親愛なる社会の反映そのものであり、とても愛情深いですが、それにも欠陥があります。」とルネ・シマールは言いました。

 

漫画からステージまで

 1991年に映画製作者のバリー・ソンネンフェルドによってスクリーンに持ち込まれた「Addams Family アダムス・ファミリー」のキャラクターは、1930年代に「New Yorker ニューヨーカー」のページで初めて生まれました。ゴメス、モーティシア、そして彼らの映画フィルムは、最終的に2010年にブロードウェイの舞台に飛び出し、主役にネイサン・レーンとベベ・ノイワースを獲得しました。

 それ以来、このミュージカルは、ブラジル、イギリス、オーストラリア、フランスなど、アメリカからスペインまで、世界中で上演されてきました。 ケベック版に使用される翻訳はフランスで採用されたもので、劇中の台詞は規範的なフランス語です。振付はレボリューションの最初のシーズンにおける素晴らしい勝者「Team White チーム・ホワイト」のものです。キャスティングはもう少し後になりますが、オーディションは今後数週間で行われます。

 このミュージカルは少し異なるビジネスモデルを採用しており、何人かの投資家が力とリソースを結集して、資金調達と制作を行っています。

 「アダムズ・ファミリー」は現在のところ、2023年10月17日モントリオールのサン・ドゥニ劇場(12回以上の公演)で、その後2024年のクリスマスにケベックシティのアルベール・ルソー公会堂で発表されることが決定しています。モントリオール公演のチケットは金曜日に販売されます。

Salut Bonjourのインタビューでは、今年大成功を収めた舞台劇「LE DINER DE CONS 奇人たちの晩餐会」や今年35年目の結婚記念日を迎えた妻マリー=ジョゼや家族のこと、昨年デビュー50周年を迎え、53枚目のアルバム「Condorリリースしたことや、念願の「GARA comediHa!」に出演したこと等が語られたようです。

 

Addams Family アダムス・ファミリー」のオーディションや配役発表など、これからますます忙しくなるルネ。来年の公開が待ちきれませんね

 

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 今日は十三夜。10日(月)が「スポーツの日」で3連休の初日です。

 ずっと厳しい残暑が続いていましたが、暦の上では「寒露」。やっと秋らしくなってきましたね。

 実は、今回は別の記事を予約投稿していましたが、ルネがミュージカルアダムス・ファミリー」の監督をするというビッグ・ニュースが6日深夜(日付が変わってすぐ カナダ時間では5日)に舞い込んだため、記事の最初に書くはずだった近況と、まとめの文章を急遽こちらに移動しました(笑)。

 十五夜の9月10日はススキの穂がほとんど出ていなくて、必死になって探し回り、シマ姉家と実家の分10本をやっとのことで確保しましたが、母は「ススキの穂が耳に入るとツンボになる」という言い伝えを信じていて、採って来た私の苦労も知らず、翌日には折りたたんで新聞紙に包んでありました★ 現在はもう道路脇はそこら中ススキだらけで、何だかなぁ・・・という感じです(笑)。十五夜さんをお迎えしたら、十三夜さんもお迎えするのが習わしですので、午前中に行きつけの和菓子屋さんに予約していたお月見団子を取りに行って、ススキを6本(3本✕2軒分)採って実家に行ってきます。

 前回お伝えしたSONYへの問い合わせの件ですが、まだお返事はいただいておりません。・・・というよりは、やっぱり返信がないまま、分からず仕舞いかな~という感じですね。

 余談ですが、今まで特にチェックしていなかった迷惑メールや、「迷惑メールブロックサービス」の迷惑メールボックスに隔離されていないかどうかチェックするようになったところ、いやはや詐欺メールがいっぱい★ 「50億円当選おめでとうございます!」だの、「民法415条・417条・709条によって損害賠償請求を行い勝訴しましたので至急、ご確認下さい。」だの、こちらも何だかな~です★ ルネ友のみなさまもお気を付けくださいね!

 それから、goo blogに引っ越した後は、少し肩の力を抜いて記事制作しようとしていました。ルネの53枚目のアルバム「Condorコンドル」の収録曲とセットの記念誌の翻訳をしていく計画は変わりません。このところFacebookのルネ・ファン・グループCondor, c'est toi : pour René Simard」のメンバーが毎日増え続けており、現在のメンバーは585人! そのウェルカム・メッセージや、毎日1投稿を目標にしているルネの画像の投稿で充実した毎日を送っているシマ姉です。 

 ファン・グループのお陰で、日本のファンが見たことの無いカナダのルネ画像の投稿や、レアな情報提供も有って、当ブログでどのように紹介するか検討中ですので、楽しみにお待ちくださいね❤

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ALFAレコードで発売中止になったカナダのルネ・シマールとナタリー・シマールのレコ―ドについて

