朝晩の冷え込みに秋の深まりを感じる今日この頃、ルネ友の皆さまにおかれましては如何お過ごしでしょうか?
前回の記事で、9月15日にRadio Canadaで放送された"Gala des Gémeaux"を紹介いたしました。ルネ一家のパロディー「Le bonheur est dans le pouding -幸せはプディングの中に-」が、早速YouTubeにアップされていましたのでご覧ください。
♪YouTube映像”Les Simard-Taillefer”
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さて、今回紹介する記事は、1974年8月27日(火)放送のTBS『火曜歌謡ビッグマッチ』のリハーサルで、西城秀樹氏の『傷だらけのローラ』を聴いたルネとクルティエ氏がその熱唱に感激し、本番でもすっかり興奮してしまったルネが、司会の黒柳徹子さんの質問に答えるところから始まります。
アイドル情報
=西城秀樹がルネの友情にこたえて
『傷だらけのローラ』をカナダで発表=
ヒデキの歌をカナダへ
司会者の黒柳徹子が
「ルネ君が今いちばん大好きな歌手は?」
と質問したときも、ルネははっきりと、
「それはね、”ローラ”のサイジョーです!」
「あら、そう!」
チャックおねえさんは目を丸くしたが、ヒデキだってびっくりした。
さっきリハーサルで会ったばかりのルネ君が、意外にも自分を指名してくれたとは! 相手は男の子だが光栄のイタリである。
本番がすんでから、クルティエさんは通訳を介してヒデキにアプローチした。
「ルネもわたしも、あなたの歌に大へん感動しました。ぜひ、カナダにあるわたしの会社のスタジオへ来て、レコーディングしてみませんか?
スタジオは教会の形をした建物で、録音設備には自信があります。それにモントリオールの景色はじつにすばらしいからルネといっしょにご案内しましょう」
突然の申し入れに、ヒデキはおどろいたり、感激したり!
かわいいルネ君も、マネーシャーのそばで、
「”ローラ”は、ぼくも大好きな歌。カナダに紹介したら、きっとヒットするよ! ほんとうにぼくの国に来ませんか?」
と、熱心にヒデキを誘った。
「そんなにいってありがとう! もし仕事のスケジュールが許せば、もちろん喜んで…。」 ヒデキはそう答え、再会を楽しみにして、その日は分かれた。
それからというもの、ヒデキとルネ少年は兄弟のように仲よくなり、テレビの歌番組で顔を合わせるたびに、友情を深めて行った。
控室でヒデキがルネに、”ローラ”のフリを教えてやると、すぐにおぼえてしまう。ヒデキもルネから『ミドリ色の屋根』のかわいいふりをコーチしてもらったりもした。
「おたがいにがんばろうね!」
と励まし合ったり、レコードにサインして交換したり。ルネが新曲『小さな生命』を歌って、ヒデキの感想を聞いたりする。
和気あいあいのムードのうちに、9月上旬ルネ側のクルティエさんと、ヒデキ担当のRCAロビー和田ディレクターらが会談、具体的な意見をかわして、検討を進めた結果、
”ヒデキが海外向けのレコード吹き込みをすることに、両者とも全力をあげる”
という方針が決定した。これでヒデキは、世界のビッグスターに飛躍するチャンスをつかんだのだ。
『火曜歌謡ビッグマッチ』の時の写真かどうかは分かりませんが、黒柳徹子さんとのやり取りの場面(※1)が、『中二時代11月号』に掲載された記事(※2)の中にありました。その中に、「インタビュー ルネ・シマール①」で紹介した記事の取材時に撮影された、クローディーヌ・バシャンさんに着付けをしてもらっている楽屋写真(右頁中央下)もありましたのでご覧ください。また、日本のルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」に投稿されたルネの写真にも、黒柳さんが写っています。森昌子さんや、奥で出番を待つにフィンガー5が写っていますが、この公開番組は何という番組なのでしょう? 黒柳さんの衣装が違うけれど、前出の『火曜歌謡ビッグマッチ』なのでしょうか? ご存知の方がいらっしゃいましたら情報をお寄せ下さい。よろしくお願いいたします!
