浩介は、寝つきが悪く、眠りも浅い。
夜中にふと目が覚めると、たいてい、浩介はおれの手を握ったままこちらをじっと見ている。
そんな時は、頭を引き寄せて、ぎゅうっと抱きしめて、腕枕をしてやる。するとようやく体の力を抜いて目をつむるのだが、でも目をつむったからといって、眠れるわけでもなさそうで、いつも浩介の寝息を聞く前におれが先に眠りに落ちてしまう。
「怖い夢を見るから眠りたくない」
まだ20代のころ、そんなことを言っていた。今はどうなんだろう。
**
浩介の父親が怪我をして、入院、手術をすることになり、そのバタバタの中で、浩介は12年ぶりに父親と再会し、母親とも二人きりで数時間を過ごしたらしい。
「今になってこわくなってきたよ。おれ、よく倒れなかったよね」
夕食を食べながら、浩介がブツブツという。
でも、その食べているおかずも、浩介の母親が持たせてくれた、なすとひじきと酢豚である。
「すっげー美味い。お前の母さん、料理上手だな」
「あー、あの人、昔から料理にはこだわりあるんだよね。夕飯は3ヶ月は同じもの出てこなかった」
「げ。マジか」
「昼はわりとおれの好きなものだったから同じの出たけど」
「へえ~……」
もぐもぐもぐ……よく噛んで食べている浩介の姿に胸を打たれる。
半年ほど前……。
おれが浩介の母親からもらってきた苺を何も知らずに食べた浩介は、その苺が母親からのものだとわかった途端、すべて吐きだしてしまった。腹に入ったものすべてを吐きだしたい、とでもいうように、最後には喉に手を突っ込んでまで吐き続けた浩介……。あのときのことを思いだすと、浩介への申し訳なさと自己嫌悪でいてもたってもいられない気持ちになる。
でも、あれから約半年。浩介は母親の手料理を普通に食べている。母親の話を普通にしてる。
安堵のため息が出そうになるのを、なんとかこらえていたところ、
「それで、慶……明日空いてる? 病院一緒にいってもらっても、いい?」
「ああ大丈夫、空いてる」
せっかく親子水入らずなのに……と、思わないでもないけれど、こうして頼ってくるということは、やはりまだまだ不安なのだろう。
「良かった。ありがと」
「…………」
ニッコリとした浩介に、ずっと燻っていた気持ちが大きくなってくる。
こうして無理矢理に親と親交を持たせるのは、単なるおれの押しつけなんではないだろうか。
浩介は日本に帰ってきて、本当に良かったのだろうか……
***
翌日、おれが運転する車で浩介の実家に迎えにいくと、浩介の母親はおれがいることを嫌がる様子もなく、それどころか、
「お医者さんが一緒にいてくれると安心だわ」
と、言ってくれ、そして全身麻酔にする理由や手術後のことなど、質問攻めにしてきて、浩介にたしなめられていた。不安でしょうがないようだ。
でも、その過剰な心配をよそに、手術は無事に終了した。麻酔の効きが悪くて少し予定時間をオーバーした以外には、すべて順調だったそうだ。
病室に運ばれてきた浩介の父は、ボーっとした表情で天井を眺めていた。全身麻酔の影響で吐き気もひどいようだ。
浩介の母は、そんな夫を心配そうに見つめながら両手を揉み絞っていて、主治医から説明があると看護師から呼ばれても、
「私が聞いても分からないから、あなた達で聞いてきて」
と、看護師のことを見向きもしなかった。
おれは部外者なので聞くのはまずいだろうと思ったのだが、病院側が勝手におれも息子の一人だと勘違いしたため、浩介と一緒に説明まで受けてしまった。
しばらくは入院生活を送ることになるようだ。病室は6人部屋だが、今は3人しかおらず、そしてちょうど窓際が空いていたそうで、大きな窓の近くのベッドになれたのはラッキーだったといえる。
説明後、病室に戻ったところ、閉めきられたカーテンの向こうからボソボソと話す声が聞こえてきた。開けるタイミングを失って、二人で立ちすくんでしまい、盗み聞き状態になってしまう。
「あの程度で骨折するとは俺も歳をとったな」
「いいえ、骨折程度で良かったです。これで打ちどころが悪かったりしたら、私どうしたらいいか……」
「そうか。とっさに手をついたから、頭を打たなくてすんだということになるのか」
「そうですよ。あそこで手が出たのは若い証拠だって先生もおっしゃってましたよ」
「そうか」
普通の会話だな、と思う。浩介が稀に話してくれる話だと、お父さんは絶対君主であり、こんな風に話す人ではないと思っていたのだが。
浩介を見上げると、浩介もそんなことを思ったのか、少し眉を寄せている。
会話が途切れたので、入ろうかとカーテンに手をかけたところで、
「佐和子」
「はい?」
ふいに、父親が妻を名前で呼んだので、また入りそびれてしまった。何かあらたまった感じの声……
「すまなかったな」
「え?」
急な謝罪の言葉に、きょとんとした声を返した浩介の母。
「何がですか?」
「前に……お前が手術を受けた時に、付き添ってやれなかったことだ」
「え……」
手術? お母さん、どこか体が悪かったのだろうか?
浩介の母は、いえ、そんな、あの……と言い続けてから、
「もう、45年も前のことです」
「そうだな。もうすぐ45年だな」
「覚えていてくださったんですか?」
「そりゃ覚えてるに決まってる。自分の子の命日なんだからな」
命日? どういうことだ?
「まあ……そんな風に言ってくださるなんて……」
涙ぐんだような浩介の母の声。
浩介は固まったようになっている。
浩介の父親が淡々と話を続ける。
「手術から戻ってきて思ったんだよ。お前もあの時、こんな不安な気持ちだったんだろうな、と」
「あなた……」
「すまなかったな」
「そんなこと……」
しばらくすすり泣いていた浩介の母親だったが、
「あの時……」
また、ポツリと話しだした。
「私、病院の天井を見上げながら、ずっとお祈りしていたんです。このお腹から流れた赤ちゃんが、どうか戻ってきてくれますようにって」
流れた赤ちゃん………流産の手術をうけたということか。
「そうしたら4年後に浩介が生まれてきてくれて……」
「………そうだな」
「今度は何があっても守らないとって……ああそうそう」
浩介の母は小さく笑うと、
「あなたもとても喜んでくださいましたよね。よくやった!でかした!って大声で叫んで」
「看護婦に注意されたな」
「そうですよ。あのあとあなた陰で『でかしたさん』って呼ばれてたんですよ」
「そうなのか? 失礼だな」
「だって、あんなに大きな声で……」
笑いまじりに話している浩介の両親………
入るに入れない雰囲気で、おれ達は、カーテンの前で立ちすくんでいたが、
「?」
ふいに、浩介に手をつかまれた。
「浩介?」
「…………慶」
浩介、複雑な顔をしている。
泣きたいような笑いたいような、苦しいような嬉しいような………
「おれ………」
「うん」
「でかしたさんだって」
「うん」
手を握り返すと、浩介は目をつむり、大きく息をはいた。
「おれ………」
「うん」
「日本に帰ってきて良かった」
「………そうか」
そうか………。
おれ達は手を繋いだまま、カーテンが開くまでそのままずっと立ちつくしていた。
***
帰りの車の中で、唐突に浩介の母親がパチンと手をたたいた。
「浩介、もうすぐ誕生日ね? 何か欲しいものある?」
「………欲しいものというか」
浩介は、助手席から振り返り、とんでもないことを言い出した。
「結婚式がしたいです」
「はああああ?」
思わず叫んでしまったおれ。
こないだのあれ、本気なのか!
「結婚式……?」
浩介の母親はいぶかしげに首をかしげた。
「誰の結婚式?」
「誰のって! 僕達のに決まってるじゃないですか!」
「え? 僕達って………」
ますます眉を寄せる浩介母。
「まさか、あなたと渋谷君とか言わないわよね? 男同士でなんてありえないでしょう」
「ありえないって、今、普通にやってますよ。お母さん、ニュースとか見ないんですか?」
「そんなニュースやってたかしら……」
首をかしげる浩介の母親。
「まあでも、渋谷君キレイな顔してるから、ウェディングドレスきっと似合うわね」
「ド………っ」
ドレス!?
