ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

ルネのカナダのファン・クラブ

2012年09月28日 | ルネ・ファン・クラブ
 日本のルネ・シマール・ファン・クラブ「メープル・メイツの閉鎖後、ルネに送ったバースデイ・カードがきっかけで入ったカナダの”Fan Club Rene Simard”が活動休止になったのは1979年。その後、ルネと妹ナタリー・シマールが1983年に第12回東京音楽祭世界大会のプレゼンターとして来日した年に、カナダで発足したのが"FAN CLUB INTERNATIONAL Rene et Nathalie"でした。でもその時、私はその存在を知りませんでした。ALFAレコードでナタリーとクルティエ氏に会った際、いただいたルネとナタリーのポスト・カードに記載されていたプロダクション・ギークルティエにルネ宛の手紙を送っても、住所不明で返ってきてしまったため、この後しばらくは空白の期間が続きました。

▲会報№1の表紙になった第12回東京音楽祭の写真

 このファン・クラブの記念すべき会報第1号に当たる1983年夏号の特集記事は”Rene et Nathalie au Japon”。第12回東京音楽祭世界大会や日本での2人の活動の様子が紹介されていました。そして、ケベックで小さな子供たちのスーパー・アイドルになっていたナタリーを、日本で売り出すための「夢よもう一度」企画、日本の「ナタリー・シマール・プロジェクト」が進行中だったので、カナダのファン・クラブではこのことを大きく取り上げていたようです。
 この会報magazineの記事については、何度かPassion Simardの画像をお借りして紹介してきましたが、Chantalさんから送っていただいたものを訳して、また改めて記事にしたいと思っています。

 そして、今回紹介いたします写真は、その事務所の様子を撮影した1枚です。”Passionルネ・シマール au Japon”のしゃむねこさんがブログ記事で、モントリオールにあったこのファン・クラブ事務所を探して大冒険をした体験記をアップされています。事務所の様子が写真を交えて詳しく紹介されていますので、是非ご一読くださいませ。(リンク集からどうぞ)


▲<和訳>ルネとナタリー・ファン・クラブの事務所のジャン・ピロットゥ、パトゥリシア・ブワヴァンとニコール・フェルラン(バシャン姉妹の本より)

 ここで紹介されているジャン・ピロットゥ氏はギー・クルティエ氏の甥に当たり、ルネとはとても親しい関係にあった方だそうです。「エルヴィス・ストーリー」のプロデューサーで、2003年の日本公演時、ルネと一緒に来日しています。現在はケベック・シティにあるホテル”Le Capitol de Quebec”のオーナーを務めており、ホテル内にあるキャピタル・シアターでは、ルネがプロデュースしたショーも上演されたことがあるそうです。

エルヴィス・ストーリー:ラ・メガプロダクション
・3百万ドルの冒険のためのプロデューサー:ジャン・ピロットゥ
・主演俳優:マルタン・フォンテーヌ
舞台演出:ルネ・シマール


 さて、日本でも「メープル・メイツ」の閉鎖後、複数の未公認ファン・クラブが活動いていました。私が入会していたのは福岡の「ボンジュール・ルネ」、cherienomamaさんが入っていたのは「MAPLE MATES Ⅱ(メープル・メイツⅡ)」、しゃむねこさんもファン・クラブを結成し活動していました。「ボンジュール・ルネ」はわら半紙や画用紙にガリ版刷りでしたが、「MAPLE MATES Ⅱ」はメンバーの投稿した原稿をそのまま印刷したコピー誌でした(当時はコピー代が高く、会員分しかコピーしていないので大変貴重)。また、「MAPLE MATES Ⅱ」のメンバーの中には、スプリング・コンサートの大阪公演でステージに上がりルネにダンスを教わった方、ルネと遊んだり、キスしていただいたりした方もいらっしゃいました。その会誌には、ルネへの想いがたくさん綴られおり、前出の”Fan Club Rene Simard”の情報や詳しい入会方法も紹介されていました。メンバーさんたちの心に残ったルネのエピソードには、ルネの人柄が良く出ている話がありましたので、幾つか紹介したいと思います。

     <ルネの印象に残ったエピソード>

♪あるTV番組でルネが言った言葉
「ぼくが大きくなっても、ぼくのことを忘れないでください。」

♪ギンザNOWでの一場面
 ルネが歌い終わった後、カメラは他の出演者を撮していたため、ルネはカメラに映らないように小さくなって通った。それに気付いた司会者が「そんなにしなくてもいいんだよ。」と声をかけたところをカメラがとらえていた。