2022年10月01日 | ルネの日本語の歌
  今日から10月。衣替えで気分を一新して、令和4年度もいよいよ後半戦。TV番組も入れ替えで新番組が続々と始まります。
 
  ルネは舞台劇「LE DINER DE CONS 奇人たちの晩餐会の千秋楽を迎えてから、息子オリヴィエ一家の新居への移転等で忙しいのか、しばらくfacebookの公式ページの更新はありません。もしかすると計画していた旅行に行っていたかもしれませんし、ドゥニーズとのプロジェクトを進めているのかもしれませんが、 去る9月24日に、ルネは映画「J'ai mon voyage」で共演して以来の無二の親友Dominique Michelドミニク・ミシェル の90 歳のお誕生日をお祝いする特別番組「En Direct de l’Univers」で、歌と踊りを披露しました
 ルネは、フランク・シナトラの1960年のヒット曲でジャズのスタンダード・ナンバー「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン Fly Me to the Moon私を月に連れて行って)」(原題は「In Other Words)を英語詞で歌い、アレックス・フランクール氏の振り付けで踊っていますのでお楽しみくださいね(^^♪
 
 
 私はというと、facebookのルネ・ファン・グループCondor, c'est toi : pour René Simard」のメンバーが500人に迫る勢いで増え、「毎日1投稿」の目標も今のところ達成しながら、楽しく充実した日々を送っています。
 
 
 また、以前お伝えした「とちぎコープ 『わが家のグリーンカーテン大作戦』取り組み紹介(2022年度)」(申し込み期間:2022年8月1日(月)~8月28日(日))facebookで紹介され、私は111名の参加者の最初の投稿者だったためか、トップで紹介されていてビックリしました(笑)。

とちぎコープ 「わが家のグリーンカーテン大作戦」取り組み紹介(2022年度) | コープデリグループのサステナビリティサイト|コープデリ連合会 (coopdeli.coop)

 
 
  そして、タイトルの「ALFAレコードで発売中止になったカナダのルネ・シマールとナタリー・シマールのレコ―ドについて」を、SONYへ問い合わせメールとして、3連休前の22日(木)に送りました。
 
 まずは担当さんが私からのメールを開いてくれるかが第1関門ですね! ジョゼフ君が以前に問い合わせた部署がまだ有るのか、当時の担当者がまだいらっしゃるのかも分かりません。そして、メールを開いてくれたからといって、親身になって探してくれるか、そして録音テープが保管されているかも分かりません。
 
 ちなみに、私のブログ記事や、音楽プロデューサーの宮住俊介氏とナタリー本人からの証言等もお伝えするようにしました。ルネの3曲のレコーディングに立ち会うためにカナダに行ったCBSソニーの金塚さんのことも書きました。多分彼女はすでにご退職されているとは思いますが・・・。

 今回は、問い合わせのメールの内容を紹介いたします。個人情報に当たるため、一部名前は伏せてありますのでご了承ください。

 

      ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 

 突然のメールで失礼いたします。

 私はルネ・シマールのファン・ブログと、facebookでファン・グループを管理している〇〇と申します。

 早速ですが、件名のとおり、ALFAレコードで発売中止になったカナダのルネ・シマールとナタリー・シマールのレコ―ドについてお教えいただければ幸いと思い、メールを差し上げた次第です。

 また、以前、ナタリー・シマールのファンであるカナダ人男性から、「1983年にALFAレコードから発売される予定だった、ナタリー・シマールの日本のファースト・アルバムの録音テープが残されていないですか」という問い合わせが有ったことと存じます。彼は当ファン・グループのメンバーの1人であり、貴方様のこの連絡先を教えてくださった人物でもあります。

 彼は、貴方様にナタリーのことを問い合わせた際、日常会話がフランス語中心であるケベック人の彼は、英語で十分に説明できていたかどうかを不安に思い、貴方様へもう一度問い合わせることを、私に依頼してきました。

 ナタリー・シマール(Nathalie Simard)は、1974年に「ミドリ色の屋根」で日本デビューした、ルネ・シマールの妹です。

 ルネ・シマール(René Simard)は日本でデビューした当時、13歳だったカナダの歌手で、デビュー曲「ミドリ色の屋根」は、当時のCBSソニーが発売し、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得したことを受けて大ヒットしました。ルネの全曲集CD「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」は、Sony Music Shopのオーダーメイドファクトリーにおいて2012年6月10日に発売(※1)されました。現在もiTunesとAmazon.co.jpでも販売されておりますので、ご存じのことと思います。私はこのCD集の発売決定までブログで紹介し続けていました。単なる偶然かもしれませんが、CD集の発売日は当ブログの開設日と同じ6月10日です。このことは、ルネの来日当時からのファンとして大変光栄に思っています。

 

 