あやうくハンドル操作を誤りそうになる。
「お母さん!」
浩介が真っ赤な顔をして怒りだした。
「渋谷君は男ですよ。ドレスなんか着るわけないでしょう!」
「じゃあ、結婚式ってなんなのよ? まさか二人ともタキシードってこと? 変じゃないの。そんなの」
「変じゃないです! そういうもんなんです!」
「えー? 変よ。渋谷君がドレス着ればいいじゃない」
「ありえない!」
叫んだ浩介。
「だったらおれがドレス着る! 慶には絶対にそんなことさせないっ」
「こ………っ」
おれと浩介母、しばらくの絶句後、
「お前がドレス~? 似合わねー」
「やだーこわいわー」
同時に笑いだしてしまった。
浩介がますます赤くなって怒っている。
「もー!二人とも!笑いすぎっ」
「ありえね~」
「ほんとありえないわー」
そのまま、浩介の実家につくまで延々と笑い続けてしまった。
浩介がこんな風に自然に母親と話せる日がくるなんて……こんな風に笑って過ごせる日がくるなんて……奇跡は起きるのだ。いや、浩介は奇跡を起こしたのだ。
***
その日の夜。
先にベットに入って本を読んでいた浩介だが、おれが来るとそそくさと本を閉じ、身をよせてきた。
「お前さ……」
浩介の頭を抱き寄せ、撫でながら、ずっと気になっていたことを聞いてみる。
「まだ、怖い夢、見るときあるのか?」
「んー……そういえば、ここ最近見てない」
「そうか」
ホッとする。良い傾向だ。
「眠るのは? やっぱりまだ時間かかるのか?」
「まあ………でも慶の寝顔独占できる幸せな時間なんだよね~」
「なんだそりゃ。さっさと寝ろよ」
「いいじゃんいいじゃーん」
もぞもぞと体を動かし、額をコツンと付けてきた。それで急に思い出した。
「そういやお前、おれの寝てるとこ写真に撮るのやめろよな」
「え、なんで知ってるの?」
「前に見たんだよ。あの………三好羅々の写真騒ぎの時に」
「あ………そっか」
お互い嫌なことを思い出して黙ってしまう。
3ヶ月ほど前、三好羅々という19歳の少女が、浩介を睡眠薬で眠らせ、浩介と彼女が性行為をしているように見える写真を浩介の携帯で撮って、おれに送りつけてきたのだ。
そういえばこの2ヶ月、三好羅々から何の音沙汰もないが、彼女は何をしているのだろうか。……なんて知りたくもないけど。
浩介がシュンとして謝ってくる。
「慶……ごめんね」
「それはもういい。……写真、撮るなよ?」
「えー、幸せな瞬間を切り取って保存してるのになあ」
言いながら、指が頬をなぞってくる。
「じゃあ、指で切り取ろうかな」
「………勝手にしろ」
「する」
付き合ってられない。
明日は仕事だ。もう寝る。
と、思ったが、眉に瞼に唇に指が辿ってきて………
「気になって眠れない!」
「…………ごめん」
クスクス笑いだす浩介。
「さっさと寝ろよっ」
「はーい。おやすみなさーい」
これ以上悪ささせないために、両手をぎゅうっと握りしめる。額をくっつける。
浩介のぬくもりと息づかいを感じていたら、すぐに眠りに引き込まれてしまった。だから浩介がいつ眠れたかはわからない。
でも、夜中にふと目覚めたとき………
「……浩介」
浩介は規則的な寝息をたてて眠っていた。
その愛しい額に口づけ、離れていた手をまた繋いでから、再び眠りにつく。
日本に帰ってきて、良かった。
---------
以上です。
最後までお読みくださりありがとうございました!
このシリーズも残すところあと2回?くらい……
キーポイントだった「でかしたさん」のシーンも書き終わってしまった。
回収エピソードが終わるたびに、切なくなってます私。
あと数回になりますが、今後ともよろしくお願いいたします!
---
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こんな真面目な話ご理解くださる方がいらっしゃるなんて、ほんとに有り難くて…。奇跡って起こるのね、と思いながら、毎日画面に向かって拝んでおります。
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『大好きだよ』
耳元で囁かれた甘い言葉を思いだしては、どうしようもなく顔が緩んでしまう。
やはり『思い』というのは言葉にするべきなのだ。
昔からのあれやこれやをずっと思い出してみたのだが……慶にここまでハッキリと『好き』と言われたのは、高校の時におれが告白したのに対する返事以来じゃないだろうか? ……いや、あの時も「ずっと好きだった」って言われたんだ。それ以降も、会話の中で言ってくれることはあった。「そういうお前のこと好きになったんだ」とか、そういう感じで。だから、
『好きだよ』
……うん。ない。はじめてだ。
でも、『~~だよ』って言い方は、イマイチ慶っぽくないな、とも思う。ちょっとセリフちっくだ。
いつもの慶だったら、そうだなあ……『好きだ』?『好きだぞ』? ……うーん。やっぱり『好きだよ』になるのかなあ……
「センセー夏休み中何かあったのー? 超機嫌いいー」
「え」
しまった。新学期早々、生徒に冷やかされ、いかんいかん、と顔を戻す。
「みんなに会えたのが嬉しくて機嫌がいいだけだよ」
「わー調子いいー」
笑う一人一人の顔をチェックする。
不安になっている子はいないだろうか。ここはみんなの居場所になっているだろうか。
ここは普通高校とは少し違う。心に傷を負った子供たちを受け入れる砦なのだ。
慶がおれの光となってくれたように、おれも一人でも多くの子供を励ます光となりたい。
***
おれが中学校で不登校になった原因は、クラスメートからのイジメだった。
教室に入れず、いわゆる『保健室登校』をしていたが、それでも登下校待ち伏せされ執拗な嫌がらせを受けたため、中学2年からは登校もほとんどできなくなった。
定期テストは母に付き添われて登校して受けさせられていたのだが、そこで毎回、学年上位の成績を取っていたのも、イジメグループの気に触ったらしい。
父は、学力至上主義者だった。「成績表は教師の主観が入るが、実力テストには純粋に学力のみが反映される。だから成績表はいくら悪くても構わないが、テストだけは良い点数を取らなくてはならない」と、よく父に言われていた。
父はおれにとって恐怖の対象でしかなかった。眼鏡の奥の鋭い瞳に睨まれると、竦んで身動きがとれなくなった。たぶん母もそれは同じで、母がおれに折檻までして勉強を強要したのは、父の機嫌を損ねたくなかったから、というのが一番の理由だったのだと思う。父は王様。おれと母はその駒でしかなかった。
その恐怖心は根強く、大人になって実家を出てからも、日本を離れてさえも、消えることはなかった。母に対しては恐怖心よりも嫌悪感のほうが強い気がするが、父に対してはひたすら恐怖を感じていた。
そんな父が、倒れた、と母から連絡があったのは、2回目の合同カウンセリングの翌週、おれが一人でカウンセリングを受けていた最中だった。
おれは母に連絡先を教えていないので、母がクリニックに電話してきたのだ。
倒れた、といっても病気ではなく、本当に「倒れた」そうだ。リビングの電球の入れ替えをしている最中に脚立から転落したらしい。足が腫れていて歩けないから病院にも連れていけず、でも救急車も呼ぶなと言われて困っている、と……。うちのリビングは天井が高いので、かなり高くのぼる必要がある。下手をすると骨折しているかもしれない。
「どうぞ行って差し上げてください。今の桜井さんだったら大丈夫ですよ」
「…………はい」
主治医の戸田先生に背中を押され、戸惑いながらも肯く。
父に会うのは12年以上ぶりになる。
***
久しぶりに見る父は、矍鑠としていてとても82歳には見えなかった。それでも、記憶の中にある父よりも2回りくらい小さくなった気がする。そのせいか、恐怖で身が竦むという現象は起きなかった。
