今回のタイトル「ルネのラジオ歌謡番組情報」は、いろいろ悩んでつけました。何故なら、内容をストレートにタイトルにすると、「ルネの来日が無くなった理由」になるからです。
これは、当ブログの古くからのルネ友さんであるmomoさんから寄せられた情報です。内容が内容だけに、ブログのコメント欄を避け、「シマ姉BOX」にメッセージを入れてくださいました。
「ルネの来日が無くなった理由」は、いろいろな理由や原因があってのことと思います。しかし、当時のファンは、はっきりしたことが分からないままルネの来日が途絶え、日本のファン・クラブ「メープル・メイツ」も閉鎖されてしまい、ルネへの想いを持て余して途方に暮れていました。ですから、これは理由の1つに過ぎないとしても、公のラジオ放送の「芸能リポート」で報じられた、当時を知る貴重な「手がかり」として、当ブログで紹介することを承諾していただきました。その内容につきましては、私の推測とともに、この後紹介させていただきます。
momoさん情報(メッセージより抜粋)
ラジオ番組「RKBベスト歌謡50」の「鬼さんの芸能リポート」より
前から機会があったらシマ姉さんに聞いてほしかったことがありました。ルネの来日がなくなったことに関してです。
私は当時毎週日曜日に放送されていたラジオ番組「RKBベスト歌謡50」というのを聴いてました。50曲のランキングが紹介されるので一曲が流れる時間はとても短いのですが、ルネの曲が公の電波に乗ることがうれしくて、また何かルネの情報が得られるのではと思い毎週欠かさず聴いていました。担当が鬼澤慶一という人で番組の中には鬼さんの「芸能リポート」というのがありました。
ある日視聴者のルネの来日に関する質問に鬼さんが答えていたのですが、ルネ側が日本で稼いだお金を全部カナダに持って帰って日本側となにかトラブルがあるような内容のことを少し言いにくそうに話していたんです。
とてもショックでしたが、やはりそのあとパタリと来日がなくなりました。今思うと、その後予定されていたアニメのテーマソングの話もなくなりましたし…。一方的な情報で真相はわかりませんし、あまり愉快な内容ではないのでわざわざお伝えする必要もなかったかもしれません。
しかし、シマ姉さんのルネブログへの情熱、情報収集・探究の姿勢を思うと、このような情報でもなぜかお伝えしたいなという気持ちになりました。でも、これはルネ本人の価値と無関係の話ですね。
※「RKBベスト歌謡50」
・RKBラジオで1974年(昭和49年)4月14日から1995年(平成7年)12月31日まで毎週日曜日に放送された歌謡曲のランキングカウントダウン番組。
・放送開始当初は12:15~15:55だった。
・番組のコンセプトとして、1位から50位まで全曲をオンエアするというのが特徴。
・「ザ・ベストテン(1978年~1989年、TBS。福岡地区のネット局は、RKBテレビ)」の、発案のきっかけになったのはこの番組。
・当時のDJは林 幹雄アナウンサー。
・ルネの情報は「鬼さんの芸能リポート」コーナーで報告された。
※wikipedia「RKBベスト歌謡50」
http://ja.wikipedia.org/wiki/RKB%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E6%AD%8C%E8%AC%A150
※鬼澤慶一
TBSの情報番組「モーニングジャンボ」の初代レポーター。 辛口な評論と堂々とした取材ぶりで、「鬼の鬼澤」の異名をとった。ザ・ベストテンの情報提供者としても知られている。
さて、私個人の推測です。
数年前、カナダからのルネ情報の中に、ルネが日本に行かなくなったことについての内容がありました。こちらもはっきりとしたことは分かりませんが、「日本に行ったことによって、ルネにとってマイナスになるような、嫌なことがあった」らしいのです。
ルネは日本で第3回東京音楽祭世界大会に出場し、グランプリとフランク・シナトラ賞を受賞したからこそ、カナダの英語圏やアメリカ、フランスでのビジネス・チャンスをつかんだはずなのに、何故?……と、私はとても悲しい気持ちになりました。でも、momoさんからの情報によって、「理由を知るための糸口」が見えたような気がしました。