♪朝の番組で司会者が「日本は好き?」と聞いた時
 スキーを滑る真似をして「オー、スキースキー!」と言った。殿様キングスの歌真似(「女の操」?)も披露した。

♪「ヤングオーオー」のルネと遊ぶコーナーで
 自分の好みの女の子には「メロン」、好みではない女の子には「バナナ」と言うルール。1人目の女の子について、司会者が「ルネはどの果物が好きですか?」とたずねると、ルネはにっこり笑って「スイカ!!」と答えた。

♪ミュージック・フェアー出演時(4回目の来日)
 「将来ルネのお嫁さんになった人が『歌をやめてちょうだい』と言ったらどうするの?」という司会者の質問に、「Separate!(離婚します)」と悪戯っぽく笑って答えた。(会員の3名がこのエビソートのことを書いていました)


 ルネはクルティエ氏たちから、プロとして活動していくために厳しく躾けられていました。だから、他を撮しているカメラの前を通る時には、自分が映らないようにすることが身についていたのでしょう。
 また、頭が良く一度説明すれば完全に理解してしまったと、当時ルネの通訳をしていた道上雄峯氏が「スーパーアイドル ルネ」の「完全スケジュール同行記」で証言していました。ルネは機転が利く上にユーモアがあり、ファンをとても大切にしたので、覚えたての日本語で「好き」を「スキー」とかけたり、「スイカ」と答えたりしたのではないかと私は推測しています。もちろん雑誌に掲載されたインタビューで、「日本のスイカはカナダのものに比べて甘くて美味しい。」と話していたので、本当に好きだったのですけど(笑)。
 そして最後のエピソードは、歌手として生きていくことを真剣に考えていたルネの強い意志がはっきりと伺えますね! この会報誌を提供してくださったcherienomamaさんに感謝です! 本当にありがとうございました!!


 そして、この紹介記事を読んで、こころあたりのある方がいらっしゃいましたら是非コメントをお寄せください


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


             最新情報

 このところfacebookでは、カナダのルネ・ファンの方たちがルネの画像や映像を挙ってアップされています。facebookでしか見られないものもありますので、ご覧になりたいという方は、facebookのアカウントを取得してください。当ブログか゛Passion ルネ・シマール au Japon゛に連絡をいただければご招待いたします。


♪Marielle MorinさんのYouTubeチャンネルAu Maximum
http://www.youtube.com/user/MarielleMorin?feature=plcp

 ”L'oiseau(鳥)”,”Ange de mon berceau”,”Un Enfant Comme Les Autres(普通の子供)”, ”Pascale”,”Ma petite Japonaise(仏語版「雨上りのデイト」)”,”Midori iro no yane(ミドリ色の屋根)”,”Fernando”を歌うルネ


♪カナダのシャンタルさんが自費出版で写真集を3冊出しています。全頁を閲覧でき、購入も可能です。
 

http://www.bookemon.com/member-home/chantalmandeville/227784

Mes Plus Belles Photos De Fleurs
           (花の写真集)
Les Animaux En Photos
          (動物の写真集)
Beaux Paysages Du Québec
      (ケベックの風景写真集)


♪ルネが日本で発売した全曲を収録したCD「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマールが、Sony Music Shopのオーダーメイドファクトリーにおいてアンコールプレスリクエストを受付中です!! 前回購入を逃した方は是非リクエストしてくださいね♪
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ルネのフランスのレコード

2012年09月22日 | ルネの仏語の歌
 今日は秋分の日です。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、木曜までの暑さから一転、昨日から一気に秋の涼しさになりました。日が暮れるのも早くなり、風に揺れるススキの穂や夜の虫の音に秋の深まりを感じます。でも天気予報では、夏の暑さはまだ続くとのこと。体調管理には十分気をつけたいです。
 今日は午前中早い内にお墓参りを済ませ、友人やんばるQさんと久しぶりに美術鑑賞♡…の予定でしたが、この夏不具合が続いていたトイレのウォッシュ機能が本格的に故障で、午前中から取り替え工事★ その上昨夜、洗濯機も最後の脱水というところで壊れてしまったため、今朝電話連絡して、お出かけは10月に延期することにしました。今年の厳しい暑さで疲れた身体と心を少しでも癒せたらと思って楽しみにしていたのに、洗濯機を買いに行ったり、忙しい1日になりそうです。