 また、ルネは、1976年開催のモントリオール・オリンピックのテーマ曲「Welcome to Montrealを「モントリオール讃歌」(B面「この旗の下で」)としてリリースしました。しかしこの曲は日本語で歌われましたが、変声期を迎えたことにより日本語バージョンは未発表に終わりました(※4)。この曲は村井邦彦氏が関わり、CBSソニーの金塚さんという女性ディレクターがカナダで立ち会ってレコーディングしたそうです。(※4

 ナタリー・シマールにおいては1983年の日本デビュー曲「5月の手紙」がヒットに至らず、ファースト・アルバムは発売予定が同年12月に延期された後発売が中止になりました。この曲は、後にTVアニメ『光の伝説』の主題歌『ハートの季節』として伊藤つかさが歌いました。

 

 

 第12回東京音楽祭世界大会のプレゼンターとして兄ルネと来日した際、彼女はザ・タイカースの「銀河のロマンス」と「花の首飾りと「Ma mère chantait toujours」を日本語でレコーディングしています。この3曲のレコーディングについては、音楽プロデューサー宮住俊介から彼の音楽エッセイ(※4)で直接情報を得ています(※3)。彼女が作曲家都倉俊一氏に指導を受ける様子は、カナダのファン・クラブ会誌で公開されていました(下の写真参照)。また、このことをfacebookに投稿したところ、ナタリー・シマール本人から、『銀河のロマンス』と『花の首飾り』を歌ったことを覚えているというコメントが書き込まれました。

 

 

 さらにルネにおきましては、1975年に放映されるはずだったTVアニメ『家なき子』の主題歌『旅するレミのテーマ』と『流れる水のようにをレコーディング(※2)していました。しかし『家なき子』は、別の制作会社(東京ムービー新社による新しい試みの3Dアニメ)とかぶったため、放映が中止され、レコードも発売されませんでした。この曲も前出の金塚さんがカナダでレコーディングに立ち会われていました(※2)。余談ですが、その後日本アニメーションによってアニメ化された『家なき子』の主題歌は、さだまさし氏が歌いました。

 

 大変お忙しいところ申し訳ございませんが、もしもこれらの曲が、ALFAレコードから貴社に移されるなどで、録音テープや記録が残されておりましたら、残されていたという事実だけでもご連絡いただければ幸いでございます。

 お調べいただきたい曲については次のとおりです。

〇ナタリー・シマール

・銀河のロマンス(1983年日本で録音 宮住俊介氏がプロデュース)

・花の首飾り(1983年日本で録音 宮住俊介氏がプロデュース)

・Ma mère chantait toujours(ジネット・ルノのヒット曲を日本語詞で1983年に録音)

 〇ルネ・シマール(1975年CBSソニーの金塚さんがカナダで立ち合って録音:未発表)

・モントリオール讃歌(「Welcome to Montreal」の日本語バージョン)

・旅するレミのテーマ(TVアニメ『家なき子』のテーマ曲として録音)

・流れる水のように(TVアニメ『家なき子』のテーマ曲として録音)

 

<参考資料>

Goo blog「ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~」より

※1ブログ開設7周年目とCD発売日! - ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~ (goo.ne.jp)

※2ルネが歌う主題歌 - ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~ (goo.ne.jp)

※3幻になったナタリーの日本のアルバム - ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~ (goo.ne.jp)

※4 宮住 俊介 音楽プロデューサー・Shun Miyazumi のエッセイ! / (株)シュン・コーポレーション

December 24, 2011宮住 俊介:ルネ・シマール その3(最終回) - livedoor Blog(ブログ)

 

 私のメールを最後までお読みいただきありがとうございました。貴方様から連絡をいただけることを、最後の望みとして、藁にもすがる思いでお待ちしております。

    Goo blog「ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~」並びに

    facebookルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi : pour René Simard」管理人

 

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 レコードやCDをリリースするには、制作に関わる費用だけでなく、宣伝費など多額の費用がかかることですし、著作権とか、私たち一般人には分からないことがたくさん有りますから、販売元は慎重にならざるを得ないのでしょう。全曲集CDに収録されることが一番手っ取り早かったのですが、様々な事情で発表できなかったのかもしれませんね。

 今までにも、ルネ友さんたちがそれぞれ最善を尽くしても見つからなかったので、録音テープが見つかる確率はかなり低いです。でも、希望は捨てずに待ってみます。既に40年以上待っているのですから、ルネ友のみなさんも待つのには慣れていますよね~(笑)。連絡が来るのを祈ることしか出来ませんが、万が一(泣)にも返信が有ったらブログで報告いたします。

 たとえ返信が来なくても、録音テープが見つからなくても、今と何ら変わりません! そして、調べ尽くしたことのまとめ記事という視点から、問い合わせメールを記事にする、転んでもただでは起きないシマ姉なのでありました(爆★)。

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