父はおれを見るなりムッとした表情を浮かべたけれども、何も言わず、おれの背中にのり、車まで大人しく運ばれた。初めて父をオンブした。……というか、父とこんなに体を密着させたのも初めてだと思う。
予想よりも体重の軽い父に少し衝撃を受けた。おそらく、背は慶よりも高いけれど体重はずっと軽いのだろう。まあ、慶は筋肉で重いとも言えるのだが……。普段から慶のことをふざけて抱っこしたりオンブしたりしていて良かった。おかげで、まったくふらついたりせずに父を運ぶことができた。
駐車場から病院へは、車いすを借りて移動した。その間も父はほぼ無言だった。した会話といえば、
「痛くないですか?」
「大丈夫だ」
これだけだった。それでも、声が震えなかった自分を自分で褒めたいくらいだ。
検査の結果、足首は捻挫だったのだが、左手首が折れていることが分かった。入院と手術が必要だという。
「お父様、そうとう痛かったと思いますよ。この年代の方は我慢強すぎて困る」
診察してくれた医師にあとからこっそりと言われ、父らしくて少し笑ってしまった。
入院に必要なものを取りに戻る車の中、母がぽつぽつと話しだした。
「お父さんねえ、庄司さんと喧嘩別れしちゃったのよ」
「………喧嘩?」
庄司さんとは、おれが小学生の時から父の事務所で働いていた、おれより15歳年上の男の人だ。
おれが弁護士にならないと宣言してすぐに、父は庄司さんを跡取りと決めた。5年ほど前に事務所も庄司さんに譲り、自分は顧問として時々顔を出していたらしいのだが……
「色々口出しされることに庄司さんがとうとう我慢できなくなって……」
それで、今まではうちのこまごまとした男手の必要なこと………大掃除とか、それこそ電球の付け替えなどは、庄司さんが親切でやりにきてくれていたのだけれども、喧嘩して以来、まったく来なくなってしまったため、父がすることになってしまったそうだ。
あの父が脚立にのり、小さくなったあの体で電球に向けて手を伸ばしていたと思うと、なぜか胸が傷んだ。
「もう仲直りは無理だと思うのよね」
頬に手をあて、ため息をつく母。
「でもお父さんももう歳でできないことあるし、これからも今回みたいなことがあるんじゃ、ホント困っちゃうわ」
「………電球くらい」
うつむいた母を見て、ほとんど無意識に、言葉を発していた。
「電球くらい、僕がつけかえますよ」
「え」
「え?」
自分でも驚く。おれ、今、何言った?
「そう……ありがとう。助かるわ」
「あ……いえ」
何言ってんだ?おれ……
嬉しそうに微笑んだ母から慌てて目をそらす。ハンドルを握る手に汗が染みてくる。
「さっき、お父さん背負ってる浩介みてて、ほんと感心しちゃったわ。もうすっかり大人ね」
「…………」
40過ぎた息子に、今さら大人ってことないだろ、と言いたいところだけれども、たぶん母の中ではおれはまだ大学4年の22歳で止まっているんだろうな、と思う。
「明日の手術って、全身麻酔なんですってね。腕を手術するのにどうして全身を麻酔するのかしら?」
母は手を揉み絞りながらブツブツと言っている。この仕草、昔から変わらない。
「全身麻酔って危険じゃないのかしら。これで何か障害が残ったりしたらと思うとこわいわ」
「………」
「ねえ、浩介、明日の手術の時、一緒にいてくれる?」
「………え」
ごくごく普通に言われ、戸惑ってしまう。
おれはずっと両親のことを憎んでさえいて、ずっと避けてきた。こうして母と二人きりで話すのも12年以上ぶりだ。でも、母はそんなことなかったかのように、普通に言う。
「私一人じゃ何かあっても判断できないもの。お願い」
「…………。分かりました」
何だかおれも、22歳の大学生に戻ったような気分だ。
**
病院を往復して、実家の電球まで変えたので、すっかり遅くなってしまった。
母に夕飯食べていく? と言われたけれど、せっかく今日は母に対してムカつくことがなかったのに、これ以上一緒にいて、また地雷を踏まれたら嫌なので、丁重にお断りをした。すると、
「じゃあ、これ、渋谷君と食べなさい」
「え」
タッパーを3つ渡された。ひじきの煮ものと、なすの味噌いためと、かぼちゃの酢豚。
「なすは昨日のお夕飯の残りだから今日中に食べたほうがいいかも。ちゃんと火通してね」
「あ……はい」
受け取り、頭を下げる。
渋谷君と食べなさいって……。
「ありがとう……ございます」
「じゃあ、明日よろしくね」
「…………はい」
渋谷君と………
心に温かいものが灯る。
渋谷君と。渋谷君と。
母がそんなこと言ってくれるなんて。
「お母さん」
「なに?」
首をかしげた母をじっと見つめる。この人も歳を取ったな………。
ふっと言葉が自然に出てきた。
「おやすみなさい」
「…………え」
びっくりしたような母を置いて玄関を閉める。母に「おやすみ」なんて言ったの、大学卒業以来だ。
***
その日の夜……
「慶、ちょっとおれのことオンブしてみてくれる?」
「………は?」
食事の後片付けも全部終わり、お風呂も入り、あとは寝るだけ、の状態になったところで慶にお願いしてみる。
案の定、その綺麗な眉を寄せた慶。
「何言ってんだ?」
「いや、今日、父をオンブしてるとき思ったんだよね。おれが将来、足腰立たなくなったとき、慶はこうやってオンブしてくれるのかなあ…とか」
「するけど……」
でも、おれ達同じ歳だからな? どっちが先に体がきかなくなるかなんてわからないだろ?
眉を寄せたまま言う慶に、いやいやいや、と手を振る。
「どう考えても、慶の方が健康だよね? 絶対おれの方が先にダメになるって」
「だからお前も鍛えろって言ってるんだよ。……ほら」
向けられた背中に、えいっとしがみつく。
すると、とんとんっと体が宙に浮き、軽々とオンブされた。
「わあ、すごい!」
思わず感嘆の声をあげてしまう。慶はおれよりも13センチほど背が低い。でもそんなこと関係ないようだ。
「別にすごかねえよ」
言いながらも、慶はおれをおぶったまま、ウロウロと歩き回ってくれた。そして、時々下にずりおちてくるのを、また、とんとんっとおれの体を宙に浮かせて、元の位置に戻してくれる。
「んー……」
その浮遊感、そして慶の腰のあたりに押しつけるようになっている感じ、慶の髪の匂い……これは、ヤバい。
落ちつかせようにも落ちつかない。というか、落ちつかせなくてもいいのか? どうなんだ?
どうしようかと、モゾモゾとしていたら、
「お前……」
おれの異変に気がついた慶に、オンブの手を離されてしまった。途端に床に足がついてしまう。
「何勃ってんだよ」
「ごめん、だってさー……」
後ろからぎゅうううっと抱きしめる。
「どうしよう。おれ絶対、足腰立たなくなっても、慶にオンブされたら元気になっちゃう」
「アホか」
心底呆れたように慶がいう。
「そのころにはもうそんな元気ないだろ」
「えーわかんないよー。すっごい元気かもよー」
今の父と同じ歳になるのは、約40年後……。おれ達、どんな風に過ごしてるんだろう。想像もつかない。
でも、一つだけわかっているのは……
「ああ、良い事思いついた」
「何だ?」
眉を寄せたまま振り返った慶の唇にそっと口づけ、にっこりとする。
「オンブする前に、やっとけばいいんだよ。その直後ならいくらなんでも勃たないでしょ」
「………色々ツッコミどころ満載な提案だな」
「そう?」
「お前、ほんとアホだよな」
「そうかなあ」
言いながら唇を重ねる。慶の唇。愛おしい唇……
「40年後……」
慶の細い腰を抱きながら、その白い耳にささやく。
「40年後もこうして一緒にいようね?」
「………当たり前だ」
背中に回された手にぎゅうっと力が入る。
「慶、大好きだよ」
「……ん」
40年後、どんな風に過ごしているのかはわからない。
でも、一つだけわかっていることがある。
それは、おれ達が一緒にいるということ。
もしも、どちらかがいなくなっていたとしても、魂だけとなっていても、おれ達は必ず一緒にいる。
---------
以上です。
最後までお読みくださりありがとうございました!!