 さて今回は、カナダのChantalさんから、ルネのフランスのシングル・レコードをいただいたので、ルネがフランスで出したレコード紹介です。

 ルネはフランスに”Ave Maria”と”Mama, Laisse-Moi Sortir Ce Soir”でゴールド・ディスクを持っていますが、紹介している④のアルバムはどちらも収録されているので、ベスト盤として出されたものなのでしょう。私が持っているのは①と②で、③と④はBCSDからお借りしました。
 それにしても、いつも思うのですが、この当時のルネの事務所(ノーベル・レコード)は、1度にたくさんのアングルで写真を撮り、とことん使い回していて呆れてしまいます。いくら1日の仕事時間が5時間とカナダ政府から決められているからといって、①と③のジャケットは①の写真を切り抜いて、背景を水色にして使っているという素人紛いの手抜き★ それ以上に、このジャケット写真自体が”Un Enfant Comme Les Autresー普通の子供ー”の時のものですし、②などはどう見ても幼いし…。 まあ、外国ではジャケット自体が付いていないことの方が多いので、付いているだけマシなのかもしれませんが…。
 ④の2枚組LPのジャケットは、表側は2回目の来日時に着ていたサーモンピンクの皮革のスーツで、内側の写真も2回目の来日でも着ていた白の皮革のスーツです。「中二時代」に掲載された記事には、全く同じコーディネイト(スカーフも同じ)のルネが映っていますので、もしかしたら日本で撮った写真かも? 


①Le Monde de Walt Disney
       (Carrere 49.086, 45rpm Single) 1974

1.Le monde de Walt Disney
2.Merci ma chance


②Les petites filles modèles
         (Carrere 49.107, 45rpm Single) 1975

1.Les petites filles modeles
2.Une maman c'est toi...


③Mama, Laisse-Moi Sortir Ce Soir
       (Carrere 49.088, 45rpm Single) 1974

1.Mama, laisse moi sortir ce soir
2.Un enfant comme les autres(普通の子供)


④Maman, Laisse Moi Sortir Ce Soir
       (Carrere 67.074, LP) January 1975

Double Album made in France in 1975. Existe aussi en cassette Carrere 70.074
1. Ne coupez pas les roses
2. Merci ma chance
3. Le gamin de l'ile(島の少年)
4. Un enfant comme les autres(普通の子供)
5. Le monde de Walt Disney(ウォルト・ディズニーの世界)
6. Maman,laisse-moi sortir ce soir
7. Les petites filles modeles
8. A mon ami mon pere
9. Une maman c'est toi
10. Ma mere est un ange(僕のママは天使)
11. La mer(ラ・メール)
12. Santa Lucia(サンタルチア)
13. Laissez-nous au moins le soleil(美しい星)
14. Pourquoi la guerre?
15. Ave Maria(アヴェ・マリア)
16. Douce Nuit(きよしこの夜)
17. Minuit Chretien(さやかに星はきらめき)
18. Les anges dans nos campagnes(荒野の果てに夕日は落ちて)
19. Petit Papa Noel(ブチ・パパ・ノエル)
20. Noel Blanc(ホワイト・クリスマス)


▲2枚組LPのジャケットの内側

▲「中二時代」掲載 2回目の来日の記事より
 白とサーモンピンクの皮革のパンツ・スーツをご覧ください



 ルネが日本で発売した全曲を収録したCD「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」が、Sony Music Shopのオーダーメイドファクトリーにおいてアンコールプレスリクエストを受付中です!! 前回購入を逃した方は是非リクエストしてくださいね♪
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 過去ログで「ルネとカナダでクリスマス・パーティー」については何度か取り上げ、このツアーに参加された、ぐーたらのまりあさんからの写真もアップしましたが、同じく参加されたラウランさんからコメントをいただきましたので紹介いたします。(原文の順序入れ替えあり)