それから、1974年9月20日(金)に東京プリンスホテルでルネと秀樹が対面した時に撮影された写真は、室内と屋外の両方があります。インタビューはホテルの一室で(※4)、2人のツーショット写真はホテルの庭園で撮影が行われたのだと思います。
私は、2人のファンが押し寄せて混乱することを避けるために、高級ホテルを対面場所に設定したのだと、ずっと思っていました。また、ルネが帰国する当日に取材を入れたのも、多忙を極める2人のスケジュールが、この日しか合わなかったためだと思っていました。でも、2人ともスーツでばっちり決めているのは、カナダと日本のビッグ・アイドル同士の対面だから?…と疑問に思っていたら、1976年にカナダで夏季オリンピックのモントリオール大会が開催されることを受けたカナダ・フェアの開幕式で、ルネがテープカット役として招待されていたかららしいです。「TVfan」に掲載されたルネと秀樹の記事に写真が載っていました。また、開幕式のパーティー(?)で食事をしているルネの様子もありました。その記事については、またの機会に改めて紹介いたします。
▲※1:ルネと黒柳徹子さん(『中二時代11月号』に掲載された記事より抜粋)
▲※2:『中二時代11月号』に掲載された記事
※過去ログ「インタビュー ルネ・シマール①」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/610.html
▲※3:『メープル・メイツ』に投稿されたファンからの写真
▲※4『メープル・メイツ』の会報に掲載されたルネと西城氏の写真
次回のタイトルは、「ルネと秀樹の友情③-『ローラ』をフランス語で-」。過去ログでも紹介しましたが、日本とカナダのスタッフの交渉で、『傷だらけのローラ』の仏語版をカナダやフランス等で売り出すためのプロジェクトが立ち上がりました。カナダに帰国したギー・クルティエ氏が、ノーベル・レコードの総力を挙げてレコード発売までにPR活動を展開し、ルネもケベックでの人気を利用してヒデキを紹介しました(PR活動についてはシリーズ4回に続く)。それについて、以前紹介した記事よりも詳しく書かれていますので、お楽しみに♪
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猫アスカ通信
以前にも増して元気いっぱいのシマ姉家の愛猫アスカ。外遊びして帰ってくると必ず体を拭かれるので、最近は「拭く?」なのか「拭いて~」なのか分かりませんが、伏せをして待ち、ゴロゴロのどを鳴らしながら耳から鼻から拭かれています。でも、お腹を拭かれるとじゃれてカミカミケリケリ攻撃★
また、以前から引き戸は開けられるようになっていたのですが、私たちの部屋から出るのに、ハンドルレバー式のドアノブにジャンプして開ける技を覚えてしまいました。以前から人が開ける様子を見上げていたので、もしかしたらとは思っていたのですが…。でも、レバーを下げて手前に引かなければならないため、レバーを下げて跳び下りた反動でドアが閉まってしまうことも多く、失敗続きで疲れてしまうと、ドアの前で「開けて~~!」と鳴きます。人が開けるのを待って待機していたり…。また、朝冷えるようになってきたので、明け方寒くなると私の布団にやってきて枕にドーンと乗ってゴロゴロ。布団の中に入れたら温かくて気持ちよかったらしく、それ以来布団に入って来るようになってしまいました。起きろと瞼をアマガミしたり、遊んで欲しくてカミカミケリケリしたり…早朝なので、こちらは少々寝不足気味です。
シマ姉のグリーンライフ