老いた両親と向き合う……ようやく、ようやく、向き合える日がきました。
このシリーズも、残すところあと数回。
こんな真面目過ぎるお話にお付き合いくださり本当にありがとうございます。
次回もよろしければ、どうぞお願いいたします!
---
クリックしてくださった方々、本当にありがとうございます!
カウント数に励まされ、ここまで書き続けてまいりました。おかげで、ようやく父親との対面も果たしました。
本当に本当に感謝しております。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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「風のゆくえには」シリーズ目次 → こちら
「あいじょうのかたち」目次 → こちら
突然、浩介が言い出した。
「結婚式、しようよ」
「…………へ?」
思わず飲んでいたワインを吹きそうになってしまった。
結婚式????
「何言ってんのお前?」
「やっぱりケジメだよケジメ。認めさせるには形で見せるのが一番だから!」
「……………あー、そう」
肯いてから、これ何て名前のチーズだ? と皿にのったチーズをつまんで首を傾げると、
「もーーー!真面目に聞いてよ!」
と、浩介が怒り出した。
「あー、わかったわかった」
「わかってない!」
プリプリ怒ってる浩介。なんか可愛くて面白くて笑ってしまうと、浩介はますます怒りだした。
「するからね! 結婚式! するから!」
「はいはい」
「はいはいじゃないっ」
本気らしい。目がマジだ。
認めさせるには形で見せる……。でも、形で見せたら認めてくれるのか?が問題だ。
今日は8月の最終土曜日。
目黒樹理亜の働いている、陶子さんのお店に来ている。
陶子さんのお店は、普段は女性限定なのだが、偶数月の最終土曜日の夜だけ、男性のカップルも入店が許されるのだ。
浩介の母親との1回目の合同カウンセリングから3週間。
今日の午後、第2回目の合同カウンセリングが行われたのだが……
「なんなのあのおばさん。天然のフリして、絶対悪意あるよね。あー信じられないっ」
「まあまあ……」
病院を出てから、浩介はずっとこの調子でブツブツ怒っていた。
理由は、浩介が「結婚しない」とハッキリと言っているのにも関わらず、浩介の母親がことあるごとに「結婚したら」だの「子供がうまれたら」だの言っていたからだ。
母親は主治医の先生から「そういうことは言ってはいけない」と言われているそうだが、どうしてもポロッと本音が出てしまうらしい。
宿題に出されていた『母親に教えてほしいレシピ』一覧を提出した際も、浩介の母親は、それはそれは嬉しそうにそのレシピを眺めていたのだが、ポロッと「こういうのはお嫁さんに教えてあげたかったわ」と言って、浩介のこめかみに何本も血管を浮き上がらせた。
そして、その後もそのポロッは続き……カウンセリングの最後の方で、とうとう堪忍袋の緒が切れた浩介が、
「だから、おれは慶以外の人間には勃たないんだよ!」
と、大声で叫び、浩介の母親が目を白黒させ、戸田先生が笑いをこらえ切れず下を向いて肩を震わせ、おれは、あーあ、とため息をついた、という一幕まであったのだが……
でも、いい傾向なんじゃないだろうか。なんだか、普通の「仲が悪い親子」になってきたようにみえる。
「結婚式。結婚式……。前に慶のご両親は、やったら?って言ってくれたんだよね」
「ああ……3年以上前の話だけどな」
姉の娘の結婚式に出席した帰り道、「結婚式すればいいじゃないか」と言ってくれた両親。まあ、単にそれにかこつけて旅行がしたいだけなんだろうけど……。
「休みが合わないから、旅行がてら、は無理だね。軽井沢とかちょっといいなとか思うけど」
「そうだな。まあ、土曜の夜か日曜で、横浜近辺がいいかもな」
おれ達は今、東京都内に住んでいるが、両方の実家は横浜で、おれの姉も妹も横浜市内在住なのだ。
浩介が楽し気に指を立てて揺らした。
「じゃあ、式は、和、洋、どっちがいい?」
「え、式までするのか?」
そんな本格的に?! おれが驚くと浩介はきょとんとした。
「え、じゃ、何するの?」
「えーと……食事会的な?」
答えるなり、ムーッとする浩介。
「えーつまんなーい」
「つまんなくねえよ。何の宗教も信じてねーのにどの神様に誓うんだよ?」
「えー、いいじゃん。その時だけキリスト教徒になろうよー」
そんな無茶苦茶な。
「もちろん神社でもいいよ。慶、紋付袴も似合いそう~」
「え!?」
も、紋付袴?!
「そんなちゃんと衣装も着るのか?!」
「着るよ!おれは着たくないけど慶には着てほしい!」
なんだそりゃ……
頭を抱えたくなったおれを置いて、浩介はやけに楽しそうだ。
「あ~慶、白のタキシードも似合うだろうな~シルバーも捨てがたいけどな~」
「なんだそりゃ……」
本当に頭を抱えたところで、
「なになになになに何の話!?」
カウンターの向こうから樹理亜が食い付いてきた。
「白のタキシードって、慶先生、結婚するの?! 誰と?!」
「誰とって、おれに決まってるでしょ!」
カウンターテーブルをバンバン叩いて、がなる浩介。そんなムキにならなくても……
でも樹理亜は全然動じず、きゃっきゃっとはしゃいでいる。
「もう、冗談だよ~。ねえじゃあ、式するってこと~? よんでよんで~!」
「絶対ヤダ。目黒さん、平気で白いドレスとか着てきそうだもん」
「着てく着てく~それで慶先生と写真撮りたーい」
「絶対だめっ」
浩介がブウっとふくれてる。子供相手に何をムキになってるんだこいつは……。
と、そこへ。
「なんかホントおめでたいよね、あんたたち……」
「あ」
おそろしく暗~い声。振り返ると、見た目中学生の男の子が暗~く立っていた。樹理亜に片思いしているユウキという少年……心は男性で体は女性という子、だ。樹理亜は彼を見るなり、パチンと両手を合わせた。
「あ、ユウキー!久しぶりー。全然来ないから心配したよー」
「え」
底抜けに明るい樹理亜の声に、ユウキの頬が緩む。
「心配した? 樹理、ボクのこと、心配してくれてたの?」
「そりゃするよー。ラインも未読スルーだしさっ」
「ごめんね。ちょっと携帯見れてなくて」
おめでたいのはどっちだ。さっきの暗い表情はどこへやら、もう嬉しそうな顔になって浩介の隣のカウンターの席に腰かけている。
「何してたのー?」
「うん。大学。ずっとサボってたから、補修レポートとか色々」
「わあ、レポートとかって何かカッコイー! すごーい!」
樹理亜の能天気な拍手にユウキはデレデレだ。この子、見た目は中学生だけれど、大学生だったらしい。
「そこの先生達の出身校みたいな一流大学じゃないけど、でも、大学は大学だから出ておいて損はないと思ってさ」
「そりゃそうだよー。あたし高卒だよー。あ、でも、来月からネイルの学校行くんだ~」
「あ、そうなんだ」
ふっと笑ったユウキ。
「すごいね。樹理、頑張るね」
「うん。頑張るよー。ユウキは? ユウキは大学で何してるの?」
「ボクは……」
眩しいような目をして、ユウキは樹理亜を見上げた。
「ボクは英語の勉強してるよ。翻訳家になりたくて、英文科に入ったからさ」
「ってことはユウキ英語喋れるの? すごーい!」
「うん……でもね」
ユウキはオレンジ色の飲み物の入ったグラスを両手で囲みながらポツリといった。
「でも、ボクより喋れる人なんかいくらでもいて、それでなんか落ち込んじゃって……」
「えー!そんなの当たり前じゃーん!」
「え」
樹理亜は、手をひらひらと振ると、あっけらかんと言いきった。
「アメリカ人なんか子供でもみんな英語喋ってるじゃーん!」
「……っ」
思わず、おれも浩介も吹き出してしまった。
いや、確かに、英語圏の子供はみんな英語喋ってるけど!