momoさんがこの芸能リポートの情報を聴いたのは、ルネの来日が無くなってから。つまり、全国縦断スプリング・コンサートの行われた4回目の来日の後です。
スプリング・コンサートの東京公演に行かれた年友さんの情報では、かなりの数の空席が有ったそうです。そして、momoさんが行かれた福岡公演でも空席が目についたといいます。ファン・クラブでチケットの優先販売をしていましたが、どれくらいの数が売れたのでしょう。
また、1975年3月発売の「月刊明星」5月号の「マンスリー・ジャンボ」に、『コンサートに本誌読者を100名招待』という購読者プレゼントがありました(上の記事画像を参照)。かなり切羽詰まってからの、それも先着100名に、4月7日の東京・神田共立講堂の入場券をプレゼントするという企画です。当選は発送をもってかえさせていただくというばらまき状態★ …ということは、「コンサートのチケットが当初の予定より売れなかった」ため、客席を埋めるための苦肉の策だったのでしょうか。この東京公演には、カナダとアメリカの取材カメラが入っていましたから、日本のスタッフが焦ったのかもしれません。それでもかなりの空席が有ったというのですから、東京公演だけを考えても「興行成績が悪く、採算が取れなかった」ことになります。しかし、momoさん情報では、ファースト・コンサートの時も、「週刊セブンティーン」から大阪コンサートと9月14日の東京コンサートに300名を招待する企画があったということなので、このことだけで判断することはできませんが…。
また、ルネは母国カナダにたくさんのファンを残して来日していたので、日本での活躍を伝えるために(むしろ日本の芸能誌より詳しいぐらい)報道関係者が必ず同行していました。そして、来日の度にたくさんのスタッフも同行していました。そのため、移動にかかる交通費や宿泊費は大変な金額になったでしょう。現在でもケベックからの直行便はありませんから、当時はもっと時間がかかって、子どものルネには相当な負担だったに違いありません。日本側とどのような契約になっていたかは、当時の関係者でなければ分かりません。しかし、コンサートの収益に見合わない金額だったとしても、来日の必要経費等も含めた契約どおりの金額を、カナダ側がルネのギャラとして請求するのは当然です。それが「日本で稼いだお金を全部カナダに持って帰って日本側とトラブルになっているらしい」という情報になってしまったのではないでしょうか。
しかし、momoさんから福岡公演での空席について、追加情報をいただいて思ったのです。忙しいスケジュールの中、日本のファンのために来日したのに、コンサートでは会場に空席が目立ち、日本での人気が低迷していると知った時、ルネがどんなに悲しく思い、傷ついたことか…と。きっと勘の良いルネは、空港に到着した時から、日本の変化を感じていたのではないかと思います。何故なら、ルネがイメージ・キャラクターだった『中一時代』にも、芸能誌にも、ファン・クラブ「メープル・メイツ」の会報にさえ、この時の記事はほとんど載らなかったのですから、取材する報道関係者も少なかったのではないかと思います。
もちろん年友さんのスプリング・コンサートの録音テープからも、アメリカの特集番組で紹介された映像からも、熱狂する日本のファンの様子は分かりましたが、資料の写真や記事から見て、ファースト・コンサートより舞台装飾は地味でした。さらに、東京公演の翌日は北海道公演という、カナダでは考えられないハード・スケジュール★ それでも、ルネは若くてもスターであり、プロの歌手ですから、観客の前では最高のステージを見せてくれます。しかし、同時期のカナダやアメリカでのコンサート、イベント等では、超満員の観客の前で歌っていたスーパー・アイドルのルネです。観客席に空席が有るなんてことは、あまり経験したことがないのです。その上採算の取れなかったコンサートのギャラについてトラブルになったら、嫌な思いどころではありません。
また、カナダ側からすれば、観客を動員できなかったのは日本側の責任です。それに対し、日本側はコンサートの収益から支払うルネのギャラについて、採算が取れなかったことを理由に、カナダ側に金額の交渉を持ちかけたに違い有りません。日本ではありがちなことでも、欧米では一度交わした契約は絶対ですから、カナダ側にしてみれば日本側の契約違反になります。これではトラブルにならないはずがありません。
