ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

ルネのファースト・ライヴ・アルバム

2013年11月23日 | ルネのコンサート
 今日は勤労感謝の日。
 今から39年前の1974年11月21日は、9月に行われたファースト・コンサート(4日大阪、14日、15日東京)のライヴ・アルバムが発売された日でした。

         ※:1ファースト・ライヴ・アルバム

        ※:2カナダにおいても初のライヴ・アルバム
           (デビュー25周年記念CD集より)


 この日本のファースト・ライヴ・アルバム(※1)は、そのままカナダでもジャケットに手を加えて発売されました。これはカナダにおいても初のライヴ・アルバム(※2)で、それ以降発売されたものは、変声後の”À la Place des Nations(Concorde CDL-102, LP) October 1977 ”と、ナタリーと一緒に行ったコンサートの”René et Nathalie en Concert (Disques No.1 1831-2, LP) September 1982 ”のみだと思います(ミュージカル「ジャンヌ・ラ・ピュセルjeanne la pucelle (ジャンヌ・ダルク)」はのCDは別)。

 このアルバムを、ルネの全曲集CD「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマールで楽しんでいらっしゃる方も多いことでしょう。私はコンサートに行っていないどころか、コンサートが行われていた頃はまだ、ルネのことを知りませんでした。ですから、このアルバムを入手して初めて聴いた時の感動といったら…

 まず深町純氏作曲によるオーバチュアの迫力に圧倒されました。とても印象的な曲のため、4歳下の弟から「曲が頭の中でリピートして困る★ ヘッドホンで聴いて!」と苦情が(笑)。また、氏のアレンジで、いつも聴いているルネの歌が新鮮に聞こえました。余談ですが、後に年友さんからいただいたスプリング・コンサートの録音テープを聴いた時、ファースト・コンサートとは演奏のアレンジや迫力、華やかさがまるで違うことにちょっと驚きました。それと同時に、力の入れ方が違うのかとも思いました。ルネの歌は変わりませんが、演奏に関しては、深町氏のアレンジの素晴らしさが分かった瞬間でした。

 ライヴ・アルバムに収録されているルネの日本語と仏語での挨拶や、歌の合間に入っているルネの話は、何を言っているのかはよく分かりませんでしたが、ファンの声援などを聞いていると、コンサートに行った気分になれて幸せな時間を過ごせました。
 現在このコンサートの映像は公開されていません。スプリング・コンサートの”Ave Maria”と”L'oiseau”はカナダで放映されたものをYouTubeでご覧頂くことができます。日本では1974年の年末に1時間か1時間半の特集番組で、夕方頃放映されました。母に「早く掃除しなさい!」と注意されながら、茶の間に掃除機をかけたり、神棚を掃除しつつその番組に見入っていました。中でも1番印象に残っているのは、”L'ete est la”を歌うルネ。ツイストしながら舞台を縦横無尽に歌い回り、手拍子を取りながら仏語で「もっと大きく!」と言って、”Oh pa pa pa la♪”と観客と一緒に歌っていました。この映像ではありませんが、スプリング・コンサートで握手したファンに舞台から引き摺り下ろされそうになり、コーラスだったチャーブスの長女まりこさんに引っ張り上げられる様子は、アメリカのTV番組で紹介された”million doller baby”でご覧いただけます。プログラムに歌詞も載っていたのに、ライヴ・アルバムには収録されなかったのは、日本のファンには馴染みのない曲だったからなのでしょうか? 一度聞けば忘れないフレーズを、ルネのデビュー25周年記念CD集の中で聴いた時は、初めてきちんと聴くのにも関わらず、すごく懐かしく、そして感激したことを覚えています。

※YouTube映像”Rene Simard - Million Dollar Baby Part 2”参照
http://www.youtube.com/watch?v=V_VVZqGeGtw&feature=share&list=FLX12E-efRQ7oPC3A-ki4poA&index=202
 