でも、ユウキは笑わず、真剣な顔をして小さくつぶやいた。
「そうだね……ホント、そうだよね……」
「そうだよー? ……あ、はーい! 今行きまーす!」
テーブル席の客に樹理亜は返事をすると、「じゃ、ごゆっくりー」と言い残してカウンターの中からいなくなった。
取り残されたおれ達……。これはユウキも一緒に飲むべきなのか、迷うところだが……
「あの」
その迷いを察したのか、ユウキの方からこちらに声をかけてきた。そしてしおらしく頭を下げてくる。
「今さらなんですけど……、メールと書きこみのこと、スミマセンでした」
「あ、いや……」
このユウキに、おれに男の恋人がいる、と勤務先の病院に匿名のメールをされ、それがきっかけでおれはカミングアウトすることになったのだ。今となっては、カミングアウトできて良かったと思わないでもないので、ユウキに対して怒りはない。
ユウキは引き続き真面目な顔をしたまま、言葉を続けた。
「それから、こないだもスミマセンでした」
「え、ああ……」
2か月前、「樹理亜の前からいなくなってくれ」と、からまれたのだ。最後には「ムカつく」と吐き捨てるように言われたような……。
「あれからボク、先生に言われたことすごく考えて……それで大学も真面目に行くことにしたんだけど」
「あ、そうなんだ」
正直、何を言ったのかあまり覚えていない……なんて言えない雰囲気なので誤魔化すことにする。
ユウキは淡々と続ける。
「それで、ボクも努力してみようって思ったんだけど……でも、やっぱり自信なくなっちゃって……」
「……………」
「でも、さっきの樹理の言葉聞いたらなんか悩んでるの馬鹿馬鹿しくなってきた」
「………そっか」
ユウキは、グラスの中の飲み物を一気に飲み干すと、すっと立ち上がった。
「ボク、頑張るよ。真面目に頑張って、樹理に認めてもらえるようになる。先生に負けない良い男になる」
キリッとした目で言いきるユウキ。そして「じゃ」と軽く頭を下げると出口に向かって歩いていってしまった。
「………若いねえ」
ユウキの後ろ姿を見送り、浩介がふうっとため息まじりにいった。
「なんか、人生これからって感じでキラキラしてるね。2か月前とは大違い」
「うーん……」
思わず腕を組み、首を傾げてしまう。
「2か月前、おれ、何言ったんだっけ? そんな考えさせられるようなこと言ったか?」
「覚えてないの?」
わーヒドーイ。という浩介。そう言われても覚えてないものは覚えてない。
「お前覚えてる? おれ何言った?」
「えとねえ……、良い大学に入ったのも医者になったのも、努力の積み重ねの結果なんだから、それをズルイと言われる筋合いはない!みたいな」
「あー……それな。言った言った」
そんなただの会話の一端で、心を入れ替えて大学行きはじめるなんて、あの子はそうとう素直な子なんだろう……
「それからー」
「なんだよ?」
いきなり、浩介がニコニコと、おれの手をぎゅーっと握ってきた。なんだなんだ?
浩介はこの上なくへらへらした顔をすると、
「慶、『おれはこいつ以外、愛せない』って言ってくれた!」
「……あー」
「おれも慶以外愛せないからねっ」
「あーはいはい」
そういえばそんな会話したな。
軽く肯くと、浩介がまた、もーッと怒りだした。
「反応薄っ!薄すぎっ!冷たすぎっ」
「そういわれても……」
浩介はぶつぶつぶつぶつ言っている。
「慶って、おれが言うことに対していつも反応薄いよね。おれなんか、慶が甘いこと言ってくれたらすぐに舞い上がっちゃうのに、慶はおれが何言ってもいつもシラ~ッとしてる!」
「そんなことは……」
「あるでしょ!」
「…………」
否定できない……。
「やっぱりさ、おれ、大好きとかそういうこと言い過ぎてんのかな。言うのやめればいいのかな」
「え」
「慶、絶対言わないもんね。おれがいくら言っても、『うん』とか『知ってる』とかそんなことしか言わないし」
「…………」
「うん。やめよう。今からやめる。もう言わない!」
「…………」
ふんっと言いたげに、浩介は両ほほに頬杖をついた。今日の合同カウンセリングで興奮したことや、少しアルコールが入っているせいもあるのか、今日の浩介はいつもにも増して子供っぽいというか何というか……
「浩介」
「…………なに」
浩介は頬杖をして、前を向いたままだ。
テーブル席の方で何やら盛り上がっているので、端にあるカウンター席にはおれ達しかいない。誰もこちらを見ていないし、見られたとしても、この店内ではおれ達が恋人同士であることを隠す必要はないので、多少バカップルっぽいことをしても、まあ大丈夫だろう。
そんなことを冷静に考えてから(やはりおれはわりといつでも冷静だ)、浩介の左手を頬からはがして、ぎゅっと握り、耳元に唇を寄せ、ささやいた。
「………大好きだよ」
「…………っ」
途端に真っ赤になる浩介。……面白い。
「……慶っ」
「何だ」
他の客から見えない角度で、浩介の耳たぶをくわえると、ますます赤くなり俯いた。
「ずるいよ、慶……」
「何が」
「いつも言わないから、こんな風に言われたらどうしていいか分かんない」
「………」
耳から離し、瞳を至近距離で覗き込む。
「嫌か?」
「嫌なわけないじゃん……っ」
浩介が赤面したまま首を激しく振った。
「すごい嬉しすぎてどうしていいか分かんない」
「おれも嬉しいよ?」
「え?」
左手を強く握る。愛おしい体温が伝わってくる。
「おれ、お前に好きっていわれるの、すげー嬉しいよ?」
「慶……」
「あ、でも、もう言ってくれないんだっけ? あー残念だなー」
「うそうそうそっ」
慌てた様子で、おれの手を両手で握り返してくる浩介。
「これからも言うよっ。慶、大好き。大好きだよっ」
「ん」
単純な奴……。笑いそうになるのをなんとかこらえる。
愛おしい。愛おしい浩介。
「だから慶、『ん』じゃなくて……、!」
不満げに尖らせた口に素早くキスをする。
「……好きだよ」
「……慶」
頭おかしくなりそう、という浩介の頭をグリグリなでる。
「じゃあ、やっぱり言うのやめとくか」
「んー……心臓に悪いので時々でいいです」
「時々って」
「時々でいいから、言ってね?」
「ん」
真面目な顔をした浩介の頬を囲み、コツンとおでこをつける。
「ずっと一緒にいような?」
「うん……」
何度も繰り返してきた約束。
「慶、大好き」
「ん」
これからも続く、愛の言葉。
---------
以上です。最後までお読みくださりありがとうございました!!
浩介のお母さんはあいかわらずなとこありますが、ヒステリーを起こさないだけ成長したといえますかね。
浩介はようやくまともに話ができるようになりましたかね。
でも「あのクソババア」とか言わず、「あのおばさん」と言うあたり、お育ちの良さがでちゃいますね。
ということで。次回もよろしければ、お願いいたします!
---
クリックしてくださった方々、本当にありがとうございます!