ルネが「日本で嫌な思いをした」というのは、このことだったのではないかと私は推測しました。
でも、「ルネが日本に来なくなった理由」については、このトラブルだけが原因ではありません。何故なら、TVアニメ『家なき子』の主題歌の件は放映中止が原因ですし、来日がなくても新曲は出ていたし、レコードもベスト・アルバムまで発売されていたので、日本側が契約どおりのギャラを支払うことで、トラブルは解消されたのでしょう。TVアニメ「家なき子」の主題歌などは、CBSソニーの担当者がわざわざカナダまでレコーディングのために出向いていましたし、「モントリオール讃歌」の発売も、ソニーがノーベル・レコードに交渉して実現したことです。
しかし、コンサートの入場者数から判断し、カナダ側のスタッフが日本での活動縮小を決断したことは目に見えます。ルネ・ブームが冷めてしまった日本より、世界を狙うのに打って付けで移動も容易なアメリカでの活動に切り替えた方が良いに決まっています。そして、当時まだ14歳だったルネが、スタッフのアドバイスを受けて努力し、活動してきたからこそ、現在のルネがあるのですから…。
ルネも過去のことに拘っている様子は微塵もありません。今はルネのファンとして、日本から応援するのみです。
長々と書いてしまいましたが、これは私個人の推測ですので、お馬鹿なルネ・ファンの戯言と思って読み流してください。
また、このことについて、当時の情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非是非ご一報ください!
ちなみに、当ブログのゲストさんにはご存知の方も多いと思いますが、私は両親から許してもらえず、次回の来日のコンサートに夢を託して泣く泣く諦めたのでした。「親の反対を押し切ってでも行けばよかったのに!」という方もいらっしゃるでしょう。でも、当時は親の言うことは絶対でしたし、親の反対を押し切ってコンサートに出かけたとしても、終電で帰ってこれないような田舎育ちで、翌日は始業式でしたから、今考えてもコンサートに行くことは無理でしたね…★ 私と同じような状況で行けなかったファンも多いのでしょう。
そして追記です。
当時、日本側のスタッフが「ルネか来日すると大金がかかる。」と言っていたそうです。確かに1回目の来日では東京プリンスホテルに泊まっていましたし、他の来日時には高輪プリンスホテル(現 グランドプリンスホテル高輪)に宿泊したそうですから、宿泊費はかなりの額になったでしょう(年友さん情報)。そのため日本側でも、来日には費用かかかりすぎるので、レコーディングもカナダで行い、レコードの発売のみにとどめたのかもしれません。
今回情報を提供していただきましたmomoさんには、以前スプリングコンサートの福岡公演の様子についてコメントをいただきました。それ以外でも私が知らなかった当時の情報を寄せていただいたり、想い出話に花を咲かせたりしています。momoさんから初コメントをいただいてからもう丸4年! ネット上のお付き合いも5年目に突入しました。カナダのルネ・シマールという共通のスターを通じて出会い、こういう楽しい交流が出来ることはとても幸せなことです。
momoさん、そして年友さん、いつも貴重な情報をありがとうございます! これからもルネ友としてどうぞ末永くよろしくお願いいたします。
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ルネの全曲集「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」がSony Music Shopのオーダーメイドファクトリーにおいて復刻リクエスト投票が100%を達成し、2ndステージに進みました! 予約受付期間は2011年5月18日から2011年6月22日までから、11月9日までに延期になった期限も迫ってきました! 現在、ほぼ週1パーセント・ペースという亀の歩み。それでも確実に予約数を増やしています。すでにどっぷり長期戦になっていますが、みんなの力で是非商品化を実現させましょう!! 日本のルネ・ファンも頑張らねばっ!
