本日、今年の目標その1である『アクセス数22800』を達成いたしました♪
達成時刻は18時58分頃。そして私は22799★ 狙っていたのに約1分差の1違いで22800を逃してしまいました(泣)。ちなみに、10000は私、11111はやんばるQさん、20000はダイアナ・シールズさん、22222は不明。
teacupのブログにおいて、カウンターに表示されているアクセス数は、1つのURLから何度アクセスしても、1日に1カウントしかしません(管理人のみ見ることが出来るアクセス解析のカウントは実際のアクセス数です。例えば昨日はアクセス数110 アクセス解析では261)。だから、22800アクセスを踏むチャンスは1日たった1回。職場で休憩中に確認しておいて、22798の時に職場を出たのですが、帰宅まで所用のため1時間以上かかったから、もしかして♪…と思ったのですが……★
22800を踏んだ方、いらっしゃいましたら、是非ご連絡くださいね!
そして、今日の記事で204記事目。228記事まであと24記事と迫りました。予定の記事は大体決まっていて、下書きの済んでいる記事もありますので、取りあえず228記事達成は4月中? あと一頑張りです!
それから、昨日アクセスできないと書いたBCSDが復活!何故?!でも、元に戻ってよかったです♪
さて、今回紹介いたしますのは、1974年7月6日(土)。
この日は雑誌の取材が3件、TV番組の仕事が2本。来日してすでに11日目。2週間目も後半に入ろうとしているのに、休日なしのルネ! カナダでならとうにお休みをもらっているはず。何故ならカナダでは、13歳の子供を休みなしで1週間働かせることは許されていないからです。日本での活動も、カナダで決められている1日の活動時間5時間という制限を、話し合いで延ばしてもらっているので、それだけでもきついのに…★ 初めての国で、初めての海外での活動というだけでも、ルネには負担が大きかったはずです。翌7月7日は豊島園でちょっとだけ遊べたけれど…。
ルネがいたずらっ子なのは、もとからなのかも知れませんが、茶目っ気たっぷりないたずらを周りの大人に仕掛けることで、一種のストレス解消をしていたのではないかと思ってしまいます。また、この本を買った当時は、ルネの画像がたくさん見られたことに満足して、スケジュールについてはあまり気に止めていませんでした。しかし、大人になって仕事をしている今、このスケジュールを見ると、如何にルネが大変であったかが分かります。その中で、笑顔を絶やさず、精力的に活動していたルネを知れば知るほど頭が下がる思いがします。ルネの容姿や雰囲気だけを見て、「ルネが日本にいたらいじめられっ子だろう」とコメントを書いているブログがありましたが、幼い頃貧しかった経験や、どんなに大変でも歌手活動を続けてきたルネの芯の強さは、誰にも負けないし、それが現在のルネの強さや自信となっているのではないかと思います。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
ルネが1回目に来日した1974年6月26日(水)から7月13日(日)までの19日間のくわしい活動内容が、今は無きケイブンシャ(勁文社)発刊のニュー・ソング・ブック臨時増刊号「スーパーアイドル ルネ」に掲載されました。
◆7月6日(土)
8:45
ホテル出発。
9:00
東京12チャンネル”ザ・ロンゲスト・ショー”リハーサルのため、スタジオ入り。
10:15
週刊明星誌取材。
11:00
週刊平凡誌取材。
14:00
セブンティーン誌取材。
15:30
12チャンネル、”ザ・ロンゲスト・ショー”に出演。
18:00
12チャンネル、”ガッツ・ヤング”ビデオ取り。
ルネは、まめに衣装を変えます。この日のように、一日に何度かテレビ出演する時、撮影のある時には、必ず二、三着の衣装を持って出ます。ジーンズの上下や、自慢の白い皮の上下、そんな衣装ですが、来日の時に、20着の衣装を持って来たという位です。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
この当時のルネの記事です。
《ミドリ色の屋根》ルネ・シマール
すき通るようなきれいな声 茶色のサラサラした長い髪… 『ミドリ色の屋根』を歌って みごとに東京音楽祭のグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得した13才のルネ 受賞決定の瞬間 そのくっきりした二重まぶたの瞳を 涙でいっぱいにしたかわいいルネーー
彼はカナダのスーパー・アイドルで TVのレギュラー番組を持っているほか 自伝映画にも出演して大ヒットさせたほどの人気者だ 歌をはじめたのは 教会で聖歌隊のリーダーをしていたパパの影響 また7人きょうだいの下から2番めという にぎやかな環境の中で育っただけに茶目っ気たっぷり いつも楽しい雰囲気をまわりにただよわせている 8月中旬の再来日が 今から楽しみだね
達成時刻は18時58分頃。そして私は22799★ 狙っていたのに約1分差の1違いで22800を逃してしまいました(泣)。ちなみに、10000は私、11111はやんばるQさん、20000はダイアナ・シールズさん、22222は不明。
teacupのブログにおいて、カウンターに表示されているアクセス数は、1つのURLから何度アクセスしても、1日に1カウントしかしません(管理人のみ見ることが出来るアクセス解析のカウントは実際のアクセス数です。例えば昨日はアクセス数110 アクセス解析では261)。だから、22800アクセスを踏むチャンスは1日たった1回。職場で休憩中に確認しておいて、22798の時に職場を出たのですが、帰宅まで所用のため1時間以上かかったから、もしかして♪…と思ったのですが……★
22800を踏んだ方、いらっしゃいましたら、是非ご連絡くださいね!