 それからもう一つ、コーラスでソロデビュー前の山下達郎氏や大貫妙子氏が、シュガー・ベイブSugar Babeとして参加していたことは、山下氏ファンの間では有名な話です。コンサート会場のファンの声援で、コーラスの男性パートは聞き取ることが難しいのですが、メンバーの村松邦男さんが下記の回想録「あるバンドの物語」の中で、当時のルネとの打ち合わせやファーストコンサートの印象などについて書かれていますのでご覧下さい。

※「第三章38話」参照
http://www.net-sprout.com/bandstory/075.html
※「第三章39話」参照
http://www.net-sprout.com/bandstory/076.html

 では最後に、ライヴ・アルバムの収録曲を紹介いたします。プログラムで掲載された曲順と違っているのは何故か分かりませんが、前出の回想録39話で、東京公演の際にテレビカメラが入ったとありますので、年末に放映されたコンサート映像は、9月14日(土)15日(日)のどちらかを録画したものなのでしょう。

▲ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」会報№2より 

<A面>
1 オーヴァチュア
  (作曲・編曲:深町純)
2 僕の国へおいで
  (作詞:さいとう大三/作曲:村井邦彦/編曲:深町純)
3 雨にぬれても TOUTE LA PLUIE
  (Hal David/ Maurice Tézé/ Burt Bacharach/編曲:深町純)
4 鳥 L'OISEU
  (E. Demarsan/ D. White/ C. Aubry/編曲:深町純)
5 ラ・メール LA MER
  (C. Trenet ­ A. Flasry /編曲:深町純)
6 ヌ・クペ・パ・レ・ローゼズ NE COUPEZ PAS LES ROSES
  (V. Mascheroni/ G. Mendes/ M. Harper/ André Boulanger/編曲:深町純)

<B面>
1 ヨーヨー YO-YO
  (Joe South/編曲:深町純)
2 普通の子供 UN ENFANT COMME LES AUTRES
  (Jean-Loup Chauby/編曲:深町純)
3 廃墟の鳩
  (作詞:山上路夫/作曲:村井邦彦/編曲:深町純)
4 小さな生命
  (作詞:安井かずみ/作曲:村井邦彦/編曲:深町純)
5 ミドリ色の屋根
  (作詞:さいとう大三/作曲:村井邦彦/編曲:深町純)


<ファースト・コンサート・プログラム>

第一部
映画「RENE A TOKYO」監修 市川崑

第二部
オーヴァ・チュア
翼を下さい
僕の国においで

La mer
雨にぬれても
雨上がりのデイト
ミドリ色の屋根
L'ete est la
YOYO
エメラルドの伝説
廃墟の鳩
美しい星
小さな生命
Ne coupez pas les roses
ミドリ色の屋根


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


       cloverシマ姉のグリーンライフclover


 シャコバサボテン(左)とゼラニウム(右)の花が綺麗に咲きました♡ シャコバサボテンは、昨日の来客に合わせ、花が不足していた職員玄関に飾りました。でも、来客が帰るとすぐに私の部署の窓辺に戻しました。職員玄関は寒いからでもありますが、もともとそこにあったものが、手入れが悪くて元気がなくなった上に、外に放置されて霜枯れかけていたのですから、そんな場所には置いておけません。「今日は一日お勤めご苦労様!」と花に話しかけたシマ姉でした(これって怪しい人?)。
 

 そして、昨年初冬から今年の春までアマガエルが越冬していた寄せ植えの鉢(ゼラニウムが咲いている鉢)には、今年はカマキリ(右上)が紛れ込んでいました。
 その鉢植えは、アマガエルが台風の時に非難するのを期待して室内に取り込まず犬走に置き、さらに冬眠の場所として戻ってくるのを待っていました。アマガエルは、パッションフルーツの棚まで戻って来ていたのを回収に失敗してしまったので、どこか別の場所で冬眠に入っているのでしょう。諦めて鉢植えを取り込んだら、カマキリが…。外は寒いのでそのまま様子を見ていたら、今週木曜日に寄せ植えで産卵(左:産卵中 右下:卵嚢)! 来春は子カマキリの孵化が見られます。母カマキリは外に出たそうなのですが、窓辺の日が当たっている場所を移動しながらまだ生きています。ウリハムシを近づけたら一度捕まえたのですが、臭い体液攻撃にあったのか、それ以降見向きもしません。越冬は無理でも、のんびり余生を送って欲しいと思っています。