こんな地味な話を読んでいただけて、、、おかげで続きを書くことができています。
皆様がいらっしゃらなかったら、浩介は一生母親とこうして話すこともなかったでしょう。
感謝申し上げます!よろしくければ、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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病院の駐車場に停めた車の中で、長い長いキスをした。
フロントガラスに置いたサンシェードのおかげで外からは見えない、はず。
それでも、いつもだったら、速攻で押し返されるか頭突きされるかするのだけれど、今日の慶はされるがままでいてくれた。そして、おれの震える手をぎゅうっと握りしめてくれた。
「大丈夫。大丈夫」
コツンとおでこを合わせて、呪文のようにいってくれる。
「おれがついてるからな」
「……うん」
こっくり肯き、再び唇をあわせる。
大丈夫。おれには慶がいるから大丈夫。
慶の優しい唇を味わいながら、おれも呪文のように心の中で繰り返した。
今日は母親との合同カウンセリングの日だ。
母とは5か月ほど前に数分会ったが、その時にはおれは嘔吐と過呼吸の発作でまともに話すことができなかった。先週偶然見かけたときは話しかけなかった。だから、こうしてきちんと対面するのは12年以上ぶりになる。
カウンセリングルームのドアの前で息を整える。
母はおれより15分早く呼ばれているので、もう中にいるはずだ。心臓が体から飛び出てしまうのではないかと思うくらい跳ね上がっているのに、頭の中は妙に冴えている。
「……じゃ、いくね」
「ああ」
横にいてくれる慶の手を一瞬だけ握ってから、ドアをノックする。
「どうぞ」
戸田先生の、低めの落ちついた声を受けてドアを開けると……
「………」
泣きそうな、嬉しそうな、困ったような顔をして、ハンカチを握りしめながらソファーに座っている母の姿が目に飛び込んできた。記憶よりも少し小さくなった印象の母の姿……。
「浩介っ」
「………っ」
(浩介! あなたはどうしていつもいつも……)
母の声に軽いフラッシュバックが起こり、立ち尽くしてしまう。そこへ、
「……浩介」
とん、と背中を支えられた。慶の温かい手……。途端にフラッシュバックが止む。
同じ「浩介」という単語を言っているのに、慶の「浩介」という言葉はなんて甘くて優しくて、幸せで包んでくれるような響きなんだろう……。
「どうぞ、お二人ともお座りください」
「あ……はい」
戸田先生の声に我に返る。
「……大丈夫か?」
「ん」
小さく聞いてくれた慶に肯いて、覚悟を決めて母の前に座る。さあ、これからが勝負の始まりだ。
**
カウンセリングは、戸田先生が司会者となり、両方の言い分を引きだしていく、というまるで会議のようなものだった。そのビジネス的な雰囲気のおかげで、自分でも驚くほど冷静に、こちらの言い分を言葉にすることができたと言える。
母も、今までならば、ヒステリックに怒鳴り散らして最後まで聞かなかったような話でも、ハンカチを握りしめたままジッと耐えて聞いていた。それは、戸田先生と慶という2人の他人がこの場にいるからなのか、今まで受けていたカウンセリングのおかげなのか、12年という年月で少しは変わったからなのか、それはわからない。
おれの要求は一つだけだ。もう二度と、干渉してほしくない。
大学まで出してもらったことには本当に感謝している。その教育資金を返済することも考えている。それで勘弁してほしい。
「お金なんていらないわ……」
母がポツリという。
「私は時々でいいから、あなたがうちに顔を出してくれたらどんなに嬉しいか……」
「無理です」
自分でも冷たいと思うけれど、冷たい言い方しかできない。
「百歩譲って、一年に一度、正月に顔を出します。それでいいですか?」
「一年に一度って……」
大きくため息をつく母。
「お父さんももう、82よ。一年に一度なんて言ったらあと何回会えるか……」
「…………」
82、か。もうそんなになるんだ。父と母は一回り離れているので、母は70ってことになる。
父のあの威圧的な目を思いだして身震いしてしまう。
「お父さんは僕とは死ぬまで会いたくないと思ってると思いますけど?」
「そんなこと……っ」
ない、とは言えない母。やっぱりあるだろ。あの父がおれを許しているわけがない。
母は気を取り直したように顔をあげた。
「私は、あなたに会いたいわ。だって親だもの。当然でしょう? あなただって親になれば分かるわ。今からでも全然遅くないわよ。あなたが生まれたのだって、お父さんが今のあなたくらいの歳だったんだから。今から結婚して子供を持ちなさい。そうすれば自分の子供がどんなに大切かもわかるし、孫が生まれたらお父さんだって……」
「それは無理です」
やはり出た。昔と変わらない母の押しつけに、思わず冷笑を浮かべてしまう。
「僕は渋谷君以外の人は考えられない。それに子供も絶対にいらない」
あなたたちみたいな親になりたくないから。だから……
「こんな思いをするのはおれまでで沢山だ。子供なんて絶対に作らない」
「………どういう意味?」
「どういうって……」
きょとんとした母に、猛烈に腹が立ってくる。この人は本当に本当に何も分かっていない!
「あなたはやっぱり何も分かってない。おれがあなたたちのせいでどれだけ苦しんできたか……っ」
「桜井さん」
「浩介」
とんっと太腿に手を置かれ、言葉を飲む。慶の手。温かい手……。
そうだ。ここで冷静さを失ってどうする。
「話がそれたので、戻しましょう」
戸田先生があげかけた腰を下ろし、ピッと人差し指を立てた。
「お母様のおっしゃる『時々』というのはどのくらいの頻度ですか?」
「え」
母がまだきょとんとしたまま、戸田先生を見返す。
「そうね……月に一度……」
「ありえない!」
思わず叫ぶと、再び慶にトントンと太腿を叩かれた。冷静に冷静に……
深呼吸をしてから、母に向き直る。
「一年に一度が少ないというなら、お盆も足します。盆と正月。それで充分でしょう?」
「浩介……」
演技かかった様子で母が下を向く。
「どうしてそんなになっちゃったの? 昔は私がいないと泣いてばかりの子だったのに……」
「いくつの時の話してるんですか。申し訳ないけど、そんな記憶は残っていません」
呆れてしまう。
「僕の記憶の中のあなたは、いつもヒステリックに怒っている母親でしかない。僕はあなたから逃げたくてしょうがなかった」
「そんな……」
母がまた演技の続きでハンカチを目もとにあてる。
「私はあなたのことを思って、心を鬼にして叱って……」
「おれのため、おれのため。いつでもあなたはそう言っておれを追い詰めた」
叩かれ、なじられ、否定され……。ようやく逃げ出したのにやっぱり雁字搦めになっている。
どうしても、逃れられない。あの時の記憶から。そしてこれからも同じことが起こるのではないかという恐怖から……。
「浩介……」
涙目の母にじっと見られ、即座に視線を逸らす。
おれはやっぱりどうやっても、母を許すことができない……
『許すも何も、だってママだよ?』
「!」
ふいに蘇る、樹理亜の言葉……。
価値観を押しつけられ、売春までさせられたというのに、樹理亜はケロリと言ってのけたのだ。
『何があっても大好きに決まってるじゃん』
「………」
そんなこと……そんなこと、おれには絶対に言えない。
おれにとって、母とは何なのだろう。
母にとって、おれは………
母が涙目で迫ってくる。
「浩介にとって、私は邪魔でしかないの? 私と過ごしてきた時間は全部嫌なものばかりなの?」
「………」
母と過ごしてきた時間……?
部屋に押し込められて勉強させられて、間違ったら背中をひどく叩かれて……
それ以外に何かあったか? それ以外には何もないじゃないか。
「おれは……」
「桜井さん」
答えようとしたところで、戸田先生に遮られた。
「すみません。少し急ぎ過ぎたようです。今日はここまでにしましょう」
「え」
出鼻をくじかれ固まってしまった。今日はここまで?