 ファーストコンサート渋谷公会堂に行きました。
 その時に藤田トラベルサービス主催の「ルネとカナダでクリスマス」のツアーのチラシが配られました。
 「行けたらいいなあ~」と夢を見ていたら、その後月刊明星でルネの詩の募集があり、本当にラッキーなことに当選し、バンクーバーでルネと会うことができました。
 スタンレーパークでの集合写真で緑色のコートを着ているのが私です。ツアー参加者の中で2人がプロの漫画家になっています(最近知ったのですが…)
 明星の当選発表に住所も掲載されたので、全国のルネファンの方々からお手紙を頂きました。手編みのマフラーをルネに渡してと自宅まで訪ねて来て下さった方もいらして…もちろんルネにお渡ししました。
 当選した詩…その時私は高2でしたが、中学の国語の授業で書いたものが、ルネのイメージに合うように思い、迷わずに応募しました。今思うとかなり拙いものなので、運が良かったのでしょう。公開するのは恥ずかしいので、もしオフ会に参加できれば、こっそりとお見せします(汗)


 ラウランさん、大切な想い出をお書きいただきありがとうございました! 第3回オフ会開催の折には是非参加して、ルネの詩を公開してくださいね♡ それから、ラウランさんの詩を含め、ルネの全曲日本語のアルバム「君のすべてがほしい」の歌詞等に、その内容が反映されているのか教えていただきたいです。そしてこれからも当ブログをよろしくお願いいたします!
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ファースト・コンサートの記事

2012年09月15日 | ルネのコンサート
 今日は息子の小学校の運動会でした。
 残暑の厳しい中の練習で疲れが蓄積し、5・6年生の団体種目「○小ソーラン」の激しい動きで少々筋肉痛の我が息子。それに加え、巻き爪の痛みで辛かったでしょうが、最後まで頑張り抜きました。
 息子は児童会の体育委員なので、前に出てラジオ体操をした後、午前中の出番は徒競走と応援合戦だけなのですが、徒競走のスタートでいきなり巻き爪の足を踏まれ、痛みに耐えて走りましたがビリでした(おろし立ての白ソックスが血で染まってました)。午後は全校生のダンスと騎馬戦、○小ソーラン…。 蒸し暑く、途中雨に降られたりで大変でしたが、取りあえず怪我もなく無事やり抜くことができて良かったです。子供たちの頑張りに、保護者の応援も熱く、大変盛り上がった運動会になりました。
 私もお弁当を作って実行委員の集合時間に学校に行き、受付接待の仕事の合間に息子の写真を撮り、昼食が終わったらパラソルとテーブルセットを片付けて、閉会式後はテントやいす、机の片付けをして… 昨年までは主人も来られたので良かったのですが、今年はPTAの実行委員の仕事もあって、1人3役?! 暑かったのでヘトヘトです。帰宅後すぐシャワーを浴びてのんびりしています。もちろん記事は事前に書いておいたので、この部分だけ書き加えて完成。明日はちょっとゆっくりしたいです。 

 そして今回は、Yahoo!オークションで入手したルネ記事掲載誌から、ファースト・コンサートの記事を紹介いたします。


   cameraファースト・コンサートの記事note


 ルネが1974年6月30日、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得し、一夜にしてルネ・ブームを巻き起こした初来日から約2か月後、8月22日(金)から9月20日(金)までの30日間、ファン待望の2回目の来日がありました。ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」の会報№1のスケジュール表では「17日(火)帰国」とありましたが、実際には20日(金)に東京プリンスホテルで西城秀樹とのインタビューが行われていたので、ルネはカナダのファンを残して、日本に1か月も滞在していたことになります。もちろん、本当なら夏のバカンスを楽しんでいるはずの時期ですから、日本では取材込みで(ただし身近なスタッフのみ同行)京都旅行などを楽しんだのですけれど…。
 この来日での主な活動は、「ミドリ色の屋根」に続く新曲「小さな生命」の発売とTV出演、東京と大阪でのファースト・コンサート。CBSソニーとアルファ・アンド・アソシェイツ主催による記者会見とレセプションが、大々的に行われました。
 9月4日の大阪コンサートと9月14日と15日の東京コンサートの記事は過去ログで何度も紹介していますので、カテゴリ「ルネのコンサート」でご覧ください。


   新曲『小さな生命』をヨロシクネ!