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ルネとフィンガー5②

2013年11月16日 | ルネの活動記録
 先日、美容室の待ち時間に読んだ女性週刊誌に、元フィンガー5の晃氏が、「フィンガー5(※4)」として活躍していた当時のことを語る記事が載っていました。丁度ルネの来日があった頃の話でした。

 「当時はたとえ子供でも、プロの歌手として大人の歌手たちと対等の仕事を求められ、グループの兄弟同士であってもライバルだった。歌も踊りも誰にも負けないように時間を見つけては一人で練習した。人気絶頂の頃は、ハード・スケジュールのために倒れて救急車で病院に運ばれたことも1度や2度ではなかった。」など。

 晃氏はルネと同じ1961年生まれ。ルネが2月28日で、晃氏が5月9日ですから、日本では1学年違いになりますが、同年代ということで何かと比較され、共演する機会も多かったようです。


※1「月刊明星」の記事『東京の休日』より一部抜粋

 フィンガー5は、ルネがグランプリとフランク・シナトラ賞を受賞した1974年の第3回東京音楽祭(※3 世界大会最終決勝は6月30日)の国内大会で、新人歌手のためのシルバーカナリー賞に、同年3月5日に発売した『学園天国』でエントリーしていました。しかし、シルバーカナリー賞は麻生よう子が獲得していたので、晃氏は同年代として、ルネをライバル視していたかもしれません。ちなみに、その他のエントリー歌手は中条きよし、あいざき進也、リンリン・ランランでした。


 そして、今回紹介いたしますのは、「近代映画」1974年10月号に掲載されたルネと晃氏の記事です。


アキラ・妙子・ルネががっちり握手

 アキラとルネはともに13歳のトップアイドル同士
「ボクたち今日から仲良しになろうね!」「オーケー! オーケー!」と日本とカナダがガッチリ握手 妙ちゃんとルネは一つちがい 「ボク タエコチャン 大ーいスキ」と”チュッ!”とキッス 妙ちゃんニコニコ 見ていたアキラはビックリ! ドヒャーッ! 日本を代表するアキラと妙ちゃん カナダの少年ルネとの楽しいタノシイご対面!!


 この記事は、7月12日に収録した”進め!フィンガー5(埼玉県大宮市民会館 TBS 7月20日放送)”の時に撮影された写真を使ったものと思われます。

 ルネは、本番で着ていた白の皮革のジャンプスーツ(※2)を着ていますし、「ドレミの歌」を合唱した時に着ていたTシャツは妙子ちゃんの来ているのと同じ赤の「進め!フィンガー5」のTシャツ(※1)です。(ちなみに、この時アキラ以外のメンバーは同デザインの青のTシャツ着用)。
 この白い皮革のジャンプスーツは2回目の来日時にも着ていたりしますが、Tシャツはゲスト出演の記念にもらったものだと推測されます。また、ルネはジャンボマックスがとても気に入っていて、「スーパー・アイドル ルネ」にもツー・ショットで写った写真を載せています。こちらもこの時に撮った写真なのかもしれませんね。

※過去ログ「ルネとフィンガー5」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/474.html


※2「スーパー・アイドル ルネ」の『完全スケジュール同行記』7月20日より

 YouTube映像に、シルバーカナリー賞の時の映像がありましたのでご覧ください。また、現在、晃氏が管理するブログ(※5)があります。こちらもあわせてお読みください。

♪YouTube映像”Finger 5 - Gakuen Tengoku”
 第3回東京音楽祭シルバーカナリー賞 ヤングの祭典
http://www.youtube.com/watch?v=13ml7EINDMo

※3 wikipedia「第3回東京音楽祭」参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC3%E5%9B%9E%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E7%A5%AD

※4 wikipedia「フィンガー5」参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC5

※5 「晃のブログ」
http://ameblo.jp/t-akira5/


 私はルネと晃氏が共演した番組は写真でしか見たことがありません。ルネがアドリブで歌った「ドレミの歌」など、その時の映像が残っているのなら、ぜひ見たいものです。
 また、2人ともまだ現役で活動しているので、大人になった2人が共演できたら素敵ですね!
  

