【チヒロ視点】
『明日、帰ったら連絡する』
電話の向こうの真木さんはそう言った。
でも、次の日もその次の日も、一週間たっても、真木さんから連絡はなかった。
大阪から帰ってないのかな……
それとも、真木さんの『明日』はまだ来てないのかな………
そんなことを思っていたら、アユミちゃんが、
「今日、真木さん見かけたよ」
と、怒りながら言ってきた。
「ずっとメール返事くれないし、電話出てくれないし、何かあったのかな、お仕事忙しいのかな、って心配してたのに、さ!」
「……………」
アユミちゃんのほっぺがプーッと膨らんでいる。
「他のキャバから、女の子に囲まれてヘラヘラしながら出てきたんだよ! 何なのあれ! 真木さんってゲイじゃないの!? 女もいけるってこと!?」
「……………」
それは………知らない。
「チーちゃん! 真木さんにうちの店に来るように言って!」
「え…………」
「真木さんに連絡してよ!」
連絡…………
「それは出来ない」
ハッキリ断ると、アユミちゃんは「は?」と眉をピクリとさせた。
「何で?」
「真木さんは『明日、帰ったら連絡する』って言ったから僕は連絡を待ってないといけないから僕から連絡は……」
「そんなのいいからしてよ!」
アユミちゃんの悲鳴みたいな声が耳に刺さる。でも、僕は首を横に振った。
「だから、出来な……」
「チ、イ、ちゃん」
「!」
ギイイイイって足の付け根のところ、爪を立てられた。パジャマの上からだけど痛い。でも、大丈夫。ママはもっと痛かった。アユミちゃんは優しいから、これ以上は痛くしない。
「真木さんに、連絡、して」
「………僕は真木さんの『連絡する』に『はい』って返事したから約束は破れないから」
「……………」
アユミちゃんはジーっとこちらを見上げていたけれど……ふっと目線を外した。
「じゃあ、チーちゃん」
「うん」
「真木さんは、もういいや」
「え?」
もういい?
アユミちゃんは、大きく息をつくと、ポツン、と言った。
「次の人、探してきて」
「次の人?」
次の人………
「あそこまでかっこよくなくてもいいから、お金持ちの人ね」
「……………」
「分かった?」
「……………」
そんなの………
「チーちゃん、返事は?」
「………………」
出来ないかもしれないことに『はい』とは言えない……
「大丈夫よ」
僕の心を読んだかのように、アユミちゃんは『ニッコリ』とすると、
「チーちゃんは可愛いから」
「でも」
「可愛いから、小さい頃からモデルもできたんでしょ? みんなに可愛い可愛い言われてたんでしょ? ママだって……」
アユミちゃんの目が暗く光った。
「ママだって、チーちゃんとだけお揃いの格好してお出かけして、チーちゃんだけみんなに紹介して、チーちゃんだけ美容室に連れて行って、チーちゃんだけ写真にとって………」
「…………」
アユミちゃんは、自分の顔をペタペタ触ると、また大きく息をついた。
「今のこの顔だったら、ママも私とお出かけしてくれたかな……」
「……………」
「でも、もう、それも無理だけどね」
アユミちゃんは僕を真っ直ぐに見ると、いつものように、言った。
「ママはチーちゃんのせいでいなくなっちゃったんだもんね?」
「……………」
それを言われたら、僕はもう、アユミちゃんのお願いは何でも聞かないといけない、と思う。
ママのことが大好きなアユミちゃん。でもママは僕の手だけを引いた。
そして、僕たちが中学2年生の時、ママは僕のせいでいなくなってしまった。
『チーちゃん、ママと似てなくなっちゃったね』
そう、寂しそうに悲しそうに言って、ママは家を出て行って、それから一度も帰ってきていない。
「チーちゃん、いい?」
「……………」
僕と違って頭のいいアユミちゃんは、一番頭の良い高校に行って、今は歯医者さんになるための大学に通っている。だから、アユミちゃんのいうことはいつも正しい。
「選択肢は2つ。いち、真木さんに来てもらう。に、他の人を見つけて連れてくる。以上。明後日の私のバイトの時によろしくね?」
「……………」
「返事は?」
「………………………はい」
アユミちゃんのお願いは叶えないといけない。
***
翌日の夜。
「んーーー………」
コータが苦いものでも食べたような顔をしてうなってる。
「同伴してくれて、高いボトルを入れてくれるような男の人、ねえ……」
「いない?」
色々詳しいコータなら、誰か知ってるかな、と思ったんだけど……
「探せばいるかもしれないけど、明日までには無理じゃない?」
「そう……」
どうしよう……と呟いた僕の頭に、ポン、とコータの手が乗った。
「お金さえなんとかなれば、僕が行くっていう手もあるんだけど」
「え?」
コータが行く?