▲「中三時代」1974年10月号より 写真は7月1日にカナダ大使館の建国記念パーティーに招待された時のもの 歌っているのは「ミドリ色の屋根」か「ラ・メール」

 8月22日に来日したルネ・シマール 今回も一か月ぐらいしか日本に滞在しないんだけど、新曲『小さな生命』が9月10日に発売されるし、9月4日には大阪厚生年金、9月14、15日には東京渋谷公会堂で”ルネ・シマール・ファースト・コンサート”を開くし、ごきげんだよ。また日本のヤングのハートをガッチリつかんじゃうことだろうね。カナダから家庭教師を連れてきて勉強しながらの日本の旅、この秋は、きっとルネ旋風だよ。


 ルネ・シマールのファースト・コンサート

▲「中学一年コース1974年11月号」掲載『芸能トピックス』より

★”スーパー・スター”ルネ・シマールが日本でのスケジュールを無事終えて帰国。
 日本での滞在の大きな目的は、大阪と東京でのコンサート。ヒット曲「ミドリ色の屋根」、「小さな生命」をはじめ、「エメラルドの伝説」、「廃墟の鳩」を日本語で…。
 映画「ルネ・イン・トーキョー」も披露するなど内容がいっぱいで、ファンは大喜び、ルネも満足して帰国したようでした。



<ファースト・コンサートのスタッフ>

 ファースト・コンサートを手掛けたALFAレコードのメンバーとスタッフの、1975年頃の写真がありますのでご覧ください。全員が深町氏の紡ぎ出す音に集中し、妥協を許さず若い才能をぶつけ合い、1つのものを創造していくことを楽しんでいる様子が伺えます。ワクワクする様なエネルギーが漲っていますね。このメンバーがルネのファースト・コンサートを作り上げたのかと思うと感慨深い1枚です。
▲向かって右から、ルネと妹ナタリーのプロデュースを手掛けられた宮住俊介氏、川添象郎氏、今は亡き深町純氏、1人置いて村井邦彦氏(あとのお2人は分かりません)

企画構成:川添象郎
演   出:水田晴彦
音楽監督:村井邦彦
編   曲:深町 純
照   明:高津 清
音   響:池田裕嗣
衣   裳:竹山公士
装   置:小林順治
舞台監督:熊谷次郎

制   作:阿部義弘

演   奏:JUN FUKAMACHI AND HIS FRIENDS(東京・大阪)
       パーカッション・ラリー・須永(東京)
       松本文男とTOKYO MUSIC MAKERS (東京)
       北野タダオとアロー・ジャズ・オーケストラ(大阪)
       アンサンブル・シェバリエー(大阪)
コーラス:SUGAR BABE+吉田みな子(東京・大阪)

大   阪:1974年9月4日 6時開演 厚生年金会館大ホール
東   京:1974年9月14~15日 5時開演 渋谷公会堂

主   催:東京 アルファ・アンド・アソシェイツ株式会社
       大阪 サンケイ企画
           アルファ・アンド・アソシェイツ株式会社 

協   賛:日本ユニセフ協会
       カナダ大使館
       株式会社CBSソニー
       日本航空株式会社

プログラム・デザイン 佐藤憲吉 原田 治 村井美和子
ポスター・パンフレットデザイン:村井美和子
編集企画:阿部義弘 横田隆文
編   集:河端 茂 井上道子
発   行:村井邦彦

※SUGAR BABEのメンバーは、山下達郎氏、大貫妙子氏と村松邦男氏。


 こうしてスタッフを見ても、今では絶対実現できない、この当時新進気鋭の才能溢れるメンバーが揃っており、ALFAレコードやSONYが如何にルネのファースト・コンサートに力を入れていたかが分かります。
 そして、そのファースト・コンサートのライヴ・アルバムも収録されたルネの全曲集「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」が、早くアンコールプレスのリクエストが通って、前回購入を逃したファンの方々が、一刻も早くルネの天使の声で癒されることを願っています。
コメント (6)
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ルネと「カモメのジョナサン」

2012年09月09日 | ミドリ色の屋根の頃
 新学期が始まりました。残暑がまだまだ厳しい中、息子は熱中症対策の水筒持参で登校しています。来週は運動会! 練習も追い込みです。今年は何故かPTAの体育委員長になってしまったため、息子の競技をゆっくり見られるかどうか不安★ また、主人が仕事で行けなくなってしまったため、例年なら地域別の応援席にテーブルセットとパラソルを置いているのですがそれもなかなか大変★ ああ、今から心配…