       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


「シマ姉のグリーン・ライフ」と「猫アスカ通信」と近況をまとめて…


 シマ姉家の愛猫アスカ(写真右)はちょっと鼻風邪★ 寒い夜は誰かの布団の中に潜り込んで寝ています。食欲旺盛で、大怪我をしてシマ姉家に保護された頃とは別猫のコロコロ猫に★ この記事を書いている時も私の膝の上で丸まっています。
 写真左は、何度か紹介した通い猫ジジ。『黒猫のジジ』だけど雌で、既に17~18歳のババ猫です(黒い毛並みに白髪も混じっていたり)。他にも近所から通ってくる猫はいるのですが、アスカにとっても別格の猫のようです。うちの息子が3歳頃、何度も尻尾を引っ張って教育的指導を受けた母猫なので、うちの息子もジジにとっては息子も同然。さらに寒い時のお座布団だったりします(笑)。ご近所猫の「大姉御」であり「ゴッドマザー」のジジ。長生きして欲しいです。


 こちらの熱帯魚は、左がシマ姉家のチッチ、ベタの雄。今年の1月、スキーから帰って来たら、敷くタイプのヒーターでは水温が上がらず寒さで仮死状態になっていたため、今年は水槽にヒーターを入れました。温かいし、流木と水草でリラックス。
 右は職場のカージナルテトラ。エアレーションを入れてから、餌をねだるようになりました。シャイな(警戒心が強い)マーブルセイルフィンプレコ(ナマズ)が流木の陰から出てこないので、可愛さ倍増です♡ 他には11匹でスタートしたミナミヌマエビが増殖中!


 そして職場の植物たち。シャコバサボテンは多分来週には次々開花するでしょう(上中央)♡ 寄せ植えのゼラニウムは1年中花をつけて、今も次々花を咲かせています(下左)。オリヅルランはランナーが増えすぎて…★ 子株を植え替えたら恐ろしいことになるのでそのままです(下右)。
 パッションフルーツは植木鉢に植え替えるために蔓の剪定をし、実が少しでも熟するように霜除けをして様子を見ています(上左)。別名「フルーツトケイソウ」。花を楽しむためでなく、実を収穫するのなら、子蔓、孫蔓の選定をすべきだったのかと、今になって思いました(爆★)。赤くなる前に落ちた実は、窓辺に置いて追熟中ですが、食べられるまでになるかは分かりません。
 夏咲き終わったはずの百合(下中央)の第2段も咲く職場の花壇は、2年前の12月にヒマワリが咲いていた花壇。私の部署の窓辺は既に花だらけ(上左)。カランコエももうすぐ咲きます。ここにパッションフルーツの鉢植えが2つ増えるのか~…と、複雑な心境のシマ姉の近況報告でした。
コメント (2)
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ルネ・ファンのインタビュー

2013年11月10日 | 1回目の来日
 11月8日は立冬でした。

 この日は、“あられ・せんべいの日”。新米が出回り、また冬を迎えるこの時期、暖かいお部屋の中で、家族、お友達、親しいみんなで楽しみながら、あられ・おせんべいを食べて欲しいという願いから、1985年に全国米菓工業組合により制定されたそうです。

 暦の上では冬。朝晩冷え込んで、いつ初霜が降ってもおかしくないのに、職場の花壇は、以前紹介した百合をはじめ、百日草やマリーゴールド、ブルーサルビアなどの夏の花が真っ盛り。猛暑と水不足(正確には水遣りが不十分)で夏はイマイチだったのが、涼しくなり始めた頃から勢いを増して今に至ります。昨年初冬、外に放置され霜枯れていたシャコバサボテンは、手入れの甲斐あって夏に力を取り戻し、たくさんピンク色の蕾をつけています(上)。株の半分が霜で枯れてしまっていた方(下)も、すっかり元気になりましたが、何故か1カ所に2つ蕾が付いている葉が多く見られます。もう手遅れかもしれないと思ったくらいダメージを受けていたので、ここまでの回復に、改めて植物の生命力を感じている今日この頃です。