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♪過去ログ「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/468.html
これは、当ブログの古くからのルネ友さんであるmomoさんから寄せられた情報です。内容が内容だけに、ブログのコメント欄を避け、「シマ姉BOX」にメッセージを入れてくださいました。
「ルネの来日が無くなった理由」は、いろいろな理由や原因があってのことと思います。しかし、当時のファンは、はっきりしたことが分からないままルネの来日が途絶え、日本のファン・クラブ「メープル・メイツ」も閉鎖されてしまい、ルネへの想いを持て余して途方に暮れていました。ですから、これは理由の1つに過ぎないとしても、公のラジオ放送の「芸能リポート」で報じられた、当時を知る貴重な「手がかり」として、当ブログで紹介することを承諾していただきました。その内容につきましては、私の推測とともに、この後紹介させていただきます。
momoさん情報(メッセージより抜粋)
ラジオ番組「RKBベスト歌謡50」の「鬼さんの芸能リポート」より
前から機会があったらシマ姉さんに聞いてほしかったことがありました。ルネの来日がなくなったことに関してです。
私は当時毎週日曜日に放送されていたラジオ番組「RKBベスト歌謡50」というのを聴いてました。50曲のランキングが紹介されるので一曲が流れる時間はとても短いのですが、ルネの曲が公の電波に乗ることがうれしくて、また何かルネの情報が得られるのではと思い毎週欠かさず聴いていました。担当が鬼澤慶一という人で番組の中には鬼さんの「芸能リポート」というのがありました。
ある日視聴者のルネの来日に関する質問に鬼さんが答えていたのですが、ルネ側が日本で稼いだお金を全部カナダに持って帰って日本側となにかトラブルがあるような内容のことを少し言いにくそうに話していたんです。
とてもショックでしたが、やはりそのあとパタリと来日がなくなりました。今思うと、その後予定されていたアニメのテーマソングの話もなくなりましたし…。一方的な情報で真相はわかりませんし、あまり愉快な内容ではないのでわざわざお伝えする必要もなかったかもしれません。
しかし、シマ姉さんのルネブログへの情熱、情報収集・探究の姿勢を思うと、このような情報でもなぜかお伝えしたいなという気持ちになりました。でも、これはルネ本人の価値と無関係の話ですね。
※「RKBベスト歌謡50」
・RKBラジオで1974年(昭和49年)4月14日から1995年(平成7年)12月31日まで毎週日曜日に放送された歌謡曲のランキングカウントダウン番組。
・放送開始当初は12:15~15:55だった。
・番組のコンセプトとして、1位から50位まで全曲をオンエアするというのが特徴。
・「ザ・ベストテン(1978年~1989年、TBS。福岡地区のネット局は、RKBテレビ)」の、発案のきっかけになったのはこの番組。
・当時のDJは林 幹雄アナウンサー。
・ルネの情報は「鬼さんの芸能リポート」コーナーで報告された。
※wikipedia「RKBベスト歌謡50」
http://ja.wikipedia.org/wiki/RKB%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E6%AD%8C%E8%AC%A150
※鬼澤慶一
TBSの情報番組「モーニングジャンボ」の初代レポーター。 辛口な評論と堂々とした取材ぶりで、「鬼の鬼澤」の異名をとった。ザ・ベストテンの情報提供者としても知られている。
さて、私個人の推測です。
数年前、カナダからのルネ情報の中に、ルネが日本に行かなくなったことについての内容がありました。こちらもはっきりとしたことは分かりませんが、「日本に行ったことによって、ルネにとってマイナスになるような、嫌なことがあった」らしいのです。
ルネは日本で第3回東京音楽祭世界大会に出場し、グランプリとフランク・シナトラ賞を受賞したからこそ、カナダの英語圏やアメリカ、フランスでのビジネス・チャンスをつかんだはずなのに、何故?……と、私はとても悲しい気持ちになりました。でも、momoさんからの情報によって、「理由を知るための糸口」が見えたような気がしました。
momoさんがこの芸能リポートの情報を聴いたのは、ルネの来日が無くなってから。つまり、全国縦断スプリング・コンサートの行われた4回目の来日の後です。