「僕がお客さんとして行くってこと」
「……………………。あ」
そっか。
「コータ頭いい……」
「でも、僕、お金ないからね? お姉さん、高いボトルっていくらくらいのこと言ってるのかな」
「………分からない」
コータはまた、うーん……と唸っていたけれど、「とりあえず」と言って、手を打った。
「今回は、僕が行くってことで乗り切ろうか?」
「コータ……」
コータはいつも僕を助けてくれる。大好きな友達。
「ありがと……」
「でも、問題は、今、本当に全然、お金ないってこと。チヒロは今いくらある? 見せて」
「うん」
同時に財布を開いて見せあう。僕は3千円と小銭。コータも同じようなものだった。これからこのバーでの支払いもするからもっと減ることになる。
「うーん。最低でも同伴プラス1セット分のお金は必要だけど、全然足りないね……。あー、こういう時にカードがあればなあ」
コータは『ブラックリスト』に載っているからクレジットカードが作れないらしい。
コータはうーん……とまた唸ってから、ふいっと顔をあげた。
「久しぶりに、お小遣い稼ぎ、しよっか」
「え」
ギクッとする。コータの言う「お小遣い稼ぎ」っていうのは、知らないお金持ちの人と、3人でして、お小遣いをもらうっていうことで……
「今、目つけてる人がいるんだ。何度かこのバーで見かけた人なんだけど」
「……………」
反射的に『嫌』って思ってしまった。今までも、嫌だなって思ってたけど、それよりも、さらに、ハッキリと、『嫌』。
でも、コータは僕のために行こうっていってくれてるのに……
「……………チヒロ、変な顔してる」
「え」
コータの手が頬に触れてきた。優しい手。
「もしかして、嫌?」
「………」
それは……
答えられずにいたら、コータがふっと笑った。
「チヒロと3人でホテルに行ったのって、真木さんが最後だよね?」
「…………」
思い出す1ヶ月ちょっと前。でもその時は、真木さんはコータとだけして僕とはしなかった。その後も……
「その後、チヒロは真木さんのところにお泊りするようになって……」
「うん」
「真木さんは何もしないで、朝までぎゅーってしてくれて、朝ご飯も一緒に食べてくれるんだよね?」
「うん」
真木さんの良い匂いとか、滑らかな肌とか、力強い腕とか、綺麗な寝顔とか、ご飯食べてるときの優しい目とか、思い出して、きゅうって胸のあたりが温かくなる。
「チヒロ、さ」
「うん」
コータの丸い目がこちらをジッと見ている……
「この話してるとき、自分がすっごい嬉しそうな顔してること、分かってる?」
「え?」
嬉しそうな、顔?
「そういう幸せ知っちゃったら、もう、お小遣い稼ぎに他の人と……とか出来ないんじゃない?」
「…………」
幸せ………?
「もし、同伴してくれるお金持ちが見つかったとして、その人がその見返りにチヒロとしたいって言ったら、チヒロ、できるの?」
「あ」
それは………忘れてた。
それは………
『嫌』だ。
「嫌、なんじゃない?」
「………………うん」
素直にうなずく。と、コータは少し笑って、僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「じゃ、明日、僕が同伴するかわりにホテル行こうっていったら、どうする?」
「それは行くよ」
即答する。だって、知らないお金持ちとコータは違う。
「コータがしたいんだったらもちろん行くけどお金ないからホテルに行くのはむずかしいかもしれないけどでも……」
「………………チヒロ」
「え」
言葉の途中でいきなりギュッと抱きしめられた。
「………コータ?」
コータは、ギュッギュッギューッとしてくれてから、
「ねえ、チヒロ。真木さんに連絡してみたら?」
耳元にささやいてきた。
「やっぱり、真木さんにお願いするべきだよ」
「でも………」
真木さんは、『明日、帰ったら連絡する』って言った。だから僕は連絡を待っている。約束は破れない。
それになにより、真木さんを嘘つきだと思いたくない。
「僕から話してあげるから、電話かして」
「でも」
「いいから」
「でも」
コータに携帯を取られそうになり、胸に抱え込んで背を向ける。
「真木さんは連絡くれるって言ってたから僕から連絡はできない」
「だから僕が連絡すればいいでしょ?」
「でも………っ」
真木さんは他の人には連絡先教えないでって言ってたし、それにそれに……っ
と、その時だった。
「!」
ブルブルブルっと携帯が震え、画面に『真木さん』の文字が………
「真木さんっ」
咄嗟に通話ボタンを押す。と、
『チヒロ君?』
「………っ」
聞こえてきた優しい声に、胸の奥がぶわあっとなる。
『聞こえてる?』
「……………」
見えないのに、「はい」と頷く。そして、
「真木さんの『明日』が来て良かった」
そう言ったら、電話の向こうの真木さんは小さく笑った。
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お読みくださりありがとうございました!
次回火曜日は、真木さん視点。前回の大阪二日目の朝~今回の電話までのお話を、と思っています。
お時間ありましたらどうぞよろしくお願いいたします。
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