夫とは私がものすごく傷ついている時に出会った。
夫からの熱烈なアプローチは、私の心の表面の傷を治すのに充分だった。
こんなにまで愛されて、必要とされることがあるのかと驚くほどだった。
こんなに愛してくれる人と出会うために、あの辛い別れはあったのだろう、
と自分を納得させた。
人生において無駄なことは一つもない。この傷も意味のあるものにしよう。
そう思った。
「結婚」の二文字がでたときにも、迷い無くOKした。
幸せにしてみせる、といった夫の言葉を信じた。
これだけ愛されるならきっと幸せになる、とも思った。
あれから7年以上たった現在・・・
確かに今でも夫はあの時と変わらず私のことを愛してくれている。
でも、正直言って、もう7年も経って子供もいるんだから、
もう少しトーンダウンしてくれてもいいのに・・・と思う。
贅沢な悩みなのかもしれないが。
私に対する愛情をもう少し子供達にも向けてくれればいいのに・・・。
夫が子供達に怒鳴ったりするのを聞く度、
「離婚」の二文字が頭の中をよぎることがある。
でも、それを踏みとどまらせているのは、
まず、子供達から父親を奪ってはいけない、という気持ち。
そして、離婚したら、夫が参ってしまうだろう、という心配。
そんな心配をしてしまうということは、
やはり私も私なりに夫のことを愛しているのだろう。
実家に帰って以来、夫とも上手くやっている。
平日は毎日メールをしあって、
休日は少しの間みんなで出かけたり、食事を一緒にしたりする。
一番のネックだった夜の生活を求められることがないので、
安心して夫と話をすることもできる。
マンションにいたときよりもずっと会話が増えた気がする。
かといって、このままずっと実家にいるわけにもいかない。
どうしたものかと思っていた矢先、夫がメールをしてきた。
「駅近くで中古の一軒家の売り出しがあるから見てくる」
それをみて、ものすごく驚いた。
夫は神経質なタチなので、中古物は絶対NGだったのだ。
結局、そこの中古一軒家は値段が折り合わず、話は流れたのだが、
それでも、「中古」というところまで妥協して
(「駅近く」というのは妥協できないらしい(笑))、
一軒家に引っ越したい、と言った私の気持ちに添えるよう
物件を探してくれた夫の行動がとてつもなく嬉しかった。
夫からの熱烈なアプローチは、私の心の表面の傷を治すのに充分だった。
こんなにまで愛されて、必要とされることがあるのかと驚くほどだった。
こんなに愛してくれる人と出会うために、あの辛い別れはあったのだろう、
と自分を納得させた。
人生において無駄なことは一つもない。この傷も意味のあるものにしよう。
そう思った。
「結婚」の二文字がでたときにも、迷い無くOKした。
幸せにしてみせる、といった夫の言葉を信じた。
これだけ愛されるならきっと幸せになる、とも思った。
あれから7年以上たった現在・・・
確かに今でも夫はあの時と変わらず私のことを愛してくれている。
でも、正直言って、もう7年も経って子供もいるんだから、
もう少しトーンダウンしてくれてもいいのに・・・と思う。
贅沢な悩みなのかもしれないが。
私に対する愛情をもう少し子供達にも向けてくれればいいのに・・・。
夫が子供達に怒鳴ったりするのを聞く度、
「離婚」の二文字が頭の中をよぎることがある。
でも、それを踏みとどまらせているのは、
まず、子供達から父親を奪ってはいけない、という気持ち。
そして、離婚したら、夫が参ってしまうだろう、という心配。
そんな心配をしてしまうということは、
やはり私も私なりに夫のことを愛しているのだろう。
実家に帰って以来、夫とも上手くやっている。
平日は毎日メールをしあって、
休日は少しの間みんなで出かけたり、食事を一緒にしたりする。
一番のネックだった夜の生活を求められることがないので、
安心して夫と話をすることもできる。
マンションにいたときよりもずっと会話が増えた気がする。
かといって、このままずっと実家にいるわけにもいかない。
どうしたものかと思っていた矢先、夫がメールをしてきた。
「駅近くで中古の一軒家の売り出しがあるから見てくる」
それをみて、ものすごく驚いた。
夫は神経質なタチなので、中古物は絶対NGだったのだ。
結局、そこの中古一軒家は値段が折り合わず、話は流れたのだが、
それでも、「中古」というところまで妥協して
(「駅近く」というのは妥協できないらしい(笑))、
一軒家に引っ越したい、と言った私の気持ちに添えるよう
物件を探してくれた夫の行動がとてつもなく嬉しかった。