「来週はお盆休みですので……再来週、お一人ずつにお話伺って、その次に再び今日のような形を取るということでいかがでしょう?」
「え……」
「そんな先生、私は浩介の答えを……」
「渋谷さん」
戸田先生が母の言葉を遮って、慶に視線を向けた。
「渋谷さんから何かありますか?」
「私ですか?」
慶は驚いたように目をぱちくりとさせ、戸田先生、おれ、母………と視線を移した。
「そうですね………」
皆が注目する中、慶は「ああ」と手を打った。
「油揚げ」
「え?」
油揚げ? 皆の頭が???となる。慶は気にした様子もなく母に問いかけた。
「油揚げの中に、豆腐とかシーチキンを入れたのをフライパンで焼いた料理、ありますよね?」
「え……ええ」
慶、何を………。
「あの中の調味料、何使ってますか?」
「え……」
母が、いぶかしげに答える。
「おしょうゆとマヨネーズだけど?」
「マヨネーズ?」
思わず声をあげてしまい、母にビックリしたように見られ、慌てて口を閉じる。
(あのコクはマヨネーズだったのか……)
納得だ。
「何の話ですか?」
戸田先生の問いに、慶が答える。
「昔一度、彼が作ってくれたことがあるんですよ。でも、何か違う、とか言ってそれ以来作ってくれなくて」
そう。記憶を頼りに作ったけれど、何か足りない味になってしまい、悔しくてその後作っていなかったのだ。
慶がニコニコとおれの腿をたたいた。
「これで問題解決だな。あれまた作ってくれよ」
「………慶」
慶、そんな大昔のこと、よく覚えてたな………。
「桜井さんお料理上手なんですよね?」
「ええ。そりゃあもう」
戸田先生の言葉に慶が嬉しそうに肯く。
「毎日色々なもの作ってくれます。何しろ彼の長所は料理が上手なところですから」
「もう、慶……」
それが長所ってどうなの? と、肘でつつくと、慶が「本当のことだろ?」とつつき返してきたので、小さく笑い合ったが、
「そう……」
割りこんできた母のつぶやきに、おれも慶も口をつぐんだ。
「浩介、私が作ってたお料理、作ってくれたの」
「え」
そちらをみて、ぎょっとする。
母の目にうっすらと涙が……。先ほどまでの演技のような涙ではなく、たぶん、本物の……
「嬉しいわ」
母は静かに言って、ハンカチで目じりをぬぐった。
「嬉しい……」
「………お母さん」
なぜか突然、脳内に母のオムレツの味がよみがってきた。
フワフワしてた。どうしてもあのフワフワ感は再現できない。
とても、おいしかった。……おいしかった。
「では、桜井さん」
「は、はい」
戸田先生の声に我に返る。振り仰ぐと、戸田先生がニッコリといった。
「次回の合同カウンセリングまでに、お母様にお聞きしたいレシピの一覧を作成してきてください」
「え」
「宿題ですよ? 渋谷さんもお手伝いしてあげてくださいね?」
変な宿題を出されてぽかんとしている間に、第一回合同カウンセリングは終了した。
**
母をカウンセリングルームに残し、おれと慶は先に急いで退出した。
仕事を抜け出してきてくれている慶を、車で勤務先の病院に送り届けるためだ。
「……変な宿題だされちゃったね」
「だな。でも」
おれが言うと慶はちょっと嬉しそうに言った。
「おれはこれでまた更にお前の料理の腕が上がったら嬉しいけどな」
「嬉しい?」
「うまいもん食えるのも嬉しいし、みんなに自慢できるのも嬉しい」
「慶……」
かわいいかわいい慶に手を伸ばし、ぎゅっとその手を握る。
「今日はありがとね。慶がいてくれたから大丈夫だった」
「ああ、わりと普通の仲の悪い親子っぽかったよな」
「なにそれ」
笑ってしまう。普通の、仲の悪い親子。それで十分だな。
「じゃ、今日の夕飯はさっそく油揚げな」
「わかった。じゃあ、お仕事頑張ってね」
「ん」
最後にもう一回、ぎゅううっと手を握ってくれてから慶が車をおりた。
颯爽と病院に向かって走っていく後ろ姿を見送りながら一人ごちる。
「オムレツ……慶も好きだよな……」
思いだす。先ほどの母の声……
『浩介にとって、私は邪魔でしかないの? 私と過ごしてきた時間は全部嫌なものばかりなの?』
………母との時間。
嫌な思い出しかないけど……でも、ご飯はおいしかった。
特に、平日の昼食は、父がいないから、おれの好きなものを作ってくれた。手作りのプリンもおいしかった。
『全部嫌なものばかりなの?』
たぶん……母の料理を食べるのは嫌いではなかった。
---------
以上です。
最後までお読みくださりありがとうございました!!
細かい話ですが、慶と浩介は普段は「おれ」ですが、慶は公の場では「私」、浩介は「僕」か「私」です。
浩介は親と話す時は基本「僕」ですが、感情が高ぶると「おれ」になります。
戸田先生は、普段は慶のことを「渋谷先生」と呼んでますが、カウンセリングの時は「渋谷さん」と呼びます。
……なんてどうでもいいですね? いや、私の中のこだわりポイントでして^^;
ということで。真面目な話ですみません……。次回もよろしければ、お願いいたします!
---
クリックしてくださった方々、感謝いたします。こんな真面目な話なのに、ご理解くださって……いつも本当に本当にありがとうございます。よろしければ、今後ともどうぞお願いいたします。
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おれの恋人、桜井浩介は料理がうまい。家事全般そつなくこなす。そしてなにより、おれに甲斐甲斐しく尽くしてくれる。友人たちには「男ということをのぞけば理想の嫁だ」といわれている。
本人も「嫁って言われたほうがしっくりくる」だの「おれが奥さん」だの公言しているし、夜の生活は物理的には逆だけど主導権は半々くらいだし、総合的に浩介が嫁ということになるのか? あまりそういうこと考えたことなかったけど。
一応おれも、母が働いていたため必要にかられて家事はしていたから、一通りはできる。
しかも、姉の手伝いでお菓子作りもさせられていたので、ケーキやクッキーも作れる。でも、料理はレパートリーが少なく、カレーとかシチューとか焼そばとか子供が好きそうなものばかりだ。
一方、浩介は、おれが見たことないような食事も作ってくれる。
実家暮らしのころは、一切料理をしたことがなかったらしいのだが、一人暮らしをはじめてからみるみる腕をあげていったのだ。
元々、コツコツと作業することが得意なので、料理に向いていたのだろう。
そして何より、実家でバラエティーに富んだものを食べていたのだと思う。浩介の料理を見れば、浩介の母親が料理上手であることは想像に難くない。
あれはまだ一人暮らしをはじめたばかりのころだったか……。
浩介が、油揚げに豆腐やシーチキンを詰めてフライパンで焼いたものを作ってくれたことがある。油揚げに中身が入っている料理はおでんの巾着しか知らなかったので、かなり新鮮で美味しかったのだけれど、浩介は、
「なんか足りない……」
と、ぶつぶつ言って、それ以来それが食卓にのることはなかった。おそらく実家にいたころに出てきた料理を再現しようとしたのだろう。
そんな感じで、浩介はおれの知らない料理を色々と作ってくれる。
今は、おれが休みの火曜の夜はおれが作るけれど、他の日はほとんど浩介が担当している。おれが健康でいられるのはこの手料理のおかげだと思う。
**
浩介の母親との合同カウンセリングまであと4日。
食欲も落ち、直前で熱まで出してしまった先月とはうって代わり、今回、浩介は大変落ちついている。先日偶然母親を見たけれど、何の発作も起きなかったことも、自信に繋がっているのかもしれない。
5か月ほど前に母親と対面した時には、嘔吐した上、過換気症候群の発作まで起こしたのだ。先日は遠目から見ただけとはいえ大丈夫だったし、その後も冷静に母親のことを話せている。
「なんか心の準備ができた感じ」
浩介が覚悟を決めたように言った。
「それに今度は慶も一緒にきてくれるんだもんね?」
おれの顔を覗き込み、微笑む浩介。そして手をこちらに差し出すと、
「手を繋いでたら、さらに大丈夫だと思う。今も繋ぎたいんだけど」
「…………」
「ダメ?」
「…………。お前、鮭だったよな?」
はい、と差し出してきた手におにぎりをのせると、浩介がむーっと口を尖らせた。
「ケチ。誰も見てないよ」
「うるさい。花火はじまる前にさっさと食べるぞ」
「じゃあ、花火はじまったら繋ぐ」
「あほか。さっさと食えっ」
あいかわらず頭お花畑の浩介を置いて、さっさとおにぎりを食べはじめる。
今日は横浜の花火大会に来ているのだ。
ちょうど火曜日でおれは休みで、浩介も夏休みとして休めたので、急きょ行くことに決めた。
若い頃に二人で何度かきたことがあるので懐かしくなって足を運んだのだが、驚いたことに、当時とは違い、公園内が有料になっていた。
当日券を購入して、中に入ると、小さな敷物を渡された。これ以外の敷物はひいてはいけないそうだ。
昔座って花火をみた石段の席は、特別席になっていて入れなかったため、せめてなるべくその近くまでいってみたら、植木の茂みの間に座れる場所を発見した。
茂みのおかげで、後ろと左横は人目を気にしなくて大丈夫。前方の電灯が少々気になるところが難点だけど、いい場所を見つけた。
「もし、母が慶に失礼なこと言ったらごめんね」
おにぎりを食べながら、浩介がボソボソという。
「でもおれ、頑張るから。これから安心して日本で暮らせるように、何とか母を説得するから」
これから花火がはじまるという高揚感や、海が見える公園という解放感も手伝ってか、今までめったに母親のことを口にしなかった浩介が、自分から話してくれた。話し方もつらそうではなく淡々としている。
「慶、当日も指輪、してくれる?」
おれ達の左手薬指に輝くお揃いの指輪。
「母に慶をおれの結婚相手相当の人として認めさせたい」
「………わかった」
うなずきながらも、ふと思う。
「お母さんにとってはおれが嫁ってことになるのか?」
「えっ!?」
なぜか動揺した浩介。慌てたようにまくしたてる。
「慶は嫁じゃないよっ。そりゃ見た目はすっごい綺麗なお嫁さんになると思うけど、でも慶は男らしいしカッコいいし、うちは絶対、慶が旦那さんなんだからねっ。慶がお嫁さんなんておれ絶対反対だからねっ」
「……は?」
なんの話だ?