職場のパッションフルーツは、今年2株を地植えにしたことが良かったらしく、私の知らない内に地面に落ちて、腐って処分されてしまった分を入れると、全部で50個以上生ったようです。日系ブラジル人の同僚と楽しみにしていたムースを作りました。ブラジル風ムースは、パッションフルーツの中身を種ごと1に対し、コンデンスミルク(果糖練乳)2、エバミルク(無糖練乳)2の割合で混ぜ合わせ、ミキサーにかけるだけの簡単ムース♪ ガラスの器に盛り付けて冷蔵庫で冷やして完成です。パッションフルーツの種はミキサーで粉砕されるので、種そのままが苦手な人には食べやすいです。日本人には少し甘いかもしれませんが、練乳のミルキーなムースの後から、パッションフルーツのさわやかな酸味が口の中に広がって美味しいですよ♡ また、最後の実を使ってパッションフルーツ酒を作ってみました。3日でできるフルーツ酒の作り方で、こちらも効能のあるという皮も一緒にホワイトリカーとグラニュー糖で漬けました。皮の色が溶け出した赤紫で、パッションフルーツの香りがさわやかなお酒ができました。今日、皮と種を取り除いたので、ストレートで楽しもうか、炭酸割りにしようかといろいろ考えています。
そして、最後の実を収穫して約2週間。ふと気付くと、グリーンカーテン化した蔓に蕾が…。アーチに仕立ててある方にも第2弾の蕾が出ています。南国のフルーツなので、結実しても、霜が降る前に熟すか分かりません。寒さに弱いので、霜が降る前に蔓を切って鉢植えにして室内に入れないといけません。これだけ伸びた蔓を3分の1にするって…無理!! もっと切っても大丈夫なのか…? 今から悩んでいるシマ姉です。
それから、写真の右の実はアケビです。20代の頃、やんばるさんと待ち合わせた都心の高級デパートの入り口の特設コーナーで、3つ1000円をパック入りで売っていたのを見て驚き、「山へ行け!」と思ったのを思い出しました(笑)。地元の道の駅で見つけ、5つで150円だったので、息子の食育にと、つい買ってしまいました。1番大きな実の、種の周りの甘い部分を味わわせたかったのですが、息子に遠慮されてしまいました。一度やってみたかったので、まわりの部分を肉詰めにして夕飯のおかずにしました。独特の苦みが大人の味でなかなかでしたよ。
今年は豊作だった枇杷のコンポートに始まり、創作料理に凝った夏でしたが、秋もまだまだ続きそうです。
前回の記事で、9月15日にRadio Canadaで放送された"Gala des Gémeaux"を紹介いたしました。ルネ一家のパロディー「Le bonheur est dans le pouding -幸せはプディングの中に-」が、早速YouTubeにアップされていましたのでご覧ください。
♪YouTube映像”Les Simard-Taillefer”
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さて、今回紹介する記事は、1974年8月27日(火)放送のTBS『火曜歌謡ビッグマッチ』のリハーサルで、西城秀樹氏の『傷だらけのローラ』を聴いたルネとクルティエ氏がその熱唱に感激し、本番でもすっかり興奮してしまったルネが、司会の黒柳徹子さんの質問に答えるところから始まります。
アイドル情報
=西城秀樹がルネの友情にこたえて
『傷だらけのローラ』をカナダで発表=
ヒデキの歌をカナダへ
司会者の黒柳徹子が
「ルネ君が今いちばん大好きな歌手は?」
と質問したときも、ルネははっきりと、
「それはね、”ローラ”のサイジョーです!」
「あら、そう!」
チャックおねえさんは目を丸くしたが、ヒデキだってびっくりした。
さっきリハーサルで会ったばかりのルネ君が、意外にも自分を指名してくれたとは! 相手は男の子だが光栄のイタリである。
本番がすんでから、クルティエさんは通訳を介してヒデキにアプローチした。
「ルネもわたしも、あなたの歌に大へん感動しました。ぜひ、カナダにあるわたしの会社のスタジオへ来て、レコーディングしてみませんか?
スタジオは教会の形をした建物で、録音設備には自信があります。それにモントリオールの景色はじつにすばらしいからルネといっしょにご案内しましょう」
突然の申し入れに、ヒデキはおどろいたり、感激したり!