スプリング・コンサートの東京公演に行かれた年友さんの情報では、かなりの数の空席が有ったそうです。そして、momoさんが行かれた福岡公演でも空席が目についたといいます。ファン・クラブでチケットの優先販売をしていましたが、どれくらいの数が売れたのでしょう。
また、1975年3月発売の「月刊明星」5月号の「マンスリー・ジャンボ」に、『コンサートに本誌読者を100名招待』という購読者プレゼントがありました(上の記事画像を参照)。かなり切羽詰まってからの、それも先着100名に、4月7日の東京・神田共立講堂の入場券をプレゼントするという企画です。当選は発送をもってかえさせていただくというばらまき状態★ …ということは、「コンサートのチケットが当初の予定より売れなかった」ため、客席を埋めるための苦肉の策だったのでしょうか。この東京公演には、カナダとアメリカの取材カメラが入っていましたから、日本のスタッフが焦ったのかもしれません。それでもかなりの空席が有ったというのですから、東京公演だけを考えても「興行成績が悪く、採算が取れなかった」ことになります。しかし、momoさん情報では、ファースト・コンサートの時も、「週刊セブンティーン」から大阪コンサートと9月14日の東京コンサートに300名を招待する企画があったということなので、このことだけで判断することはできませんが…。
また、ルネは母国カナダにたくさんのファンを残して来日していたので、日本での活躍を伝えるために(むしろ日本の芸能誌より詳しいぐらい)報道関係者が必ず同行していました。そして、来日の度にたくさんのスタッフも同行していました。そのため、移動にかかる交通費や宿泊費は大変な金額になったでしょう。現在でもケベックからの直行便はありませんから、当時はもっと時間がかかって、子どものルネには相当な負担だったに違いありません。日本側とどのような契約になっていたかは、当時の関係者でなければ分かりません。しかし、コンサートの収益に見合わない金額だったとしても、来日の必要経費等も含めた契約どおりの金額を、カナダ側がルネのギャラとして請求するのは当然です。それが「日本で稼いだお金を全部カナダに持って帰って日本側とトラブルになっているらしい」という情報になってしまったのではないでしょうか。
しかし、momoさんから福岡公演での空席について、追加情報をいただいて思ったのです。忙しいスケジュールの中、日本のファンのために来日したのに、コンサートでは会場に空席が目立ち、日本での人気が低迷していると知った時、ルネがどんなに悲しく思い、傷ついたことか…と。きっと勘の良いルネは、空港に到着した時から、日本の変化を感じていたのではないかと思います。何故なら、ルネがイメージ・キャラクターだった『中一時代』にも、芸能誌にも、ファン・クラブ「メープル・メイツ」の会報にさえ、この時の記事はほとんど載らなかったのですから、取材する報道関係者も少なかったのではないかと思います。
もちろん年友さんのスプリング・コンサートの録音テープからも、アメリカの特集番組で紹介された映像からも、熱狂する日本のファンの様子は分かりましたが、資料の写真や記事から見て、ファースト・コンサートより舞台装飾は地味でした。さらに、東京公演の翌日は北海道公演という、カナダでは考えられないハード・スケジュール★ それでも、ルネは若くてもスターであり、プロの歌手ですから、観客の前では最高のステージを見せてくれます。しかし、同時期のカナダやアメリカでのコンサート、イベント等では、超満員の観客の前で歌っていたスーパー・アイドルのルネです。観客席に空席が有るなんてことは、あまり経験したことがないのです。その上採算の取れなかったコンサートのギャラについてトラブルになったら、嫌な思いどころではありません。
また、カナダ側からすれば、観客を動員できなかったのは日本側の責任です。それに対し、日本側はコンサートの収益から支払うルネのギャラについて、採算が取れなかったことを理由に、カナダ側に金額の交渉を持ちかけたに違い有りません。日本ではありがちなことでも、欧米では一度交わした契約は絶対ですから、カナダ側にしてみれば日本側の契約違反になります。これではトラブルにならないはずがありません。
ルネが「日本で嫌な思いをした」というのは、このことだったのではないかと私は推測しました。