▲左:夏咲きの植物が今花盛りの職場の花壇
 右:蕾が大きく膨らんだシャコバサボテン(上) 1カ所に2つ蕾が付いている所も(下)


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 今は無きケイブンシャ(勁文社)発刊の、ニュー・ソング・ブック臨時増刊号スーパー・アイドル ルネ」については、度々話題にしてきました。その最終ページには、1回目の来日最終日、ファンの中から選ばれた女の子たちが、ルネ・シマール感を語るという企画の記事が掲載されました。
 この5人の方たちは、現在50代後半になっている計算になります。今はどうされているのでしょうか? また、どのようにして選ばれた方たちなのでしょうか?

 第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得したルネは、一躍日本のアイドルになり、ファン・クラブメープル・メイツも会員が一気に増えました。そして、来日最終日の7月14日(日)に、羽田空港に殺到したファンに向かって、ルネがガラス越しに愛嬌を振りまいている様子は、カナダのドキュメンタリー映画”Rene Simard au Japonで映像化され、カナダでも日本でも、その時の写真が芸能誌に掲載されました。
 前出の記事では、「5人と一緒に写真を撮ってからまもなく機上の人となった」と書かれていました。そして、ルネの通訳をされていた道上雄峯氏(現・道上ワイン社長)のレポート『完全スケジュール同行記』では、「貴賓室で短い記者会見の後、税関を出て行った」とありました。その時の写真の背景には、カーテンの向こうにたくさんの人影らしきものが写っていますから、貴賓室の中で撮影されたもので、5人の方たちも、空港に集まったファンの中から急遽選ばれた方たちなのかもしれません。

 
 「羽田空港に着いたところ、驚いたことに、空港にまでファンがぎっしり!私は、ルネをかかえて貴賓室に入るのがやっとのことでした。それほど危険な状態だったのです。それでも、数分後、貴賓室のガラス窓の外で泣いているファンを貴賓室内に入れるようにと頼むルネでした。ルネは、本当にファンを大切にします。ファンから届けられた、どんなに小さな贈り物でも、ルネの手荷物の中につめこまれました。
 短い記者会見の後、ルネは、全員に心からのお礼と、”アビアント”(またすぐに)を言って、税関に入って行きました。」
          (『完全スケジュール同行記』より抜粋)


※過去ログ「1974年7月14日(日)」参照  
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/232.html


 私たちのルネを囲んで…
 ルネ・シマールは、発売後、わずか2週間で10万枚のレコードを売り、ファン・クラブ、メイプル・メイツには一万人のファンが入りました。
 このページでは、そのルネのファンの中から選ばれた人たちに、ルネ・シマール感を語ってもらいました。


出席者(※ブログで紹介するにあたり苗字のみにしました)
堀さん (15才)高校在学中
岡部さん(16才)  〃
樺沢さん(16才)  〃
峰岸さん(17才)  〃
武田さん(15才)  〃
司会
本誌編集部員(以下編と記す)