かわいいルネ君も、マネーシャーのそばで、
「”ローラ”は、ぼくも大好きな歌。カナダに紹介したら、きっとヒットするよ! ほんとうにぼくの国に来ませんか?」
と、熱心にヒデキを誘った。
「そんなにいってありがとう! もし仕事のスケジュールが許せば、もちろん喜んで…。」 ヒデキはそう答え、再会を楽しみにして、その日は分かれた。
それからというもの、ヒデキとルネ少年は兄弟のように仲よくなり、テレビの歌番組で顔を合わせるたびに、友情を深めて行った。
控室でヒデキがルネに、”ローラ”のフリを教えてやると、すぐにおぼえてしまう。ヒデキもルネから『ミドリ色の屋根』のかわいいふりをコーチしてもらったりもした。
「おたがいにがんばろうね!」
と励まし合ったり、レコードにサインして交換したり。ルネが新曲『小さな生命』を歌って、ヒデキの感想を聞いたりする。
和気あいあいのムードのうちに、9月上旬ルネ側のクルティエさんと、ヒデキ担当のRCAロビー和田ディレクターらが会談、具体的な意見をかわして、検討を進めた結果、
”ヒデキが海外向けのレコード吹き込みをすることに、両者とも全力をあげる”
という方針が決定した。これでヒデキは、世界のビッグスターに飛躍するチャンスをつかんだのだ。
『火曜歌謡ビッグマッチ』の時の写真かどうかは分かりませんが、黒柳徹子さんとのやり取りの場面(※1)が、『中二時代11月号』に掲載された記事(※2)の中にありました。その中に、「インタビュー ルネ・シマール①」で紹介した記事の取材時に撮影された、クローディーヌ・バシャンさんに着付けをしてもらっている楽屋写真(右頁中央下)もありましたのでご覧ください。また、日本のルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」に投稿されたルネの写真にも、黒柳さんが写っています。森昌子さんや、奥で出番を待つにフィンガー5が写っていますが、この公開番組は何という番組なのでしょう? 黒柳さんの衣装が違うけれど、前出の『火曜歌謡ビッグマッチ』なのでしょうか? ご存知の方がいらっしゃいましたら情報をお寄せ下さい。よろしくお願いいたします!
それから、1974年9月20日(金)に東京プリンスホテルでルネと秀樹が対面した時に撮影された写真は、室内と屋外の両方があります。インタビューはホテルの一室で(※4)、2人のツーショット写真はホテルの庭園で撮影が行われたのだと思います。
私は、2人のファンが押し寄せて混乱することを避けるために、高級ホテルを対面場所に設定したのだと、ずっと思っていました。また、ルネが帰国する当日に取材を入れたのも、多忙を極める2人のスケジュールが、この日しか合わなかったためだと思っていました。でも、2人ともスーツでばっちり決めているのは、カナダと日本のビッグ・アイドル同士の対面だから?…と疑問に思っていたら、1976年にカナダで夏季オリンピックのモントリオール大会が開催されることを受けたカナダ・フェアの開幕式で、ルネがテープカット役として招待されていたかららしいです。「TVfan」に掲載されたルネと秀樹の記事に写真が載っていました。また、開幕式のパーティー(?)で食事をしているルネの様子もありました。その記事については、またの機会に改めて紹介いたします。
▲※1:ルネと黒柳徹子さん(『中二時代11月号』に掲載された記事より抜粋)
▲※2:『中二時代11月号』に掲載された記事
※過去ログ「インタビュー ルネ・シマール①」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/610.html
▲※3:『メープル・メイツ』に投稿されたファンからの写真
▲※4『メープル・メイツ』の会報に掲載されたルネと西城氏の写真