でも、「ルネが日本に来なくなった理由」については、このトラブルだけが原因ではありません。何故なら、TVアニメ『家なき子』の主題歌の件は放映中止が原因ですし、来日がなくても新曲は出ていたし、レコードもベスト・アルバムまで発売されていたので、日本側が契約どおりのギャラを支払うことで、トラブルは解消されたのでしょう。TVアニメ「家なき子」の主題歌などは、CBSソニーの担当者がわざわざカナダまでレコーディングのために出向いていましたし、「モントリオール讃歌」の発売も、ソニーがノーベル・レコードに交渉して実現したことです。
しかし、コンサートの入場者数から判断し、カナダ側のスタッフが日本での活動縮小を決断したことは目に見えます。ルネ・ブームが冷めてしまった日本より、世界を狙うのに打って付けで移動も容易なアメリカでの活動に切り替えた方が良いに決まっています。そして、当時まだ14歳だったルネが、スタッフのアドバイスを受けて努力し、活動してきたからこそ、現在のルネがあるのですから…。
ルネも過去のことに拘っている様子は微塵もありません。今はルネのファンとして、日本から応援するのみです。
長々と書いてしまいましたが、これは私個人の推測ですので、お馬鹿なルネ・ファンの戯言と思って読み流してください。
また、このことについて、当時の情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非是非ご一報ください!
ちなみに、当ブログのゲストさんにはご存知の方も多いと思いますが、私は両親から許してもらえず、次回の来日のコンサートに夢を託して泣く泣く諦めたのでした。「親の反対を押し切ってでも行けばよかったのに!」という方もいらっしゃるでしょう。でも、当時は親の言うことは絶対でしたし、親の反対を押し切ってコンサートに出かけたとしても、終電で帰ってこれないような田舎育ちで、翌日は始業式でしたから、今考えてもコンサートに行くことは無理でしたね…★ 私と同じような状況で行けなかったファンも多いのでしょう。
そして追記です。
当時、日本側のスタッフが「ルネか来日すると大金がかかる。」と言っていたそうです。確かに1回目の来日では東京プリンスホテルに泊まっていましたし、他の来日時には高輪プリンスホテル(現 グランドプリンスホテル高輪)に宿泊したそうですから、宿泊費はかなりの額になったでしょう(年友さん情報)。そのため日本側でも、来日には費用かかかりすぎるので、レコーディングもカナダで行い、レコードの発売のみにとどめたのかもしれません。
今回情報を提供していただきましたmomoさんには、以前スプリングコンサートの福岡公演の様子についてコメントをいただきました。それ以外でも私が知らなかった当時の情報を寄せていただいたり、想い出話に花を咲かせたりしています。momoさんから初コメントをいただいてからもう丸4年! ネット上のお付き合いも5年目に突入しました。カナダのルネ・シマールという共通のスターを通じて出会い、こういう楽しい交流が出来ることはとても幸せなことです。
momoさん、そして年友さん、いつも貴重な情報をありがとうございます! これからもルネ友としてどうぞ末永くよろしくお願いいたします。
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ルネの全曲集「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」がSony Music Shopのオーダーメイドファクトリーにおいて復刻リクエスト投票が100%を達成し、2ndステージに進みました! 予約受付期間は2011年5月18日から2011年6月22日までから、11月9日までに延期になった期限も迫ってきました! 現在、ほぼ週1パーセント・ペースという亀の歩み。それでも確実に予約数を増やしています。すでにどっぷり長期戦になっていますが、みんなの力で是非商品化を実現させましょう!! 日本のルネ・ファンも頑張らねばっ!
現在商品化決定まで55パーセントです。
♪Sony Music Shop 購入予約はこちらからお願いします!
http://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&ima=5333&cd=DYCL000000362&lay=omf&link=cvAWWz0LzlQ-XvH18xZaSDMZWiALefsPwg
♪過去ログ「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/468.html