そして、今日の記事で204記事目。228記事まであと24記事と迫りました。予定の記事は大体決まっていて、下書きの済んでいる記事もありますので、取りあえず228記事達成は4月中? あと一頑張りです!
それから、昨日アクセスできないと書いたBCSDが復活!何故?!でも、元に戻ってよかったです♪
さて、今回紹介いたしますのは、1974年7月6日(土)。
この日は雑誌の取材が3件、TV番組の仕事が2本。来日してすでに11日目。2週間目も後半に入ろうとしているのに、休日なしのルネ! カナダでならとうにお休みをもらっているはず。何故ならカナダでは、13歳の子供を休みなしで1週間働かせることは許されていないからです。日本での活動も、カナダで決められている1日の活動時間5時間という制限を、話し合いで延ばしてもらっているので、それだけでもきついのに…★ 初めての国で、初めての海外での活動というだけでも、ルネには負担が大きかったはずです。翌7月7日は豊島園でちょっとだけ遊べたけれど…。
ルネがいたずらっ子なのは、もとからなのかも知れませんが、茶目っ気たっぷりないたずらを周りの大人に仕掛けることで、一種のストレス解消をしていたのではないかと思ってしまいます。また、この本を買った当時は、ルネの画像がたくさん見られたことに満足して、スケジュールについてはあまり気に止めていませんでした。しかし、大人になって仕事をしている今、このスケジュールを見ると、如何にルネが大変であったかが分かります。その中で、笑顔を絶やさず、精力的に活動していたルネを知れば知るほど頭が下がる思いがします。ルネの容姿や雰囲気だけを見て、「ルネが日本にいたらいじめられっ子だろう」とコメントを書いているブログがありましたが、幼い頃貧しかった経験や、どんなに大変でも歌手活動を続けてきたルネの芯の強さは、誰にも負けないし、それが現在のルネの強さや自信となっているのではないかと思います。
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ルネが1回目に来日した1974年6月26日(水)から7月13日(日)までの19日間のくわしい活動内容が、今は無きケイブンシャ(勁文社)発刊のニュー・ソング・ブック臨時増刊号「スーパーアイドル ルネ」に掲載されました。
◆7月6日(土)
8:45
ホテル出発。
9:00
東京12チャンネル”ザ・ロンゲスト・ショー”リハーサルのため、スタジオ入り。
10:15
週刊明星誌取材。
11:00
週刊平凡誌取材。
14:00
セブンティーン誌取材。
15:30
12チャンネル、”ザ・ロンゲスト・ショー”に出演。
18:00
12チャンネル、”ガッツ・ヤング”ビデオ取り。
ルネは、まめに衣装を変えます。この日のように、一日に何度かテレビ出演する時、撮影のある時には、必ず二、三着の衣装を持って出ます。ジーンズの上下や、自慢の白い皮の上下、そんな衣装ですが、来日の時に、20着の衣装を持って来たという位です。
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この当時のルネの記事です。
《ミドリ色の屋根》ルネ・シマール
すき通るようなきれいな声 茶色のサラサラした長い髪… 『ミドリ色の屋根』を歌って みごとに東京音楽祭のグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得した13才のルネ 受賞決定の瞬間 そのくっきりした二重まぶたの瞳を 涙でいっぱいにしたかわいいルネーー
彼はカナダのスーパー・アイドルで TVのレギュラー番組を持っているほか 自伝映画にも出演して大ヒットさせたほどの人気者だ 歌をはじめたのは 教会で聖歌隊のリーダーをしていたパパの影響 また7人きょうだいの下から2番めという にぎやかな環境の中で育っただけに茶目っ気たっぷり いつも楽しい雰囲気をまわりにただよわせている 8月中旬の再来日が 今から楽しみだね