次回のタイトルは、「ルネと秀樹の友情③-『ローラ』をフランス語で-」。過去ログでも紹介しましたが、日本とカナダのスタッフの交渉で、『傷だらけのローラ』の仏語版をカナダやフランス等で売り出すためのプロジェクトが立ち上がりました。カナダに帰国したギー・クルティエ氏が、ノーベル・レコードの総力を挙げてレコード発売までにPR活動を展開し、ルネもケベックでの人気を利用してヒデキを紹介しました(PR活動についてはシリーズ4回に続く)。それについて、以前紹介した記事よりも詳しく書かれていますので、お楽しみに♪
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猫アスカ通信
以前にも増して元気いっぱいのシマ姉家の愛猫アスカ。外遊びして帰ってくると必ず体を拭かれるので、最近は「拭く?」なのか「拭いて~」なのか分かりませんが、伏せをして待ち、ゴロゴロのどを鳴らしながら耳から鼻から拭かれています。でも、お腹を拭かれるとじゃれてカミカミケリケリ攻撃★
また、以前から引き戸は開けられるようになっていたのですが、私たちの部屋から出るのに、ハンドルレバー式のドアノブにジャンプして開ける技を覚えてしまいました。以前から人が開ける様子を見上げていたので、もしかしたらとは思っていたのですが…。でも、レバーを下げて手前に引かなければならないため、レバーを下げて跳び下りた反動でドアが閉まってしまうことも多く、失敗続きで疲れてしまうと、ドアの前で「開けて~~!」と鳴きます。人が開けるのを待って待機していたり…。また、朝冷えるようになってきたので、明け方寒くなると私の布団にやってきて枕にドーンと乗ってゴロゴロ。布団の中に入れたら温かくて気持ちよかったらしく、それ以来布団に入って来るようになってしまいました。起きろと瞼をアマガミしたり、遊んで欲しくてカミカミケリケリしたり…早朝なので、こちらは少々寝不足気味です。
シマ姉のグリーンライフ
職場のパッションフルーツは、今年2株を地植えにしたことが良かったらしく、私の知らない内に地面に落ちて、腐って処分されてしまった分を入れると、全部で50個以上生ったようです。日系ブラジル人の同僚と楽しみにしていたムースを作りました。ブラジル風ムースは、パッションフルーツの中身を種ごと1に対し、コンデンスミルク(果糖練乳)2、エバミルク(無糖練乳)2の割合で混ぜ合わせ、ミキサーにかけるだけの簡単ムース♪ ガラスの器に盛り付けて冷蔵庫で冷やして完成です。パッションフルーツの種はミキサーで粉砕されるので、種そのままが苦手な人には食べやすいです。日本人には少し甘いかもしれませんが、練乳のミルキーなムースの後から、パッションフルーツのさわやかな酸味が口の中に広がって美味しいですよ♡ また、最後の実を使ってパッションフルーツ酒を作ってみました。3日でできるフルーツ酒の作り方で、こちらも効能のあるという皮も一緒にホワイトリカーとグラニュー糖で漬けました。皮の色が溶け出した赤紫で、パッションフルーツの香りがさわやかなお酒ができました。今日、皮と種を取り除いたので、ストレートで楽しもうか、炭酸割りにしようかといろいろ考えています。
そして、最後の実を収穫して約2週間。ふと気付くと、グリーンカーテン化した蔓に蕾が…。アーチに仕立ててある方にも第2弾の蕾が出ています。南国のフルーツなので、結実しても、霜が降る前に熟すか分かりません。寒さに弱いので、霜が降る前に蔓を切って鉢植えにして室内に入れないといけません。これだけ伸びた蔓を3分の1にするって…無理!! もっと切っても大丈夫なのか…? 今から悩んでいるシマ姉です。
それから、写真の右の実はアケビです。20代の頃、やんばるさんと待ち合わせた都心の高級デパートの入り口の特設コーナーで、3つ1000円をパック入りで売っていたのを見て驚き、「山へ行け!」と思ったのを思い出しました(笑)。地元の道の駅で見つけ、5つで150円だったので、息子の食育にと、つい買ってしまいました。1番大きな実の、種の周りの甘い部分を味わわせたかったのですが、息子に遠慮されてしまいました。一度やってみたかったので、まわりの部分を肉詰めにして夕飯のおかずにしました。独特の苦みが大人の味でなかなかでしたよ。
今年は豊作だった枇杷のコンポートに始まり、創作料理に凝った夏でしたが、秋もまだまだ続きそうです。