   ルネと「カモメのジョナサン


▲可愛い世界のアイドル<ルネ>の小さな秘密がいっぱい! ヒット曲でつづる<ルネ>のすべて!
                (※1)映画の特別割引券


 先日ヤフオクで、ルネの「ルネ・オン・メロディ」と「カモメのジョナサン」の特別割引券(※1)を入手いたしました。「ルネ・オン・メロディ」が「汚れなき悪戯」と同時上映されたことはポスターやチラシで知っていましたが、「カモメのジョナサン」と同時上映した映画館があったことは、この割引券で初めて知りました。テアトル土浦のみだったのか、それ以外にも同系列の映画館で同時上映されたのか、この割引券だけでは分かりません。
「この券ご持参の方御一名様に限り窓口料金より100円割引いたします。尚、御父兄御同伴の場合は御同率に割引いたします」とありますので、小中学生に春休みの映画鑑賞券として配られたものなのでしょう。上映期間も4月1日から4月7日でした。
 でも、半券は「ルネ・オン・ステージ」になっていたりして、うーん★…です。

 また、同時期に落札したルネが表紙の「VIVA! FOURTEEN」(※2 『中二時代』1974年10月号付録 当時のものはルネの所だけ切り抜いてフエルアルバムに保管してあります)の中で「カモメのジョナサン」特集が掲載されていました。「スクリーンガイド」というコーナーですが、映画の紹介というよりは、小説の内容の短縮版という感じでした。
 当時この映画は、ベストセラー小説の映画化ということで大変話題になっていました。また、この当時2本立てというのは珍しくなく、田舎町の映画館など3本立てで上映したりしていましたから、スーパー・アイドルのセミ・ドキュメンタリー映画と話題の映画の2本立ては、興行収益が確実に見込める最高の組み合わせだったことでしょう。
 この映画が話題となり、原作小説がベストセラーになっていたことは知っていました。しかし、わざわざ買って読むだけのお小遣いが無かった私は、後にテレビのロードショーで放映された時もちょっと観ただけでした。
 ルネの来日のあった頃読んだ本というと、話題になったものは、「わたしは13才~なぜママになってはいけないの?」というイギリスの女の子の手記。当時では考えられないセンセーショナルな内容に一大ブームを巻き起こしました。また、動物好きだった私は、映画で観たジョイ・アダムソンの「野生のエルザ」の文庫本を買って読んでいたことを覚えています。それから、読書の時間に読むために、1人1冊ずつ家庭から持ち寄って常設していた学級文庫の本で、誰も選ばず残ってしまった「三国志」(特にこの頃は女子の選ぶ本ではなかった)にはまったりしていました。もちろん、カナダが舞台の「赤毛のアン」は外せませんね!

カモメのジョナサン」については、割引券のおまけにいただいたチラシと「VIVA! FOURTEEN」からこの映画について紹介したいと思います。 

    
    ▲(※2)「VIVA! FOURTEEN」


<カモメのジョナサン>

飛べ! ジョナサン その愛の翼で 心から心へ
 いまブームをまきおこしている「カモメのジョナサン」。映画と同名の原作は四年前に発行されて、アメリカだけで1200万部を売りつくしたという超ベストセラー。美しい写真入りのこの本は、すでに十数か国語に翻訳され、アメリカでは「風と共に去りぬ」をしのぐ売れゆきで、聖書なみのベスト・セラーとなっている。日本でも五木寛之の翻訳により6月22日初版本が出されたが、発売と同時に五万部が売り切れたという大変な人気である。
 原作はリチャード=バックという元パイロット。なにしろジョナサンというカモメが主人公で、人間は一人も登場しない原作だけに、映画化もむずかしいと思われていたが、製作・監督・脚色のホール・バーレットは、原則のもち味をみごとに映像化している。レコードも発売され、小説、映画、レコードと三段構えのジョナサン・ブームということになる。(解説は「VIVA! FOURTEEN」より)


☆映画館のチラシより

・カモメのジョナサン(原作「Jonathan Livingston Seagull ジョナサン・リビングストン・シーガル」)
・1970年初版発刊。
・日本では1974年に新潮社版が五木寛之訳で発刊。3か月で100万部を突破。
・25か国語に翻訳され、各国でベストセラーになっている。

・上映時間1時間39分
・一切人間を登場させず、撮影はオールロケで、セットも用いない。
・高度3000フィート上空の雲海。大波が砕け散る瞬間をとらえた上空からのヘリコプター・ショットなど、オープニングからパナビジョンの大画面いっぱいに素晴らしい映像をみせてくれるのは、ジャック・コウファーとヘリコプター撮影を担当したマクギルブレー・フリーマンのコンビ。
・音楽(作詞・作曲・編曲・歌)ニール・ダイアモンド