:ルネ・シマールを知ったきっかけは?
岡部:雑誌で、そしてラジオで。
:ルネのどこがいいと思いましたか?
:うたがすごく巧いこと。歌唱力があるっていうのかしら。
峰岸:私は前からサウンドの良いものが好きでした。だから
  日本ではガロが好きでした。ルネは、そういう音楽性の
  ある所が一番いいと思います。
武田:それに、すごく清潔な可愛らしさがあるから。それで、
  ものすごくきれいな声!
:と言うと、皆さんは、どちらかと言えば洋楽ファンと
  呼ばれる方ですね?
樺沢:そうですね。私の買うレコードは、サイモンとガー
  ファンクルとか、エルトン・ジョンとかばかりでした。
武田:私も、ビージーズやCSN&Yなんかが好きでした。
:音楽的に基礎のある所がいいと思います。
:実際に、こうしてルネに会ってどうですか?
岡部:可愛いし、心臓がドキドキしちゃった。とっても
  感じがいい子だし。
:たとうば、ルネが皆さんにとってどんな男の子だったら
  いいでしょうか?
岡部:私の小さな恋人。
樺沢:隣の家に住んでいるイタズラ坊主君。
峰岸:弟かな。でも、やっぱり、いつも一緒にいるボーイ・
  フレンドがいい。
武田:弟だわ。一人じめしたい私のペット君。
:将来私もルネと仕事ができたらって想像してみます。
  でも才能の問題があるから…。
:とっても可愛いルネだけど、どんなコスチュームが
  一番好きですか?
:全部いいみたい。何を着ても嫌みがなくていいナと
  思います。
武田:ジーンズ、特に赤のカラー・ジーンズが良かったわ。
:これから、また日本に来て活躍するルネに、今後
  どんな傾向に進んで欲しいと思いますか?
岡部:やっぱりルネのイメージの歌、あのソプラノが
  十分に生かされる歌を。
樺沢:自分の歌いたい歌を選んで歌っていれば、いいと
  思います。それに私たちが口づさめるようなきれいな
  歌をたくさん。
峰岸:ルネは天才だと思います。たとえ、大人になって
  声変わりしても、それなりに立派な大人の歌手に
  なると信じます。だから一生歌い続けてほしい。
  ただ、日本に来ても、日本の形式にとらわれず
  カナダのルネとして活躍してほしい。
:ルネって、そんな私たちの考えがみんなわかって
  いる子だと思うの。しっかりしていて、とても
  りこうなの。だから、囲りから言う前に、ルネ自身
  自分で一番良い道をちゃんと歩いていると思います。
:それでは、ここで、カナダに帰るルネに何か言って
  下さい。
:私フランス語を勉強します。いつか私が書いた曲を
  歌ってくださいね。
岡部:今度来日した時は、二人でデイトしましょうね。
  バイバイ。
樺沢:あなたらしいあなたでいてください。ルネ。
峰岸:あなたの音楽に対する意見やこの仕事についての
  話を聞かせてね。
武田:私のこと覚えていて!
ルネ:MERCI BIEN,A BIENTOT! A TOKYO

 ルネ・シマールは、この日本のファン達と写真を撮ってからまもなく機上の人となりました。8月末の来日を約束して。このルネ・シマールのファン・クラブはメイプル・メイツと名づけられ、活動を開始しました。

 メープル・メイツ (株)TCJ内
 〒106 東京都港区芝浦3-20-4
     03(454)6651-4


 このインタビューでルネについて語ってくださった5名の方々、もしまだルネのことを覚えていて、この記事をお読みいただいていたら、ご一報ください。
 

       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


  訃報:「みんなあなたに」の作詞家
           岩谷時子さん逝去
 

 去る10月25日ルネが歌った「みんなあなたに」の作詞家である岩谷時子さん(本名:岩谷 トキ子 1916年(大正5年)3月28日生まれ)が肺炎のため亡くなりました。97歳でした。

▲佐良直美さんとルネ(「スーパー・アイドル ルネ」より)

 岩谷時子さんは、日本レコード大賞を受けた「いいじゃないの幸せならば」(佐良直美)など数々のヒット曲で知られた作詞家で文化功労者。詩人であり訳詞家でもありました。
 1939年に宝塚歌劇団の出版部に入り、友人で宝塚スターだった越路吹雪さんが51年に退団して東宝の専属女優になった際に一緒に上京。80年の彼女の死まで約30年、マネジャーをつとめました。
 訳詩・作詞の道に入ったのはNHKラジオ「愉快な仲間」にレギュラー出演していた越路さんが歌う外国曲を訳したのがきっかけ。「愛の讃歌(さんか)」「ラストダンスは私に」「サン・トワ・マミー」「バラ色の人生」などは越路さんの代表曲として親しまれました。
 64年にはザ・ピーナッツなどが歌った「ウナ・セラ・ディ東京」や岸洋子の「夜明けのうた」、66年に園まりの「逢いたくて逢いたくて」、加山雄三の「君といつまでも」で日本レコード大賞作詩賞受賞。他に、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」、フランク永井の「おまえに」、ピンキーとキラーズの「恋の季節」、島倉千代子の「ほんきかしら」、郷ひろみの「男の子女の子」など数多くのヒット曲を手がけました。
 ミュージカルの訳詩も多く、代表作に「ジーザス・クライスト=スーパースター」「王様と私」「レ・ミゼラブル」「ウエストサイド物語」「ミス・サイゴン」「赤毛のアン」などがあります。訳詩の功績で79年度の菊田一夫演劇賞特別賞、06年に渡辺晋賞の特別賞を受賞しました。