「なに言ってんの?お前」
「…………あ」
浩介はあきらかに「しまった」という顔をした。これは何か裏がある……。
「浩介」
真面目な顔をして浩介をじっと見つめる。浩介曰く、おれの真顔は怖いらしい。これでもかというくらいじっと見続けたら、浩介が観念したように言った。
「あのー……怒らないで聞いて?」
「……なんだ」
ついこないだもそんなセリフ聞いたな……
「一昨日の夜、慶、ちょっと寝ちゃったでしょ?」
「あ? 溝部達が来てたときの話か?」
「うん……」
日曜日の夕方から、高校の時の友人が4人うちに遊びにきた。
お土産に持ってきてくれた紹興酒が強すぎて、おれはすぐに寝てしまったのだが……
「お酒が回ってたっていうのもあるんだけど、みんながさ、慶の寝顔見ながら、渋谷だったら男でもありだったな、とか言い出して……」
「はああああ?」
思わず大きな声を出してしまい、慌てて声を静める。
「何言ってんだ?」
「慶の寝顔があまりにも可愛いからいけないんだよ」
浩介はムッとした顔で、おにぎりにかぶりついた。
「でも、今っていう話じゃなくて、高校の時ってことね。高校の時、慶、ほんと可愛かったし」
「……なんだそりゃ」
意味がわからない……
「それで……まあ、お酒の席での下ネタだけどさ……、みんなして言ってきたわけ。あの頃の渋谷に迫られたらそりゃ落ちるよな、とか、あの頃の渋谷とだったらオレもヤレた、とかさ……」
「……………」
先日の高校の同窓会でカミングアウトした際、おれが1年以上片思いしてようやく浩介を振り向かせた、という話をしてしまったのだ。余計なこと言ったな……
「それで、おれムカついちゃって……」
浩介は「怒らないでね……」と再度言ってから、ボソリと言った。
「だから、うちはおれが嫁で、慶が旦那だよって言っちゃったの」
「?」
それは前から言ってたことで、なんで今さら「怒らないで」なんだ?
「……えーと?」
首を傾げたおれに、おれが意味が分かっていないと気がついた浩介が「だから……」とおれの耳の近くに唇を寄せた。
「だから、夜の生活の話をしちゃったの。その……おれがされる側だ、ってことにして……」
「………」
「………」
「………なるほど」
おれが思わずうなうずくと、浩介は「えっ」と驚いたようにおれの顔をマジマジとみた。
「……怒らないの?」
「酒の席での話だろ。なるほどな。これで帰り際にあいつらがお前のこと『男ということをのぞけば理想の嫁だ』ってやたらと言ってた意味が分かった」
「あー……」
ごめん、と下げた浩介の頭をポンポンとする。
「いや、どっちかっつーと、お前が嫌じゃないのか?ってほうが気になる」
「え、どうして?」
きょとんとした浩介の顔をのぞきこむ。
「なんつーの? やられるほうって男の矜持に関わる問題じゃね? なのにお前ウソついておれを庇ったってことじゃん」
「庇ったって……」
浩介がブンブンと首を振った。
「おれは矜持なんか持ち合わせてないし、そんなことより、慶がそういう対象としてみられる方が耐えられない」
「………」
「みんな引いてた。渋谷がどんなに綺麗でもやられるのはごめんだな~って。だからこれで安心」
「………」
なんだかなあ……
「慶はいつでも旦那さん。おれが嫁、だからね」
浩介がてきぱきとゴミの回収をはじめる。確かに嫁だな……
「でも」
ふと手を止め、浩介が再度おれの耳元に口を寄せた。
「ベッドの中では今まで通りでお願いします」
「…………」
「今日も帰ったらしようね?」
「…………」
「………痛っ」
アホなことを言ってる奴に思いきり頭突きをしてやる。
「もー痛いよっ暴力旦那っ」
「うるさい。もうはじまるぞ」
まだ少し明るい空を見上げていると、しばらくして大輪の花が空に咲き乱れはじめた。
打ち上げ場所に近い場所なのでめちゃめちゃ臨場感がある。音が心臓に響いてくる。
前半は、提供の放送があり、打ち上げ、の繰り返しだったけれど、後半は音楽に合わせてノンストップで花火がうち上がった。すごい迫力。大音量の音楽と共に、夜空がこれでもかというほど明るくなる。
「………あ、慶の歌だ」
「え?」
音が大きくて耳元で話さないと聞こえない。浩介が顔を寄せてきた。
「この歌、一番しか知らないけど、慶の歌だって思うの」
「ふーん?」
花火を見上げながら、音楽にも耳を傾ける。確か映画の主題歌だったから聞いたことはある。ソウルフルな女性の歌声……
サビの部分で思わず浩介を振り仰ぐ。浩介の手がコッソリとおれの手を握ってくる。
「おれ……親に会うの、ホントはすごく怖かったけど……」
「…………」
「でも、慶がいてくれるから、もう大丈夫」
「…………」
空には鮮やかな花火が一面に咲き続けている。
そのまま音楽も続く……
二番を聴きながら手を握りかえすと、浩介も空を見上げたままぎゅっと握り返してきた。
顔を近くに寄せ、力強くささやく。
「大丈夫。おれがいるから」
「うん」
「何があっても、おれはお前のそばにいるから」
「うん」
伝わってくる体温。二人で空を見上げる。同じものを見る。同じものを聞く。
何があっても、おれがお前を守る。
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以上です。最後までお読みくださりありがとうございました!!
この時かかっていたのは、AIさんの『Story』でした。
引用するのって著作権とかどうなのかな、と調べてみたところ、
残念ながらこのgooブログさんはASRACと利用許諾契約を締結していないようなので、
念のためやめておきました。一言だったら引用して大丈夫とか書いてあるサイトもあったけど念のため。
この横浜の花火大会終了後、架線断線発生の影響でJRが止まり、駅は大混雑するのですが、
慶たちは東横線なので、人波にのってぼちぼちと徒歩で横浜まで出て、無事に帰れました。
このお話が火曜日。この4日後の土曜日、とうとうお母さんとの合同カウンセリングです。
大丈夫かなあ……と私までちょっとドキドキしてきました。
ということで。次回もよろしければ、お願いいたします!
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こんな真面目な話なのに、ご理解くださる方がいてくださる!とものすごく感動しています。
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