☆あらすじ
 かもめのジョナサン・リビングストンは一風変わっていた。仲間たちが海岸やゴミ捨て場で半分腐りかけた餌をあさり、その日一日を生きることにあくせくしているときに、ジョナサンは群れから遠く離れた大空で誰よりも高く誰よりも速く飛ぶ練習に余念がなかった。かもめだって、神から与えられた翼を十分に生かし、大空を自由自在に飛び廻ることを覚えれば今までのようにゴミをあさって飢えを満たし、寒さにこごえ死ぬような思いをすることはない・・・それがジョナサンの考えだった。仲間のかもめたちは、そんなジョナサンを気狂いとあざ笑い、群れの長老たちは若いかもめたちがジョナサンの影響を受けることを怖れていた。ジョナサンは両親の忠告もあって、1度は群れに戻る決心をするが、腐ったゴミを啄んで生きる屈辱には耐えられなかった。彼は再び大空高く舞い上がった。急降下の練習をしているとき、ジョナサンはスピードのコントロールを乱し、海面に激突した。半ば意識を失ったままジョナサンは波のまにまに漂っていた。十数時間後、ジョナサンは奇跡的に海面から飛び立った。この事故以来、ジョナサンの飛翔力は一層冴え、限界突破や夜間飛行など不可能と思われていた技術を身につけ、彼は自分が体得した技術を仲間にも教えようと群れに戻るが、彼を待ち受けていたのは長老たちの“終身追放"宣告だった。ジョナサンは放浪の旅に立った。大陸から大陸へ、大洋から大洋へ。春が過ぎ、夏が来て、短い秋が終わると厳寒の冬がやってくる。ジョナサンの心にいつの間にか芽ばえた孤独感が胸一杯に広がり始めた頃モーリンと出会った。彼女はジョナサンを見知らぬ世界に誘いそこで老師チャンに引き合わせた。ジョナサンは、チャンほど見事に飛翔するかもめを見たことがなかった。チャンは飛翔の究極の術ともいうべき、時と空間を超越して飛ぶことをジョナサンに教えた。チャンの教えをむさぼるように吸収したジョナサンは、それを離れてしまったもとの仲間たちに教えたいと思い、愛と平和に満ちた理想郷をあとにした。だが、長老たちの怒りはさめておらず、ジョナサンは群れに近づくことが出来なかった。そんなある日、やはり彼同様、仲間から追放された若いフレッチャーに出会う。ジョナサンとフレッチャーの飛行訓練が始まった。それを見た数羽の若いかもめたちが追放を覚悟でジョナサンのもとに集まった。ある晩、フレッチャーは皆の前で、飛行術を見せるために飛び立った。が、その瞬間予期せぬ出来事が起こった。海面めがけて降下するフレッチャーの眼の前に、子かもめが飛び出したのである。思わず身をよけた彼は断崖に激突し、息絶えた。そして信じられぬことが起こった。ジョナサンが横たわるフレッチャーに何かを語りかけると彼が息を吹き返したのだ。騒然となるかもめたち。この事件がきっかけでジョナサンは若い弟子たちを群れに返し、再び放浪の旅に立っていった。

※wikipedia「カモメのジョナサン」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%82%82%E3%82%81%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%82%B5%E3%83%B3


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ルネとマリージョセの基金活動
la Fondation Sourdine pour l’École oraliste de Québec pour enfants malentendants ou sourds




 ルネ・シマールと妻マリージョセが、「Ècole Oraliste de Québec Pour Engants Sourdsケベックオーラリストスクール」(聴覚障がいを持つ子どもたちが手話を使わず、リップリーディング(読唇術,視話)と発声による会話を習得するための学校)の第1期基金活動のスポークスマンを5年間務めることになりました。5年間での目標は250万ドルだそうです。このことについてはしゃむねこさんが彼女のブログサイトで詳しくお書きになっています。それに関連した「ルネの子どもたち」については、当ブログの記事をリンクしていただいておりますので、ルネの活動についてお読みください。

※しゃむねこさんの”Passion ルネ・シマール au Japon”参照http://renesimard.blogspot.co.nz/2012/08/la-fondation-sourdine-pour-lecole.html
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