※wikipedia「岩谷時子」参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E8%B0%B7%E6%99%82%E5%AD%90

※過去ログ「みんなあなたに」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/125.html

 岩谷時子さんが訳したシャンソンの歌詞は、カラオケでシャンソンを歌うやんばるQさんや私にとって、とても身近なものでした。また、ルネの来日当時に買った詩集にも岩谷さんの作品が掲載されていたので、彼女がルネの「みんなあなたに」の作詞をすると知った時は、驚くと同時にとても嬉しかったことを覚えています。

 今回岩谷さんについて調べたことで、劇団四季の代表的な演目として知られている有名なブロードウェイ・ミュージカル作品も、彼女の翻訳だと知りました。そんな素晴らしい作詞家にルネの歌を手がけていただけたのは、ルネの天使の声とALFAレコードの力だったのでしょう。

 そして、訃報が続きます。
 岩谷時子さんが作詞した「ほんきかしら」を歌われた島倉千代子さんも、去る11月8日に肝臓がんのため75歳で亡くなりました。

 謹んで岩谷時子さんと島倉千代子さんのご冥福をお祈りいたします。


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仏語版「青空の向うへ」Merci pour tout

2013年11月02日 | ルネの仏語の歌

 今回紹介する仏語版「青空の向うへMerci pour toutは、もう何年も前から、訳してブログにアップすることを計画していた歌です。しかし、歌詞がとても訳しにくく、ずっと放置してあった曲でもありました。

 最近は、楽をしたくてパソコンの翻訳機能を使うこともありますが、ほとんどの場合、日本語として変な文章しか出てこないため、仏単語の意味の確認程度しか使えず、かえって混乱したりして、ガッカリな結果に終わることがほとんどです。
 訳すに当たって、”Merci pour tout Oui merci beaucoup”の”Merci”を『ありがとう』と訳すだけではしっくり来ず、内容も日本語の元歌と全く違っており、さらに詩なので韻をふんでいて、訳すのに大変苦労しました。翻訳機能では『おかげ』としていますが、ここでは『感謝しています』と訳してみました。

 歌詞の内容については、『青空の向うへ』が少年の可愛い恋の歌なのに対し、こちらは日本人の感覚では出てこない歌詞です。少年が親や社会に対していろいろなことを主張している内容で、少年の夢や希望、感謝の気持ちも語られています。そしてどこか仏語版『美しい星 Laissez-nous au moins le soleil と相通じる所があるように感じました。

 私の乏しい仏語の知識を総動員し、辞書首っ引きで訳し、直訳で分かりにくい箇所は私の想像でカバーしています。大きく間違ってはいないと思いますが、参考程度にとどめていただければ幸いです。

▲”Merci pour tout”が収録されたアルバム ”Les dimanches apres-midi-日曜の午後-”(こちらの画像はデビュー25周年記念CD集の一枚)

♪Merci pour tout


       Merci pour tout

(Kunihiko Murai/ Daizo Saito/ Michel Trouillet)

レ ザンファン デュ モンドゥ
Les enfants du monde
ヌ パンス クァ サミュゼ
Ne pense qu'à s'amuser
レ パロン トゥロ リッシュ
Les parents trop riche
ヌ パンス クァ レ ギャテ
Ne pense qu'à les gâter
イルルー ロフル デ トゥレン
Il leur offre des trains
エ デ バトー
Et des bateaux
メ  ルー デファンドゥ
Mais leur défende
ドゥ メトゥル レ ピエ ダン ロー
De mettre les pieds dans l'eau.

カン ドー トゥレン イル ヌ
Quand au train il ne
ルール ク ダン ル サロン
Roule que dans le salon
オン スコンタントゥ ドゥレ ルギャルデ
Ont s'contente d'les regarder
トゥールネ アン ロン
Tourner en rond
アロール キル フォードゥレ プランドゥル ラ メール
Alors qu'il faudrait prendre la mer
パルティー レ ヴィジテ ラ テール アンティエール
Partir et visiter la terre entière

REFRAIN
メルスィ プール トゥー
Merci pour tout
ウィ メルスィ ボクー
Oui merci beaucoup
ドゥ ヴルワー フェール ノートゥル ボヌール
De vouloir faire notre bonheur
メ  セ  タ  ヌ  スールモン
Mais c'est à nous seulement
ア ヌ スール ドゥ レヴェー ラン クルール
À nous seul de rêver en couleur
ヌ スロン プランス
Nous seront princes
ヌ スロン ルワ
Nous seront roi
ヌ スロン レ プリュ フォール
Nous seront les plus fort
レッセヌ フェール シュールトゥー ネッセイエ パ
Laissez-nous faire surtout n'essayer pas
ドゥ ヌ ザシュテ アヴェック ヴォートゥル オル
De nous acheter avec votre or
メルスィ プール トゥー
Merci pour tout
ウィ メルスィ ボクー
Oui merci beaucoup
ドゥ ヴルワー フェール ノートゥル ボヌール
De vouloir faire notre bonheur
メ  セ  タ  ヌ  スールモン
Mais c'est à nous seulement
ア ヌ スール ドゥ レヴェー ラン クルール
À nous seul de rêver en couleur

ヌ ソム ザセイユ パー ラ ピュブリシテ
Nous sommes assaille par la publicité
オン ヴァ ビヤントー ヌ ザプランドゥル ア ジュエ
Ont va bientôt nous apprendre à jouer
プール コンストゥリュイー リュヌ キャバヌ ドゥ ドゥラペ
Pour construire une cabane de draper
イル フォー タン キャン ペ アン マルトー ピクール
Il faut un camp et un marteau piqueur

オン ヌー ドヌ デ フュシル エ デ ミュニシオン
Ont nous donne des fusils et des munitions
パンダン コン ティ エ プールクワ パ デ カノン
Pendant qu'ont y est pourquoi pas des canons
ドゥ クワ ドゥ フェール プー ロー プティ ズワゾー
De quoi de faire peur aux petits oiseaux
キル ヌ  ヴィエン プリュ ノ ヴォレ  ノ ガトー
Qu'ils ne viennent plus nos voler nos gâteau

REFRAIN

<和訳>

世界の子供たちは
遊んでるなんて思ってない
豊かな親たちは
子供をダメにしてるなんて思わない
子供たちに列車と
船を与えるけど
子供たちは
水に入ることを禁じられてるんだ

列車に乗ってる時は
客車を歩き回ったりしない
見てるだけで満足なんだもの
輪になって回ろう
海に乗り出したくなったら
出発して 地球全部を巡ろうよ

※全てに感謝しています
 そう 僕らを幸せにしてくれて
 どうもありがとう 
 でもそれはただ 僕らにとって
 色づく夢で見る たった1つのものだから
 僕らは王子になる
 僕らは王になる
 僕らは最も強くなる
 何よりも 僕らに試さないでいて
 お金で僕らに買い与えることを
 全てに感謝しています
 そう 僕らを幸せにしてくれて
 どうもありがとう 
 でもそれはただ 僕らにとって
 色づく夢で見る たった1つのものだから※

僕らは広告に悩まされる
すぐに僕らに遊びを知らせるから
テントを建てるために
キャンプとハンマーが必要なのに

僕らに銃と弾薬を与えて
大砲の間で
もう飛ぶこともお菓子も来ない小鳥たちを
どうして怖がらせる必要があるの

※~※くりかえし



 如何でしたか? サビの部分など、早くてうまく歌うのは難しいですが、是非トライしてみてくださいね♪

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